おならとRELATIONSHIP
RELATIONSHIP(リレーションシップ)とは、関係、信頼関係といった意味で、恋人同士や夫婦間などを表す時によく使う。
良い関係=GOOD RELATIONSHIP
始まったばかりの関係=NEW RELATIONSHIP など。
一昨年に日本の友人と話をしていた時のこと。“フッ”としたことから、お互いの夫婦関係の話しを色々し始めた。私の学生時代からの友人の彼女、決しておなら(放屁=ほうひ)は旦那の前ではしない、と言う。私は、たまげてしまった。
“ええええぇぇぇぇぇ?じゃぁ、一体、いつどこでどうやってするの??”
人のおならのことを、いつ、どこで、どうやって、とまで聞いてしまった不手際には気が付いたものの、かなり興味があったし、彼女とは、何でも話すそういう仲なので、いいかな?と思った。トイレに行くとか、こっそり聞こえないようにする、らしいのだ。私は、なんて女性らしくて慎ましくしおらしいのか、と感動さえ覚えた。もしや、これがメジャーな一般論で、旦那の前でおならをする女性がごくわずかなら、私はショックである。
そう、私は完全に後者であって、そういう関係が自然で楽で有難い、とさえ思っているのだ。
信頼関係の醍醐味(だいごみ)とさえ思ったりしている。でも、ゲップやシャックリと同じで、食事中は絶対にしない…。まぁ、それなりの規定の中での?自然主義?とでも言えようか、はっ!これをお互いにすることで、笑いを作るきっかけになることもある。
喧嘩中、どちらも不機嫌でむっつりしているのに、どちらかがこの“突拍子もない不可思議な音”を出すことによってその緊張した雰囲気を和らげて、穏やかにしてくれることもあるのだ。
匂いがつくから、おならは“嘲笑”の対象になるが、本当はとっても大切で自然で普通の大事なことなのである。思い切っての最初が肝心だが、私達の場合、特に恥ずかしいとか、興醒めするとかいったことなく簡単に最初のハードルは越えることができた、ラッキーだったと思う。RELATIONSHIP(リレーションシップ)は基本的に笑い、であると信じている二人なので、一般にタブーとされる話題をも、なるべく冗談交じりで思い切って話すように努めると案外、あれ、そんなことなのかぁ…そんなに自然なことなのかぁ…と思わせてくれる。私は決して、“おならを彼の前でしなさい”とか“おならをしないと本当の信頼関係は築けない”と言っているわけではない。そんな“おなら信者”の様に、真剣におならのことを考えている訳でもないから…。ただ、案外、やってみると楽になる、そんな“男女間のタブー”って一杯あるのだろう、と感じているのだ。
c0027188_018968.jpg

# by yayoitt | 2005-01-08 03:16 | 国際結婚って... | Comments(2)
すっとこナースの思い出 6 転回
雪が降るのを見ながら自分は死にたい、と言った彼の願いは叶い、その年の初雪の舞い降りる中その人は、母親が手を握るなか天へとあがって行った。いつも掛けていた眼鏡が外された寝顔は、白くて美しかった。私の同僚は詰め所で、死後の処置の為にテキパキと準備をしてくれていた。私は、主治医の到着を待ちながら、母親と一緒に横たわる息子の顔を見つめ、時々窓に目を向けポツリポツリと会話を交わしていた。とかく静かな夜だった。静かで安らかで、こんな死があるのだなぁ…と優しい気持ちになるほどだった。しばらくすると、廊下に足音が近付いてくるのがわかった。急ぐそれが主治医だと、すぐに私にはわかった、が…。
妙にその足音は大きくて、しかも変わった音だったので、何となく部屋の片隅に立っている母親を見ると、彼女も不思議そうに廊下の方を見ていた。
ボテン ボテン ボテン ボテン 足音は大きくなり、やっぱりその部屋の前で止まり、ガチャッと大きな音を立てて部屋のドアが開いた。そこに立っていたのは予想通り、主治医の男性だった。私は彼の顔を見る前に簡単に頭だけ下げ、すぐさま彼の靴に目をやった。
彼は大きな雪用の長靴を履いており、左のズボンは長靴の中に綺麗に入っているが、右側のズボンは長靴の外に出していた。私は“あぁ、急いだんだろうなぁ”と思いながら、初めて彼の顔を見た。私は、仰天してしまった。
彼の髪はグチャグチャに東西南北へと荒れ放題、しかも眼鏡の下の右目が…ない!!
えぇえぇえええぇ??と思い、暗い部屋の中だったので目を凝らしてよく見た。
右目と眼鏡の間に、ティッシュがグチャグチャっとあてられていたのだ。でも、なんで?
ボテンボテン鳴る長靴で、騒々しく入ってきた彼は、眠る患者さんの顔と母親の顔、そして私に一瞥してから堰を切ったように喋り始めた。
“いやぁ、雪だね、雪。外は凄いよ、雪。でもほら、雪を見たいって言ってた彼の言葉通りだね、なんか、不思議だね、いや、ほんと、ね。”
普段から彼の声は、とっても大きいので、今までの静けさが嘘の様にかき乱された。
彼は真剣な表情で、患者さんの冷たくなった手をとりながら、彼の身体を挟んで立っている母親に話し掛ける。ちょっと涙ぐんでいるようでもあるが、しきりに眼鏡の下から右目を触っている。母親が、“大丈夫ですか?”と小声で微笑みながら尋ねると、“あ、これ?いやぁ、目もらいできちゃって、痒いんだよね、ね”私は、まだ死亡確認の終えていない彼の後ろ姿を見ながら、場違いだけど、吹き出しそうになった。というか、彼の登場の仕方自体が色々予想外で、場違いでもあったから、やけに笑えたのだ。不謹慎なのではあるが、よく、葬式の時に笑いが止まらなくなる、あぁ言った状況と同じであった。以前テレビで、誰かコメディアンが話していた。葬式の時に寺の畳の上で正座していたら、前に座っていた人の耳の後ろに大きな毛が生えたほくろがあるのに気が付いた。で、そのまた前の人を見ると、同じ所に黒いでっかいほくろがり、更に横にいた人が偶然にも同じ場所にほくろを持っていた。そのコメディアンは、途端に可笑しくなり、でも笑うに笑えずに必死にこらえた、と言っていた。
場違いな笑いほど、後を引き、苦しいものはない。
その医師は、死亡確認を終えると、おもむろにズボンのポケットに手を突っ込み、何やら必死に取り出そうとしている。でも、手が引っかかって取れないらしく、時間がかかっていた。私は、その場にいても立ってもいられないほど頭の中は可笑しさで一杯だった。天井を見上げ、xxさんも、笑っているんだろうなぁ…と思っていた。患者さんは生前ずっと、この主治医をとても信頼し、主治医も彼との時間をとても大切にしていたのだ。ようやくティッシュを取り出した彼は、母親と喋っている途中で、大きな音を立てて鼻をかんだ。“お母さん、この後、大阪に戻るのかな?誰か親戚の人とか、こちらに…へぇ、へぇ、こひらに、へぇ…へぇっくしょん!こちらにみえる方、あるんですか?”私の笑いのつぼ、全部が埋まってしまった!もう駄目だ!大急ぎで部屋の外に出て、詰め所へ飛んで帰り、ヒィヒイ泣きながら同僚に、今見たことを喋った。同僚もヒイヒイ笑い、泣き止んだ頃に医師がボテン ボテンと長靴鳴らして詰め所に入って来た。まだ彼の姿を見ていなかった同僚は、その姿を見るなり、“ご苦労様です、ぶっ”と言って、トイレに駆ける行った。“先生、大丈夫ですか?”私が尋ねると、“うん、もう目もらいは痒いし、子供の風邪うつってクシャミは出るし、えーっとじゃぁ、死亡診断書!”
普段からいつも、忙(せわ)しなくしている彼だが、今夜に限って、雪は降るは、風邪はひくは、目もらいはできるはで、踏んだり蹴ったりだったに違いない。
悲しいだけの臨終とは違う穏やかで微笑むことのできる臨終、そして、その医師らしい笑いもあった臨終。こんなお別れも、案外あってもいいかな?と思った。
いつもこの出来事は、笑いの中で思い出す。
涙1つ見せずに微笑んで見送った母親と、雪の中必死にやって来た医師のこと、そして、雪の舞い降りる空へと、旅立って行った彼、皆の心に、この夜のことは深く残っているに違いない。
# by yayoitt | 2005-01-07 20:40 | 看護婦時代 | Comments(0)
すっとこナースの思い出 5 昇天
看護婦時代は、患者さんの臨終に、沢山立ち会ってきた。
患者さんがお亡くなりになった時、私は、必ずすることがあった。
医師が、“何時何分ご臨終です”と言った瞬間、それまで家族や医師と見つめていた患者さんの身体から目を離して、天を見上げることだった。あるテレビ番組で、臨終体験者(一度心臓が止まり、甦生して戻ってきた人の体験話を取り上げたもので、何人もの老若男女が体験談を話していたが、彼らの話の中には共通点があった。魂が身体を離れた瞬間に、自分の身体を天井から見下ろしていた、というのである。だから、私は皆がうつむいている中、気が付かれない様にそっと天井を見上げて、その患者さんが“あれ?この看護婦さん、僕がここにいるの、見えるのかな?”と思わないかな?と考えたのだ。だから今でも、ヴォランティアしていた動物病院でハムスターが安楽死した時も、天井に向かって小声で話し掛けたりした。
人の命の最期、臨終、特にこの季節に思い出す、ある美しい死との出会いを忘れない。

それは飛騨高山の真冬、静かな夜のことだった。

私は内科病棟の準夜勤(夕方4時半から夜中1時)で、それは特に静かな夜だった。
私の受け持ちの患者さんで、今夜くらいが危ないかも、と言われていたターミナル(終末期)の患者さんが個室にいた。彼は関西の人で、癌の終末期だと宣告を受けると、自分で高山にやって来た。“最期は、雪の降るのを見ながら死にたい”との希望であったことは、付き添いの年老いた母親から聞いていた。彼は、無口で一度も取り乱すこともなく、毎日静かに笑ったりお喋りをしていた。彼の強い希望で、痛みを取り除く手助け以外の治療は一切しなかった。高山に、まだ雪は降っていなかった。身体に取り付けられた機械が、詰め所のモニター上に彼の心拍数や適宜計る血圧を表示していたが、零時近くに、突然、その心拍数の音がゆっくりになり、すぐに以上を知らせるアラームが鳴り出し、私は、走って廊下は一番奥にある個室の彼の部屋へ行った。彼は静かな顔で眠っており、母親は側に立ち手を握っていたが、私が部屋に入って行くと呟いくように私に言った。“今、行きよるねぇ”部屋をソーっと抜け、また走って詰め所に帰り、すぐに主治医に連絡を取る。自然な死を助ける、という了解だったので、特に主治医が来てから救命処置などは一切しないが死亡確認の時には何時でもいいから呼んで欲しいと、主治医から言われていたので、休んでいる自宅へ電話をした。電話に出た医師は、短く“じゃぁ、今から急いで行くから”と言って受話器を置いた。私が電話で話をしている間に、詰め所のモニターは、フラットになっていた。私は、彼と母親が待つ部屋に静かに戻り、立ったまま手を握って微かに微笑む母親を見ていた。数分が経ち、小さな皺だらけの母親が、息子の手を握ったまま言った。“雪が降って来たなぁ”驚いてカーテンが開いたまんまの窓を見ると、暗い空からほのかに白い大きな綿が激しく降りていた。私は驚いて、“xxさんが、ずーっと言ってみえたことが、叶いましたね”と言うと彼女は、ホッとしたように微笑みながら何回もうなづいた。私はやっぱり天井を見上げて、メガネを手で押さえ、痩せて細い顎を尖(とが)らせて笑うxxさんが“雪や、雪や、もっと降れ、もーっと降れ”と叫びながら浮かんでいる姿を見たような気がしていた。“最期は雪を見ながら逝きたいって、言ってたから”母親の握る彼の手は、しばらく温かかったに違いない。母親は涙1つ見せなかった、むしろホッとした、そして満足して嬉しそうでもある表情が今でも私は忘れることが出来ない。高山に来るまでに、考えられないほどの苦しみ、葛藤、悲しみを息子と2人で経験してきたのだろう。ようやく乗り越えて、2人だけで、友人も知人もいない、生まれ育った自宅から遠く離れこの田舎街へ、死を迎える為だけにやって来た親子…
電気をおとした薄暗い部屋の白い壁には、窓から映る雪の模様が、走馬灯のように駆け回っていた。そして、静かな静かな時間が過ぎて行った。

        続く
# by yayoitt | 2005-01-06 03:28 | 看護婦時代 | Comments(0)
すっとこナースの思い出 4
小児科病棟でのお笑い出来事は、ありすぎて全てを覚えていないが、印象的なことは今でもありありと思い出す。ある深夜の勤務中のことだった。
小児科側の詰め所で私は1人、患児達のカルテ記録をしていた。開け放してあるドアを誰かがノックしたので見ると、大部屋の短期入院の子供のお母さんだった。小さな子供の入院時、お母さんや保護者の方が希望されれば一緒に泊まって頂いていたのだ。お母さんは、眠そうな目だけれど何かいぶかしげに私に話した。“看護婦さん、隣の部屋から誰かがずっと叫んでるよ。なんか、なんとかじゃぁ、なんとかじゃぁ、って”?なんとかじゃぁ?寝言かなぁ?寝言にしても古典的な寝言だなぁ?私は、“なんとかじゃぁ”という言葉が気味悪く感じて、彼女に部屋に戻るように伝えてその隣の病室へと懐中電灯1つで向かった。隣の病室とは、養護学校に通う男の子達が6人寝ている部屋だったが、部屋に入る前から、何か物音が聞こえる、そして、聞こえた!なんとかじゃぁって言ってる!こりゃ一体、なんなんじゃぁ?怖さと戦いながら、部屋に入ると、その音の正体はすぐに私にはわかった。窓側のベッドで眠っている太った男の子の机の上、目覚まし時計だった。目覚まし時計は、何故こんな夜中にセットされたのかはわからないが、“なんとかじゃぁ”のなぞも解けた。この目覚ましは、日本のお城と侍達を形とったもので、初めて聞く目覚ましの音はこうであった。
まず“ほら貝”を吹く音♪ファアァァン、ファアァァン♪それに次いで、沢山の侍の声、そして“出陣じゃぁ、出陣じゃぁ ファアァァン、 ファアァァン”と繰り返すのだ。
「信玄くん」とか言う目覚ましで、大河ドラマ「武田信玄」がブームになった時に発売されたらしい。私は、6人の子供達が仰天するような寝相で寝ているのを見ながらも、この出来事が可笑しくて真っ暗な部屋の中、1人で声を殺して笑いながら、何とかその目覚ましを止めた。
隣の部屋で、まさか“出陣じゃぁ、出陣じゃぁ”と馬に乗った侍が闊歩していたとは知る余地もないそのお母さんには翌日、“あれから静かになりましたが、お母さん眠れました?”とだけ尋ねておいた。それにしても、人騒がせな目覚まし時計だった。
c0027188_0185710.gif

# by yayoitt | 2005-01-05 03:24 | 看護婦時代 | Comments(0)
すっとこナースの思い出 3
内科の病棟での思い出には、切ないものが沢山ある。
お年寄りが、老体にむち打っての闘病生活で、長く寝たきりになるのを見るのは辛かった。
おじいちゃんがずっと寝たきりで、背中を2つに畳んだ様な小さなおばあちゃんが、毎日付き添いに来る。雨の日も、風の日も、若い家族は殆ど顔を出さないが、おばあちゃんだけは必ずやって来る。おじいちゃんは、前まではうなづいたりしていたものの、最近では瞬きくらいしかしなくなっていた。働く私達も、段々とおじいちゃんへの呼び掛けは定番のものだけで、顔を覗き込んで、おじいちゃんからの応えをまとうという人はいなくなって来ていた。忙しい業務に追われて、悲しいことに、その一秒の大切なことを忘れてしまったりするのだ。おじいちゃんは、もう誰も、言葉の喋れない自分の意見を聞く人はいないのだ、と泣いていたに違いない。身体が動けなくなっても、人の心は動き続ける、それに外側の人達が気付いてやれないって、なんて残酷で悲しいことなのだろうか、と今思うだけでも泣けてくる。おばあちゃんだけが、小さなおばあちゃんの顔より高いベッドで、硬くなって寝ているおじいちゃんに話し掛けていた。私達が処置に入って行くといつも、丁寧にお辞儀をして迎えてくれた。私は、この夫婦がとても好きで、時間がある時に時々遊びに行った。おばあちゃんから、おじいちゃんの話しを色々と聞いているうちに、今、目の前で硬くなって瞬きだけするおじいちゃんが、真剣に話を聞いているということに気が付いた。だけど、そのうちにおじいちゃんは、目をショボショボしながら眠ってしまった…安心したのかな?おばあちゃんは、おじいちゃんの元気な時の話をニコニコと、時々入れ歯を浮かせながら話した。
看護師の仕事をしていると、“心と身体”が1つであることを忘れてしまうことがある。身体の変化ばかりチェックして、見えにくい心をチェックするのは、時間も手間もかかるのでなるべく避けて通りたい、と正直思ってしまうのだ。看護師として、このおじいちゃんが“気持ちを持った1人の人間”であることを、何となく誰もが忘れかけていた。ええぇ?と驚くかもしれないけれども、忙しい病棟の中で、何十人もの患者さんを数時間のうちに看ていく時、身体の変調に関することが一番で、心の変調に対しては“時間がない”と自分に言い訳して逃げてしまうことが多いのだ。私は、どうしてもこのおじいちゃんのことを、他の人達(同僚、おじいちゃんの家族、周りの患者さんも)と共に、再び話し掛けたり、耳を傾けたりしたいと思って、あるお願いをおばあちゃんにした。おばあちゃんは、快く嬉しそうに頷いた。そして、黒の着物の生地の手提げから、一枚のカラー写真を私に渡してくれた。“XXさん(おじいちゃん)の、元気な頃の写真を見せてくれますか?”と尋ねたのだ。写真のおじいちゃんは、眩しそうに目を細めて、とても上品そうに笑っていた。明るい日差しの中で、幸せそうに白い入れ歯を見せて微笑んでいた。たった一年ほど前の写真だと言うおばあちゃんの視線のそこに横たわるおじいちゃんは、もう笑ったりしない。私は、写真を見ているうちに泣きそうになるのを我慢して、“これ、ちょっと他の看護婦さんにも見せてきていい?”と尋ねると、喜んでおばあちゃんは顔を縦に振った。
入院してきた時からずっと、その状態のおじいちゃんは、私達医療者にとっては“患者さん”であり、“色々な過去をどっさり抱えた1人の人”としては余り意識して考えないことが多い。でも、その人の過去の話を聞いたり昔の写真を見せてもらうことで、元気な時の姿を想像し、その人に対しての、医療者として忘れてしまいがちな“人に対する尊敬”“心への触れ合い”を取り戻すきっかけになる。患者と医療者でなくても、他人と他人が会った時に一番大事なのは“会話”だ。その会話が身体の変調で出来ない人に会った時、今後どう対応していくか…、まずその人のことを知っているのと知らないのとでは、気持ちが大分違ってくる。写真1つで、“あぁ、こんな時があったんだぁ”“あぁ、こんな風に笑ってたんだぁ”と、その人に対しての興味が沸く=その人を大事にしようと思う。人間、結構、単純なところもあったりする、でも単純だからこそ、忘れてしまいやすいことでもある。
写真はずっと、おじいちゃんのベッドの頭の上、白い壁に“引っ付き虫”でとめられた。処置に来た看護師が、おじいちゃんに話し掛ける“おじいちゃん、ハンサムやったんやなぁ”回診に来た担当医師がおじいちゃんに話す“おじいちゃん、これ、どこ行った時なの?”おじいちゃんから答えはないが、写真を通して、おじいちゃんに話し掛けている。側でニコニコしたおばあちゃんは、“うちの庭でぇ、じいちゃんがなぁ、去年の夏やったかなぁ…”おじいちゃんのはげ頭を撫でながら応える。ショボショボした目のおじいちゃんは、頭を撫でられながら、スーッと寝息を立て始めた。
# by yayoitt | 2005-01-04 03:21 | 看護婦時代 | Comments(5)
すっとこナースの思い出 2
小児科病棟での仕事中、私が好きだったのは、養護学校に通う子供たちとの遊びや語らいの時間だった。養護学校は、病院のほとんど敷地内にあって、長期に渡って入院生活をする子供たちが通う学校であった。入院している児童、中、高校生だけではなく、車椅子生活をしている子供や、身体的に一般の学校では階段の昇り降りなど困難がある為、家から通っている子供もいた。看護婦は毎朝、入院している養護学校の子供達を見送る。一列に並んで“行ってきまぁす”と大声で叫ぶ子がいれば、ふて腐れて黙ってうつむいている子も、入学式からずっと何年もこの朝を繰り返す子もいた。夜になると、宿題を済まして暇をもてあました高校生や中学生の男の子、女の子が詰め所になってくる。私は、その頃からよく、子供達からの“恋の相談”というのを受けていた。男の子は恥ずかしがって喋らないが、女の子はキャッキャと言って、誰が好き、想いを伝えたい、などと相談に来た。私は、この時間が大好きで、思春期の子供って何てかわいらしくて楽しくって、難しいんだろう、と興味深く思ったものだ。4人ほどいた中学、高校生の女の子達は、退院してからも時々、私のアパートに会いに来てくれたり、電話を掛けてきてくれたりしたが、昨年、このうちの1人と偶然に飲み屋で顔を合わせたことがあった。病院の宴会の二次会で、私が終電に乗る為に立ち上がったところ、誰かに呼び止められた。
“やっこちゃん??やっこちゃんじゃない?”
振り返ると、見覚えのないほっそりした20代半ばくらいの女性が呼んでいた。口を開けて??という顔の私に彼女が言った“やっこちゃぁん!私、K川Y美、覚えてる?”すぐに思い出す、養護学校に通う子供の中では一番年上の、中学3年の子だった。私は、その子供たちからは“やっこちゃん”と呼ばれていた。終電に間に合わなければいけなかったので、感動で興奮しながらも挨拶と手を振って別れたが、10年以上も経った今でも、私のことを覚えていてくれたことがとっても嬉しかった。養護の子供だけではなく、短期で入院してくる子供たちや耳鼻科入院の高校生など、思春期の彼らと話すのが、とにかく私は好きだった。こちらが思い切って馬鹿話をし始めると、むっつりしていた男の子も少しずつ心を開いてくれる。そして、夜中に“邪魔しまぁす”とか言って詰め所に入って来て、仕事をしている私の向かいに座って
ひとしきり自分のことを話し、似顔絵に描いた主治医の鼻毛をビローンと伸ばしたりして、挙句の果て“あぁあぁ、眠れん”と壁を蹴ったりする、そんな複雑な回路を持つ繊細な彼らはいとおしかった。貝殻のように透明で、割れやすく、簡単に掌(てのひら)の中で粉々になり、海に戻ると広がって二度とは戻ってはこない、元の形にはならない、はかない存在に私には思えて仕方がなかった。夜中、遅くまで眠れない子供たちを相手に、自分の仕事の手を休めて、家族の話を聞いたり将来の夢を聞いたり、好きな子の話をきいたりする時間は、宝石の如く貴重な時間だった。そして一生懸命に眠い目を時々こすって語る彼らは、活き活きした太陽の光に輝くシャボン玉の如く空に向かっては風に吹かれて、それでも必死に青い空へと向かっていた。惜しくも途中で、壊れて消えてしまう、シャボン玉ももちろんいた。両親の元を離れ、家族から離れ、友人から離れて暮らす子供たち。時間の流れの中、自然に家族は、その子供のいない残りの家族形成をしてしまうことが多い。それに敏感に気が付く子供たち、傷ついたり怒ったり泣いたりする子もいた。夜中に見回りに行くと、声を押し殺して、布団の中で泣いている子供の姿がある。そんな彼らが、目を覚まして暗い天井を見つめて起き上がり、詰め所の灯りと人のぬくもりを感じて夜中に集まって来たのは、今思うと、とても自然なことなのかもしれない。
# by yayoitt | 2005-01-03 03:16 | 看護婦時代 | Comments(0)
すっとこナースの思い出 1
私は看護婦時代いつも、いつか看護婦を辞めたいな、とぼんやり思っていた。
最初の5年勤めてから、オーストラリアへの旅立ちをきっかけに脱ナースしたが、
当初は、オーストラリアから帰ったら看護婦へ戻ってお金を稼ぐ、当たり前の硬い線路の上を歩くような人生と思っていた。6ヶ月の滞在予定が、マイケルとの出会いにて結局20ヶ月になり、5年間貯めた貯金、いわゆる結婚資金とぼんやり手付かずにしていたお金も、予想外の滞豪生活の為軍資金となった。この時、私はナースに戻らない、という決心を自分の中で頑なに持っていた。5年間の勤務は、楽しいことが一杯あったし、素晴らしい出会いも一杯あった、患者さんとの素晴らしい出会いは忘れることが出来なかった。でも、とにかくナースと言う仕事が怖くて仕方ない自分に、ナースを辞めて初めて面と向かってしまったのだ。働いている時は、間抜けなすっとこナースながらに頑張っていた。それなりに、5年も働くと一応“中堅”という看板もぶら下げ、新卒のナースが入ってくれば指導なんかもした。3交代の仕事、特に日勤(8時半-5時、でも実際は7時近くだったりする)の後、夕飯食べてちょっと眠って深夜勤(0時半-9時)というのは、朝方心霊のようにフラフラして辛かった。それでも同級生の友人は、今もなお、その勤務を続けているから、スコットランドを掘ってしまうくらい頭が下がる。この深夜勤は、ちょっとした休みもないことの方が多かったから、朝のラッシュを前に緊張して毎回トイレへ、しかも時間のかかる方へ行きたくなる私は、“それ”との闘いでもあった。また、常に自分に自身がない私は、一つ一つの勤務が終わって次の担当者に申し送っても、
?自分の入れた薬は間違いなかっただろうか?
?あの患者さんのオシッコの量、間違って書いたり、伝えなかっただろうか?
?何かやり忘れたこと、なかっただろうか?
必ず確認して、間違いはない!と思っていても、昔からおっちょこちょいの私は私を一番信用していない。注射薬の単位も、それこそ何度も何度も確認し、口でブツブツ言っても、自分1人では信用できず、他のナースに一緒に単位と医師の指示を見てもらって、オッケーを言われるまで怖かった。これが、5年経っても同じだったから、仕事していてかなり苦しかったのだ。どんな仕事であれ、お金を稼ぐということは、常に責任との向かい合わせ。お金を稼がなくても、家事や子育て、庭の手入れだって責任は大であるのだが、自分の下す判断と手によって、ここに横たわる人の命が左右されると冷静に思うと、泣けるほど怖かった。昔から憧れて看護婦になったものの、辞めてからこんな風に、仕事時代を“怖い、嫌だ”と思うことになるとは思わなかった。

 私が卒業した看護学校のある病院での勤務

最初は、小児科、耳鼻科、眼科、口腔外科の混合病棟で働いたが、この時期の人との出会いは、私の一生で一番大切な忘れられないものが、沢山ある。親友の数人はここで一緒に働いた人々だし、いつ久し振りに会っても変わらずにお互い踊ったりしておどけられる。
私が新卒で仕事を始め、その翌年、ある女性ナースが病棟にやって来た。
彼女は私より一回りほど年上で、今の私の年齢くらいの時に10数年ぶりでナースの仕事に復帰してやってきた。彼女はとてもパワーがあり、明るく、頼りがいのある感じで、時間のギャップなどすぐに埋めるようにバリバリと働いていたから、自身のない間抜けな私は、とても彼女に憧れていた。一緒に夜勤をする頃から、とても仲良くなり、笑いのセンスがとても似ていることを発見し夜勤の後は、一緒にモーニングを食べに行ったりしていた。
 ある一緒の深夜勤のこと…
私達の病棟は、今はもうない古い建物の、しかも一階(余り一階に病棟を持つ病院はない)にあり、夏の夜などは、冷房がないから熱くて、外に続く古い扉を開け放してあったので外から迷い犬が入って、患者さんを起こす、ということが度々あった。病棟は一本の廊下だけで、小児科側だけが四角く詰め所を囲む形で廊下がぐるりとあった。夜勤のナースは3人、私とその仲の良いA子さん、そしてもう1人の同僚。2時間に一度の見回りの為に、私は小児科側へ、A子さんは反対側の廊下へと懐中電灯を持って歩いて行った。点滴の速度を確認し、熱を出している子の熱を測り直し、真っ直ぐ一本の中央にある詰め所へ戻ろうとした時、私は、ずっと向こうの端からA子さんが懐中電灯を私に振りながら歩いてくるのに気が付いた。
私はおどけて、飛び上がって両足を斜め右で打ち鳴らし、今度は左へ飛び上がった。
ひゃぁひゃぁ、と声を抑えて笑っている彼女の黒い影が見え、私は調子に乗り、ひげダンス(加トちゃんと志村ケンの)をして、子供達が眠る部屋のまん前でクルクルとまわって踊って見せた。カスカスカスという笑い声がおさまると、今度は彼女が、両手を横に伸ばしたかと思うと手首を少し下に曲げる格好で、足をよろけさせながら左右へフラフラ歩いて見せた。
“肥溜(こえだめ)抱えたお百姓さんの真似だ!”
私が痛む腹を抑えながら、声を出せない苦しさと戦っていると、更に彼女は加速してフラフラと重い肥溜を抱えたままバランスとりながら白衣のスカートで歩いている。
とその時、彼女の後ろから、眼科の患者さんのおじいさんがトイレに行く為に部屋から出て来た!私は声を出せずに、廊下に突っ伏していたので、彼女にそれを教えることが出来ず
結局、眼帯をしたおじいさんが、肥溜かついでふらつく彼女の横を黙って通り過ぎるまで、彼女は踊り続けていた。詰め所に戻り、真っ赤になって涙を流し、これ以上よじれないとばかりに腹を抱えて笑い今も会う度、この夜の時の話しを2人で泣きながらするのである。
なんと言っても、夜中に1人で両手を横へ突き出しフラフラ踊る看護婦さんを患者さんが黙って通り過ぎていったのが可笑しくってたまらない。彼から廊下の反対端でうずくまる私の姿は見えなかったはずだ。翌朝の、検温でその患者さんとどう話しをしたかは知らないが、患者さん自身きっと“こっこれは、見てはならんものを見た”“でも、トイレには行きたい、よし、黙って通り去ろう”と思ったに違いない。ナースのお仕事、こんなホッとした空気がなくては、私はつぶれていたに違いない。
# by yayoitt | 2005-01-02 00:50 | 看護婦時代 | Comments(0)
明けましておめでとうございます
皆様に、明けましておめでとうございます。

昨年の、このページでの皆様との出会いは、

1年の中で一番良かった出来事、と胸を張って言えます。

すっとこどっこい、すたこらさっさ、

色々な人生が、厚い雲の中に漂っています。

1人1人、全く違う人生を歩む私達が、ふとしたきっかけで、

ここで会えたのは、*風のいたずら*では、決してないような気がします。

あなたに出会えた2004年、そしてあたなと分かち合う2005年

素敵な年になるように…
c0027188_0203051.jpg

# by yayoitt | 2005-01-01 00:47 | 英国暮らしって... | Comments(0)
いっいぃ湯っだぁなぁあ はっはあぁはぁん
ダンディーからけ帰ってくると、セントラルヒーティングが壊れて動かなかった。
ガスマンを呼んで見に来てもらうと、部品の一部が壊れているという。応急処置をしてもらったが、問題がある。お湯が一杯に沸ききると、ヒーティングは自然と止まってしまうらしいのだ、だから、適宜に湯を使って欲しいということだ。
お湯を使う = お風呂の日
今年一年分の垢を、よっしゃぁ、流そうじゃぁないか。というわけで、昨夜はお風呂の夜と決まった。午後に近くの図書館から借りてきた単行本が3冊あるが、うっかりお湯に落としてベタベタに私ならし兼ねないので、マイケルに止められて止め、6月に成田空港で買った日本版ELLEを持ち出してお風呂へ。緑と青の混ざったバブルバス用ジェルを流してお湯を勢いよく落とす。熱めのお湯で、一気に“アクアマリン”と言うよりは“ニッキ”という感じの香りが漂った。香る湯気の中、ボチボチと服を脱いで足を入れてみたら、結構熱かった。
熱いお風呂と言うと、私の思い出は幼少の頃、真ん中の姉のことである。

姉と銭湯に行くと、私はいつも息を止めて彼女を見つめる瞬間があった。
銭湯の湯は煮えたぎっており、子供の私には、地獄の火の海の如く熱かった。
姉はこのお湯に、まず大きく息を吸ってそのまま止めて、地獄の海に一気に肩まで入るのだ。息をこらえて苦痛な表情を浮かべる姉はまるで、滝に打たれる修行僧のようでもあった。
2分くらいするとその修行僧は、白い肌を真っ赤にしながら、細く息を吐いて目を開ける。
悟りの域に入ったのだ。
私は湯船のタイルで出来た壁越しに聞いた“あっつくないの?”
“この方が、苦しみが短くって済むんやさ”と、修行僧は答えた。
苦しみなのだ、苦しみと戦っているのだ、と、まだジッとして動かない姉を見ながら思った。
私は、苦しみに耐える性格ではない、苦しみからその場限りでも逃げる、性格であるから、
この姉の“忍耐”する姿は今も忘れられずに、まぶたの裏辺りにしっかり染み付いてしまっている。

耐えることを嫌う私は、ジャンジャンと水でお湯をうめた後、ぬるめの泡の中へと身体をドロンと滑らした。ELLEでは、2004年のT-シャツ特集、冬のソナタのヨン様の記事などをぼんやりと見つめて、腕が疲れて片手でそれを持っていた時に、ドボン♪ やっぱり図書館の本でなくてよかった。雑誌を湯船の外に置いて、両足を広げておなかの上で手を組み、まるでそのまま立ち上がるとナイトクラブの前で立っている強面(こわおもて)のセキュリティーの兄ちゃんみたいだ。でも、裸だが…
… あぁ、足の爪ぇ、切らんとなぁ
… おなかの肉ぅ、切らん、いや、減らさんとなぁ
… 平らなダンボール尻、ビヨンセみたいなモッコリに、ならんかぁ
容姿に関する色々な思いをつらねては、来年から、来年から、とウトウトする。
““ 思ったことはすぐに実行すること ””私c0027188_20524431.jpgの2005年の第一の目標だ。でも、小学校の宿題「冬の友」で毎年同じこと書いてたはず、人生の目標ってわけだ。
# by yayoitt | 2004-12-31 20:47 | 思い出 | Comments(0)
アイ ラヴ ゴアテックス
c0027188_20552857.jpgダンディーから28日に帰って来た。5日ぶりの我がフラットは、隙間風で寒かった。ノーマンは、5日間の沢山の人々からの注目とおやつ(誰かが黙ってあげるおやつ)で、かなり疲れきったらしく、この2日間はほとんど眠って過ごしている。私とマイケルは、年内にしておかなければいけないことをボチボチやったり、苦手な人込みへ、覚悟を決めて繰り出し、半額セールとなったゴアテックスのウォータープルーフ(カッパ)を買いに出掛けたりした。私は、かなりゴアテックスへのこだわりが強く、その思い出は、10年ほど前に遡(さかのぼ)る。

毎夏、上高地経由の穂高岳行きを続けていたある夏の山荘。
その夏の山行きは、天候に恵まれずに雨ばかりだった。
高校時代の登山部所属の頃に、父親が高価なゴアテックス使用のウォータープルーフを買ってくれた。上下のそれは、さすがに保障付きだけあって、決してその中は濡れない。
雨ばかりの山荘で、他の登山者と同様、ビショビショになったそれをハンガーにかけて吊るしていた。翌日の早朝、山を下りるだけの予定の私達は遅めに行動することに、一晩吊る下げてあった何十枚ものカッパは数えるほど。??ない、ない、私のが、ない??
仕方なくしばらく待って、最後の1つが残るのを待った。私と同じ赤いそれは、ゴアテックスではないし、中の縫い目がほどけていた。誰かが間違えて私のを着て行ってしまったらしい…。外は大雨…仕方なく残ったその一枚を着て、山を下りた私。昨日はゴアテックスのお陰で濡れなかった服は、通気の悪さと雨がしみこんで、ベタベタになった。

それからというもの、いつかすっごくいいのを買うぞぉ!と、鼻の穴から熱い息を噴出していたのである。ゴアテックスの競争相手シンパテックス、どちらでもいいが、それ使用のカッパが欲しい!ここ数年毎年、マイケルと“セールになったら買おう、買おう”と言ってて買わなかった。だから金額的にも数年分の、いい物を買おう、ということでようやく今年のクリスマスセールで、買った。マイケルは、喜んで鼻歌歌いながら雨の中、パブに行ったり、買い物に着て行ったが、もう胸元に大きなシミを作りやがった。私はというと、どの晴れ晴れしい登場の日は特別な日に、ととっている。ゴアテックスとは、ブランドの名前ではなく、特別な通気性のあるメンブレン(膜)のことだ。シンパテックスも同じだ。
この膜は、1. 防水性 2. 防風性 3. 通気性 に優れていて、保障付であるから、
これが使用してある商品で1.2.3のどれかに問題があれば、ゴアテックス・シンパテックス会社が、お金を返してくれる。表面の(靴)皮や、(カッパ)生地は濡れても、その中にある膜が守ってくれるのだ。10年越しで思いを寄せて購入したウォータープルーフを、今度は絶対に、失くさないようにしなくてはならない。
♪あっめぇにぃー、濡れながぁぁあらぁぁ ♪
♪ピッチピッチ ジャブジャブ らんらんラン ♪
♪かぁえぇるぅのーぅうたぁがぁ… ♪

          雨の日が楽しくなるかも!
# by yayoitt | 2004-12-30 20:53 | やっこのファッション | Comments(0)
地球が向かう場所
26日に起きた地震と津波の被害状況は、毎日確実に広がっている。
津波は、多分、日本で多く発生する為か、英語でそれを表す単語はなく、TSUNAMI(ツナミ)と呼ぶ。台風も、TAIHOON(タイフーン)と呼ぶ。自然災害は、その規模がとてつもなく大きくて予想が付かないから、怖い。“地震、雷、火事、おやじ”
最近では、怖い“おやじ”は少なくなったものの、地震から起こる二次災害(火事、津波)は恐ろしい。私が怖いものに付け加えて、“家事”かもしれない…。地球上で人間が自然に及ぼす影響は常に大きくなるばかり。水質汚染、森林破壊、動物虐待
同じ1つの地球上で生き物が共存する上で、そのルールを侵しているのは、人間だけだ。
人間がもっとも高等動物と考えるのは、まだ早い。未来のことを考えてみても、今のまま自然破壊を進めた結果は、決して良いものにはならないことに、気が付かない人は少なくないのに、それでも、お金の為に破壊し続ける。果たして、本当の意味の、高等と言えるだろうか?宗教の為、欲の為、見栄の為、お金の為、喧嘩や殺し合いをするのは、人間だけだ。
最近大きな災害が、確実に増えているし、その規模も大きくなっている。多くの自然災害は、人間の自然破壊の結果によるものが多いことを、誰もが知っている。地震がそうなのか、どうかはわからないが、津波の被害の大きさに関しては多少なりとも森林破壊は影響する。
地球からの警告。
ここまで来た地球、今回のような、大きな被害と人々の尊い命の損失から、今後地球全体で学ぶ課題は、大きい。災害を予防するのではなく、根本を変えることによる防止策を、世界が一丸となって考えなくてはならない。京都条約で、大気汚染を減らす為の条約に、合衆国が経済への影響を理由に頑として反発したのは記憶に新しい。
お金では代えられない人の命…。地球は、どこに向かうのだろう?
c0027188_0215046.jpg

# by yayoitt | 2004-12-29 20:58 | やっこの思想 | Comments(0)
ダンディーユナイテッドの行方 2
スタジアムに近付く程、同じ方向へ急ぐ人の群れも膨らむ。
今日の相手の HIBS ヒッブズ はカトリック系のチームで、ここ最近の成績は好調、クラブはお金があって、また最近若い選手を沢山用意しているので、強敵である。それにしても、ダンディーユナイテッドのホーム戦だから、チャンスは五分五分といったとこかもしれない。
ヒッブズのファンは、エーディンバラからごっそりやって来た。カトリックの色(緑)と白がヒッブズの色で、スタジアムに向かう人々の半分以上は、緑と白の帽子やマフラーをしている。
ユナイテッドの色は、オレンジ(TANGERINE=タンジェリン)で、最近になってカトリック系なので緑もアウェィ戦では着る。スタジアムで、ユナイテッド側の入り口へ向かうと、一気に人の群れはオレンジに染まる。スタジアムに入って、沢山のユナイテッドを愛する人々があふれかえる中、コーヒーを買い、トイレに行って、よし、準備オッケー!今日は勝つぞ!
マイケルの緑の目が、興奮で潤んでいる。
私達は、ゴールの裏側ではなく、真ん中の低いところの席(こっちの方が安い)の空いているとこに座った。5年前に一回来たきりで、とても懐かしい。大きくはないけれど、スタジアムに入った瞬間に一面に広がる熱気と揺れ動く人々、その光景と感覚が私は大好きで、いつもゾゾッと鳥肌の立つ思いがして、肩をすぼめるのだ。向かって右側ゴール裏でヒッブズのファンが歌っている、左側ゴール裏ではユナイテッドファンが静かに座っている。ヒッブズのファンはその数も多いし、勢いがあり、熱いので有名だ。また、アウェイ戦にわざわざ足を運んでくるファンは、その中でも若く熱狂な人達。今日のヒッブズは白のストリップ(ユニフォームのトップ)で、ユナイテッドはいつものオレンジだ。私達の周りは、殆ど空席がないくらい埋まっている、しかもみんなユナイテッドファン♪こんにちわ♪こんにちわ♪世界のぉ国っからぁ♪ と、ニコニコして歌ってしまいそうになる。
ゲームが始まる。
突然、真後ろのおっさん、前のフードをほっかぶったおばさん、斜め後ろの兄ちゃん、皆がそれぞれに叫びだす。キックオフ7分後、ユナイテッドにチャンスが!アングルはかなり厳しいが強いシュートォ…一度シーンと静まり返り、その後一斉に私達は立ち上がって叫ぶ“オオオオォォオ!!!!”ユナイテッドのゴールであった、試合開始からたった7分のヴィクトリーはジェイソン(ユナイテッドの今一番のやり手)。鼻息荒立てたまま、ヒッブズのファンを見ると、ゴオオオオオオン…静まり返っている。はははははぁ、いいきみだぁ、いいきみだぁ、さっきまであんなに歌っていたのに、いいきみだぁ、ひっひっひっひ…ひっ?? その死んだように静かだったヒッブズが立ち上がって歌いだす。ヒッブズのゴール…、ユナイテッドのヴィクトリーはたったの4分間。今度はユナイテッド側、そう私達が死んだように静まり返った。
その静けさも束の間…今度は怒りの叫び声が私達の周りから、というかマイケルも怒って叫んでいる。というのも、私達の前にいるヒッブズの選手を、ユナイテッド側が誰一人マークしていないのだ。マネージャーがそれをちゃんと指示して、マークするように伝えなくてはいけないのに、全くその様子がない、だからファンが代わりに、選手を指差したりして叫んでいるのだが、マネージャーも選手も気付く様子がない。嫌な予感と怒りの中、ミッドフィルダーからのボールを受け取ったその選手、誰もマークしていないので悠々と暴走、2つ目のゴールとなった。こうなるとユナイテッドファンも怒りで湯気が立ち上がり、“FxxK”言葉が連発、子供達も周りにいることなど忘れている。その後もマネージャーは全く、そのヒッブズの選手をマークする指示する様子がない。明らかに、ファンから見ても、ファン素人の私でさえも気が付くのに、なぜ、マネージャーは気付かないのだろう??こうして1-2でセカンドハーフに突入、ユナイテッドは静かに怒るだけ、そしてヒッブズの3つ目のゴール!この時点で、数人のファンは席を立ってスタジアムを去って行った… 1-3
ユナイテッドは基本的に、1. 自信がない 2.クリエートできない 3.ディフェンスがなっていない。1-3なら、もしかしたら奇跡が起こるかもしれない、風のいたずらでちょっとボールがゴールに入ってくれるかも…バァーン!!
80分での、ヒッブズによる4つ目のゴール…周りで座っていたユナイテッドファンの半分以上が立ち上がり帰りだす。情けなさに涙が出てくる中、隣のマイケルを見ると、やっぱり涙を浮かべていた。マイケルは一言、“最近のユナイテッドには慣れてるけど…”
この悲惨なゲームがきっかけで、マネージャーは多分クビになると思われる。
すっかり暗い帰り道、雨も降ってきた、緑のファン達が歌う中、私達もオレンジのスタジアムを後にする。ホーム戦での悲惨な大敗は、やけにみじめだ。マイケル、来年は、ダンディーユナイテッドにとってきっと、いい年になるよ。でも、そんな慰め言葉はやっぱり“口からでまかせ”なので言えなかった。
ダンディーユナイテッド(我がチーム)1-4 ヒッブズ
c0027188_2174952.jpg
今年最後のパフォーマンスだった。
# by yayoitt | 2004-12-28 21:08 | 英国暮らしって... | Comments(0)
ダンディーユナイテッドの行方 1
昨日26日、クリスマスの翌日をボクシングデーと呼ぶ。なぜ、ボクシングデーと呼ぶのかは不確かだが、BOXING DAY。前日にプレゼントを開けて、翌日は沢山ボックスがあるから、という説もある。
27日、今日は、晴れ時々曇り、雨、そして風の、なんでもありのスコットランドは典型的な日となった。今日は、以前から計画していたサッカーの試合を見に行くこととなった。
ダンディーには、SPL(SCOTTISH PREMIER LEAGUE)12チームのうち、2チーム、DUNDEE と DUNDEE UNITED とがある。スコットランドのサッカーチームは、キリスト教の宗派の影響が強く残っていて、DUNDEE はプロテスタント、DUNDEE UNITED はカトリック系のチームという名目だ。もちろん、実際にはプレーヤーにもサポーターにも影響はないが、プロテスタントとカトリックの争いの如く、この2チームは、お互いにいがみ合い、嫌いあっている。エーディンバラにも2チームあって、ヒッブスと呼ばれる HIBERNIAN と HEARTS がある。HIBERNIAN とはアイリッシュ(アイルランド人、アイルランドの)という意味があり、アイルランドの強いカトリックが影響している。この2チームも、とても仲が悪くて、喧嘩が絶えない。もっと色濃く出ているのがグラスゴーのチーム、CELTIC(セルティック)と RANGERS(レンジャーズ)で、CELTIC はアイルランド系、カトリック系の最近数年トップを行くチームで、RANGERS はやはり最近トップを行く大きなチームで、この2チームの試合はセキュリティーが大規模にはられる。この、同じ街のチーム同士のこと、又はその試合のことを、ダービーという。スコットランドだけではなく、ダービーの試合はいつも大きな話題で、注目されるし、トラブルが多い。ファンもプレーヤーも、ダービーの試合では特に燃える、危険な試合なのだ。私がここ、スコットランドに来たばかりの頃、マイケルから真剣な顔である選択を求められた。“SPL はどのチームをサポートするか?”彼と共に、姉のジェニファーがそこにいたが、2人とも真剣である。それほどサッカーに興味のない彼女も、私がサポートするチームが誰かということには、かなり興味津々らしかった。
私は、彼らの意見をまず聞いた。
1. DUNDEE UNITED を選択してくれると、とっても嬉しい
マイケルもおっとさんもこのチームを愛してやまないのだ。
2. 絶対に、RANGERS(レンジャーズ)はダメ
SPLで一番お金があり、大きなチーム、それだけに鼻高々で、自分が最高といつも思っている、レンジャーズファン以外は、サッカーファン誰もがとても嫌っている、イギリスのマンチェスターユナイテッドの様な存在
3. 絶対に、DUNDEE はダメ、死んでもダメ、あり得ない
4. セルティックなら、許すけど嬉しくはない
…私の意見は、こうだ。
条件1: “UNDER DOG”負け犬チームであること
私は、弱い小さなチームが細々と、危ない橋を渡りながら生きていくのを応援するのが好きなのだ
条件2: 旦那の家から、勘当(かんどう)されたくないこと
こうなると一気に選択は一つに決まってくる。
話を聞いても、ここ最近のDUNDEE UNITEDは私の条件1にピッタリ、それに勘当どころか、家族から愛される♪♪私のサポートするチームは決定した。

☆☆ DUNDEE UNITED ☆☆

ところがこのチームは、危ない橋を渡るどころでは、実はないのである。
1983年、スコットランドのリーグで優勝、1987年、UEFAカップで決勝戦まで行った、輝かしい過去を持つこのチームであるが、その後のチームはプレミアムリーグにはいるものの、
去年は第5位(今の彼らでは好成績)、今年は常に最下位なのである。マイケルとおっとさん達が、このチームを応援するきっかけ、何故ダンディーを選ばなかったか?おっとさんは、実は若かりし頃にダンディーユナイテッドにスカウトされて入部していたのだ。結局、ゲームに出る機会が無いまま1年半の在籍で退部してしまった。それからずっと、おっとさんはユナイテッドファン、そして彼の1人息子もやはり、ユナイテッドファンとなったのだ。マイケルの、チームに思う気持ちはとっても強くて熱いが、最近の出来の悪さに、かなり心を痛めている。
サッカーチームは、結局、クラブにお金があるか無いかで、その将来は大きく変わってくるのだ。そう、スポーツと言えど、その芯は、ビジネスなのである。私のユナイテッドに対する思いも、同情が加わって益々、大きくなって行った。そのチームの、ホームでの試合、相手はエーディンバラの ヒッブズ HIBERNIANである。空を仰ぐと、雲行きが怪しく、暗いどっかりした厚い低気圧の塊りが漂っている。何となく嫌な予感を抱えて、マイケルと2人、1時間余りの道を歩いた。
                     続く
# by yayoitt | 2004-12-27 21:09 | 英国暮らしって... | Comments(0)
ウン付き の ホリデー
23日の午後早くに、エーディンバラを出発、電車に乗って、マイケルとノーマンと私は、ダンディーに向かった。今回、このクリスマスホリデーは、私がプー太郎のお陰で、丸5日間と長くとることが出来た。クリスマス直前の電車は、帰省ラッシュでごった返すのが常。私達は、ノーマンの為にも、ちゃんと席を確保しなければならないと、前もってインターネットで予約をした。沢山の荷物を抱える人々、駅の中は、案の定カラフルな笑顔の人々の山、山、山。背の高い、大きな肩、大きな赤いコート、強い香水の香り、それらを潜り抜け、私達は、チケットを持ってプラットホームへと向かった。ホームには、既に電車が待っていたが、ドアはまだ開いておらずに、人が列を作って待っていた。私とマイケルは、チケットを確認した。
私達の予約した席はぁ…、“コーチDの、シート36、37”
停まっている電車は、3両編成であったので、2人とも??と思いながらも、歩いていった。
コーチA、もちろん次はコーチB、その次は??、やっぱりコーチC。
あれ?もう車両がない!Dは一体、どこに行ったの?
沢山の?を抱えて、ノーマンを連れ、荷物と格闘しながら、ウロウロ歩き回る。
すると、向こうから、もう2両電車がやってきて、停まっていた3両に繋がられた。
2人とも胸をなでおろし、その2両を見て廻る。
コーチA…、悪い予感がする…、コーチB…、やっぱりそうだ。
コーチDは、一体全体、どこにあるのだろう?
どの入り口も乗客の長い列、私達も取り敢えず、側の入り口から中に乗り込んだ。結局、コーチDなどないまま、電車は出発、仕方無しに、空いている席に座った。日本でこんなことがあれば、ちょっと驚くくらいでは済まないだろうが、こちらの公共バス、電車のシステムは、
非常に悪いことで有名で、遅れたりキャンセルは日常茶飯事、だから予約席が存在しないことくらいで、私達も、驚いたり、憤慨する気にはなれないのだ。とにかく席に座れたし、そこがファーストクラスの席であっても、文句は言われない。周りをよく見ると、どうやら、予約のカードなど一枚もなく(予約席には、どこからどこまでの予約、と書かれたカードが立てられるのだ)、どうやらこりゃどうも、予約しても実際に予約席は確保されていないらしいのだ。憤慨もせず、チケットを確認しに来た車掌の女性も何も言わなかった。ウンが悪く思えて、結果はそうも悪くなくって良かったし、スコッツレイルにウンもクソもないのかもしれない。ダンディーでの5日間のうち、外に出たのは、ノーマンの散歩を省くとほんの数回。その数回のうち、私はみごとに3回も、犬のウンチを踏んでしまった。毎回、気付かないので、家に帰ってから外で靴の裏を見ると、ひゃぁぁ、ウンコだ!さすがに2回目は気をつけて、前をよく見て歩く。
家に着き、自信を持っていさぎよく靴の裏を見ると、ひゃぁぁああぁ、ウンコだ!こうなったら絶対に3回目はあってはならないだろう、ありえないだろう。おっかさんの車椅子をマイケルが押し、私がノーマンを連れての散歩の帰り、ちょっと後ろにいるおっかさんとマイケルを振り返ったその時!ひゃぁぁああああぁああぁ!ウンコ、踏んだぁ!
全く、ウンの付き放題の休暇となってしまった、いかにも私らしいのが悲しいが。
# by yayoitt | 2004-12-26 21:14 | 英国暮らしって... | Comments(0)
メリークリスマス in ダンディー
c0027188_2117850.jpg
24日はイブの夜、マイケルと私は、11時半から30分だけの教会のサービスに出掛けた。
大きな古い、高い天井を持つ教会のホールには、約150人ほどの人が集っていた。幾つもの賛美歌と、牧師さんの話、そして牧師さんが言う。“僕の時計では、今、ちょうど、零時です、メリークリスマス!”その言葉を合図にして、長椅子に掛けている人々皆が、周りの人々と握手をし、またはキスをし、“メリークリスマス”“ハッピークリスマス”とささやき合う。
私達もキスをし、周りに座っていた人達と握手した。見知らぬ人同士が、ウィンクして微笑みあう、この瞬間が私は大好きなのである。
クリスマスの朝は、透き通る青い空で、とっても寒かった。昨夜、一面に霜が降りて、うっすら白く染まっていた。ホワイトクリスマスだ!クリスマスの朝は、ツリーの下に置かれたプレゼントを開ける。子供達にとって、イブからクリスマスにかけてのこの夜が、長くて仕方がないらしい。待ち切れないけど、待たなくてはいけないからだ。私もマイケルも、子供と一緒で、このプレゼント交換が楽しみで楽しみでたまらない。ツリーの下には、ざっと数えても60個はボトルの形、本の形、箱に入った物、様々なプレゼントがあった。簡単な朝食を終えて、さぁ、プレゼントを開ける時が来た。まずマイケルが、おっかさん、おっとさん、私、マイケル、ノーマンそれぞれへのプレゼントを、座っているその椅子の周りに分けて置く。マイケルはいつも仕切りをするのが楽しみのようだ。おっかさんは毎年、一番数多く、プレゼントを受け取る。ノーマンは一個。私とマイケルは、2人両方へのプレゼントも合わせても、おっかさんのそれ比べると、3分の1くらいだ。順番に1人、1個づつ開けていく。11時半から始まったこの年間ファミリー行事、終わったのは1時をとうに過ぎていた。でも、マイケルの姉のジェニファーは、明日この家に来るので、彼女達夫婦からのプレゼントは明日開けることとなる。前もって注文していたプレセントに加え、サプライズ(びっくりさせる)プレゼントが幾つもあって、みんな、驚いたり笑ったり、これなんなのかな?と首を傾げたりもして楽しく過ごした。それぞれがもらったプレゼントは、そのままそこに置いて、明日、ジェニファー夫婦やおばさんが来た時に、誰が何をもらった、と言っては説明することとなっている。クリスマスは、どのお店や商売もお休み、通りを歩く人も殆どない。犬の散歩で、鼻歌を歌いながら歩く人がいるだけだ。私も、ノーマンと散歩に出掛け、ウンチを拾いながら♪走れ、橇(ソリ)よぉ♪などと歌っていた。どの家からも、優しい灯りが漏れ、ターキー(七面鳥)の香りが漂い、窓辺のツリーが煌いている。
前に、こんな話を聞いたことがある。
“英国で、クリスマスの時期、自殺する人の数は激減する”と。日照時間が短くて暗く、寒く、じめじめした日の多いこの国の冬、鬱(うつ)になりやすいのは冬。でも、この家族が集まり、皆が幸せな気分になるクリスマスの時期には、人生が嫌になった人も、ドラッグの中毒で、家族も家も仕事もなくしたホームレスの人も、それぞれが、昔に味わった、温かいクリスマスの思い出に、心も身体も、あったまるのかもしれない。私をグイグイ引っ張る愛しいノーマンを眺め、星を見上げて家々の灯りに目を向ける。この夜が、世界中の一人一人の上に、平等に温かく優しく、訪れてくれる日が来ることを、願わずにはいられなかった。

         ☆ ☆ ☆ メリークリスマス ☆ ☆ ☆
# by yayoitt | 2004-12-25 21:16 | 英国暮らしって... | Comments(0)