ウン付き の ホリデー
23日の午後早くに、エーディンバラを出発、電車に乗って、マイケルとノーマンと私は、ダンディーに向かった。今回、このクリスマスホリデーは、私がプー太郎のお陰で、丸5日間と長くとることが出来た。クリスマス直前の電車は、帰省ラッシュでごった返すのが常。私達は、ノーマンの為にも、ちゃんと席を確保しなければならないと、前もってインターネットで予約をした。沢山の荷物を抱える人々、駅の中は、案の定カラフルな笑顔の人々の山、山、山。背の高い、大きな肩、大きな赤いコート、強い香水の香り、それらを潜り抜け、私達は、チケットを持ってプラットホームへと向かった。ホームには、既に電車が待っていたが、ドアはまだ開いておらずに、人が列を作って待っていた。私とマイケルは、チケットを確認した。
私達の予約した席はぁ…、“コーチDの、シート36、37”
停まっている電車は、3両編成であったので、2人とも??と思いながらも、歩いていった。
コーチA、もちろん次はコーチB、その次は??、やっぱりコーチC。
あれ?もう車両がない!Dは一体、どこに行ったの?
沢山の?を抱えて、ノーマンを連れ、荷物と格闘しながら、ウロウロ歩き回る。
すると、向こうから、もう2両電車がやってきて、停まっていた3両に繋がられた。
2人とも胸をなでおろし、その2両を見て廻る。
コーチA…、悪い予感がする…、コーチB…、やっぱりそうだ。
コーチDは、一体全体、どこにあるのだろう?
どの入り口も乗客の長い列、私達も取り敢えず、側の入り口から中に乗り込んだ。結局、コーチDなどないまま、電車は出発、仕方無しに、空いている席に座った。日本でこんなことがあれば、ちょっと驚くくらいでは済まないだろうが、こちらの公共バス、電車のシステムは、
非常に悪いことで有名で、遅れたりキャンセルは日常茶飯事、だから予約席が存在しないことくらいで、私達も、驚いたり、憤慨する気にはなれないのだ。とにかく席に座れたし、そこがファーストクラスの席であっても、文句は言われない。周りをよく見ると、どうやら、予約のカードなど一枚もなく(予約席には、どこからどこまでの予約、と書かれたカードが立てられるのだ)、どうやらこりゃどうも、予約しても実際に予約席は確保されていないらしいのだ。憤慨もせず、チケットを確認しに来た車掌の女性も何も言わなかった。ウンが悪く思えて、結果はそうも悪くなくって良かったし、スコッツレイルにウンもクソもないのかもしれない。ダンディーでの5日間のうち、外に出たのは、ノーマンの散歩を省くとほんの数回。その数回のうち、私はみごとに3回も、犬のウンチを踏んでしまった。毎回、気付かないので、家に帰ってから外で靴の裏を見ると、ひゃぁぁ、ウンコだ!さすがに2回目は気をつけて、前をよく見て歩く。
家に着き、自信を持っていさぎよく靴の裏を見ると、ひゃぁぁああぁ、ウンコだ!こうなったら絶対に3回目はあってはならないだろう、ありえないだろう。おっかさんの車椅子をマイケルが押し、私がノーマンを連れての散歩の帰り、ちょっと後ろにいるおっかさんとマイケルを振り返ったその時!ひゃぁぁああああぁああぁ!ウンコ、踏んだぁ!
全く、ウンの付き放題の休暇となってしまった、いかにも私らしいのが悲しいが。
# by yayoitt | 2004-12-26 21:14 | 英国暮らしって... | Comments(0)
メリークリスマス in ダンディー
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24日はイブの夜、マイケルと私は、11時半から30分だけの教会のサービスに出掛けた。
大きな古い、高い天井を持つ教会のホールには、約150人ほどの人が集っていた。幾つもの賛美歌と、牧師さんの話、そして牧師さんが言う。“僕の時計では、今、ちょうど、零時です、メリークリスマス!”その言葉を合図にして、長椅子に掛けている人々皆が、周りの人々と握手をし、またはキスをし、“メリークリスマス”“ハッピークリスマス”とささやき合う。
私達もキスをし、周りに座っていた人達と握手した。見知らぬ人同士が、ウィンクして微笑みあう、この瞬間が私は大好きなのである。
クリスマスの朝は、透き通る青い空で、とっても寒かった。昨夜、一面に霜が降りて、うっすら白く染まっていた。ホワイトクリスマスだ!クリスマスの朝は、ツリーの下に置かれたプレゼントを開ける。子供達にとって、イブからクリスマスにかけてのこの夜が、長くて仕方がないらしい。待ち切れないけど、待たなくてはいけないからだ。私もマイケルも、子供と一緒で、このプレゼント交換が楽しみで楽しみでたまらない。ツリーの下には、ざっと数えても60個はボトルの形、本の形、箱に入った物、様々なプレゼントがあった。簡単な朝食を終えて、さぁ、プレゼントを開ける時が来た。まずマイケルが、おっかさん、おっとさん、私、マイケル、ノーマンそれぞれへのプレゼントを、座っているその椅子の周りに分けて置く。マイケルはいつも仕切りをするのが楽しみのようだ。おっかさんは毎年、一番数多く、プレゼントを受け取る。ノーマンは一個。私とマイケルは、2人両方へのプレゼントも合わせても、おっかさんのそれ比べると、3分の1くらいだ。順番に1人、1個づつ開けていく。11時半から始まったこの年間ファミリー行事、終わったのは1時をとうに過ぎていた。でも、マイケルの姉のジェニファーは、明日この家に来るので、彼女達夫婦からのプレゼントは明日開けることとなる。前もって注文していたプレセントに加え、サプライズ(びっくりさせる)プレゼントが幾つもあって、みんな、驚いたり笑ったり、これなんなのかな?と首を傾げたりもして楽しく過ごした。それぞれがもらったプレゼントは、そのままそこに置いて、明日、ジェニファー夫婦やおばさんが来た時に、誰が何をもらった、と言っては説明することとなっている。クリスマスは、どのお店や商売もお休み、通りを歩く人も殆どない。犬の散歩で、鼻歌を歌いながら歩く人がいるだけだ。私も、ノーマンと散歩に出掛け、ウンチを拾いながら♪走れ、橇(ソリ)よぉ♪などと歌っていた。どの家からも、優しい灯りが漏れ、ターキー(七面鳥)の香りが漂い、窓辺のツリーが煌いている。
前に、こんな話を聞いたことがある。
“英国で、クリスマスの時期、自殺する人の数は激減する”と。日照時間が短くて暗く、寒く、じめじめした日の多いこの国の冬、鬱(うつ)になりやすいのは冬。でも、この家族が集まり、皆が幸せな気分になるクリスマスの時期には、人生が嫌になった人も、ドラッグの中毒で、家族も家も仕事もなくしたホームレスの人も、それぞれが、昔に味わった、温かいクリスマスの思い出に、心も身体も、あったまるのかもしれない。私をグイグイ引っ張る愛しいノーマンを眺め、星を見上げて家々の灯りに目を向ける。この夜が、世界中の一人一人の上に、平等に温かく優しく、訪れてくれる日が来ることを、願わずにはいられなかった。

         ☆ ☆ ☆ メリークリスマス ☆ ☆ ☆
# by yayoitt | 2004-12-25 21:16 | 英国暮らしって... | Comments(0)
クリスマスイブ in ダンディー
昨日23日に、ダンディーはおっとさん、おっかさんの家に到着。ダンディーは、ここエーディンバラから電車で1時間15分ほどの所にある、大きなテー川を望む、スコットランドは、第4番目の大都市である。
3つの“J”で有名、と言われたこの都市 … 
1. 作物を入れる袋(サック)に使われるジュート、
2. ジャーナリズム(新聞や雑誌などを含む)、
3. ジャム(イチゴジャムや色々なベリージャム)、
昔は、大きなジュート工場でとても栄えていた街だが、時代と共にその輝きは衰え、今のダンディーは、2つある大学の学生達でにぎわう他は、余りパッとしない街のひとつとなってしまった。そんな街だが、私にとっては、おっとさん、おっかさんの待つ、そしてマイケルの生まれ育ったいとおしい街だ。イブのこの日は、殆どのお店やレストランが早くに店を閉める。そして25日は、どんな店やレストランもお休みである。私とマイケルは、朝遅めに(いつものことだが)起きて、家から近くの小さな商店街へと足を延ばした。日本の両親から、おっとさんとおっかさんに、花束をプレゼントしてくれるように頼まれていたのだ。天候は今ひとつ、小雨の振る中、帽子をかぶって2人で出掛けた。商店街には一軒、花屋さんがある。両親から“おおせつかった”“5千円くらい”の花束…花屋に入ってまず目に付いた、£30と書かれたカードの貼られた花束だった。お店のお姉ちゃんが、すぐに“これ、安くして£25でいいわよ”と指差したのがその花束。大きなユリのつぼみが沢山あり、そこに、真紅のカーネーションとバラ、黄色いバラに、小さな白と黄色の菊があった。色的には、上出来だったし、状態もいい、綺麗でよかった。おっかさんは、紫(むらさき)という色が大嫌いな人で、絶対に持ち物や花は、紫タブーと決まっているのだ。£25は約5千円、しかも£5(千円)バーゲンで満足した私とマイケル、早速その花束を購入。雨の振る中、なるべく花束を濡らさないように歩いたが、家に着く頃、表のセロハンやリボンはぐしゃぐしゃに濡れていた。家に着くと同時に、私はおっとさん、おっかさんに“ただいま”だけ言い、花束を見られない様にそそくさと、再び玄関の外に出た。
玄関の前に花束を置き、ピンポーン♪とチャイムを鳴らし、またこそどろの如く走って裏口から中に入る。おっとさんが、玄関の戸を開け、しゃがんで花束を抱え上げるのを、中からクックックと見ていた。おっとさんの肩が、笑いで揺れるのがわかる。花束の中には、カードが入っており、私の両親の名前が書かれているのだ。おっとさんは、ニコニコ笑いながらそれを抱えて、“これは驚き!日本から届いたよぉ”と応接間のおっかさんの元に来て、花束を、車椅子のおっかさんの見せた。2人とも嬉しそうに“綺麗だ”“綺麗だ”とひとしきり鑑賞した後、私は花束を風呂場にいったん据えておいた。それから、午後はひとしきり、お客さんの訪問。
新しいお客さんが来る度に、お茶を入れ直し、私も旦那もおっとさんもお茶を飲んだ。まず、おっかさんのお姉さんのドロシーおばさんが来た。おしゃべりの大好きな彼女が去ると、チャイムが鳴って、今度はおっかさんの昔一緒に働いていた女性ジェニファーが来た。また色々おしゃべりが弾むのを、ソファーに座って聞いていた。彼女が去ると同時に、今度は、ドロシーの娘のアリソン(マイケルのいとこ)が来て、携帯でお母さんを呼び出し、ドロシーおばさんが戻って来た。一時間もすると、キス、キス、で“良いクリスマスを!”と言ってお別れをして彼女達が去っていった。ホッとしたのもつかの間、またチャイム♪が、今度はおっとさんの警察官時代の同僚夫婦、ボブとメアリー。私はもっぱら、お茶を入れ、カップを洗い、お茶を入れる。親しい人達に会いに行く、そう、クリスマスは、まるで日本のお正月なのだ。応接間には、いつものクリスマスツリーが飾られ、ツリーの下には、明日の朝、皆で開けるプレゼントが並んでいる。私達が持って来たプレゼントも、全部、並べた。プレゼントは、家族同士、そしておっとさんおっかさんの親しい友人やケアラー(おっかさんの世話に来てくれる)から。
今夜の夕食は、おっかさんの指示による、おっとさん手作りのベジタブルラザニアだ。クリスマスの天気予報は、北の方ではホワイトクリスマス、もしかするとここでも雪が降るかも?
おっかさんと一緒に私はキッチンで、私の両親からの花束と、おっかさんの友人が持って来てくれた花束を、それぞれガラスの花瓶に、綺麗に据え直した。一本一本、おっかさんに“ここでいい?”“この長さでいい?”と聞きながらのアレンジである。車椅子生活になる前は、何でも家の中のことは1人で完璧に仕切ってきたおっかさん。両手両足が不自由になった今、自分で直接手を下せないのが、どれほど悲しいことか、特に、クリスマスになると彼女が少し落ち込む理由が痛いほどわかる。
今年もめぐってきたクリスマス♪
家族みんなで過ごすクリスマス♪
今夜は11時半から始まる、キリスト教会でのサービスに、旦那と出掛ける予定だ。
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現在私も旦那も、クリスチャンではないけれど、このサービスは好きで、前にも一回行ったのだ。
# by yayoitt | 2004-12-24 02:13 | 英国暮らしって... | Comments(0)
私の嫌いな、英語の会話
英語でよく使われる、しかも、形容詞として頻繁に使う人もいる単語。英語圏では男性も女性も、誰もが使うが、時としてそれは汚く、時におかしく、そして恥ずかしい言葉。
“ FUCK ” ファック である。
思い切って書いてしまったが、文字にするのにかなり抵抗を感じる単語だ。日本語には、これに当てはまる言葉はない、と私は思う。使い方や、その使う時の状況から判断して、一番近いのが、“くそ”じゃないだろうか。
*** バスに乗ってから思い出す、しまった、大事な書類を忘れた!
 ファック!
*** 奥さんが大切にしているグラスを落として割ってしまった!
 ファック!
*** 車に戻って、中に鍵を刺したまま、ロックしたことに気が付いた!
 ファーック!
そう、思わず出てしまう ファック は、誰でも使う。でも私が嫌いなのは、時にこの ファック を、まるで形容詞代わりに、しかも単語の前に付けて喋る人。聞いてて、とにかく聞き苦しい。
公共の場所でも、グラスを割ってうっかり言ってしまう ファック でも、周りから白い目で見られる。他人の前で、言う言葉では、ないのだ。それを、バスの中での友人との会話で、やたらと繰り返す人がいる。もう癖になっているのだろうが、そうやって注目を得たいのかもしれないし、かっこいいと勘違いしているのかもしれない。この ファック を、形容詞のように使う場合、ING が付いて、FUCKING ファッキング になる。

ちょっと彼らの会話を聞いてみよう…

“ IT’S FUCKING COLD DAY!! ”
“ YEAH,FUCKING MISERABLE ”
“ I WAS SO FUCKING IRRITATED BY A FUCKING BUS DRIVER 
YESTERDAY! ”
“ HE WAS FUCKING STUPID,FUCKING TOLD ME TO FUCKING STOP FUCKING SMOKING IN THE FUCKING BUS! ”

大袈裟にふんだんに使ってみたが、この程度に実際使う人は、いるのである。この ファッキング を、“ くそ ”に訳して、全文を日本語に訳してみよう。

“ あぁ、本当に くそ寒い日ですねぇ ”
“ うん、くそどうしようもない日ですこと ”
“ 昨日、バスのくそ運転手に、くそっぱらが立ったんでございますのよ ” 
“ その運ちゃん、くそ馬鹿でいらしてね、くそバスの中で、くそタバコを吸うのを、くそやめろ、なんて、くそ言いなさるんですものぉ ” 

何か、日本語にすると、笑える、かわいいとさえ思える。でも、絶対にかっこよくなんかはない。絶対にクールなんかじゃない。テレビでも映画でも、またEMINEM(エミネム)の歌の中でも、この言葉が使われる部分は、ピーッと音が入るか、それか言葉が消してあることが多い。映画だと、丸18の成人映画に値する。この言葉を、公共の場で、聞かされる精神的苦痛は大きい。
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クリスマスイブを目前に、こんな品のない話題を持ち上げてしまい、お詫び申し上げます。
 くそ やら、ファック やら、お下品でごめんなさい。
ところで、やっこは明日(23日)から、火曜日(28日)までダンディーの、おっとさん、おっかさんの所で過ごします。皆へのクリスマスプレゼントを背負い、旦那を連れ?ノーマンを連れ、行ってきます。皆様、どうぞ、よいクリスマスをお過ごしください。ケーキの食べすぎ、注意です。
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でも、ダイエットは、お正月明けから始めたらいいさ、ね?
# by yayoitt | 2004-12-23 02:17 | English | Comments(0)
やっこ、顎(あご)はずれる
今日は、朝の9時から歯医者の予約があった。私は、とにかく歯医者に行くのが嫌いで嫌いで、究極の選択で、歯医者通いと10日間の断食だったら、考えもせず喜んで断食をとるくらい、怖くて怖くて仕方がない。何が怖いかというと、ドリル(歯を削る道具)が、怖いのだ。削っている間、痛みが来るかも知れないし、来ないかも知れない。その曖昧な、そして削られている間中、今来るか?今、電気がビリッと走るか?と、身体全身を硬直させて、それに対応しなくてはならない、その精神的苦痛が恐ろしい。前回、レントゲン写真を撮って歯医者に行った時は、結局、歯肉の膿胞がある為に、歯医者ではなく、デンタルホスピタル(歯科専門病院)に行くこととなった。これは、順番待ちなので、今のところ約6ヶ月待ちと、聞かされている。
そう、何でもこの国は、順番、なのである。
というわけで、今日の歯医者では、簡単な治療(歯2箇所の治療)のみとなった。昨夜は、何度も目を覚ましては歯医者のことを考え、うつらうつらしては歯医者の夢を見た。今朝は、くくられる首を綺麗に洗うがごとく歯磨きを念入りにし、熱いシャワーを浴びて、身体全身を清める。大袈裟ではない、本当に、私にとっての歯医者通いは、一大事なのだ。歯医者で、笑顔で迎える女性の医師に説明した“注射は全然怖くないけど、ドリルが死ぬほど怖い”と。
彼女は、“もちろん、必ずドリルの前に注射はするわよ、大丈夫、私達そんな悪魔みたいなことしないから”悪魔どころか、彼女は白衣の天使に見えた。注射が終わり、唇がカーッと熱くなって、いかりや長助の様に膨らんでくる感じがした。
9時15分、治療が始まった。ドリルで削る間は、やはり緊張してはいたものの、全く痛みはなかった。何回か途中で、口をゆすぐように言われたが、いかりや長助の唇では、水をほおばることすら出来ず、コップの水を口に入れたと同時、ダーッ!と垂れ流してしまう。また横になり、削ったり、こめてもらったりする間、頭の中で歌を歌う。
♪いっかりや長助、あったまが、パー♪なんでこんな歌を歌ってしまうのかわからないし、情けないが、他人には聞こえないので仕方がなく歌い続けた。
突然、長さん、棒を持って聞いてくる。“オイーッス” 私が答える “オイーッス”長さん、棒で床を叩きながら、“声が小さい!オイーッス!”8時だよ全員集合の、舞台の上の長さんは叫び続けた。10時ちょっと前に、治療が終わった。
思わず、笑顔の歯医者の彼女に、“オイーッス”と挨拶しそうになったが、グイーンと起き上がる椅子に座ったまま、口を閉じて溜息を吐こうとしたその瞬間、“ウッ!痛い!あ、あ、あごが、痛い!口が閉じない!”右側の顎関節に痛みが走る。く、く、口が閉じない。
いかりや長助、口を開けたまま、かわいいお医者さんにお礼を言う。
“ハンキューフエリーマッヒ”
大丈夫?大丈夫?と聞かれながらも、私は“ちょっとあほはいはいはへ”
(ちょっと顎がいたいだけ)と説明し、ハフハフ言いながら、口をおっぴろげたまま外に出た。
以前にも歯医者で、こういう風に痛いことがあったけど、時間が経ったら治ったし…。なんとか口を閉じようとするけど、明らかに、右側に顔がゆがんでいるのが自分でもよくわかり、長さんの口は、閉じられなかった。帰り道、開いたままの口をティッシュで隠しながら、痛みをこらえる。家に帰ったら、ハヒハヒと、マイケルに説明しなくてはならない。一時間ずっと、いかりや長助頭がパー、の歌を歌っていたことは黙っていよう、説明が長くなるし。それにしても、顎が痛い、何とか口を閉じたいけど、こう右側に顎を回してぇ…
クリック!!
大きな音と共に、口が閉じた、と同時に痛みも嘘のように消え去った。ただ単に、顎が固まっていたかと思ったけれど、こりゃどうも、顎が外れていたらしい。でも、自分で治したらしい!よかった、よかった、マイケルにハフハフ言わなくても済む。
いかりや長助、あったまが、ドッカーン!!
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# by yayoitt | 2004-12-22 02:23 | 英国暮らしって... | Comments(0)
恋人達の季節 それから
夏の穂高での再会、そしてその後1年、私とその人はもう一度会うようになった。
2人の間に広がる林や山々、そして幾つもの街を越えて、変わり行く季節を眺めていた。
林道に広がる白樺並木が燃える、青空が遠ざかる、あの人に会える…
でも、お互いに違う街で、違う世界で過ごす時間が重なれば重なるほど、少しずつ疲れていった。あの夏の日を、ダイナミックな山々の景色に溶け込む笑顔を、思い出しては、今の現実に心が痛む。2人とも、口には出さなかったけれど、すれ違う心の行方を、辛いほど感じていた。もともと、2人の間には、同じ未来や将来といったもののなかった恋、自由だけが、ただ漠然と宙に広がるその恋を、守る確かな支えは、2人の心にしかなかった。
その心が、少しずつ疲れてしまっていた。会えない時間と距離、空間と静寂、それに負けない思いを持ち続ける勇気、怖がりで寂しがりやで、確かな目に見えるものを信じたい私には、なかった。
ある日、明るい陽射しがふりそそぐ駅の片隅で、最後の時を散り終えた。
二度目の別れ、今度こそ決別であることを知ってはいたけれど、疲労感と満足感に満ち溢れた、不思議な気分だったことは確かだ。それほどに、やっぱり疲れていたんだな、としみじみ感じた。人間、楽しかったことや幸せなことは、失ってから気付くことが多い。その上、その幸せな記憶を求めて、もう一度あの幸福感を味わいたいと、同じことをしてみても、一度目のような興奮と幸福感は味わえずに、がっかりすることが常である。恋愛も同じなのかもしれない。2人で過ごした田舎町の思い出、それは、やっぱり繰り返してはいけなかったのだ。
繰り返したら、その大切な思い出までが、ガラスに息を吐いて曇るがごとく、ぼやけて何も幸せな記憶を思い出せなくなってしまうから。私は、この恋の真っ只中にあって、“この恋が一生の中の、大きな大きな思い出”となることに気付いていた。だから、遠距離をしながら2人が、疲れ果ててしまう前に、ブッツリと終わらせたかった。どうせ2人では、一緒に生きない恋愛なのだから、せめて大きな思い出を焼き付けたかった。思い出の中で生きるなんて、本当は悲しいことなのかも知れない。でも、ただちょっと心の引き出しを開けるだけで会える、そんな恋があってもいいかな、と思う。もしかしたら、人にはそれぞれ、そんな引き出しに隠れた思い出があるのではないだろうか…。その引き出しは、未来への心の支え、過去からの心の安楽。一秒一秒、刻まれている、あなたという証(あかし)。
# by yayoitt | 2004-12-21 02:32 | 穂高の恋人達 | Comments(0)
優しい、あなたに一言
色々、心配をおかけしました。皆さんからの、沢山の励ましの言葉、本当に、心の奥底にジーンとしみました。ここで出会えた、日本にいる友よ!感謝しております。また、ここで出会えた、英国に住む友よ!感謝しています。日本で出会った、そしてここに来てくれている友よ、今も変わらず、あなた達のことをいつも思っています。そして、このページを通じて、英国暮らしに花を咲かせてくれているすぐ近くにいる友よ!大好きですぅ。来年、私達の元にやってくる友もいます。まだお話していなくても、いつも来てくれる、見知らぬ友もいるかも。沢山の友と、そのまた友達よ、大きな輪の中で、笑ったり怒ったり泣いたり、誰かの人生の、その一ページに足跡を残せるって、凄いことだなぁ。本当にあなたは優しい人、どうも、ありがとう。

あなたに、メリークリスマス♪
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# by yayoitt | 2004-12-20 02:34 | やっこの思想 | Comments(0)
恋人達の季節 穂高岳 3
涸沢に到着した頃、既に午後の3時を廻っていた。山の上で、日没は急にやってくるから、常に数時間は、早め早めに行動しておかなくてはならない。ちょっとした時間の遅れが、取り返しの付かない事故や事態を引き起こすからだ。
ヒュッテの前では、数人の男の人が私達を出迎えてくれたが、彼らは大学の医学生達で、
夏の間を、医師や看護学生と共に山の診療所で過ごしながら、色々な経験を積んでいるのだ。笑顔のあの人は、彼と一緒に山を降りてきてくれた学生達に、私の同僚2人のリュックをおねるよう指示し、彼は私の、重い“飛騨牛”の入ったリュックを私から優しく下ろし、自分の肩に下げてポケットに両手を入れ歩き始めた。ここから険しいザイデングラードを登って診療所に着くには、約2時間近くかかる。到着は5時を廻ってしまうが、それ以上の時間のロスは避けたいと、彼が私達に説明する。水を口いっぱいに含み、大きな瞳で“ソフトクリーム、ソフトクリーム!”と叫ぶ私と同僚達をなだめ、ソフトクリームを食べたらすぐ出発と彼は私達に約束し、私達は飛び上がり、リュックを他人に預けて身軽になったものだから、軽々と岩のごつごつした道をヒュッテに向かって走り出した。
“あ、あぁぁぁぁぁあ”また、同僚のピーちゃんが立ち止まった。
鼻を彼女の背中にぶつけながら私も止まる“何々?どうしたの?”
彼女が泣きそうな声で、指をさす方へ目をやると、「本日のソフトクリーム、終了」とヒュッテの窓ガラスに大きな貼り紙がしてあった。肩を落として私達3人は、こちらを見ている彼と学生、そして2人の友人の方へショボショボ帰って行った。
“ソフトクリーム売り切れやって、はい、行きましょう…”
すると誰かが言った“今晩の夕食は、皆で飛騨牛の石焼きやで!”
触覚がピーンと立ち上がった女性3人が、再び元気を取り戻し、“焼肉、焼肉、焼肉”と繰り返す。涸沢の赤や黄色、緑のテントがポツポツと点在する様子を、徐々に遠くに見下ろしながら、私達8人は、ただただ険しいザイテングラードに近付く山道を登って行った。今回の登山、女性は、私と同僚2人であったが、1人はピーちゃんで私と2つ違い、もう1人は、私とピーちゃんの働く病棟の係長さんで、私達と同じくらいの娘さんや息子さんがみえた。この女性は、年齢の違いに関係なく、私の大親友の1人と言える人で、私は他の誰にも出来ない話も、彼女だけには全て話していたし、彼女はいつも奔放的な意見を私に言ってくれるのだった。日本にいる間、彼女ともう1人、私よりひとまわりほど年上の同僚の女性の親友がいて、
毎月“美女3人会”と名づけては、この3人で夕食を食べに行ったり、何かとちょこちょこ集まっては、コーヒーを飲みながら話をしたりしていた。不思議な運命で結ばれたこの友情であるが、とても強くて、でも束縛しあわず、ただ力となる、かけがえのない友達なのである。2人は、2008年に、2人でスコットランドへ来るぞ!と約束してくれているので、私もその時までは、あきらめずにスコットランドでの生活を続けていなくてはならないと、思っている。
涸沢から360度グルリとそそり立つ、前穂高岳、奥穂高岳や涸沢岳、私達の目指す診療所は、奥穂高岳と涸沢岳の間の“コル”(ちょうど馬の背中の様に、低く平らになった部分)にある。ザイテングラードは、岩ばかりの道で、3点方式(必ず四肢の3つが岩につかまっている状態)で登っていかないと危険な道である。油断すると、滑落して命を落としかねない場所が沢山あるのだ。私が、高山を彼が去る時に、お別れのプレゼントとしてあげた緑の山シャツを着て、先頭を彼が進む。仕事場でずっと見ていた姿、小さな田舎町で見慣れていた後ろ姿、そして、初めての夏の彼の自由な姿を見ていた。
私の記憶のその人は、いつも全速力で生きていた。
人間関係も、仕事も、遊びも、眠るのも、沢山のエネルギーを注ぎ込んでいる、という印象があった。忙しい毎日の中で、6ヶ月過ごした田舎町での暮らしを愛し、再び人込みと喧騒の大きな街へと帰って行った彼だった。
彼には、自由な風景がよく似合う。優しい笑顔は、大きな自然の中でもっとよく混ざり合う。都会の時間の流れより、ゆったり流れる時計のない暮らしの方が波長が合う。前から感じていたけれど、私のリュックを下げながら岩場を行く彼を見上げて、私はしみじみと感じていた。
その夏の再会は、2人を優しく山の上へと導いた。7月終わりの穂高は、深い青空に白く湧き上がる雲を引き入れ、短い夏の始まりを精一杯に歌うのだった。
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# by yayoitt | 2004-12-19 02:36 | 穂高の恋人達 | Comments(0)
恋人達の季節 穂高岳 2
本谷橋から、本格的な登山道に入り、涸沢カールまでは急いで歩いても約2時間はかかる。
途中で、のんびりしすぎた私達5人は、ほとんど喋らず、ただひたすら、登り続けた。
登山道は、標高が高くなるにつれ、木々の背が低くなり、登れば登るほど、360度見渡す景色は変わってくる。今まで見えなかった大きな岩肌が、すぐ近くに顔を出し、更に登るとその奥に、また違う稜線が連なる。上高地から涸沢、そして、その日の最終目標地点である穂高山荘までは、実に美しい、興味深い、そして忘れがたい光景が延々と続く。
私は、高校で2年間、登山部に所属してマネージャーをしていた。
マネージャーと言っても、他の部員と共に、夏は合宿に行ったり、冬はスキー場で雪の中テントで泊まったりもし、幾つかの大会にも、登山しがてら部員について行った。
ある夏は、女子部員が全国大会に出場している間、男子部員だけで穂高連峰を縦走する合宿に参加し、顧問の先生2人と20人程の男子生徒に付いて、3泊4日で参加した。
この合宿には、私の父親も2日間だけパーティーに参加し、一番危険な岩場の縦走の時には、父親が私に付いて、歩いてくれた。岐阜県側から槍ヶ岳に登り、そこから、長野と岐阜の間にドッシリ腰を下ろす穂高岳連邦を、中岳、南岳、途中大キレットを通り北穂高岳へ、そして涸沢岳、穂高山荘を通り抜け、奥穂高岳、前穂高岳へと歩いた。この、大キレットというのがとても怖くて、切り立った大きな一枚岩のとんがったてっぺんを、巻くようにして、ほとんど足場がないツルツルした岩肌にしがみついて歩くのだ。しかも、これは稜線上であって、下は断崖絶壁で遮るものは何もなく、落ちたら最後、なのだ。そこを大きなリュックを背負って渡るから、ちょっとの風でも身体が振られたらお終いなのだ。父親と顧問の先生の間に挟まれて、ぽっちゃり顔の高校生の私は、キレット横断中は恐怖の余り何も喋れず、キレットを超えてから、安心感で泣きそうになりながら、父と先生に“あれはお化け屋敷より怖い”
“肝試しもいいとこや!”などといつまでも言っていた。このキレットを、何を思い狂ったか、ある男子生徒が途中で岩から岩へジャンプして、先頭を歩く顧問の先生に、“バカヤロー!”と怒鳴られた時には、20人程のパーティーの最後尾にいた私は、何があったか状況がわからないまま、ただその“バカヤロー”が、幾つも幾つも周りの谷にこだまするのを、冷たい岩にしがみついたまま聞いていた。
バカヤロー、バカヤロー、バカヤロー、バカヤロー…
穂高に登るのは、この時の合宿以来初めてで、しかも、この上高地からの穂高入りは初めてだった。登山道の周りは、ダケカンバ(岳樺)という、落葉高木が岩場から生えている。このダケカンバは、秋には真っ赤に紅葉して、涸沢カールを飾るので有名だ。もう少しで涸沢に違いない、汗をぬぐい顔を上げると、ダケカンバの木々の向こう、何かヒラヒラ揺れている。
涸沢ヒュッテの、鯉のぼりだった。
涸沢ヒュッテ(涸沢カールにある2軒の山小屋の1つ)では、山開きの春からしばらく鯉のぼりを掲げるのだ。勢いよく鯉が、強い風に乗って泳ぐのが、遠くからでもよくわかる。同僚2人と友人の男性2人、ようやく、笑顔が出てきた。よし、あそこまで行って、ちょっと長い休憩をしよう!そして、噂のアイスクリームを食べよう!涸沢までは、その姿が見えてからが、実は時間がかかるのだ。鯉のぼりは、木々の間に消えたり、また現れたりしながら、少しずつ確実に近くなってきていた。両側を低いダケカンバで覆われ、午後の夏の日差しが所々落ちる登山道、その先に見える涸沢カールのヒュッテ、更にその奥には、今日私達が目指す穂高山荘へ続く岩肌を望むことが出来た。私は、登山の登りで、前をなるべく見ないように、下を向いて自分の足元だけを見て歩く癖がある。癖と言うか、この方が、明らかに身体が楽で、ばてないのだ。前を見ていると、“まだあんなにある、急な山道はまだ続く”などと思うし、バランスを崩したり、つまずきやすい。だから、小休憩以外では、歩行中はずっと下を向いて歩いていた。突然、前を歩いていた同僚の足が止まり、“あぁぁ!”と声をあげた。私は、彼女の背中にほとんど鼻をぶつけながら、立ち止まった。“ピーちゃん、どうしたの?”そして、彼女の見つめる前方に目を向けた。木々の間から木漏れ日を受け、目を細めながら微笑む顔が、立ち止まるそこから見える坂道のてっぺんに見えた。緑のシャツは、その背後にある空の青と、万年雪の白、そして、白い岩肌、揺れる真っ赤な鯉のぼりに染まりながら、ゆっくりと、私達の方へと坂を下りてくる。夏の日の、彼だった。
この光景は、一枚の油絵のように、脳裏に、そして心の奥に今も残っている。
周りの木々や葉、彼の肩、微笑む頬や飛ぶ鳥、それが少しずつ動きながら、額の中に入ったまま。私の心の引き出しに、いつも置かれているのだ。彼の緑の山シャツは、私がお別れに渡した物で、それを見つけた瞬間に“きひひひひ”と、聞こえない様に声を出して笑ってしまったくらい嬉しかった。彼は、リュックも何も持たずに山のてっぺんから、私達の到着が遅いことを心配して、わざわざ、山を降りて来てくれたらしい。優しい笑顔にここで、会えた。もう会えないと信じていた人に、この空の下、会えた。2人とも何も話さず、彼が皆に話しかけている間私は、初めて彼に会った時と同じ、目を細めて笑う彼をただ、じっと見つめていた。涸沢にはそれから5分ほどで、到着した。
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# by yayoitt | 2004-12-17 02:48 | 穂高の恋人達 | Comments(0)
靴屋さん、さようなら
スコットランドに6月下旬に到着して、来週でちょうど6ヶ月になる。7月初旬に、旦那が、ある靴屋さんの店頭に置かれた、店員募集の紙のことを教えてくれた。同日のうちにその靴屋さんに行って話しをし、翌日に履歴書を提出し、その週のうちに仕事を始めていたから、比較的、運良くすんなり仕事が見つかって、スコットランド暮らし出発はすんなり進み始めていた。店員という仕事はが初めてで、また、靴にも興味は余りなかった私も、色々な種類の靴のこと、皮のこと、ソールのこと、ゴアテックスのことなど、今では多分、靴を見れば、色々語れるくらいに沢山勉強をした。また、靴屋での仕事を通じて、色々なお客さんと話しをし、同僚やマネージャーと話しをし、腹を抱えて笑うことも一杯あったし、失恋したばかりの同僚に同情して泣きそうになることもあった。動物病院でのヴォランティアとの両立も、ちょっときつかったけど、靴屋の仕事はストレスが全くなく、精神的にとても楽だったので、多少、身体が疲れても、疲労困憊はしなかった。嫌なお客さんや、ちょっとした気にかかる事件はどこにいてもあるもので、その都度、何事もなく過ぎて行っていた。
2週間前に、店のレジから、約£45(9千円くらい)が無くなった。
半端な金額のところが怪しいが、売り上げと、レジに残ったお金が、それくらいだけ合わないのだ。その日に仕事をしていたのは、私ともう一人の同僚で、とても寒い日で、しかもペンキ屋が来て、ドアを開け放したまま、丸一日中塗り立てのペンキを乾かさないといけなく、彼女と2人、隣の店からもらったホカロンの小さい物(中国製)を腰に入れ、マネージャーが電話で“あったかい靴下を一足ずつ使っていい”と言われたので靴下を2枚はき、寒さで座ることも出来ず、2人突っ立ったまま、震えながら仕事をしていた。レジは、2人がそれぞれ鍵を持っているので、どちらも使用することが出来る。その日、店はとても静かで、売り上げは余り無かった。同僚は朝9時半に店を開け、私は、11時から2時半まで彼女と店番をし、彼女が帰ってからは私が独りで5時半の閉店まで店番をした。終了時に、お金を数えると、レジの記録と売上金が合わなかったので、その旨、翌日のマネージャーへのメッセージを添えて帰った。今までも、売上金とレジの記録とが合わないことはよくあったが、翌日に時間をかけて見直すと説明が付いていた。だが、この日の£45ほどの説明は、どうしてもつかなかったらしい。翌日、動物病院から私が帰ってくると、留守番電話のメッセージがあったので、すぐ店に行った。マネージャーの話し、説明、どうよく考えても、おつりを間違ったとかレジを打ち忘れた覚えは同僚と私には無い。??お金はどこへ行ったのだろう??レジの記録からは、私と同僚が売り上げの時にレジを開けた以外の記録は皆無。そうすると、考えられるのは1つだけ…。同僚か私のどちらかが、取ったということだった。その説明を聞きながら、血の気が引く感じを覚えた。疑われている、というショックと、今まで笑顔が絶えずに笑って仕事をしてきた3人の関係が崩れる予感。マネージャーは尋ねる“これをあなた達2人で、どう説明してくれるの?”私と彼女は繰り返す“自分はお金を取っていないし、何か間違えた覚えも無い、だから説明は付けられない”普段の笑顔の消えたマネージャーは、完全に疑っている。2人で、このお金を弁償して欲しい、と言う。自分に非が無いお金を払うことは出来ない、と強く言った。英国の労働基準法では、こういう場合(と言っても、そのケースの細かい違いによって異なるが)店側は、完全に従業員に非があるとわかった場合は、彼らに弁償を要求できる。
が、もしも従業員がそれを断れば、経営者は、その従業員をくびにすることが出来る。でも、その従業員が1年以上働いている場合、法律ではくびになるのを守ってもらうことが出来る。
だから、私がこの弁償金を断ること=“バイバイ”なのだ。その後、店の雰囲気はすっかり変わってしまった。私は、一切レジには触らないので、外回りで動き回るだけ、毎週木曜日の午後は独りで店番していたのも、もう1人の同僚が私の代わりにすることとなった。
ここで ??疑問?? が生まれる。もう1人の同僚も、私と同じ立場なのに、なぜ彼女は1人での店番や、レジをうつことが出来るのに、私は出来ないの?この同僚は、マネージャーの友人で、もう3年もこの店で働いていて、今までこんなトラブルはなかったらしい。
…つまり、私が、1人、疑われているのだ。
この時、海の底まで潜るように落ち込んだ私だが、マイケルや彼の友人、私の日本人の友人が沢山励ましてくれた。自分は何も悪いことをしていない、それを力に、そう、開き直ったのだ。私の靴屋での仕事の情熱はすっかり冷め、ただ時間が過ぎるのだけを待ち、マネージャーや同僚との会話もはずまない。また、私は信頼されていない、疑われている、という思いが常にあったし、私の中では、同僚がお金を取った、という疑いが消えなかった。店の中で、信頼関係が消えてしまった…商売の中で、多分、最悪の出来事の1つである。先週、マネージャーが私に“1週間前の予告”として、店を辞めてくれるように申し出た。理由は、毎年クリスマス以降は数ヶ月、とても店が静かだから。でも私には、営業者側の本当の理由はわかっていた。もう私の心は、決まっていたし、これを聞いて、その日も決まった。くびになる前に、辞めること。昨日、金曜日の夕方、動物病院の帰り道に店に寄った。忙しくて不機嫌そうなマネージャーが汗をかいて働いていた。時間をもらって、一緒にコーヒーを飲んだりチョコをかじった控え室に入り、正直に、思っていることを全部言った。6ヶ月、2週間前まではとても楽しく働き、マネージャーが私の為に色々靴のことをノートに書いて教えてくれたこと、人種差別の言葉を受けて落ち込んだ時に、我がことのように怒ってくれたこと、一杯の感謝の言葉、
そして、2週間前の不幸な出来事、それから何もかも変わってしまい、信頼されない、できない仕事場での不満、これ以上、もう1日たりとも働く気は無いこと、だらか明日の仕事にはもう来ないこと、全部、静かに、でも正直に話した。彼女は、静かに話を聞いてくれ、特に何も反論はせず私の言葉を理解してくれた。最後に“私自身、もうこの店が嫌になった、他の仕事を探そうと思っているくらいだ”と、彼女がちょっと泣きそうになって言ったのには驚いたけど、大好きだった彼女に、最後は微笑んで、でも本当の気持ちを言えて良かった、とてもさっぱりした。もう数日の仕事を残し、自分から辞めると言うことが、私が今出来る反抗の態度だったので、それが出来てよかった。一杯の感謝の気持ちと、溢れる不満、それを伝えて仕事を終わった私は現在、失業中。
でも、これで心からのメリークリスマスは、迎えられる。
2005年、さぁ、やっこの年は、一体どんな年になるのやら?
# by yayoitt | 2004-12-17 02:45 | 英国暮らしって... | Comments(0)
恋人達の季節 穂高岳
優しい笑顔の彼との再会は、その夏。
雪舞い降りる冬に出会い、2つ目の季節を迎えた頃のこと。
彼は、6ヶ月だけの、田舎街での仕事を終え、遠く離れた大きな街に帰って行った。
私は、引き裂かれる心をまだ癒せぬまま、初夏の暑さをぬぐっていた。
もともと、子供の頃から父親に連れられては、山歩きをしていた私は、その夏、数人の同僚と共に、山登りの計画を立てていた。実は、この山登りは、仕事で山に滞在する彼の予定に合わせてのもので、彼は、夏の数週間を、山の上の診療所で過ごすこととなっていたのだ。
私達2人を、温かく見守ってくれている同僚の計らいで、この登山計画は進んだのだ。
夏の穂高は、沢山の登山者を迎え入れ、山の裾(すそ)は両腕を伸ばすようにして、優しく、でも、厳しく、大きなリュックを抱える人々を抱きしめる。上高地から、長いアプローチを進み、穂高の裾に辿り着ける。観光バスでやって来る、ハイヒールや軽装の観光客の姿が途切れ、本格的な登山道へと入る。朝の4時には家を出て、同僚や友人、計5人の私達のパーティーが、上高地を出発したのは、朝の7時少し前だった。その日のうちに、診療所のある山頂へと登る計画だったので、のんびり登山ではなかった。それでも、私を含む女性3人は、大声で歌ったり、花が咲いていると足を止め、“なんて花だ?”と話し合ったりした。途中、トイレのない所で用を足したくなると、登山道を少し外れて、茂みに入り、他のメンバーが、“誰か人が来たら、ホーホケキョって言うからね”と決め事をした。私が、茂みに入って、用を足している時のこと。標高(ひょうこう)が高くなるに連れて、木々や茂みは低くなるので、私が座っても、顔だけは茂みから出ているという状態。ドキドキしながら、登山道の方を向いたまま、用を足していた。同僚の姿は、3メートルほど先に見える。彼女達からも、私の顔は、茂みの中にひょっこり飛び出して見える。私は、朝の空気で冷えたお尻をさらしながら、“早く、早く、しーっ、しーっ”と、心の中で唱えていた。その時、2人の同僚が突然、叫び始めた。
“ホーホケキョ!ホーホケキョ!ホーホケッキョォ!”
狂ったホトトギス達は、手振りまでつけて、バタバタしている。誰かが近づいて来たのだ、しかも、かなり近くに。こうなると、用が終わったにしても、立ち上がってズボンを上げることも出来ない。ただただ、茂みの中で見つからないように、祈るしかない。登山道から見ると、私の、眉間に皺を寄せた焦る青い顔だけが、低い茂みの上から、出ている状態。
絶対に、見つかってはいけない…。
来た!人が来た!やばっ、男の人だ!最悪だ!うわっ!立ち止まった!こら!さっさと行けよ!歩けよ!ゲッ!おいおい、同僚に話し掛けてる!くっそーぉ!頼むぞ、追い払ってくれぇ!こらっ!あんたらも、ニコニコ答えんといてよ!
一瞬、その青いリュックの男の人が、茂みの方を見たが、目は合わなかった。もし目が合ったら、片手を挙げ、“こんにちわぁ”と明らかにオシッコしてます状態で、丁寧に頭をさげるしかなかった。その男性がようやく去り、同僚に手を振って歩いて行った。
私が叫んで聞く“ホーホケキョ、もう大丈夫?”
この出来事は、山歩きの間中、思い出しては同僚と涙を流し笑うことになった。
上高地から横尾までは殆ど平地であるが、横尾を過ぎて、吊り橋の架かる本谷橋まで来ると、急に本格的な山道が始まる。その道を、黙ってひたすら登ること、約2時間ほどで、涸沢(からさわ)に到着する予定だ。屏風岩の山腹をジグザグに急登、さらに山腹をトラバースしていくと、涸沢の流れに出る。目的の山頂へは、この涸沢から更に、這い松(はいまつ)も殆ど生えない岩場の道を、慎重に登って行く、ザイテングラードという道を、登り続ける。この時点で、日が暮れる事態だけは避けたかった。オシッコ事件や、のんびり花見の珍道中の為に、昼食を終えてたのが既に正午過ぎ、本格的な登山はそれからであったから、このままでは山頂に、明るいうちに辿り着けなくなる!焦り始めて、5人は真剣に、無口に歩き続けた。
必死に息を切らして一歩一歩進む。その一歩一歩が全て登りで、肩には、診療所で働く人々へのお土産にと買った、飛騨牛を分配して背負っていたので、時には腰に手を当て、時には胸元で腕を組み、ひたすら登り、歩いた。今夜には、あの人に、会える、私の思いは、それ1つ。夏の彼を見たことがない、彼に夏山で、星空の下、会える。ちなみに同僚を奮い立たせるのは、標高2300mの涸沢ヒュッテでの、噂のソフトクリームであった。
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# by yayoitt | 2004-12-16 02:52 | 穂高の恋人達 | Comments(0)
恋人達の冬 ブリジット的
病院での勤務を始めて、2年目の冬。
私の一生を大きく変えることとなる、その人に、出会った。
私が23歳になる、1月のことである。
6ヶ月だけの予定で、田舎の街に赴任して来たその人は、優しい笑顔だった。
その頃の私は、ニューヨークに憧れ、プリティーウーマンはジュリアロバーツに憧れ、
髪をクリンクリンにして、ジュリアロバーツと言うよりは、ティナターナーという感じだった。
黒のミニスカートに白いタイツ、お気に入りのカウボーイブーツを履き、雪の降り積もる田舎町を闊歩していたのだから、“あれ?あの子、変わった長靴はいとるわ、しかもタイツ一枚で”と笑われていたかもしれない。そんなクリクリ頭で、毎日、病院では“白衣のクリクリ天使”をしていた。1月のある午後、私達の仕事場に、ボスと共に彼が入って来た。
ちょうど日曜日で、病棟は比較的のんびりしており、控え室の奥で私達看護師は、アイスクリームを食べていた。そのボスに呼ばれて、皆でナースステーションに行った。
私一人がまだ、トロトロと棒付きアイスを舐めていたので、それを何処に置くことも出来ず、仕方無しに、後ろ手にアイスを隠しながら出て行った。赴任して来た彼が、ボスからの紹介を受ける間、私は持っているアイスが溶けて、ダラダラこぼれることを心配し、同時に、彼の、優しい笑顔に、目を離せないでもいたのだ。今でも、その場面は、心の中で鮮明に残っている。
周りの色や形、1月の淡い日の差し込みも、人々の声も笑顔も、思い出す度、変わりもせず蘇るのだ。運命的な出会いとは、こんなものかもしれない。
彼との、最初の待ち合わせは、雪の降りしきる駐車場だった。
夕方から深夜1時くらいまでの勤務だった私は、自分の車を職員の駐車場に停めていた。
勤務中、夜8時頃に仕事を済ませた彼が、私の勤務の終了時間を聞いてきた。多分、1時過ぎには終わる、と告げると、彼は、1時に彼のオフィスがある部屋で待っているから、一緒に帰ろう、と言った。彼の借家と私のアパートは同じ直線状にあったのだ。ずっと期待していたけど、夢のような気持ちで、でも誰にも話せずに、残りの4時間程の仕事中、まるで雲の上を歩いているような気分で、暗い病棟をパタパタ、フワフワ浮いて歩き回った。ずっと心臓がドキドキしたままで、さっきの彼の顔を思い出すと、ギューッと締め付けられて痛かった。
その夜、クリクリ頭が仕事を終えたのは、既に1時半を過ぎていた。それから着替えて、同僚にバイバイを言い、彼の待つオフィスに向かう。
 … 真っ暗で鍵がかかっている。
明日は平日だし、彼は仕事があるし、待ちきれず、帰ってしまったんだ…。でも、一緒に帰ろうと、誘ってくれたのは現実。明日、仕事に出て来た時に誤ろう、と決めた。そんなに落ち込んではいなかったが、それでもまだ、宙を歩くクリクリ頭のままだった。その日の私は、白いザックリ手編みのセーターに、チェックのミニスカートを履き、その下に、白の厚手のタイツを履いていた。そのスカートは、赤とピンクのチェックで、フロント部分に上から下までのチャックが2箇所付いていて、チャックを全部開けると、2枚の布になるものだった。とてもかわいらしくて大好きなスカートだった。初めての突然の待ち合わせでも、“おしっ!これならオッケー”と思っていた。
暗い病院を抜け、外に出た。
真っ暗な空から、大粒の雪は限りなく降り続けた。
その夜、遅くなってから、雪が本格的に繰り出したらしく、病院から駐車場まで、ほとんど足跡はなく、摺り足で歩いたような足跡が2つか3つ、続いているだけだった。駐車場にも人気(ひとけ)はなく、停まっている何台もの車は全て、白い布を下ろしたように、真っ白だった。
深夜の広い駐車場は、人の気配は全くなく、ただただ、降る雪が、電灯に映し出されていた。
息を潜めると、一粒一粒の雪の結晶が、地面に落ちる瞬間の音が聞こえる。
真っ黒な空と、真っ白な雪の幕の間から、人影が近付いて来た。
彼だった。
彼が、頭に雪を一杯積もらせて歩いてくる。
私は、クリクリカールに雪を絡ませて、やっぱり歩いた。
! と、その時 !
急に、おなかの辺りで、今までグッと締まっていたものが、プツンとほどける感じがした。
彼の笑顔を見つめながら、とっさに私は、コートの下のスカートに手をやった。
前に2つある、チャックが両方同時に、壊れてチャックが開き始めたのだ。
雪を払いながら、彼が疲れたように歩いて来る。胸がドキドキのまま、コートの下で、落ちそうになるスカートを必死に抑える。両手をコートの下に入れれば、何とかチャックをし直せられるかもしれないが、急にコートの下に両手入れてモゾモゾすると、どうも、怪しい。
だから、とにかく片手で、ずり落ちるスカートを持ち上げて、彼に出会えた。
“1時に来ないから、もう帰ったと思って、車探しに来たんだぁ”
雪が目に入るのを避けるように、目を細め、まぶしそうに笑う。
スカートを、落とすまい、落とすまい、と全身に力を入れて片手で持ち続け、“でも、会えて、よかったねぇ”“うん、帰ろっかぁ”まだ、消毒の匂いのする彼の横に並び、雪の降りしきる駐車場を、ゆっくり、スカートを抑えて歩いた。この光景は、私の人生の中で、一番、美しい情景、映像の1つと言える。残念なのが、やっぱり、ずり落ちるスカートと懸命に戦っていたことであるが、この夜の、雪の白さと静けさ、そして闇の深さは、感触として今も、忘れられずにいる。この日を最後に、チェックのスカートは、はけなくなった。
# by yayoitt | 2004-12-15 02:57 | 穂高の恋人達 | Comments(0)
恋人達のクリスマス ブリジット的
ブリジットジョーンズのダイアリー(日記)を読むと、幾つか私の記憶と重なる場面がある。
全く同じではないが、冗談のような出来事が、真剣な恋愛の中で起こってしまうのだ。
これはきっと、私の冗談のような性格がそうさせるのか、そういう運命なのかはわからないが、どう見ても、本の中の話としか思えないことは、沢山あるのである。
高校2年生の冬、クリスマス直前に、私から告白し、ある男の子と付き合いを始めたことがある。高校生といっても、私はかなり恥ずかしがり屋で、自分から告白したものの、いざ付き合うとなると、口をきくことさえが、最大の目的、と言えるほど、緊張していた。
一度だけ、学校の帰りに、2人で並んで駅まで帰ったことがある。
クリスマス直前で、終業式の日だったと覚えているが、帰り道は真っ暗で雪が散らついていた。その男の子は、マッチ棒のように背が高く、安全地帯の玉置浩二にそっくりな男の子だった。彼の持っていた透明の青いビニール傘に、私はちょっと頭を入れているくらいで、相合傘などとは程遠いが、それでも、ドキドキしながら歩いていた。彼が左足を出した時に、彼の左にいる私が右足を出すと、2人の距離は縮まって、セーラー服と学生服が擦れ合う。坂の上にある高校から、駅に向かって歩くと、だいたい25分くらいかかる。私達は、殆ど何も喋らず、ただ、“寒くない?”“ううん、大丈夫。あんたは?”“うん、大丈夫”などと繰り返した。
寒くないか聞いてくれた、それだけで、嬉しかった。急な坂を下り切ると、神社の鳥居があり、そこから直線に町へと伸びるゆるい坂道が続く。暗い、雪の降りる坂道の左側一体が工事中で、長い坂は、真っ赤なチカチカ光る小さな電球で埋っていたのだ。私は、その景色に胸をときめかしていた。とても、ロマンチックだったのだ。クリスマス直前の、その真っ赤な灯りの続く道を、大好きな玉置浩二と、いや、大好きな男の子と歩く。まるで、私達2人の為に、点灯された灯りのようにさえ、思えた。そして、ほとんど口を開かなかった私が、思い切って言ったのだ。“綺麗やなぁ…。” “うん。”と、彼。
(クリスマスの灯りみたいだぁ)
“盆踊りみたいやなぁ…。” “う、は?盆踊り?”
(しまった。クリスマスと言うつもりで、何故か、盆踊りと言ってしまった)
“ほら、盆踊り、ちゃんちゃちゃんちゃん♪って。”手振りまでつけて踊って見せた。
もう取り返しは付かず、彼は、その盆踊りをして見せる私を置いて、黙って歩き続ける。
小走りで、大粒の雪に濡れながら、すごすご後を歩いた。これが、最初で最後の、2人で帰った道だった。この彼とのお付き合いは、深夜の電話と、春のお祭りで一度、近くの神社で会って話したくらいで、5月の遠出の遠足で、上高地に行った、その前の晩に、電話で振られてしまった。振られて、バスの中でやけになり、カラオケで菊池桃子の“もう会えないかもしれない”を熱唱したのを思い出す。春の上高地には、思いがけず、勿忘草(わすれなぐさ)の花が一面に咲いていた。彼とはその後、友人関係もなかったが、一度だけ、卒業後、上京していて帰って来た彼から電話をもらったことがある。なんだか、すっかり東京の言葉になって、私ひとりが、“でなぁ…やもんでぇ…”と飛騨弁で喋っていた。時が経つと、こんなにも、簡単に気軽に話せるもなんだ、と大人になった気分がしたものだ。
彼が言った一言が妙に嬉しかった。
“やっぱりさぁ、あの時さぁ、若かったからねぇ、後悔したんだよねぇ、逃がした魚は大きかったって感じでぇ。”口からでまかせ、とは思っていても、昔好きだった玉置浩二にこう言われると、やっぱり照れた。でも、2人とも、冬の盆踊りの話は、しなかった。
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# by yayoitt | 2004-12-14 02:59 | 恋愛とは... | Comments(0)
恋人たちのクリスマス 2
家に飛んで帰ったクリスマスイブの夜。自分の中で、色々な想像をしいた。
いがぐり頭の彼は、今頃、まだ橋の真ん中で立ったまま、鼻水を凍らしているんじゃないか?いがぐり頭め!あいつ、本当は来なかったんじゃないか?
想像すれば想像するほど、この話を持ち出したことを後悔し始めた。
もう、好きとかいう気持ちは吹っ飛んで消え去り、というか、もともと、好きな男の子は1人だったのだ。ただ、橋の上での“織姫と彦星”のようなロマンチックな出会いを夢いただけで、相手が、本命の一番目の男の子でないのなら、もう誰でもよかったのだ。小学生のくせに、まるで、タカビーなOLっぽい、“ちょっと、遊びたかっただけぇ”とか言いそうな雰囲気である。しかも、私は非常に臆病だったのだ。イブの夜を、心になんとなく後ろめたさを感じながらも、それなりに家族と共に笑って過ごし、ドリフのクリスマス大特集を見てヒャラヒャラ笑っていた。
外は、もっと大き目の冷たい軽い雪が降り続いていた。クリスマスケーキの準備に、皆で取り掛かっている時だった。私の頭の中には、もう、いがぐり頭のことはなく、すっかり食欲だけに支配されていた。我が家の玄関は、昔店をしていたらしく広くて、戸口は全てガラス張りだった。玄関から最初の部屋が居間になっていて、そこで、食事もテレビも、家族の団欒も、殆どの時間を過ごしていた。その居間と玄関を隔てる戸も、刷りガラスで、居間からは外を通る人が見えるのだった。ケーキ用の皿やコーヒーカップを、母の支持の元、台所から運んで来て、居間に入った時だった。雪降る玄関の前、暗い路地に、2つの影が見えた。
1つは背が高め、もう1つは、とっても小さな影だった。
2つの影は、歩き去るわけでもなく、ただ左右に揺れるだけで、私の家の前で佇んでいた。
雪の影を映す、白いぼんやりした電灯に照らされ、一瞬、その小さな影の子供が、真っ赤なタートルネックのセーターを着ているのが見えた。ハッとして、急に、忘れていたあのいがぐり坊主を思い出した。彼は、母親と共に、私の家まで、プレゼントを持って来てくれたのだ。
そして、色々考えるよりも先に、家族に知られたら!という恥ずかしさがあり、台所へ逃げていた。トイレに隠れ、どうしよう、どうしよう、帰ってくれ、帰ってくれ、と願っているうちに、姉から、“やっこぉ。やっこぉ。ちょっとおいでぇ”と呼ばれた。私は、家族全員の前、“何?なに?”と、とにかくとぼけて知らん顔をして、呼ばれるまま囚人のごとく姉に付いて行った。
玄関から、明るい母と誰か他のおばさんの笑い声がする。“どうか、いがぐり頭じゃなくって、向かいのおもちゃやのおばちゃんでありますように!”いた。いがぐり頭。
背の低い、やさしい笑顔のおばちゃんが、横に立っている。
外が寒かったせいか、恥ずかしかったせいかはわからないが、いがぐり頭は、真っ赤なセーターと同じくらい、真っ赤なホッペをしていた。鼻水をズルズル吸いながら、彼は母親に肘を突っつかれて、そして黙って、雪で点々と塗れた、真っ赤な紙に包まれたプレゼントを、私に差し出した。真っ赤になって私は、隣で母がニコニコと見ているのを意識しながら、小さく“ありがとう”を言って受け取った。この時の記憶は、これ以上はないのだが、ただただ、家族の手前、気恥ずかしかったことばかり覚えている。家族は誰も、私がラブレターを書いて、イブの密会をアレンジして、そして裏切った、などという本当のあらすじは、知る余地もないのだ。
鼻を吸いながら、母親と帰って行った男の子。
その夜、私が準備していたプレゼントを、渡したかどうかも覚えていないが、それを渡したら、家族に私も彼を好きなんだ、という風に思われてしまうのが怖かったので、多分、プレゼントはもらっただけで、手渡さなかったんだと思う。彼が、橋に着たのか、橋でどれくらい待ったのか、どうして母親と私の家まで来ることになったのか、色々な疑問はあるものの、寒そうに去って行った、いがぐり頭を見ながら私は、ただただ、後悔と自責の念にかられていたのだ。
結局、好きでもない男の子に、自分のファンタジーの相手役を演じてもらいたく、その舞台間際に、私は逃げ出し、そして、私の思いは何も残らず、ただ、その男の子をポンッと放り出して、辛い恥ずかしい思いだけを植えつけたのだ。姉に後ろから、“なんや、なんや”と押されながら、その赤い包みを開けると、いがぐり頭の、あの小さな母親が編んだらしい、緑と赤のミトンが出てきた。ミトンは、私の手には少し多き目で、肩に掛ける紐は、やけに長かった。家族の注目の元、“こんなもん、使わんわ。手袋、あるもん”と言い、箪笥にしまい込み、その冬ずっと、その箪笥を私が開けることはなかった。
彼とは、冬休みが明けても、一言も喋らずじまいで、彼はずっと私を無視していた。
小学生なりに、私が悪かったんだという、罪悪感があったので、私も、無視されても気にせずに黙っていた。彼にとっての、クリスマスイブの思い出、私は、きっと、鬼婆(おにばば)に違いない。
# by yayoitt | 2004-12-13 03:05 | 恋愛とは... | Comments(0)
恋人たちのクリスマス 1
日本でのクリスマスといえば、家族との団欒よりは、恋人たちの熱い一夜、といったイメージが強い。聖子ちゃんの歌でも、♪今夜、わたぁしは、あなたの物よぉ♪とあるように、女の子が、自分にリボンをつけて、クリスマスには私を包んであげる!という具合。
クリスマスの本来の意味は、もうどうでもよく、プレゼント交換からはじまり、ホワイトクリスマスになどなれば、雰囲気に駆り立たされ、すっかりロマンチックに陥る。だから、恋人達が、内緒にしていたプレゼントで、愛する相手を驚かせた後、すっかりとろけてしまうのは、自然だと思う。
やっこにも、こんな時代はあったわけで、最初の思い出は、小学校5年生にさかのぼる。
いじめられっこを克服し、ピエロのごとく、おかしな顔をしたりして友人を作り、明るく、ひょうきんな子、と定評を得始めた頃だった。その頃の11歳にしたら多分、ちょっと私は、ませていた。ラブレターというものが、一部の活発な子供達の間で流行し、私も、恋らしき恋をしていたので、3人の男の子に、ラブレターを出した。同じクラスだから、ラブレターを出した後の、ドキドキは、きっとあったはずなのに、私の記憶には、全くそれは残っていない。
最初の男の子は、最初と言うだけに、一番好きだった子だ。
彼のお父さんは、学校の音楽の先生で、彼自身、どことなく音楽家という雰囲気があり、背が高く、無口で、頭がよくインテリジェンスな、長めの黒髪の似合う小学生だった。理科の実験で、2人で気が合い、腹抱えて笑いながら授業を受けたのをきっかけに、とても、その子を好きになった。学校のすぐ近くに、彼の家はあったので、放課後や休みの日に、校庭で一人で遊ぶ姿を私は、校庭の反対側、半分に切って埋められている色つきのタイヤに座っては、眺めていた。スヌーピーはピーナッツの、シュローダーみたいな子だった。いつか休みの日に、一緒に校庭で、ジャングルジムをしたり、鉄棒を並んでしたい、と願った。結局ラブレターは、彼には届いたけど、私に返事は届かなかった。それからは多分、子供ながらにぎくしゃくして、折角の友人関係も、壊れた気がする。去年、偶然に故郷のあるお店で働く彼に出会い、私の母を通じて、お互い、“あっ、あのラブレターの…”と思い出したはずなのに、ただ頭を下げただけだった。私のラブレターが、彼の思い出に、どんな風に残っているのだろう?
11歳の私は、すぐに、2人目の男の子にラブレターを出した。
この時点で私は、本命にふられて、やけになって誰でも良いと、酒を飲みながら“男じゃぁ、おとこ!おとこをくれぇ!”と叫ぶ小学生、みたいだった。2人目の男の子は、足が速くて、年中日焼けして真っ黒で、真っ白な歯を見せて笑う子だった。ところが、大将っぽい存在の女の子が、私と同時に彼にラブレターを出し、結局、その放課後、彼女と2人で彼を追廻し、“どっちにするの?どっちにするの?”と、彼の家まで付いて行き、ヘラヘラ笑ってばかりの彼が、家に逃げて入ってからは、急に2人とも興味を失い、夕方彼女の家に行って、次のラブレター書きの話をして終わった。翌日、もう次のラブレターが出来上がり、私は、3通目のラブレターを、ある男の子に手渡した。
この男の子は、背が低くて、いつも真っ赤な荒い手編みのタートルネックのセーターを着た、
クラスでは男の子にも女の子にも人気のある、ひょうきんな、いがぐり坊主の男の子だった。
彼は、背は小さいのに、実は案外おませで、真剣に私のラブレターに答えてくれた。
その日から、2人はカップルになり、生まれて初めての、“つきあう”経験をすることに。
とはいえ、何といっても小学生。することと言えば、交換日記、である。また、ちょうどその時期が、クリスマス前だったこともあり、プレゼント交換をすることを約束した。交換日記以外、一緒に遊ぶわけでもなく、クラスで話すわけでもなく、ただ気恥ずかしいだけで、すっかり話しさえしなかった。私にはその頃、恋人とこうしたい!というファンタジーがあり、それは、雪の舞うクリスマスイブの設定であった。故郷の町は、大きな川が、町を2つに切り取るように流れている。その川に架かる橋のうち、1つだけ、歩行者専用の、狭い橋がある。その橋の真ん中で、2人が会って、プレゼントを交換する。これが、私の中の、恋人が出来たら…という、憧れの設定だった。だから、今年は、ようやくこの夢が叶うと、心ウキウキ、イブを待ち焦がれたのだ。その年のイブは、とても寒くなり、チラチラと小さな雪が降っていた。
私は交換日記で、その小さな男の子に、時間と場所を告げた。
 xx 橋の真ん中で、6時
6時に、私は結局、橋の中央へ行く勇気がなく、橋の袂で、その男の子が来るのを見ていた。
今思うと、きっとどこかでその男の子も、橋の袂から、私が来るのを見ていたのかも知れない。6時を少し過ぎただけなのに、急に怖くなって私は、家に逃げて帰った。その時に、私があげようとしていたプレゼントが何だったかも、忘れてしまったが、その時の、急に、ロマンチックな夢見た光景が、現実となって近づいてくる怖さ、を寒さの中、痛感したのである。
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# by yayoitt | 2004-12-12 03:08 | 恋愛とは... | Comments(0)