2010年 09月 30日 ( 1 )
魔女狩り と 切支丹(キリシタン)
母が、船便にそっと詰めて送ってくれた本がある。

3ヶ月後に届いたそれは ・・・

遠藤周作 母なるもの

九州は、かくれ切支丹(キリシタン)の子孫を追う作家の話。

読みながら、色々なことを考えていた。

・・・ 私は、信じるものの為に命を捨てられるのか?

踏み絵などを思うとき、それは、失う命ではなく、拷問の苦痛である。

だから、問いを正そう。

・・・ 私は、想像を絶する痛みの中で、自分の信じるものを貫けるだろうか?

私の信じるもの、つまり、命をかけて守りたいもの ・・・

それは、動物だ。

・・・ 動物の命の為なら、自らの苦痛を取引できるだろうか?

弱く、自分がかわいく、卑怯な人間の私に、それができるか?

きっと、できるのだ! と言いたいが、答えは出せない。

熱心で寡黙なキリスト教徒である両親は、神の為になら、そうするかも知れない。

偶然にも、先日、おっとさんがエジンバラに来た時に、こんな話をしてくれた。

魔女狩り の話。

 魔女狩りで、魔女だろうと思われる女性を、水責めにする。

 つまり、水の中に無理矢理、顔を突っ込むのである。

 そして、もしも死んだら ・・・ その女性は無実、つまり魔女ではない。

 でも、死ななかったら ・・・ その女性は魔女とされ、火あぶりになった。

 魔女、という疑いが科せられた時点で、生かす予定はないのである。

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魔女狩りの根拠とされたのは、皮肉にも旧約聖書のある文章である。

 ゛ 女呪術師を生かしておいてはならない ゛ 出エジプト記 22章18節

信じるものの為に、苦しみののちに命を落とした人々。

信じるものの為に、苦しみを与えて命を奪った人々。

そこには、単純に線で結べるような繫ぎはできない。

けれども ・・・

信じる者と、信じる者を恐れる(忌み嫌う)者が、存在するのが興味深い。
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わたしは ・・・

動物の命の為なら、自らの苦痛を取引できるだろうか?

by yayoitt | 2010-09-30 04:35 | スコットランドって... | Comments(16)