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彼の涙が溢れた瞬間
月に一度、数種類の高額の薬を取りに来る Mr.W は、いつも鼻歌を唄って陽気な男性だ。

30代後半、彼の愛する犬は、コッカースパニョールの Sasha(サーシャ)、もうすぐ 15歳

老齢による関節の痛みがある為に、数種類の薬を、もう1年以上も服用し続け、コントロールされている。

もうそろそろ、彼の鼻歌が聞こえる頃だなぁ~と考えていた午後、彼はやって来た。

カウンターに両肘を着いて、いつもと表情の違う彼が言った。

 “ Brown獣医師と、話をしたいんだ・・・。

そして、こう続けた。

 “ もうね、Sashaが限界なんじゃないかって思ってるんだ・・・。 
 ただ、Brown獣医師にちょっと肩を押してもらいたくってね・・・。


いつも薬を待つ間、唄う鼻歌も今日はない。

獣医師の到来を待つ間も、殆ど彼は話せないでいた。

私たちスタッフも、そんな彼を前に、いつものような冗談や笑顔は作れず、
無理に編み出す言葉の繋がりさえも、すぐにほどけてしまうのだった。

獣医師と数分だけ言葉を交わした後、彼がカウンターに戻ってきた。

同時に獣医師も、受付のPCの前にやってきて言った。

 “ Mr.W に、明日の夜、一番遅い受診時間を予約してあげて下さい。”

(安楽死は、なるべく前後に患者(動物)がいない時間を使う。
待合室で他の動物やご主人と顔を合わせたりを、極力させない為である。
より静かで、プライベートな時間を与えるように努力する。)

Mr.W は、黙っていた。

スタッフが、予約表に Sasha  Mr.W と書きながら、言った。

 “ もしも、気が変わったりしたら、すぐに電話してくれれば良いから・・・ ”

彼女の精一杯の言葉だった。

それに対して Mr.W は、微笑むような眠るような表情を浮かべたかと思うと ・・・

大きな青い瞳から、絵に描いたような玉の涙を1つずつ、零した。

待合室を出て、最後の夜を 愛する Sasha と過す彼の背を見送ると ・・・

誰ももう、何も、言わなかった。

何も、言えなかった。
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by yayoitt | 2007-04-16 06:15 | 動物病院レポート ケースから
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