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幼少時代の思い出 雛人形
3人姉妹の私であるが、雛祭りに関する思い出は、少し切ないものしか持ち合わせていない。

父と母は共働きで私達3人と、血の繋がらないお爺さんの世話を見てきた昭和時代。

決して裕福ではなかったけれども、どの思い出箱を開けても、幸せな場面がぽろぽろ零れてくる。

両親は田舎生まれ、田舎育ちの人の良い2人で、心配性ではあるけれどある程度自由奔放に育ててくれたと、私は思う。

長女が9歳上、次女が7歳上で、物心付いた時から私の側には、小学校高学年のお姉ちゃんが笑っていた。

娘3人もいながら、雛人形など買えなかったことを両親が、後ろめたく思っていないことを願う今なのであるが、この時期になると、必ず思い出す切ない思い出がある。

お向かいのあけちゃんは同級生で、私が早生まれの3月生まれなのに対し、彼女は4月生まれ、約1年も違うのが、保育園の頃でも著明に現れていた。

いわゆる私は末っ子の洟垂れっ子(はなたれっこ)で、びっくりするとその場でオシッコを漏らす子供

あけちゃんは2人姉妹の長女で気が強く頭も良い秀才っ子だった。

私の田舎の冬は厳しく、5月までも雪がダラダラ残るくらいだったから、春先の行事は全てひと月遅れであった。

4月3日が雛祭りで、6月5日がこどもの日、といった具合である。

雪解けが始まり、自慢の新しいゴム靴が濡れる春先、あけちゃんのおうちで私は、初めて雛人形というものを目にした。

その人形一つ一つよりもむしろ、その小さな白い手に持たれている細かく精巧な小道具を見ていると、呼吸が速くなるのを感じていた。

それは、数段にもなってあけちゃんのうちの青い畳の部屋を占領し、どこからか音楽♪が流れているのだった。
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興奮して家に帰ると、コタツでテレビを見ている姉2人に、確かに私は、その雛人形のことを話したのに違いない。

姉2人は、見ていたテレビをそのままにして、うちにも雛人形がある、と私の頭を撫でた。

あんなのはうちにはない、と唇を尖らす私の前に、彼女達は大きな菓子詰めの入っていた箱を持ち出して置いた。

コタツにコの字型に3人で座り、2人が箱から出したのは、色紙(折り紙)であった。

それから私は、今見た雛人形のことなど忘れて、姉たちと一緒に雛人形作りに専念した。

その、目にした人形の豪華さよりも、姉達とのこの時間が本当に嬉しかったのである。

紙の平たい人形は、より豪華さを出す為に、数枚の違う色の紙を少しづつずらして折る、そうすると、それは豪華な十二単の襟と裾が出来上がるのだった。

人形が作りあがると、私達はひゃっひゃと笑いながら玄関に出て、そこからほぼ垂直に伸びる急な古い階段に、人形を並べた。

背の低い人形は、階段の段差より明らかに小さかったけれども、下から仰ぐと、妙に偉大な存在感を現してかっこが良かった。

小道具などはないけれど、手作りの、私達姉妹だけの雛人形は特別だった。

古い木々の隙間から風が階段を吹き上がると、それは簡単に倒れもした。

2階の姉達の子供部屋に上がる時には必ず蹴られて数段落ちたりもした。

それでも私の雛人形は、誰のそれよりも優しい笑顔で、美しく、いつまでも心に住み続けたのであった。

それから数年後、姉2人がそれぞれ看護学校や大学で、家を出て行ってからも、しばらく私は雛人形を折ったのだが、いつの間にか、やめてしまった。
幼少時代の思い出 雛人形_c0027188_23393668.jpg

by yayoitt | 2006-03-04 23:39 | 思い出
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