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すっとこナースの思い出 8 事故で変わった人生
整形外科病棟で働いていた1年半。若い人、お年寄り、色々な患者さんが入院していた。
スキーに行って骨折した学生、バイクに乗っていて骨折、頭も強く打っていて一時的に健忘症状のある若者、彼は、見舞いに来た彼女のことさえ事故当時は覚えていなかった。
また、若い頃の大工時代に屋根から落ちて脊髄損傷になり、車椅子生活を続け、いまだに痛みの為に入院を繰り返す40台の働き盛りの方も。ご老人だと、骨折=寝たきり になってそのままずるずると長期入院となる方も多かった。
ある日、事故で四肢を複数骨折したという男性が入って来た。事故の様子は、京都市内をフラフラと歩いていたら車に轢かれた、という話。被害者の彼は、70代の浮浪者で、夜中に道に出たところ、車と衝突してしまった。身寄りがない浮浪者なので金銭のことも病院としては問題であるが、救急車で運ばれてきた以上、最善の治療が施された。話をしていても、昔の女遊びの自慢話や喧嘩話しかしない彼は、ベッド上の生活で精神的に少しづつ危険な状態になっていった。最初はとても無口で大人しかった彼が、手当たり次第に物を投げたり、処置に行った看護師を無事な手でつかんで放さなかったりする。
私が夜勤をしている時のこと。
両足骨折で歩けない彼が、廊下をズルズルと這っているではないか!どうやってベッドを下りたのか見当も付かないが、この時の彼は、乱暴で怒鳴り散らし、“おまえんらなぁー。殺したるぞぉ!”と叫んで手に負えなかった。仕方無しに、当直の若い大柄の医師を呼んだところ、夜中に起こされて不機嫌だったその医師は、廊下でこぶしを振って怒鳴るその患者を
無言のままガシッと抱え上げて、タッタッタッとベッドに連れて行ったのだ。シッポをお尻に丸めて怯える犬の様に、その患者は抱かれていた。彼にとって、軽々と無言で勢いよく抱き上げられたことがとても怖かったらしく、それからはよく“あのお方は”と思い出しては若い医師のことを“凄いお方やったぁ”などと語っていた。それでも、フォークを隠していて看護師に投げたりする乱暴は変わらず、時には大声で泣いては“道端に捨ててくれ”と頼むのだった。
彼は、長年を放浪者として京都の河川敷で暮らして来た。事故にさえ遭わなければ、今も静かに人を避けて夜中の街を闊歩していたに違いない。結局、精神的に正常ではない状態と判断された彼は、警察を通じて、市内の精神病院へとパトカーで連れて行かれてしまった。
歩けない彼が、道端に捨ててくれ、と頼んだのは多分、彼の必死な願いだったに違いない。
どこの道端でもいい、3度の食事よりも週単位で代えられる清潔なシーツよりも、自由が欲しかったに違いない。この事故さえなかったら… 彼の晩年を大きく変えてしまった事故、あれからの人生はどうなったのだろうか?と思うことがある。
by yayoitt | 2005-01-14 19:33 | 看護婦時代
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