BIG BROTHER
BIG BROTHER(ビッグブラザー) … テレビ番組である。私が以前にここに住んでいた4年位前から毎年やっている。最初は、かなり新しい思考のテレビ番組ということで、注目だったが、今もなお毎年注目されている。注目されているというのは、マスコミや、ビッグブラザーファンが毎年派手に騒ぐせいかもしれない。イタリア、オランダ、アメリカ、色々な国で同じ番組をやっているが、それぞれに国柄が出ていておもしろいらしい。
さぁ、BIG BROTHER(ビッグブラザー)一体どういう番組かご説明しよう。
英語では、リアリティーTVショー(現実的テレビ番組)と言われる1つであるが、私が日本で一番近いなぁ、と思ったのは、“あいのり”である。BIG BROTHER を簡単に説明すると、基本的にゲームショー、それもサバイバルゲームショー。サバイバルと言ったのは、生き残り最後の人が勝ちで賞金を手に入れるからだ。応募の中から選ばれた男女約10名が、ある家の中で共同生活を10数週間(夏の間)する。綺麗な家の中には、娯楽品は一切なく、完全に外部と遮断されておりテレビ、ラジオ、本、電話など外との情報を繫ぐ物も一切ない。初対面の年齢もばらばらのハウスメイト(同居人)が毎日、24時間その中で顔を付き合わせて暮らす。食べ物は、毎週ごとに配達されるが、毎週ハウスメイトに与えられたタスクをクリアできるかできないかで、食料に当てられる予算が違ってくる。タスクは、毎回、毎年、様々で工夫を凝らしてあり視聴者が見ていて面白いものとなっている。また、一週間に一度、EVICTION(エヴィクション)= 追い出し があるのだが、それは、ハウスメート一人一人が、誰を追い出したいか選び、その数が多いハウスメイト2人、時には3人が決まる。
そこで、今度は視聴者が、その2人(3人)のうち誰を追い出したいかを投票して、週末に追い出すのだ。BIG BROTHER とは、その番組の名前でもあり、何も自分の意思で動けないハウスメイトが24時間いつでも相談したり、他の誰にも話せない本当の気持ちを、話したりする相手でもある。BIG BROTHER とのコンタクトは、ダイアリールームという個室で、他のハウスメイトには内密に話すことが出来る。このエヴィクションの選択も、一人一人がその部屋へ呼ばれて、BIG BROTHER に打ち明けるのだ。この家の中でのルールは沢山あるが、一番大事なのは,NOMINATION(ノミネーション)= 追い出し指名 に関して、他のハウスメイトとは話してはならないこと。つまり、結局は大金のかかったゲームなので、他のハウスメイトに心理的に誰を追い出すかを振ったり、自分の意見で相手の指名を左右させることのないためである。また、最大のこのショーの特徴は、24時間、どこからも監視されているということだ。部屋という部屋、シャワーにも、トイレにも、カメラがあり、24時間体制で全員を撮り続けている。部屋の壁には、大きな鏡が張り巡らされていて、それは対面鏡なので、関係者が24時間鏡の中からハウスメイトを監視し、また、そこからカメラで撮り続けているので、ちょっとした行動も逃さないのだ。鼻くそほじったり、おならをしたり、カメラはちゃんと撮っている。ハウスメイトは皆が24時間マイクを下げていて、いくら小声で喋っても、こそこそ内緒話をしても、視聴者が聞くことが出来る。さぁ、こんな24時間体制、10数週間にも及ぶTVショー、視聴者はいつ見ることができるかと言うと、毎晩1時間、前日に何が起こったかが選択短縮されて放映される、そこで大抵のメジャーなことはわかるのだ。ただ、もっとハウスメイトのこと、何があったか、どんな寝相か、シャワー中など見たい人は、いつでもインターネットで見ることが出来るのだが、そこまで行くと、ちょっと怖い気がする。ハウスメイトは、あくまでも英国のどこかに住む、一般人なのだから。こうして、一人去り、二人去り、ストレスが溜まり言い合いをし、喧嘩もし、時にはロマンスが生まれてカメラに隠れる場所は一切ないので、シーツやテーブルの下で愛し合う者までいる。それは全国番組として流れるので、英国中の人が、また、その応援する家族がちゃぁんと見ているのだ。
実は、今年に入ってから、セレブリティーBIG BROTHER(芸能人版)をやっている。この中には、以前シルベスタースタローンと結婚していて離婚した ブリジットニールソン もいるのだが、先々週、彼らの中にニューハウスメイトとして、新しい同居人が突然入って来た。なんと、そのニューハウスメイト、どうやって来てもらったのかわからないが、シルベスタースタローンの母親であった。つまり ブリジット の元姑、である。あいにく、彼女は最初の週に追い出されてしまったが、そこまでやるBIG BROTHER に、“あんた、ちょっとそれはないんじゃぁないのおぉ?”という感じだった。一般人の BIG BROTHER は夏(7月)に始まる。

興味のある方は、http://bigbrother.channel4.com/bigbrother/ でチェックを。

ちなみに、ハッピーマンディ というバンドをご存知の方は、そのバンドで、ただただ踊るだけの男、BEZを他のメンバーの誰よりも記憶していると思う。実は、この BEZ がハウスメイトの1人として生活しているのだ。ハッピーマンディは、その頃、ドラッグ常用バンドとして有名であった。そんなドラッグと共に生活してきた彼が、この家でドラッグ無しの数週間を送るのはかなり苦しいと思うが、私は個人的に、彼に是非勝って欲しいと思っている。その訳は、彼は他の誰よりも多分一番、一般人に近くて、労働階級の人間だからだ。何億も稼ぐモデルや、ハンサムなドラマのスターより、もっと身近に感じることが出来る。ちなみに、BEZ は一昨日の夜中、逃亡を計ろうとして BIG BROTHER に怒られていた。
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# by yayoitt | 2005-01-18 03:20 | 英国暮らしって... | Comments(2)
手相占い
オーストラリアに行く半年くらい前の初夏の夜。
その時内科病棟で一緒に働いていた同僚と共に、係長行きつけの飲み屋に連れて行ってもらったことがある。高山市は人口の割に飲み屋が多く、街の中央に1番街という名の通りがあり、ちょっとした酒場街となっていた。その外れにある、一軒の少し古い感じに電気がギラギラ燈る飲み屋に入ると、ボックス席はなく、私達女ばかり5人はカウンターに座った。
カウンターの中、40代後半くらいの濃いアイラインの女性がかすれた声で出迎えてくれた。
丸顔の係長が、“久し振りぃ!今日は私のかわいい同僚を連れてきたんよ”と私達一人一人を紹介してくれた。確か、彼女は私を“大きな顔の、これがやっこ。ちょっと間抜けやけど、かわいい奴なんやさ”と言って、私はおサルのポーズをして見せた。初対面の年上の女性に向かって、おサルのポーズとは、お笑い芸人くらいかもしれない。ドリンクを頼み、係長がカラオケの本を私達に配ると、いつのまに番号を調べたのか、“ママ、30528お願い”と頼んでいた。その時、誰が一緒だったかはっきり覚えてはいないが、1人は看護学校の1つ上の先輩で、私と同じ名前で、病棟では、やっこワン、やっこツーと呼ばれていたこともあったが、結局どっちがワンだかツーだかわからなくなって皆すぐ止めてしまった。その後は、私が“やっこ”で、彼女は苗字“xxはら”と呼ばれていた。この先輩とは話も合い、仕事を始めてからとても仲良くなり、特に恋の話は毎日のようにしていた。彼女は、その頃ある若い医師と恋愛中で、遠距離だったので色々と寂しがったり余計なことを考えたりしていたものだ。
2人は仕事中に、何か困ったことや、ビックリすることがあると「おそ松くん」に登場する出っ歯男イヤミのポーズ、シェーをした。仕事中、もちろん、看護婦の仕事中である。例えば2人で、何か処置をしに病室の患者さんのところに行き、いざ処置を始めて、何か忘れ物に気が付いたときに、“あっ、あれがない。シェー!”と、そんな具合である。もちろん、シェーと同時にシェーのポーズもするから、白衣の裾はまくれて白いストッキングをさらけ出して、笑っていた。元気な患者さん達の前でもシェーはしていたので、付き添いさんや寝たきりのおばあちゃんに笑われたりした。真剣な申し送りの時でさえ、婦長がいないのを見計らって“やっこの受け持ちの部屋に4人新しい患者さんが入りました、シェー!”“え?4人も?シェー!”
… 彼女との仕事はとにかく楽しかった。
他にお客のないその飲み屋で、思い切りマイクを奪い合って歌っていると、係長が私達に小声で話した。“このママはねぇ、なぁんと、手相占いができるのよ”私達が目を丸くして、えぇ!っとカウンターから身を乗り出し、彼氏のことで悩むxxはらやっこが“お願いします。見て下さい”と頼んだ。ママは苦笑しながら、こう言った。
“私は、これは商売でも何でもないから、あんた達に正直に全部話さないと思うよ。”
“どうしても、悪い話は聞きたくないし、聞かない方がいいことの方が多いし…”
それでも良いと、必死に手を出すxxはらやっこの手を自分の掌にのせ、ママはしばらく首を右、左に傾けていた。そして、“今、お付き合いしてる人、いるでしょう?色々悩むだろうけど、行き着くところは良いよ。” xxはらやっこが、オオオオォーと見てもらった自分の掌を顔に当て、にんまり笑った。私は隣で、彼女を肘でドンと突付いて、やっぱりニンマリ笑った。次々に結局全員が掌を預け、最後に私の番が来た。私はその頃、1年以上付き合う男性がいて、このままボチボチ結婚しても良いかな?と思っていた。オーストラリア行きはまだ、考えても、思ってもいなかった時だった。しばらく私の右の手と左の手を見つめ、最後に溜息吐きながら右手を自分の掌にのせて私に言った。“どうする?正直に、言って欲しい?”私はもちろん、“お願いじまず”と力を込めて言った。“あんたはね、今、お付き合いに何か物足りなさを感じてるね。本当に、この人のこと、好きなの?”そう聞かれて、私は、その時は正直に、でも考えもせず“はい”と言った。それから数週間後、彼の一言がきっかけで、英語を話したいという夢があったことを思い出し、早急にオーストラリア行きも決めた。
xxはらやっこは、その医師と結婚し幸せに暮らしている。
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私は今、スコットランドで暮らしている。
# by yayoitt | 2005-01-17 08:35 | 思い出 | Comments(2)
パンとスープの日曜日
昔から、夢の1つに、週末の遅い午後にパンとスープを食べたい、というのがあった。
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簡単にできる、でも、パンもスープも手作りがいいのだ。それでも簡単にできる…のだろうが、料理音痴の私にとって、パンが作れるなどというのは夢でしかなかったのだ。今の時代はありがたく、パンをこねたりせずに、材料だけ入れるだけで後はパンが出来るまで放っておける機械がある。ドラえもんのポケットから出したとしか思えないその優れた機械のお陰で、私の長年の小さな夢の1つが叶ったのだ。レシピに従って、材料を機械の中のお釜に入れるだけ。途中で、♪ピーピーと鳴ったら、好みに合わせて、シード(各種たね類)を入れればいいので私達の場合、ひまわりの種や松の実を入れる、良質の蛋白源である。説明書きによると、ジャムも作れるし、甘いお菓子も作れるらしいが、クリスマスのプレセントにもらったばかりでそこまで高度な試みは、まだ行なっていない。作りたてのパンは、やっぱり最高だ!あったかくって、柔らかく、気分はアルプスの少女ハイジだ。ハグハグ、と言いながら食べるパンが、手作り(本当は機械作り)だと思うと泣ける(トホホ)。スープはブレンダーがなかった今までは、台所に立ちっぱなしで時間をかけて、木杓子を使い玉ねぎも他の野菜も砕いていた。それがクリスマスにブレンダーが登場すると、何て賢い機械なのだろう!私の立ちっ放しの1時間半を、彼が1-2秒間でやってのけるのだから。彼と、ブレンダーを呼んだのは、何故か男っぽい感じがするからで、ちなみに、ブレッドメーカーは彼女、というきめ細やかさがある。
注:私は決して、男性だけが勢いよく、女性だけがきめ細かいと言っているわけではありません(笑)
今週はブロッコリーとペッパー(赤ピーマン、緑のピーマンなど)のチェダーチーズスープ
先週はカリフラワーとリークのチェダーチーズスープ
ブロッコリーには余り沢山チーズは加えず、また、とろみをつけたりせずに作る。
カリフラワーはチーズととてもよく合うので、臭みの強めのチェダーを入れる、とろみを出す為にジャガイモを加える。自分でも料理の話しを題材に挙げるのは“こっぱずかしい”、そう、私は料理が苦手なのだ。嫌いじゃないけど、失敗が多くて、基本的に自信がないのだ。特に、日本の一品料理などを思った時に、食べたい!とは強く思うのに、じゃぁ作ってみよう!とは思わないのだ。怠惰…きっとこれがしっくりくる私の料理に対する姿勢である。
でも、このブレンダー君と、ブレッドメーカー嬢のお陰で、週末に遅くに目覚める朝が、ひときわ楽しくなった。スープと言うと、思い出す歌が2つある。

1. 今井美樹 ♪冬のマーケット♪

 「ショッピングカート並べて歩く、野菜と花と、缶のスープ、いつか笑いながら思い出話し出す」

別れた昔の恋人に、日曜の午後スーパーで偶然出会う。2人でカートを並べ、昔の話しをしていると彼がふと、“幸せか?”と遠い目で聞く。スーパーを出ると、二人はまた、お互い違う道へ雑踏にまぎれて歩き出す…私の今井美樹の歌では断然1位!

2. 渡辺美里 ♪画用紙♪

歌詞を忘れてしまったが、寒い冬にはスープ作ってみる、というような感じであったと思う。悲しみ色に塗られた心の画用紙を、新しい色に塗り替えなくちゃ!という優しい歌で大好きでした。
# by yayoitt | 2005-01-16 21:09 | 英国暮らしって... | Comments(0)
虹をくぐれなかった話
小学校の3年くらいの時、私はサイエンス音痴でロマンチック少女だった。
田舎の星満天の空を見上げれば、その中の1つに宇宙人がいるのだと信じていたし、学校の側を流れる川の行く果てには、カッパの学校が草むらに隠れてあるのだと思っていた。
いじめられっこで、友達のいなかったその頃、想像の中で恋もした。恋の相手は、テレビアニメのムーミンに出てくるスナフキンで、自分はノンノ(フローレンス)という設定で、横に倒れた丸太に座り、隣でスナフキンが♪おさぁびしぃ、山よぉー♪とギターを弾いて歌うのを聞いていた。実際には、電気をおとした暗い両親と私の寝室で、畳の上に丸めて置かれた布団に座っていたのであるが、ドキドキしては、そのスナフキンの歌声に胸を焦がしたりするのだった。
ある秋の日の午後、にわかに降った後の田舎の町に、虹が出た。虹は、大きくてはっきりと、私の目の前にどっしりと両足を踏み固めるようにして立っていた。田畑ばかりの多い、同じ町でも僻地(へきち)の方にそのアーチは張り出されていた。私は、急に胸がドキドキして、自転車を玄関から出して、虹に向かって走り出したのだ。虹をくぐりたい!あの虹の真下をくぐりながら、見上げる虹の下っかわは、どうなっているのか見たかった。ただ単純に、その虹をくぐりぬけてみたかった、そして何の疑いもなくそれが出来ると思っていたのだ。自転車の車輪が、止んだばかりのアスファルトの水を飛ばして、背中にかかる。午後の太陽は、秋といえども入り口で、黒いおかっぱ頭はすぐ熱くなった。虹は、時々消えることがあったが、しばらくするとまた現れるので、ただひたすらに自転車をこいだ。小さな町の家々もまばらで、富山に向かう国道41号線の周りは一面、畑と田んぼ、そして所々に立つ墓があった。田んぼのほとんどが、稲刈りの後で、稲穂を組み立てた細い丸太に掛けて乾してあった。必死に自転車をこいでは、41号線の車の音と周囲の田んぼを見回した。田んぼは幾つも幾つも続いて、遠くの山の麓まで、刈られた禿(はげ)田んぼの中央に稲が並んで見えた。私は、その稲の一部に、何かを見た気がして自転車を止めた。自転車を降り、よく見てみた。茶色の中に、青や緑、白や黄色の何かが忙しく飛び回っているのだ。乾いて硬くなった稲の切り株を踏みながら、その干されている稲の近くに行って見た。10メートルも離れていないところで、私が見たのは、多分7-8羽はいただろうインコだった。どれも色やパターンが異なり、くちばしが黄色に輝いて、非常に美しかった。インコは、しばらくそこで稲をつついたりして遊んだかと思うと、バタバタと不器用に飛んで、見えなくなってしまった。数秒間のその光景に、凍りつく様に立ち尽くしていた私は、青い鳥を見つけた思いがして胸の高鳴りを感じ、これは絶対に、誰にも話してはいけない、そんな気分になったりしたものだった。虹を追いかけていたことも忘れ、また、誰にも話さない自分だけの秘密ということすら忘れ、一目散に今来た国道の歩道を、自転車をこぎ家に帰ると、仕事から帰って来た父親に“野生のインコを見た”と息せき切って話した。どこから逃げて来たのか、どうして大群でいたのか、今でもそれはわからないが、虹をくぐりに出掛けた私の旅は、結局、インコを見つけて幸せな満足した気持ちで終えたのである。
# by yayoitt | 2005-01-15 09:03 | 思い出 | Comments(0)
すっとこナースの思い出 8 事故で変わった人生
整形外科病棟で働いていた1年半。若い人、お年寄り、色々な患者さんが入院していた。
スキーに行って骨折した学生、バイクに乗っていて骨折、頭も強く打っていて一時的に健忘症状のある若者、彼は、見舞いに来た彼女のことさえ事故当時は覚えていなかった。
また、若い頃の大工時代に屋根から落ちて脊髄損傷になり、車椅子生活を続け、いまだに痛みの為に入院を繰り返す40台の働き盛りの方も。ご老人だと、骨折=寝たきり になってそのままずるずると長期入院となる方も多かった。
ある日、事故で四肢を複数骨折したという男性が入って来た。事故の様子は、京都市内をフラフラと歩いていたら車に轢かれた、という話。被害者の彼は、70代の浮浪者で、夜中に道に出たところ、車と衝突してしまった。身寄りがない浮浪者なので金銭のことも病院としては問題であるが、救急車で運ばれてきた以上、最善の治療が施された。話をしていても、昔の女遊びの自慢話や喧嘩話しかしない彼は、ベッド上の生活で精神的に少しづつ危険な状態になっていった。最初はとても無口で大人しかった彼が、手当たり次第に物を投げたり、処置に行った看護師を無事な手でつかんで放さなかったりする。
私が夜勤をしている時のこと。
両足骨折で歩けない彼が、廊下をズルズルと這っているではないか!どうやってベッドを下りたのか見当も付かないが、この時の彼は、乱暴で怒鳴り散らし、“おまえんらなぁー。殺したるぞぉ!”と叫んで手に負えなかった。仕方無しに、当直の若い大柄の医師を呼んだところ、夜中に起こされて不機嫌だったその医師は、廊下でこぶしを振って怒鳴るその患者を
無言のままガシッと抱え上げて、タッタッタッとベッドに連れて行ったのだ。シッポをお尻に丸めて怯える犬の様に、その患者は抱かれていた。彼にとって、軽々と無言で勢いよく抱き上げられたことがとても怖かったらしく、それからはよく“あのお方は”と思い出しては若い医師のことを“凄いお方やったぁ”などと語っていた。それでも、フォークを隠していて看護師に投げたりする乱暴は変わらず、時には大声で泣いては“道端に捨ててくれ”と頼むのだった。
彼は、長年を放浪者として京都の河川敷で暮らして来た。事故にさえ遭わなければ、今も静かに人を避けて夜中の街を闊歩していたに違いない。結局、精神的に正常ではない状態と判断された彼は、警察を通じて、市内の精神病院へとパトカーで連れて行かれてしまった。
歩けない彼が、道端に捨ててくれ、と頼んだのは多分、彼の必死な願いだったに違いない。
どこの道端でもいい、3度の食事よりも週単位で代えられる清潔なシーツよりも、自由が欲しかったに違いない。この事故さえなかったら… 彼の晩年を大きく変えてしまった事故、あれからの人生はどうなったのだろうか?と思うことがある。
# by yayoitt | 2005-01-14 19:33 | 看護婦時代 | Comments(0)
すっとこナースの思い出 8 事故で変わった人生
整形外科病棟で働いていた1年半。若い人、お年寄り、色々な患者さんが入院していた。
スキーに行って骨折した学生、バイクに乗っていて骨折、頭も強く打っていて一時的に健忘症状のある若者、彼は、見舞いに来た彼女のことさえ事故当時は覚えていなかった。
また、若い頃の大工時代に屋根から落ちて脊髄損傷になり、車椅子生活を続け、いまだに痛みの為に入院を繰り返す40台の働き盛りの方も。ご老人だと、骨折=寝たきり になってそのままずるずると長期入院となる方も多かった。
ある日、事故で四肢を複数骨折したという男性が入って来た。事故の様子は、京都市内をフラフラと歩いていたら車に轢かれた、という話。被害者の彼は、70代の浮浪者で、夜中に道に出たところ、車と衝突してしまった。身寄りがない浮浪者なので金銭のことも病院としては問題であるが、救急車で運ばれてきた以上、最善の治療が施された。話をしていても、昔の女遊びの自慢話や喧嘩話しかしない彼は、ベッド上の生活で精神的に少しづつ危険な状態になっていった。最初はとても無口で大人しかった彼が、手当たり次第に物を投げたり、処置に行った看護師を無事な手でつかんで放さなかったりする。
私が夜勤をしている時のこと。
両足骨折で歩けない彼が、廊下をズルズルと這っているではないか!どうやってベッドを下りたのか見当も付かないが、この時の彼は、乱暴で怒鳴り散らし、“おまえんらなぁー。殺したるぞぉ!”と叫んで手に負えなかった。仕方無しに、当直の若い大柄の医師を呼んだところ、夜中に起こされて不機嫌だったその医師は、廊下でこぶしを振って怒鳴るその患者を
無言のままガシッと抱え上げて、タッタッタッとベッドに連れて行ったのだ。シッポをお尻に丸めて怯える犬の様に、その患者は抱かれていた。彼にとって、軽々と無言で勢いよく抱き上げられたことがとても怖かったらしく、それからはよく“あのお方は”と思い出しては若い医師のことを“凄いお方やったぁ”などと語っていた。それでも、フォークを隠していて看護師に投げたりする乱暴は変わらず、時には大声で泣いては“道端に捨ててくれ”と頼むのだった。
彼は、長年を放浪者として京都の河川敷で暮らして来た。事故にさえ遭わなければ、今も静かに人を避けて夜中の街を闊歩していたに違いない。結局、精神的に正常ではない状態と判断された彼は、警察を通じて、市内の精神病院へとパトカーで連れて行かれてしまった。
歩けない彼が、道端に捨ててくれ、と頼んだのは多分、彼の必死な願いだったに違いない。
どこの道端でもいい、3度の食事よりも週単位で代えられる清潔なシーツよりも、自由が欲しかったに違いない。この事故さえなかったら… 彼の晩年を大きく変えてしまった事故、あれからの人生はどうなったのだろうか?と思うことがある。
# by yayoitt | 2005-01-14 19:33 | 看護婦時代 | Comments(0)
行き過ぎた HARRY!
HARRY(ハリー)とは言っても、ハリーポッターのハリーではない。
英国はロイヤルファミリー、故ダイアナ妃とチャールズの次男坊、ウィリアムの弟、ハリーだ。今朝の新聞の一面は、彼の話題で飾られた。最近、何かと話題になる彼であるが、今度のは政治かも軍隊も絡んでの大騒動に発展しそうである。

何をしたか?

彼の友人の誕生日パーティーに参加した彼、何と、スワスティカ入りのドイツ軍兵士の格好なのである。スワティカ=ナチスドイツ軍の象徴、卍 が腕に付いた物だ。
ハリーは現在20歳。その素行が報道陣の的になっていて、度々、ナイトクラブの帰りの姿やドラッグを使っていることが報じられたりしている。1人の普通の英国人若者男性であるあから、お酒を飲もうが、酔っ払おうが、喧嘩をしようが、微笑ましく思えたものである。

ただ、今回は違う。

彼でなくても、どの英国人であっても、スワスティカを身に着けたものならば、周囲の人は警戒したり避けられる。例えば日本人が、中国や韓国に行き第二次世界大戦の兵士の格好をして見せるようなものだ。このハリーの場合は、天皇家の誰かが日の丸入りのハチマキをして、日本刀を身に付けて登場するぐらいの驚きである。分別、良識が十分にわかっているはずの年齢だ、という声と、20歳という若気の至りだ、という声もあるが、英国ロイヤルファミリーとしては、信じられない出来事である。彼は、じきに英国の軍隊入隊予定なのであるが、それさえも拒否される可能性が出てきた。ある意味、かごの中の鳥 の様な生活を強いられているであろう彼ではあるが、現在の自分が置かれている状況の見極めが、間違うどころか、精神を疑ってしまうような極端な過失は、取り返しが付かないし、恐ろしいものである。
いくらプライベートを撮られた写真であろうと、そんな言い訳は、通用しないのだ。

彼は昨夜のうちに、謝罪をしている。

“ I AM VERY SORRY IF I HAVE CAUSED ANY OFFENCE. IT WAS A POOR CHOICE OF COSTUME AND I APOLOGISE.”

“ もしも僕のしたことが誰かの感情を害したのであれば本当に申し訳ありませんでした。ひどいコスチュームの選択をしてしまいました。謝ります。”

ひどいコスチュームの選択云々(うんぬん)ではなく、選択する時点で、考えられなかったのか??
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ハリー、頼むよ。
# by yayoitt | 2005-01-13 08:40 | 英国暮らしって... | Comments(0)
お気に入りの日本ドラマ
1990年、脚本 内舘牧子 ♪想い出にかわるまで♪
東大卒のエリートサラリーマン高原(石田純一)との社内結婚を間近に控えた女性、沢村るり子(今井美樹)。るり子は、高原とは違った価値観を持つ写真家、水口(財津和夫)との出会いに揺れ動く。幸せだろう結婚の理想と現実、気持ちの微妙な揺れ動きの中で、るり子の中に“結婚”へ向けて割り切れない気持ちが残る。一方、以前から姉の婚約者である高原を一途に想っていた、るり子の妹・久美子(松下由樹)は、姉にできた心の透き間を読みとり、激しく高原にその想いをぶつける。水口の出現、結婚へ向けて踏ん切りをつけないるり子との間にすれ違いが重なり、高原の心も次第に揺れ打ち拉がれる。そんな高原に自分の想いを訴え続ける久美子は、強引に高原と関係を持つことに。やがて家族は、久美子と高原の関係を知ることになる。るり子との結婚で、東大卒のエリート高原に跡取の期待をかけていた、町工場を経営する・父(伊東四朗)。そして、理想を押し付けようとする父に反発する予備校生の弟・セイジ(大沢樹生)。それぞれがるり子、高原、久美子の関係を知り、家族をも巻き込みドラマは展開する。お互いに気持ちを残しながらも度重なるすれ違いに激しく苦しみながら、るり子、高原はそれぞれ違う道を歩むことに。高原は妹・久美子と結婚し、るり子は写真家水口の助けを借り、一人で歩んでゆく。気持ちがないのを知りながら、ただひたすら高原に向かっていく久美子。るり子、高原は、苦しみながらお互いへの気持ちを必死で断ち切ろうとする。
やがて月日は流れ、偶然るり子、高原は出会うが、お互いの気持ちが想い出にかわったことを確かめ合い、それぞれの道をまた歩き出すのだった。
これまた爪を噛むばかりか、オイオイ泣いてしまうドラマだった。今井美樹が長女としての立場もあり、必死に苦しみに耐える姿がとてもかわいそうで、また、彼女は毎回の様にドラマの中でよく泣いた。泣けるドラマ、と言えば、真っ先にこのドラマが頭に浮かぶ。これも、家族と恋愛、結婚が複雑に結びついた、日本らしい興味深いドラマである。ここでの水口(財津和夫)という男が、とてもクールで冷たくもあり、しかし、愛に関しては横暴でもある。それに比べて、高原(石田純一)は弱くて優柔不断で、はっきりしないから周りの人を傷つける。私は、前者の水口は苦手で、いわゆる“男らしくない”と言われがちな高原が好みだった。やっぱり彼の、自分で決断できない部分を見ていると、私がますます追ってしまおう!と感じるからだろうか。基本的にミーハー、追っかけの私は、どうもこういうタイプに弱いのかも…。
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今井美樹の歌をよく聞くようになったのは、このドラマより少し後のことだが、彼女がよく歌う悲しい恋の歌のイメージにも重なる。

☆ それにしても、やっぱり日本のドラマは、繊細で複雑で静かで熱くて、いいなぁ ☆
# by yayoitt | 2005-01-12 05:27 | 遠くにて思う日本 | Comments(0)
お気に入りの日本ドラマ
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1994年、脚本 北川悦吏子 ♪君といた夏♪
一流企業に内定した入江耕平(筒井道隆)。学生時代最後の夏をどう過ごそうかと考えていた矢先、母親から親戚の佐野朝美(瀬戸朝香)を預かると言われる。入江と後輩の杉矢稔(いしだ壱成)は期待しながら待っていた朝美が現れた瞬間、目を疑った。小さい頃の可愛かった朝美は族あがりの不良娘になっていた。こうして3人の微妙な夏が始まった。入江耕平は大学の研究室で一緒の(松下由樹)に恋をしている。松下由樹は、同じ研究所内の(乃木 涼介)と婚約するが、元彼女との復縁をきっかけに別れてしまう。朝美(瀬戸朝香)が入江耕平(筒井道隆)に対しての真っ直ぐな恋心を杉矢稔(いしだ壱成)に気付かれる頃、入江耕平(筒井道隆)と(松下由樹)の間に違った感情が生まれ…。結構、すれ違いばかりの爪を噛むドラマだ。
先日、近くの図書館に行ったら、この脚本を小説にした本を“ジャパニーズブック”の中に見つけたので、早速借りて一気に読んだ。ドラマでは、スカイパーフェクトでやっていた再放送を、去年くらいに2回見た。10年も前のドラマとは知らなかったが、とってもよかった。
日本の暑く短いひと夏に起こる様々な恋愛の矢印の行方…。大好きなドラマの1つだ。
この中で、誰に対しても優しく、まじめな入江耕平(筒井道隆)を、私はどうしても好きになれない。優しくて一生懸命だけど、雨の中ずっとマンションの前で待っていてくれたり、風邪をひいたと聞いては色々な買い物をして飛んで来てくれる…こんな彼を、私はとても苦手としているのだ。多分、私は“ミーハー女”で、追っかけが好きだから、追っかけられるとトットコスットントンと逃げたくなるのかも。ちなみに私が好きなのは3人もいる。
1人は、松下由樹の元婚約者で、別れた彼女との復縁を理由に松下由樹と別れたにも拘らず、その彼女が去ったら、再び松下由樹を呼び出してしまうという“なんちゅうぅ男なんじゃぁいぃ!”という人。この勝手さと、弱さ、優柔不断さに惹かれる…
2人目は、ウッチャンが演じる松下由樹のお見合い相手役。彼女のこととても好きなんだけど、しつこくなく、追っかけたりはせずに遠くにいて静かに見守る、という人。ウッチャン ファンだからというだけでなく、恋愛に慣れていて、一生懸命さを見せないとこがとてもクールで惹かれる…
3人目は、杉矢稔(いしだ壱成)で、大学生で若いけどそれなりに恋愛経験は豊富、とにかく優しいのにそれを上手く外に出せない、そのアンバランスさがとても魅力的で、こんな人に愛されたらいいだろうなぁ…幸せだろうなぁ…と真剣に思う。
若さゆえの、悲しい表情を、いしだ壱成がとても上手く演じているのには頭が下がる。

☆ それにしても、やっぱり日本のドラマは、繊細で複雑で静かで熱くて、いいなぁ ☆
# by yayoitt | 2005-01-11 05:42 | 遠くにて思う日本 | Comments(0)
すっとこナースの思い出 7 廻るおばあちゃん
高齢の老人の入院は、ある意味、家族ともども大きな決定で、転機となることが多い。
入院生活は、してみないとわからないと思うが、かなり単純で時間をもてあまし退屈なものだ。若い人だから退屈なわけではなく、その生活の変化は、お年寄りにも大きな打撃を与える。高齢のお年寄りは特に、入院生活という環境変化の為の精神、身体的ショックが大きい。家に居てもそんなに行動範囲が広い訳ではないが、慣れ親しんだ自分の布団や畳、障子の窓から漏れる早朝の光、そんな、長年見続けてのんびり暮らしてきたものとの物理的別れは、取り返しの付かない打撃を与えることがある。それは、痴呆となって現れる。性格的に、普段から明るく、お喋りが好きで、身体は不自由でも同室患者さん達と笑って話したり、刺激があればいいが病気、骨折などで白いカーテンを引いて自分のベッドに24時間寝たままだったり、個室で他に喋る人がいないとか元々無口な人だったり、普段の生活から引き離されて心身ともに落ち込んでしまったり、そして突如始まった単調な生活が何日も続く。今までなかった痴呆症状が出て来たり、元々軽い痴呆があった人だと急激に悪化することがよくあるのだ。だから、高齢の方にとって、風邪1つが万病の元とは、よく言ったものだと思う。家族がよくわきまえていて、入院中にも頻回に訪問して話したり刺激を与えることはとても大切だ。
内科にいた時も、整形にいた時も、痴呆の患者さんは沢山みえて、色々な思いがけないことをして私達看護師を驚かせたり笑わせてくれたものだ。
通称 廻るおばあちゃん がいた。
彼女は入院後、元々あった痴呆が悪化して昼夜逆転してしまい、昼間は眠ってばかり、夜になるとゴソゴソ起きだした。そこが高いベッドとわからずに降りようとして落ちて骨折、なんてことにもなり兼ねないので頻回に訪室しては彼女がどうしているか見に行った。彼女は、暗く浮いた白い壁に照らされた枕灯の下で、何やら身の回りの物をたたんでは開き、たたんでは開きしている。ベッドの柵は落ちないようにしっかり日中から固定してあり、足の立たない彼女が落ちる心配は余りなかった。それでも心配で数十分後にソーッと部屋を覗くと、布団を綺麗に畳んで隅にやり、オシッコの管をたくっている。これは大変!と普段はベッドの下に垂らしてあるその管と袋を、パジャマのズボンの中に入れ込んだ。おばあちゃんは、暗闇の中で私の顔を不思議そうに見上げると、へへへ、と笑った。日中何とか眠らないように、車椅子に乗せて明るい窓の側に連れて行くのに、毎日その効果は空しくおばあちゃんは、大きな鼾(いびき)をかいて車椅子の上で眠るのだった。次に彼女を見に行くと、ベッドの上で、両の足を軽く曲げたまま前に突き出し、両手を後ろに付いて真剣な表情で ヨッシ、ヨッシ、ヨッシ と、時計方向に廻っていた。私は、興味深く思ってしばらく立って見ていたが、詰め所に帰り、その話しを同僚にするとすぐに彼女達もおばあちゃんを見に行った。
廻っている。
ずっと、廻っている。
結局その夜、私が彼女を見に行く度に同じようにしてヨッシ、ヨッシと廻っていた。
翌日の朝、日勤の同僚にそのことを申し送ると、前にも夜中その姿を見たと言う。
それから、彼女は“廻るおばあちゃん”と名付けられて、申し送りの時には“昨夜も一睡もせずに廻るおばあちゃんは、廻り続けていました”とか、“明日、廻るおばあちゃん、お風呂に入れて上げてください”などと呼ぶようになった。家族がいたのかいなかったのか、いたけど殆ど顔を出されなかったか、詳しいことは覚えていないがただ夜中に1人で、一生懸命にヨッシヨッシと廻るおばあちゃんの影だけは、忘れられない。
若い頃、どんなお嫁さんだったんだろう?どんなオッカさんだったんだろう?きっと勤勉でまじめで、夫に黙って仕え、子供を懸命に世話し、晩年も家で常にちょこちょこと動き回って働いていたんじゃないだろうか?痴呆として現れる様々な症状には、その人の生き様が、現れるのだ。古き良き時代に、ひっそりと帰って行く、それが痴呆なのかもしれない。確かに現在に生きながら、実はたったひとりで、その心の旅へと出掛ける、そんな風なのかもしれない。
# by yayoitt | 2005-01-10 00:07 | 看護婦時代 | Comments(0)
A Spanish Girl あるスペインの女の子の話
私が数年前に一年半働いていたホテルは、エージンバラは城の向かい、プリンスズストリートにある。夏になると、ヨーロッパからの学生が短期間でパートとして働いていた。
私や現地の従業員は、その若い従業員達に比べて年も上で長く働いていたから、いつも新人の彼等への指導を任された。夏の日、レストランで1年働いた私は、他の事をさせて欲しいとボスに頼み、ホテルの部屋掃除(ルームメード)をしていた。とにかく動きっぱなしで、決まった時間までに沢山の部屋を掃除したり整えるのは、かなり大変だった。そんな中、新人が入ってくると、限られた時間のうちに指導もしなければならないし、部屋数全て済まさないといけないので新人が入ってくると、私は憂鬱になっていたものだった。
ある朝、スペイン人の女の子が入って来た、と聞かされ、更に私が指導することと言われて溜息が出た。彼女は、数週間前からホテル内のレストランで働いている黒髪のスペイン人の女の子の友人らしい。英語は、“全く”わからないし、喋れない、と言われた。英語を使わずに、どうして指導などしたらいいものかと考え込んでいるうちに、まあるい顔のに黒い瞳、眼鏡を掛けて、一見男の子かと思う彼女が休憩室に入って来た。スコットランド人の同僚が、彼女に色々聞いたり説明しても、何もわからないらしく、レストランの友人を呼んで来て何を言っているのか通訳してもらっていた。今日から彼女としばらく一緒に働くと思うと、私は正直困惑してしまっていた。まあるい顔の彼女は、大きな手振りでスペイン語を私達に向かって喋っていた。彼女との仕事は、予想外の楽しいものとなって行った。もちろん、指導は身振りと彼女の知っている本当に片言の英語で行なうしかなかったので、時間もかかれば私も彼女も困惑して、わからず終い(じまい)の事もある。けれど、彼女の人なつっこさと明るさ、フレンドリーな性格は、文字通り愛すべきものであったのだ。ある日の昼休み、ホテルの地下にある、正に昔牢獄だったかと思えるようなスタッフの食堂に2人で下りて行った。私は、おぼんの上に熱い紅茶の入ったカップを数個抱えていた。彼女は私の前を、シェフが作ってくれたフィッシュアンドチップスの皿を2つ持って歩いていたが、階段の途中で、何を思ったか急に立ち止まったのだ。彼女のすぐ後ろを歩いていた私は、おぼんを彼女の背中にぶつけてしまい、それと同時に、熱い紅茶がこぼれて、彼女の背中に一筋流れた!“やば!”と思って声を掛けようとしたが、彼女が平然としているのに気が付きホッとしたその時、熱い紅茶がT-シャツを滲みて、ようやく背中に到達したらしく、私の目の前で皿を持ったまま、阿波踊りのように両腕を振り上げながら踊り始めたのだ。スペイン語で何か喋っているが、多分日本語の“あちあちあっちあっちぃぃ!”と言ったものだと思う。階段の途中で、踊り狂う彼女、後姿を“大丈夫?”と心配する一方、余りにその身振りと叫び声がおかしくておぼんを必死に抱えたまま、こみあげる笑いを懸命にこらえていた私。彼女は、英語を全く話せない、理解できないながら、一生懸命に話してきたり、私の言っていることも必死に理解しようとした。ある日は、翌日が彼女初めての遅番で、そのことを彼女に紙にも書いて説明したにも関わらず、彼女は“休み”と思って来なかったりした。
冷や汗の出る、でも、おかしな日々を一緒に過ごした。
私はその頃、日本企業への就職が決まって、最後の仕事の日、彼女は明日から私の代わりに一緒に働く女性と働いていた。彼女は、スペインで買ったというかわいらしいT-シャツを2つ持っていて、日替わりで着ていた。1つは紺地に花の絵が胸にあるもの、1つは赤に動物の絵が描かれていた、それがとってもかわいくて、よく私は彼女に“PRETTY!”“CUTE!”と毎日の様に言っていたのだ。その最後の仕事日に、彼女は花の絵のシャツを着ていた。私の帰る時間が迫り、彼女はまだ、同僚と組んで仕事中だったので“さよなら”を言いに行った。彼女は、まあるい顔をバラの花のように少し赤くして働いていたが、手を止め、私にスペイン語で何か一生懸命色々言った。全くわからないまま、でも、笑顔の彼女にお礼を言ったら、彼女が急に、今まで着ていたシャツを私の目の前で脱ぎ始めたのだ。訳がわからず見ていると、“YAKKO,YOU LIKE”と言って、汗で濡れて生あったかなシャツを私の胸に押し当てた。???くれるの???たまたま通りかかったレストランに働く彼女の友人をつかまえ、事情を話すと、彼女が言うことを英語に訳してくれた。
“やっこが、前からこのT-シャツ好きだと思っていたから、お別れにあげます”
私は、泣きそうな顔で彼女のを見ると、男の子が着るようなランニング一枚になった彼女は
照れくさそうに微笑んでから、“バイバアイ”と大袈裟に手を振って走ってどこかの客室に行ってしまった。
あれから、一度だけ彼女に街で会ったことがあるが、彼女はまあるい顔で、ちょっと英語も上達して私に聞いてきた。“YAKKO、T-SHIRT、VERY NICE?”私はゆっくり“ヴェリーナイス”を何回も繰り返すと、ニコニコ微笑んで、大きく手を振りながら、秋の寂しげな日差しの中、人込みにまぎれて消えてしまった。
# by yayoitt | 2005-01-09 07:39 | 英国暮らしって... | Comments(3)
おならとRELATIONSHIP
RELATIONSHIP(リレーションシップ)とは、関係、信頼関係といった意味で、恋人同士や夫婦間などを表す時によく使う。
良い関係=GOOD RELATIONSHIP
始まったばかりの関係=NEW RELATIONSHIP など。
一昨年に日本の友人と話をしていた時のこと。“フッ”としたことから、お互いの夫婦関係の話しを色々し始めた。私の学生時代からの友人の彼女、決しておなら(放屁=ほうひ)は旦那の前ではしない、と言う。私は、たまげてしまった。
“ええええぇぇぇぇぇ?じゃぁ、一体、いつどこでどうやってするの??”
人のおならのことを、いつ、どこで、どうやって、とまで聞いてしまった不手際には気が付いたものの、かなり興味があったし、彼女とは、何でも話すそういう仲なので、いいかな?と思った。トイレに行くとか、こっそり聞こえないようにする、らしいのだ。私は、なんて女性らしくて慎ましくしおらしいのか、と感動さえ覚えた。もしや、これがメジャーな一般論で、旦那の前でおならをする女性がごくわずかなら、私はショックである。
そう、私は完全に後者であって、そういう関係が自然で楽で有難い、とさえ思っているのだ。
信頼関係の醍醐味(だいごみ)とさえ思ったりしている。でも、ゲップやシャックリと同じで、食事中は絶対にしない…。まぁ、それなりの規定の中での?自然主義?とでも言えようか、はっ!これをお互いにすることで、笑いを作るきっかけになることもある。
喧嘩中、どちらも不機嫌でむっつりしているのに、どちらかがこの“突拍子もない不可思議な音”を出すことによってその緊張した雰囲気を和らげて、穏やかにしてくれることもあるのだ。
匂いがつくから、おならは“嘲笑”の対象になるが、本当はとっても大切で自然で普通の大事なことなのである。思い切っての最初が肝心だが、私達の場合、特に恥ずかしいとか、興醒めするとかいったことなく簡単に最初のハードルは越えることができた、ラッキーだったと思う。RELATIONSHIP(リレーションシップ)は基本的に笑い、であると信じている二人なので、一般にタブーとされる話題をも、なるべく冗談交じりで思い切って話すように努めると案外、あれ、そんなことなのかぁ…そんなに自然なことなのかぁ…と思わせてくれる。私は決して、“おならを彼の前でしなさい”とか“おならをしないと本当の信頼関係は築けない”と言っているわけではない。そんな“おなら信者”の様に、真剣におならのことを考えている訳でもないから…。ただ、案外、やってみると楽になる、そんな“男女間のタブー”って一杯あるのだろう、と感じているのだ。
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# by yayoitt | 2005-01-08 03:16 | 国際結婚って... | Comments(2)
すっとこナースの思い出 6 転回
雪が降るのを見ながら自分は死にたい、と言った彼の願いは叶い、その年の初雪の舞い降りる中その人は、母親が手を握るなか天へとあがって行った。いつも掛けていた眼鏡が外された寝顔は、白くて美しかった。私の同僚は詰め所で、死後の処置の為にテキパキと準備をしてくれていた。私は、主治医の到着を待ちながら、母親と一緒に横たわる息子の顔を見つめ、時々窓に目を向けポツリポツリと会話を交わしていた。とかく静かな夜だった。静かで安らかで、こんな死があるのだなぁ…と優しい気持ちになるほどだった。しばらくすると、廊下に足音が近付いてくるのがわかった。急ぐそれが主治医だと、すぐに私にはわかった、が…。
妙にその足音は大きくて、しかも変わった音だったので、何となく部屋の片隅に立っている母親を見ると、彼女も不思議そうに廊下の方を見ていた。
ボテン ボテン ボテン ボテン 足音は大きくなり、やっぱりその部屋の前で止まり、ガチャッと大きな音を立てて部屋のドアが開いた。そこに立っていたのは予想通り、主治医の男性だった。私は彼の顔を見る前に簡単に頭だけ下げ、すぐさま彼の靴に目をやった。
彼は大きな雪用の長靴を履いており、左のズボンは長靴の中に綺麗に入っているが、右側のズボンは長靴の外に出していた。私は“あぁ、急いだんだろうなぁ”と思いながら、初めて彼の顔を見た。私は、仰天してしまった。
彼の髪はグチャグチャに東西南北へと荒れ放題、しかも眼鏡の下の右目が…ない!!
えぇえぇえええぇ??と思い、暗い部屋の中だったので目を凝らしてよく見た。
右目と眼鏡の間に、ティッシュがグチャグチャっとあてられていたのだ。でも、なんで?
ボテンボテン鳴る長靴で、騒々しく入ってきた彼は、眠る患者さんの顔と母親の顔、そして私に一瞥してから堰を切ったように喋り始めた。
“いやぁ、雪だね、雪。外は凄いよ、雪。でもほら、雪を見たいって言ってた彼の言葉通りだね、なんか、不思議だね、いや、ほんと、ね。”
普段から彼の声は、とっても大きいので、今までの静けさが嘘の様にかき乱された。
彼は真剣な表情で、患者さんの冷たくなった手をとりながら、彼の身体を挟んで立っている母親に話し掛ける。ちょっと涙ぐんでいるようでもあるが、しきりに眼鏡の下から右目を触っている。母親が、“大丈夫ですか?”と小声で微笑みながら尋ねると、“あ、これ?いやぁ、目もらいできちゃって、痒いんだよね、ね”私は、まだ死亡確認の終えていない彼の後ろ姿を見ながら、場違いだけど、吹き出しそうになった。というか、彼の登場の仕方自体が色々予想外で、場違いでもあったから、やけに笑えたのだ。不謹慎なのではあるが、よく、葬式の時に笑いが止まらなくなる、あぁ言った状況と同じであった。以前テレビで、誰かコメディアンが話していた。葬式の時に寺の畳の上で正座していたら、前に座っていた人の耳の後ろに大きな毛が生えたほくろがあるのに気が付いた。で、そのまた前の人を見ると、同じ所に黒いでっかいほくろがり、更に横にいた人が偶然にも同じ場所にほくろを持っていた。そのコメディアンは、途端に可笑しくなり、でも笑うに笑えずに必死にこらえた、と言っていた。
場違いな笑いほど、後を引き、苦しいものはない。
その医師は、死亡確認を終えると、おもむろにズボンのポケットに手を突っ込み、何やら必死に取り出そうとしている。でも、手が引っかかって取れないらしく、時間がかかっていた。私は、その場にいても立ってもいられないほど頭の中は可笑しさで一杯だった。天井を見上げ、xxさんも、笑っているんだろうなぁ…と思っていた。患者さんは生前ずっと、この主治医をとても信頼し、主治医も彼との時間をとても大切にしていたのだ。ようやくティッシュを取り出した彼は、母親と喋っている途中で、大きな音を立てて鼻をかんだ。“お母さん、この後、大阪に戻るのかな?誰か親戚の人とか、こちらに…へぇ、へぇ、こひらに、へぇ…へぇっくしょん!こちらにみえる方、あるんですか?”私の笑いのつぼ、全部が埋まってしまった!もう駄目だ!大急ぎで部屋の外に出て、詰め所へ飛んで帰り、ヒィヒイ泣きながら同僚に、今見たことを喋った。同僚もヒイヒイ笑い、泣き止んだ頃に医師がボテン ボテンと長靴鳴らして詰め所に入って来た。まだ彼の姿を見ていなかった同僚は、その姿を見るなり、“ご苦労様です、ぶっ”と言って、トイレに駆ける行った。“先生、大丈夫ですか?”私が尋ねると、“うん、もう目もらいは痒いし、子供の風邪うつってクシャミは出るし、えーっとじゃぁ、死亡診断書!”
普段からいつも、忙(せわ)しなくしている彼だが、今夜に限って、雪は降るは、風邪はひくは、目もらいはできるはで、踏んだり蹴ったりだったに違いない。
悲しいだけの臨終とは違う穏やかで微笑むことのできる臨終、そして、その医師らしい笑いもあった臨終。こんなお別れも、案外あってもいいかな?と思った。
いつもこの出来事は、笑いの中で思い出す。
涙1つ見せずに微笑んで見送った母親と、雪の中必死にやって来た医師のこと、そして、雪の舞い降りる空へと、旅立って行った彼、皆の心に、この夜のことは深く残っているに違いない。
# by yayoitt | 2005-01-07 20:40 | 看護婦時代 | Comments(0)
すっとこナースの思い出 5 昇天
看護婦時代は、患者さんの臨終に、沢山立ち会ってきた。
患者さんがお亡くなりになった時、私は、必ずすることがあった。
医師が、“何時何分ご臨終です”と言った瞬間、それまで家族や医師と見つめていた患者さんの身体から目を離して、天を見上げることだった。あるテレビ番組で、臨終体験者(一度心臓が止まり、甦生して戻ってきた人の体験話を取り上げたもので、何人もの老若男女が体験談を話していたが、彼らの話の中には共通点があった。魂が身体を離れた瞬間に、自分の身体を天井から見下ろしていた、というのである。だから、私は皆がうつむいている中、気が付かれない様にそっと天井を見上げて、その患者さんが“あれ?この看護婦さん、僕がここにいるの、見えるのかな?”と思わないかな?と考えたのだ。だから今でも、ヴォランティアしていた動物病院でハムスターが安楽死した時も、天井に向かって小声で話し掛けたりした。
人の命の最期、臨終、特にこの季節に思い出す、ある美しい死との出会いを忘れない。

それは飛騨高山の真冬、静かな夜のことだった。

私は内科病棟の準夜勤(夕方4時半から夜中1時)で、それは特に静かな夜だった。
私の受け持ちの患者さんで、今夜くらいが危ないかも、と言われていたターミナル(終末期)の患者さんが個室にいた。彼は関西の人で、癌の終末期だと宣告を受けると、自分で高山にやって来た。“最期は、雪の降るのを見ながら死にたい”との希望であったことは、付き添いの年老いた母親から聞いていた。彼は、無口で一度も取り乱すこともなく、毎日静かに笑ったりお喋りをしていた。彼の強い希望で、痛みを取り除く手助け以外の治療は一切しなかった。高山に、まだ雪は降っていなかった。身体に取り付けられた機械が、詰め所のモニター上に彼の心拍数や適宜計る血圧を表示していたが、零時近くに、突然、その心拍数の音がゆっくりになり、すぐに以上を知らせるアラームが鳴り出し、私は、走って廊下は一番奥にある個室の彼の部屋へ行った。彼は静かな顔で眠っており、母親は側に立ち手を握っていたが、私が部屋に入って行くと呟いくように私に言った。“今、行きよるねぇ”部屋をソーっと抜け、また走って詰め所に帰り、すぐに主治医に連絡を取る。自然な死を助ける、という了解だったので、特に主治医が来てから救命処置などは一切しないが死亡確認の時には何時でもいいから呼んで欲しいと、主治医から言われていたので、休んでいる自宅へ電話をした。電話に出た医師は、短く“じゃぁ、今から急いで行くから”と言って受話器を置いた。私が電話で話をしている間に、詰め所のモニターは、フラットになっていた。私は、彼と母親が待つ部屋に静かに戻り、立ったまま手を握って微かに微笑む母親を見ていた。数分が経ち、小さな皺だらけの母親が、息子の手を握ったまま言った。“雪が降って来たなぁ”驚いてカーテンが開いたまんまの窓を見ると、暗い空からほのかに白い大きな綿が激しく降りていた。私は驚いて、“xxさんが、ずーっと言ってみえたことが、叶いましたね”と言うと彼女は、ホッとしたように微笑みながら何回もうなづいた。私はやっぱり天井を見上げて、メガネを手で押さえ、痩せて細い顎を尖(とが)らせて笑うxxさんが“雪や、雪や、もっと降れ、もーっと降れ”と叫びながら浮かんでいる姿を見たような気がしていた。“最期は雪を見ながら逝きたいって、言ってたから”母親の握る彼の手は、しばらく温かかったに違いない。母親は涙1つ見せなかった、むしろホッとした、そして満足して嬉しそうでもある表情が今でも私は忘れることが出来ない。高山に来るまでに、考えられないほどの苦しみ、葛藤、悲しみを息子と2人で経験してきたのだろう。ようやく乗り越えて、2人だけで、友人も知人もいない、生まれ育った自宅から遠く離れこの田舎街へ、死を迎える為だけにやって来た親子…
電気をおとした薄暗い部屋の白い壁には、窓から映る雪の模様が、走馬灯のように駆け回っていた。そして、静かな静かな時間が過ぎて行った。

        続く
# by yayoitt | 2005-01-06 03:28 | 看護婦時代 | Comments(0)
すっとこナースの思い出 4
小児科病棟でのお笑い出来事は、ありすぎて全てを覚えていないが、印象的なことは今でもありありと思い出す。ある深夜の勤務中のことだった。
小児科側の詰め所で私は1人、患児達のカルテ記録をしていた。開け放してあるドアを誰かがノックしたので見ると、大部屋の短期入院の子供のお母さんだった。小さな子供の入院時、お母さんや保護者の方が希望されれば一緒に泊まって頂いていたのだ。お母さんは、眠そうな目だけれど何かいぶかしげに私に話した。“看護婦さん、隣の部屋から誰かがずっと叫んでるよ。なんか、なんとかじゃぁ、なんとかじゃぁ、って”?なんとかじゃぁ?寝言かなぁ?寝言にしても古典的な寝言だなぁ?私は、“なんとかじゃぁ”という言葉が気味悪く感じて、彼女に部屋に戻るように伝えてその隣の病室へと懐中電灯1つで向かった。隣の病室とは、養護学校に通う男の子達が6人寝ている部屋だったが、部屋に入る前から、何か物音が聞こえる、そして、聞こえた!なんとかじゃぁって言ってる!こりゃ一体、なんなんじゃぁ?怖さと戦いながら、部屋に入ると、その音の正体はすぐに私にはわかった。窓側のベッドで眠っている太った男の子の机の上、目覚まし時計だった。目覚まし時計は、何故こんな夜中にセットされたのかはわからないが、“なんとかじゃぁ”のなぞも解けた。この目覚ましは、日本のお城と侍達を形とったもので、初めて聞く目覚ましの音はこうであった。
まず“ほら貝”を吹く音♪ファアァァン、ファアァァン♪それに次いで、沢山の侍の声、そして“出陣じゃぁ、出陣じゃぁ ファアァァン、 ファアァァン”と繰り返すのだ。
「信玄くん」とか言う目覚ましで、大河ドラマ「武田信玄」がブームになった時に発売されたらしい。私は、6人の子供達が仰天するような寝相で寝ているのを見ながらも、この出来事が可笑しくて真っ暗な部屋の中、1人で声を殺して笑いながら、何とかその目覚ましを止めた。
隣の部屋で、まさか“出陣じゃぁ、出陣じゃぁ”と馬に乗った侍が闊歩していたとは知る余地もないそのお母さんには翌日、“あれから静かになりましたが、お母さん眠れました?”とだけ尋ねておいた。それにしても、人騒がせな目覚まし時計だった。
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# by yayoitt | 2005-01-05 03:24 | 看護婦時代 | Comments(0)