恋の話 冬のアパート 汽笛
真夜中によく、耳を澄ました。
この世に、何も音のない世界があるのかどうか、試すように、じっと耳を澄ました。
規則的な呼吸の音以外は、辺りは静まり返っていた。
積もった雪が、その建物を覆った雪が、その厚さだけ音を吸収してしまう。
しんしん、と降ちる雪の音は聞こえるのに、周りの家から響く物音や車の音は消えていた。
裏庭に続く大きな窓があった。
いつもカーテンが引かれたままで、冬の間は一度も開けなかった。
飛騨の冬は、長くて深い。
真夜中に目を覚ますと、泣けてきた。
自分の乱れる呼吸を外から聞きながら、空間に浮かんでみた。
窓を開け放ち、ゆっくりと身体を伸ばして浮かんでみると、昨日降った雪と今日降った雪の間から小さな風が吹き込んでいるのがわかった。
いつか訪れる春の気配はそこにはなかった。
1人で、息を殺し、彼に気が付かれない様に浮遊する。
その瞬間、遠くから聞こえてきた、汽笛の音。
寂しそうに細く長く響いた。
静寂の空間をはっきりと、2つに切り取りながら心に響いた。
その交わらないレールの上を、軋む音が続いた。
それを聞きながら、地上に戻ってくると、色々な思いが溢れ出してまた、泣いた。
それは2人の象徴、未来と現在。
固い冷たいレールは、同じ距離を保ったままどこまでも続く。
夏になる頃、そのレールの先にある大きな街へと帰って行ってしまうひと。
どこまでも決して交わらない。
過去ばかりが増えて、現在は流れ去り、未来は無かった。
それから毎晩、汽笛を聞いた。
汽笛と共に、カタコン、カタコン、と揺れながら問いかける軋みからは、逃げも隠れも出来ずに
ただ、打ちのめされて佇(たたず)んでいた。
# by yayoitt | 2005-02-22 02:32 | 穂高の恋人達 | Comments(0)
恋の話 冬のアパート 海底
その人に出会ったのは、1月の初め、高山にはいつもの通り、雪がどっしり降り積もっていた。新年宴会の帰り道、私は同じアパートに住む同僚と、気持ち良く歌いながら、転勤してきたばかりの彼を案内して、同僚の彼女の行き付けの洋風居酒屋へ行った。そして外の空気がすっかり凍る頃、帰りの途に付いた。私達のアパートと、彼のアパートとは同じ方角にあって、仕事場からは一直線の道でつながっていた。同僚はとってもお酒が好きで、毎晩でも酒盛りが出来る人だった。彼女と肩を組みながら、ポケットに手を突っ込んで歩く彼を横目に見ながら歩いた。私達のアパートの方が手前にあり、アパートに着いた時同僚が、“xxxのアパートへ行こう”と言い出した。3人ともほろ酔い気分のままなので、ここでサヨナラして帰るのも惜しくなり、彼のアパートへ深夜の訪問をすることとなったのだ。アパートと言っても4部屋しかなく、彼の先任の人がそこを借り、その先任の人も前の人から受け継いでいた。引っ越して間もないから、余り何もなく寒々しているのか、戸を開けた瞬間に冷気が外から中に入り込み、
風景が凍ってしまったのかどうかはっきりしないが、それは確かに、凍み付いていた。
鍵を開けるのに時間のかかっている彼の背中を見ながら、これから何回もここを訪れるだろう…と思った。彼は、とても幸せそうに、その寒い玄関へと入って行った。玄関で靴を脱ぐと、あがりたてに白い何かが浮遊して見えた。電気を点けるまでわからなかったが、それは、まぁるく空気を含んで転がっているスーパーのナイロン袋だった。それはたった一つではなく、多分4つはあったと思う。みな、膨らんでいるのだ。彼はそれを足で蹴り散らしながら暗い部屋の奥へと進んで行った。同僚はいつも黒くてでっかいブーツを履いていたので、それを脱ぐのにてこずっていた。彼女の後ろで私は立ち止まったまま、その浮遊する白い影と彼の後姿を見続けた。玄関を閉じると、空気の通路が閉ざされ、まるで海の底にいるようだった。白く佇(たたず)むそれは、息を凝らした珊瑚のようで、いつまでも蹴られて散ったままだった。彼が奥の部屋の電気を灯すと、急に海面へ引き上げられて、しばらく忘れていた、深呼吸をした。
# by yayoitt | 2005-02-21 04:37 | 穂高の恋人達 | Comments(1)
TO LET 公衆トイレ
私が、こちらに来たばかりの頃、約6年前の話。
街の至る所に、看板で“TO LET”とあり、その時、これが何のサインなのかわからなかった。初めてこのサインを見た時は、TOILET(トイレ)の、Iが抜けているものだとばかり思っていた。だが、それからも、色々な建物の前で、同じくIの抜けたトイレのサインを見つけ、これはきっと誰かのいたずらに違いない、と思っていた。それにしても、公衆トイレは無数にある…
しかも、どう見ても、普通のアパートや家にしか見えない。何なのだろう??と不思議に思っていた。実は、この TO LET は、貸し出し(部屋、家)のことだったのだ。
LET は、英語の動詞で、貸す、という意味があることを私は知らなかったのだ。
ちょっと紛らわしいのだが、他にも 貸す という意味の英語の動詞がある。
LEND(レンド)で、これの過去形は LENT(レント)。
だが、いわゆるレンタルビデオなどに使われるレンタルは、RENTなのだ。
FOR RENT というと、貸家あり、という意味になる。
車を借りるのも、この RENT A CAR である。
名詞で RENT を使うと、家賃、部屋代、という意味がある。
とても困惑してしまいがちな、借り物 英語という訳だ。英国に旅行に来て、もしもトイレに行きたくなっても、くれぐれも TO LET のサインのあるドアを叩かないように。きっと優しい英国人がトイレを貸してくれるかもしれないが…。
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# by yayoitt | 2005-02-20 01:56 | English | Comments(0)
やっこのファッションチェック
既に“爆発的”とは言わないものの、それなりに慕われているネックレス。
貝のネックレス。
私は、これがこの夏、大流行すると、見ている。貝のネックレスといっても色々であるが、特に、大きな貝がドンと中央にある物、これが素敵で、夏には10代の女の子までが身に付けるような気がするのだ。確かに、既に幾つか店では取り扱っているが、それほど定着はしていない。夏らしい夏のない、ここスコットランドで、せめて常夏気分を身に付ける物で味わおうではないか、そこで、貝を使ったこれが、重宝されると思うのだ。今まで、実際に身に付けている人を見たことが無いわけでもないが、ごくわずかである。数年前に、大きな何かを使ったネックレスが流行した。その時、確かブリトニースペアーズが身に付けていた。だが、流行までには至らなかった。私は、今年の夏、ここの来ると信じている。それとも、すっかりもう流行遅れ、なのかもしれない?
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# by yayoitt | 2005-02-19 04:12 | やっこのファッション | Comments(0)
故郷の思い出 赤かぶら漬け

私の故郷、飛騨で食べる赤かぶら漬けは、抜群だ。寒い冬に向けて、おばあちゃん達(若い人は余り作らないので、今ではおばあちゃんばかり)が、10月下旬に収穫したかぶを、冷たい凍るような水に手をさらして洗う。かぶ全体が鮮やかな紅に染まると同時に、発酵によって独特な香りや酸味が出る。最近では、酢漬けなども人気があるが、昔ながらの飛騨のかぶら漬けは、塩である。この赤かぶらは、出来上がりの色にも大変こだわる。そう、鮮やかな赤であればあるほど、上出来、とされるのだ。かぶ表面の天然色素(アントシアン系色素)が漬け液全体に広がるため、赤ワインの様に赤くなるのである。が、ここに不思議な事実がある。ある人の手で漬けられたかぶは、赤みが薄く、他の人の手で漬けられると、鮮やかな赤になったりする。そう、その人の掌によって、色も違ってくるらしいのだ。近所で赤カブを色鮮やかに漬けることの出来る女性がいるとする。でも、毎年何度もんでみても、どうしても綺麗な赤カブが漬けられない、と悩む女性もいる。そんな時、この“赤カブおばさん”の家に走り、お願いをする。“なぁ、おばちゃん、ちょっとおばちゃんの手ぇ、貸してくれん?”おばちゃんはもちろん、大喜びで手を貸す。そう、文字通り、手(掌)を貸すのだ。樽の中に入ったカブラに、おばちゃんが手を入れてもんでくれる。数回にわたり、おばちゃんの手によって揉まれたカブラは、見事な朱色となるのだ。私が実際に知っている、赤カブおばちゃんは1人だけだ。そのおばあさんは、近所の奥さん達から呼ばれては、樽に手を突っ込む。そうすると、その冬の漬物は美しく赤い物となるのだ。この“赤カブおばちゃん”達の手の、温度なのか、何かよくわからないが、多分、化学反応を起こすのかな??などと、化け学ど音痴の私は、思うのだ。
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# by yayoitt | 2005-02-18 18:40 | 遠くにて思う日本 | Comments(0)
日本にいる皆様への呼びかけ
ビーグルつながりのお友達、チャーリーママから掲示板へのお願いがありました。

詳しくは花姐さんのサイトの里親募集を参照してください。

http://www.geocities.jp/chibea_hana/maigo.html

迷子になったビーグル犬、保護された方が里親さんを探しています。

もしも、これをたまたま目にした方で、是非里親になっても良いと思ってみえる方、

または誰かビーグル犬を飼いたいと思っている方を知っているという方、

また、最近、愛知県内で飼っていたビーグルがいなくなった、という方、

あるいは、サイトをお持ちの方で、サイトで呼びかけをして下さるという方、

どうか、上のサイトに情報がありますので読んでみて下さい。

コンピューター社会の世の中、こうして、全国の1人でも多くの人に、こういう話が読まれて、

その中から、誰かが現れ、そして、動物達の大切な命が救われますことを、心から祈っています。

もう、自然破壊や動物の命をむやみに人間の都合で傷めてしまう時代は、一人一人の力で変えて行きたい。

これからは、共同で地球をシェアーできる時代へと、ゆっくりではあるけれど、

努力して、そんな素敵な地球へ一緒に導きたい。

ここまで、読んでくださり、本当にありがとうございました。
# by yayoitt | 2005-02-17 06:25 | 愛する動物のこと | Comments(1)
MICHAEL’S BIRTHDAY ♪
今日は、マイケルの30うん回目の誕生日です。彼と私は、11ヶ月違いで、そう、私は姉様なのです。だから、今日から約1ヶ月は、彼と私は同じ年、ちょっと私としては優越感なのです。
夕方、家に帰った私が、最初に彼に言った言葉…

“ハッピーバースデー、おじさん”

彼は、“おじさん??”と大声で聞き返しました。そう、彼はこの言葉の意味を知っています。
そして、笑いながらも真剣に

“もし、次に僕のことをおじさんと呼んだら、僕はやっこのことを STINKING BREATH と呼ぶから”

STINKING BREATH というのは、“臭い息”という意味であります。私は、えぇぇぇ??私の息って臭いのぉ?と真剣に聞き返しましたが、どうやら彼の仕返しだったみたいです。
彼は、両親や姉、叔母さん、私とノーマン、そして友人からもらったカードを開けました。そのカードの殆どは、犬関係の写真や絵でした。そして、ここに来てから(2人だけでは)初めての外食に出掛けました。この外食は、前から約束していたもので、色々なお祝いを含めたもの。
2人の7年目の結婚アニヴァーサリー(1月)、私の就職お祝い、彼の誕生日、です。ところが、ここにもう一つ、嬉しい知らせがメールで彼の元に届いたのです。外食に出掛ける前に、彼がメールをチェックしたところ、先週受けた新しい仕事の面接、その依頼が来ていたのです!!仕事は、彼が今までやって来た、外国人への英語学校での仕事ではあるのですが、
メインの仕事は、そういう英語の先生を教える先生、という仕事なのです。
彼も、数年前に、そういう先生に学び、それからずっと、自分もこの仕事をやりたい、と思っていたのです。もちろん、最初の数週間はみっちりとその勉強とトレーニングですが、それも仕事のうちに含まれます。新しい仕事はパーマネント(正職員)だし、彼が興味のあることなので、初めての彼の職業変えではあるけれど、不安よりは、興奮の方が強いらしく、とっても嬉しそうです。これが、彼にとっての一番の誕生日プレゼントとなったみたい。両親や姉からもプレゼントをもらい、また、私からは、新しいゴルフバッグを一緒に買いに土曜日出掛ける予定。
一緒に行ったイタリアンレストランは、とってもローカルなお店で、気軽に入れて、とても美味しかったぁ。私も彼もピザを頼み、サラダとチップスも頼んで、おなか一杯にも関わらず、ティラミスにカフェラテで締めくくりました。帰って来たら、おなか一杯でとても気分が悪かったのは、ちょっと自業自得。でも、本当にいい日は、そうは沢山はないから、気分が悪くなるくらい食べたっていいじゃぁないか、ということ。でも、おなか一杯で眠ったら、とっても怖い夢を見る羽目になったのも、これまた自業自得…。

マイケル、誕生日おめでとう、おじさん!!
# by yayoitt | 2005-02-16 06:22 | 国際結婚って... | Comments(0)
中学校の思い出 古田君
古田君は小さかった。
クラスで、女の子よりもっと小さかった。
小さい丸い顔を、いつもくしゃくしゃにして笑った。
古田君は弱かった。
だからいつも誰かの使いっぱしりで、いわゆる“ぱしり”と呼ばれていた。
でも、皆、古田君を好きだった。
とってもお人好しで、いつも泣くように笑う古田君を見てると、
何故か苛めたいのに、同時に頭を撫でてしまいたくなるのだ。
古田君は、一度私の隣の席になった。
私は、よく古田君に色々、話し掛けていた。
ある授業中、古田君が私の横で、目を半開きにして“へぇ~、へぇ~”と、
くしゃみをしそうになったので、私がすかさず半開きの目をした古田君に言った。
“なぁ、古田、出来る限り大きい声出してくしゃみして!”
すると、古田君…
ちゃんと私の言うとおり、“へえぇぇぇ~!”と大声を出した。
ところが、余り大声を出したから、結局くしゃみの勢いが大声で萎えてしまい、
“くしょん”まで出なかったのだ。
だから、授業中の静かなクラスに響き渡ったのは、
古田君の“へえぇぇぇぇ~!”だけだった。
思わぬ出来事に、目が点になったのは、私だけではなく、
クラス全体と先生、そして本人までが大きな目をしてパチクリしていたのだ。
その一瞬の静けさと言ったら…
もちろんその後は、大爆笑となったが、何故、古田君が
あの時授業中にあんな“へえぇぇぇぇ~!”という
まるで万屋(よろずや)がお代官様の前で頭を下げる時の様な声を出したかは
正直言って、私と古田君しか知らない。
30歳を過ぎてから、古田君に会ったけど、やっぱり小さくって、ニコニコ笑いながら
いつも舌打ちして“もぉ~、もぉ~”と困ったように首を傾げて喋っていた。
それが古田君の癖なのだ。
彼はまじめに仕事をし、車で1時間もかけて職場に通い、
“嫁さん、欲しい”と泣くように笑っていた。
# by yayoitt | 2005-02-15 03:22 | 思い出 | Comments(3)
ヴァレンタインデー と 母
2月14日、今日はヴァレンタインデーだ。こちらでは、男性が女性にバラの花を贈ったり、お互いにカードを贈ったりする。それでも、ヴァレンタインデーを、やっぱりマーケティングとしか見ていない人が多いので、そんなには大きなイヴェントではない。それでも、マイケルは私に、卵型チョコレートを1個買って来てくれ、“ハッピーヴァレンタイン!”と言って私にくれた。
食べようと思ったら、彼もちゃんとポケットから出して自分のを食べていたので、多分、仕事の帰り道にチョコが食べたくて買ったところで、“お、やっこにも”という具合なのだろう。でも、そんな風にしてでも、そこで私を思い出してくれたことに、うれじいぃ!と、感じたい。ところで、今日は、私の母親の誕生日でもあるのだ。ヴァレンタインデーが、彼女の誕生日。なんだか、愛が一杯溢れた、いい日だ。私が子供の頃は、小遣いの中から、母の誕生日プレゼントに、やっぱりチョコレートをよく買って渡していた。でも、小太りの丸々したかわいい母親が、実はチョコレート嫌いと知ってから、今まで頑固にチョコレートを誕生日に押し付けていた自分を恥じたものだ。母は、詩を書いたり、文章を書くことがとても好きで上手な人なので、翌年からは、彼女が毎日の様に広げて使う、400字詰めの原稿用紙を贈ることにした。今年は、前日の夜、日本のちょうど朝7時半頃に電話をした。電話に出た母は、私が何を言うよりも先に、“おぉ、誕生日のお祝いの電話を有難う”と言った。だから、私も、“うん、誕生日、おめでとう”と言った。前日に隣町の飛騨高山に行って、父とホテルで食事をした、と楽しそうに話してくれて嬉しかった。物より何も、彼女が、楽しい時を過ごした、と聞けるのが一番ほっとする。父も、電話でやはりその昼食の話をしてくれた。楽しそうで、幸せそうだった。2人が、ニコニコ笑って、電話の前を行き来する姿を想像する。2月の半ば、飛騨には雪が降り積もる。その雪の下で、静かに暮らし続ける、私の両親を愛しいと思った。この楽しい、と笑う笑顔が、毎日でもどこかで花開いていて欲しいと、遠くにいながら願う。

かあちゃん、誕生日、おめでとう。

一緒に過ごしてくれる パパ、ありがとう。
# by yayoitt | 2005-02-14 04:15 | 遠くにて思う日本 | Comments(0)
中学校の思い出 受験戦争
小学校での苛められっ子を克服し、その反動で中学校での私は、炸裂していた。小学校で覚えた、ピエロの様に可笑しな顔や可笑しな動作が人を惹き付けることを学んだ私は、そう、セーラー服を着た、ずいぶんぽっちゃりの道化、であった。女の子達とも男の子達とも、皆が仲の良かった活発なクラスで、とにかく楽しい3年間だった。クラス替えは、1年生の終了に一度だけで、2.3年と同じクラスであったから、2年間毎日同じ顔を付きあわせていると、兄弟のように仲良くなった。冬には、校庭にずっしりと深く雪が積もるので、セーラー服のスカートを脱ぎ、下に履いていたトレパンに、上はセーラーのままという、実に田舎くさい、ださい格好になって、男子に付いて雪合戦をしていた。20分間の雪合戦が終わって、汗をかきながら教室に戻ってくると、5時間目の授業が始まってもクラスの数人の頭や身体からは、ストーブの火で乾き始めて湯気が立ち上るのだった。3年生の受験間際にも、私は、男の子数人に付いて外へ遊びに出掛けたのであるが、ある昼休みの次の5時間目、クラスの担任による数学の授業の時に、ひどく怒られた。例の如く、頭から湯気を出す生徒を前にして、受験生の自覚がない!と叱られたのだ。怒ると口から泡を吐くので恐ろしいその先生は、誰が外で遊んでいたのか、と聞いた時に、ふと私達を見回し、その確認の必要が無かったらしく、名前が呼ばれ、私もその中に入っていた。そう、皆、ずぶぬれで半渇き、湯気が立っていたからである。
この授業は実に怖かった。私は、立たされた中で、殆どが男子生徒だった中のごくわずかな女子だったのだ。真っ赤になりながら、周りで乾いて綺麗な顔のままの女生徒の友人達を見れなかった。その翌日から、私達は、クラス中で受験ムードを作り上げた。休み時間は、ノートや暗記帳を片手に、勉強した。それでもやっぱり遊びたい私達は、アップダウンクイズと称して、幾つものグループになり、質問を出す人、それに答える人、となって問題を出し合った。
正解するごとに、文字通りアップするから、最初は床に座り、次は椅子の上、そして机に座り、最後は机の上に立ってまで架空のボタンを“ピンポーン♪”と押し続ける。間違うと、反対にダウンだから、床に寝転びながらボタンを押した。教室に顔を出した担任の先生も、床に寝転んでぎゃぁぎゃぁ叫んで受験勉強をし合う姿の方が、頭から湯気を出して遊ぶ姿より、気に入ったらしく、微笑んで喜んでくれた。それぞれが思う高校へと、また、数人は挫折しながらも最後には留まる道へと進み、みんなが、ばらばらになった。この中学校2年間のクラスで過ごした1日1日は、今振り返っても、尊い時間だったと思う。あれから、一度も私は、その同窓会などに参加できてはいないけれど、どうしてももう一度会いたい人達ばかりだ。
# by yayoitt | 2005-02-13 05:04 | 思い出 | Comments(0)
動物病院ヴォランティア最後の日
昨日、金曜日は、動物病院でのヴォランティア、一応区切りをつけての最後の日となった。
それでも、来月頭にはノーマンの避妊の手術があるし、クリスマス会(去年のクリスマス会が延び延びになっている)もあるから、皆には会える訳だけど、ヴォランティアとしては、終了とさせて頂いた。週に数回だけ、最近は週一回と気まぐれにやって来たようなヴォランティアだが、延べ6ヶ月も経った。そこに働くスタッフとも、親しくなり、かなり居心地がよくなって来たところだった。そこで飼われているスタッフィッシャーブルテリアのサフィーとも、ウンチやオシッコに連れて歩いている間に仲良くなった。耳の聞こえない彼女は、興奮すると、ケネルの彼女専用寝床で異様な大声を出すのだが、それにも、すっかり聞きなれたという感じだった。
朝は、掃き掃除とモップがけが私の日課となり、10時半頃からのコーヒータイムでは先生の、コーヒー2杯、砂糖2杯、それにミルクという濃いコーヒーを作り、皆でチョコレート菓子を食べながらお話し、11時頃から手術室に入り込み、2時過ぎにようやく昼ご飯を食べる、そんな日課に慣れてしまった。また、機会があったら戻りたいと思う。沢山の犬や猫、そして時には猫につかまってショック状態の鳥や、ハムスターに出会い、その中の幾つかの命は、泣きながら見守る主人の手の中で尽きて行った。袋に入ったその亡骸は、すぐに冷たく固くなって、持ち上げるとずっしり石のように重かった。いつか、この動物達を、私は守る形で生きて行けるようになりたいと思う。動物病院の看護婦には、なりたくはない、なれない、と感じた。やはり、弱い立場に居る、野生動物やペット達を守りたい、これが私の目指す道だと、しみじみ思った。これから一年間のオフィスの仕事をしながら、自分が目指す道を確定していきたい。
最後に、いつの間に用意してくれたのか、看護婦の1人、アンジェラ(私と同じ年で、看護婦の中では最年少)が私にカードを手渡してくれた、新しい仕事おめでとう!のカードだった。カードには、その日働いていた皆の名前が寄せ書きしてあった。看護婦みんなにお礼を言い、先生と握手をしてお礼を言った。その間も、自分のペットを心配する主人からの電話がジャンジャンと、後ろで鳴っていた。
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サフィーが、首をかしげて見つめていた。

***写真は、先日、スタッフの1人で、キャバリアのブリーダーであるリンジーの家に、皆でイブに生まれた子犬を見に行ったときの写真
# by yayoitt | 2005-02-12 06:17 | 動物病院での出来事、仕事 | Comments(2)
故郷の思い出 氷点下の森
飛騨高山の隣、3大霊山は御嶽山の麓、あぁ野麦峠の入り口
その村の名前は、朝日村である。その村の一角、山の中、秋神温泉という小さな温泉がある。
その山の一軒の宿「秋神温泉旅館」が、昭和46年から氷点下10度の冬の自然を利用し、始めた冬の風物詩が、氷点下の森 である。看護学生で高山市内の寮生活をしている頃、毎年冬になると、この氷点下の森を見に行っていた。冬の間、氷が凍っている間はいつでも自由に見に行ける。車でグネグネ道を1時間近くかかって辿り着くのだが、運転してくれるのが彼氏であったから私は楽でいい気なもの、隣でテープを聴きながら大声で歌ったり、空中に飴を投げては口に入ると歓声を挙げたりしていた。そう、彼女といっても、子供とそうは変わりは無かった。氷点下の森は、車が通る道筋に設けられている。両側を林で覆われたその一体を、冬になると枯れて凍てついた木々にめがけて放水し、何日もかけて、巨大な氷の林を作るのである。日中は青白い冬の精のように、夜にはライトアップで浮かび上がる色鮮やかなテーマパークのようである。人のいない時に訪れる方が、絶対にロマンチックで素敵なはずではあるが、その頃、人込みが大好きで、お祭りごとに、居ても立ってもいられなかった私は、一冬一度ある、氷点下の森祭り の夜に向けて出掛けていったのだった。その夜は、村の人達が屋台で甘酒を売ったり、五平餅やうどん、照り焼きなど温かな食べ物を売ったり、音楽もあったりして、また、夜も更けると11時頃に、ライトアップされた凍った林の後ろから花火も上がってとにかく盛大だった。花火を見て氷のトンネルをくぐり、大満足で帰る暖かな車の中では、私は遊び疲れ、ひどい睡魔と闘いながらしまいには黙りこくり、首をどんどん垂らしてしまうのだった。それでも高山に着くまで、静かに運転してくれた彼は、とても優しい人でした。涎(よだれ)まで垂らして枯れ木のようにダランとシートにぶら下がる私…お別れの後、友人と出掛けた氷点下の森祭りで、一度だけ彼を見かけた。
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いい思い出、忘れてもいい優しい思い出だ。

** こちらのページに沢山写真があります。**

http://hyotenkanomori.com/index.htm
# by yayoitt | 2005-02-11 19:19 | 思い出 | Comments(0)
小学校時代の思い出 医者の息子
私の故郷の小さな町には、入院施設のある病院と呼べるものが2つある。その一つは、クリニックという、カタカナを使っていたから、その時分なんとも新しい先端を行く、といったイメージがあった。小学校6年生の時に、肺炎になって、このクリニックへ入院したことがある。
4月の初めで、ちょうど修学旅行と重なり、私は残念ながら修学旅行へ行けなかった。修学旅行へは、名古屋の飛行場を見るのがメインで、今思うと、なんてちっぽけな旅行だろうと思うが、その頃の私にとっては、たった一泊二日の旅行でも、人生の大きな舞台の板を踏み外した、様な気持ちでいた。入院期間は、結局、1ヶ月にも及んだ。最初、入院の時には、部屋が満床で空いておらず、医院長が隣接する自分の家の一部屋を貸してくれたのでそこでずっと寝ていた。看護婦さんは、そこまでなかなか足を延ばせないので、医院長の奥さんという人が代わりに点滴や検温をしてくれた。この綺麗な綺麗な奥さんは、もと看護婦さんだったのだ。
彼女のまだ幼い子供が、咳き込む私の所に来てはよく遊んでいったが、大丈夫だろうか?伝染らないか?と、子供ながらに心配だった。母も、日中はこの客室で、私と一緒にいてくれたので、病人なのに余り気を使う必要が無くて楽だった。この医院の長男というのが、私の同級生であった。彼の母親は、この綺麗な元看護婦さんの、前の医院長の奥さんであった。学校での彼の存在は、とっても浮いていたと記憶する。田舎の学校の中で、他のいなかっぺの子供達とは明らかに育ちの違う、といった風の、お坊ちゃんであった。背が高く黒い髪は長くてサラサラ、周りのイガグリ坊主とは、見た目が全然違っていた。修学旅行が終わって、仲の良いクラスメートが、入院中の私を見舞ってくれた時に、彼の話が出てきた。話を聞くと何やら、宿泊先の夕食時間に、彼がもめたそうである。彼は、夕食に出された衣も肉も薄っぺらのトンカツを見て、皿を床に散らして、“こんな物が食べれるかぁ!”と叫んだらしい。多少、眉唾(まゆつば)ではあると思うが、彼なら出来る、やれる、と私は思って聞いていた。そして、自らお金を出して何か違う物を食べたとか、何やらそんな結末だったと思う。こういうことが、多分、日常の中でもあったから、彼は同級生からもてたり、人気があったり、高貴の目で慕われることはなかった。いつも、浮いていた、一人でいた、と記憶する。中学に上がると同時に、彼は都会の中学校へと引っ越して行った。お母さんの住む街へ引っ越したらしかった。それから、ずっと彼の噂は聞かなかったが、ある時、きまぐれな風の便りが届いた。私は、てっきり医者になって、家を継ぐためにいつか帰ってくるだろう、と思っていた。だが、それは無いようで、そのことで父親ともぶつかったとか…。田舎の町で、田舎の子供達と上手く行かずに、いつも違和感を感じていただろう、彼のことは、同級生の間では、まず思い出されることはないが、私の行けなかった修学旅行の話になると、このことだけ、私の思い出の中にはあって、殆ど記憶にはない彼のことを思い出すのだ。
# by yayoitt | 2005-02-10 00:53 | 思い出 | Comments(0)
温暖化 IN SCOTLAND
今年の冬は、とてもマイルドだ、と言われている。
私も、数年前に味わった3回の冬のことを思うと、“おぉ、ほんと、マイルドだ”と言える。
温暖化、と一言に言っていいのかどうかはわからない。何故かというと、地球温暖化の結果は、スコットランドへは、気温の低下として現れるはずだからである。
北極の氷が解ける=海の温度が下がる=海を渡って陸に上がる気温が下がる
しかし、今年の、ここ最近の温かさは、異常である。異常と言っても、なんせスコットランドであるから、寒風は吹くのだけれど、気温自体が高めなのだ。公園に散歩に行くと、その影響が、人間の肌を通すよりも直接に早く感じている自然を目にする。

1. 桜が咲いている 

咲き出してもう2週間ほどになる。一本や二本ではなく、色んなところで沢山咲いている。

2. 水仙が咲き始めた

2週間ほど前から土の上に出てきたそれは、今は黄色い花を咲かせている。

3. 冬眠することなく、リスが常にいる

こちらのリスは、雪も降らないから冬眠しないのかもしれないが、毎日、その公園にはリスの姿があり、ノーマンが追いかけて困る。

今まで味わった3回の冬は、どれも、数日間の“本当に、さっぶい”朝、があったが、この冬はまだ一日しか味わっていない。私達のフラットは、古いから、特に隙間風も吹いて寒いはずなのに、昼間に暖房を入れたことがない。しかも、私は、とっても寒がりだ。この私が、日中を、暖房無しでなんとかいられるって???
年中寒がりの人のことを、スコティッシュで、COLD TATTIE コールドターィー(Tは発音しない)と呼ぶ。ダンディーのおっとさん、おっかさんからは、私は立派なコールドターィーとして認められているのだ。その私が、温かいと呼ぶ、今年の冬…
故郷の雪深さを、離れてみると、いいなぁなんて思うもの、人間って調子が良い。去年の今頃は、仕事の途中でアイスバーンの坂道で転び、尻を強打しては罵声を放っていたはずなのに…
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# by yayoitt | 2005-02-09 06:00 | スコットランドって... | Comments(0)
再就職 乾杯(チアーズ)♪
来週の月曜日から、再び仕事開始が決まった。
とても嫌な気持ちで、前回の仕事を辞めてから、もう2ヶ月になろうとしている。この2ヶ月は、苦しみと、喜びと、葛藤と、自責と、嫌悪と、様々な思いが入り混じった日々だった。そんな渦巻く気持ちの中でも、私の後ろで沢山の人々が応援してくれた、その喜びは一番大きい。

同じスコットランドに住む友。

同じ英国に住む友。

日本に住む、昔からの友。

日本に住む、顔の知らない友。

日本に住む、会った事はないが今年、ここにやってくる友。

日本に住む、愛する家族。

スコットランドに住む、愛する家族。

そして、マイケルとノーマン。

落ち込んだ時は、きっとわがままで、自分しか見えない、やな女、おばさん(何ですって?)だったかも知れない。たかが仕事のこと、短い人生にはもっと色々な大切なことがある、そう言ってくれるのに耳も傾けられなかった、自己中心だった私を、本当にごめん。取り敢えず、新しい仕事を見つけて、その過去2ヶ月の自分には、区切りが付いた。まずは1年契約、本当にしたい動物の仕事とは全然違うけど、この1年で、もっと具体的な将来の夢、将来の夢への架け橋、何本もあるうちのどれを渡ったらいいか、見出したいと、思っている。

沢山の友よ、ありがとう。

そして、新しいスタートに、まずは、チアーズ♪
# by yayoitt | 2005-02-08 03:31 | 英国暮らしって... | Comments(2)