恋人達の季節 穂高岳 2
本谷橋から、本格的な登山道に入り、涸沢カールまでは急いで歩いても約2時間はかかる。
途中で、のんびりしすぎた私達5人は、ほとんど喋らず、ただひたすら、登り続けた。
登山道は、標高が高くなるにつれ、木々の背が低くなり、登れば登るほど、360度見渡す景色は変わってくる。今まで見えなかった大きな岩肌が、すぐ近くに顔を出し、更に登るとその奥に、また違う稜線が連なる。上高地から涸沢、そして、その日の最終目標地点である穂高山荘までは、実に美しい、興味深い、そして忘れがたい光景が延々と続く。
私は、高校で2年間、登山部に所属してマネージャーをしていた。
マネージャーと言っても、他の部員と共に、夏は合宿に行ったり、冬はスキー場で雪の中テントで泊まったりもし、幾つかの大会にも、登山しがてら部員について行った。
ある夏は、女子部員が全国大会に出場している間、男子部員だけで穂高連峰を縦走する合宿に参加し、顧問の先生2人と20人程の男子生徒に付いて、3泊4日で参加した。
この合宿には、私の父親も2日間だけパーティーに参加し、一番危険な岩場の縦走の時には、父親が私に付いて、歩いてくれた。岐阜県側から槍ヶ岳に登り、そこから、長野と岐阜の間にドッシリ腰を下ろす穂高岳連邦を、中岳、南岳、途中大キレットを通り北穂高岳へ、そして涸沢岳、穂高山荘を通り抜け、奥穂高岳、前穂高岳へと歩いた。この、大キレットというのがとても怖くて、切り立った大きな一枚岩のとんがったてっぺんを、巻くようにして、ほとんど足場がないツルツルした岩肌にしがみついて歩くのだ。しかも、これは稜線上であって、下は断崖絶壁で遮るものは何もなく、落ちたら最後、なのだ。そこを大きなリュックを背負って渡るから、ちょっとの風でも身体が振られたらお終いなのだ。父親と顧問の先生の間に挟まれて、ぽっちゃり顔の高校生の私は、キレット横断中は恐怖の余り何も喋れず、キレットを超えてから、安心感で泣きそうになりながら、父と先生に“あれはお化け屋敷より怖い”
“肝試しもいいとこや!”などといつまでも言っていた。このキレットを、何を思い狂ったか、ある男子生徒が途中で岩から岩へジャンプして、先頭を歩く顧問の先生に、“バカヤロー!”と怒鳴られた時には、20人程のパーティーの最後尾にいた私は、何があったか状況がわからないまま、ただその“バカヤロー”が、幾つも幾つも周りの谷にこだまするのを、冷たい岩にしがみついたまま聞いていた。
バカヤロー、バカヤロー、バカヤロー、バカヤロー…
穂高に登るのは、この時の合宿以来初めてで、しかも、この上高地からの穂高入りは初めてだった。登山道の周りは、ダケカンバ(岳樺)という、落葉高木が岩場から生えている。このダケカンバは、秋には真っ赤に紅葉して、涸沢カールを飾るので有名だ。もう少しで涸沢に違いない、汗をぬぐい顔を上げると、ダケカンバの木々の向こう、何かヒラヒラ揺れている。
涸沢ヒュッテの、鯉のぼりだった。
涸沢ヒュッテ(涸沢カールにある2軒の山小屋の1つ)では、山開きの春からしばらく鯉のぼりを掲げるのだ。勢いよく鯉が、強い風に乗って泳ぐのが、遠くからでもよくわかる。同僚2人と友人の男性2人、ようやく、笑顔が出てきた。よし、あそこまで行って、ちょっと長い休憩をしよう!そして、噂のアイスクリームを食べよう!涸沢までは、その姿が見えてからが、実は時間がかかるのだ。鯉のぼりは、木々の間に消えたり、また現れたりしながら、少しずつ確実に近くなってきていた。両側を低いダケカンバで覆われ、午後の夏の日差しが所々落ちる登山道、その先に見える涸沢カールのヒュッテ、更にその奥には、今日私達が目指す穂高山荘へ続く岩肌を望むことが出来た。私は、登山の登りで、前をなるべく見ないように、下を向いて自分の足元だけを見て歩く癖がある。癖と言うか、この方が、明らかに身体が楽で、ばてないのだ。前を見ていると、“まだあんなにある、急な山道はまだ続く”などと思うし、バランスを崩したり、つまずきやすい。だから、小休憩以外では、歩行中はずっと下を向いて歩いていた。突然、前を歩いていた同僚の足が止まり、“あぁぁ!”と声をあげた。私は、彼女の背中にほとんど鼻をぶつけながら、立ち止まった。“ピーちゃん、どうしたの?”そして、彼女の見つめる前方に目を向けた。木々の間から木漏れ日を受け、目を細めながら微笑む顔が、立ち止まるそこから見える坂道のてっぺんに見えた。緑のシャツは、その背後にある空の青と、万年雪の白、そして、白い岩肌、揺れる真っ赤な鯉のぼりに染まりながら、ゆっくりと、私達の方へと坂を下りてくる。夏の日の、彼だった。
この光景は、一枚の油絵のように、脳裏に、そして心の奥に今も残っている。
周りの木々や葉、彼の肩、微笑む頬や飛ぶ鳥、それが少しずつ動きながら、額の中に入ったまま。私の心の引き出しに、いつも置かれているのだ。彼の緑の山シャツは、私がお別れに渡した物で、それを見つけた瞬間に“きひひひひ”と、聞こえない様に声を出して笑ってしまったくらい嬉しかった。彼は、リュックも何も持たずに山のてっぺんから、私達の到着が遅いことを心配して、わざわざ、山を降りて来てくれたらしい。優しい笑顔にここで、会えた。もう会えないと信じていた人に、この空の下、会えた。2人とも何も話さず、彼が皆に話しかけている間私は、初めて彼に会った時と同じ、目を細めて笑う彼をただ、じっと見つめていた。涸沢にはそれから5分ほどで、到着した。
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# by yayoitt | 2004-12-17 02:48 | 穂高の恋人達 | Comments(0)
靴屋さん、さようなら
スコットランドに6月下旬に到着して、来週でちょうど6ヶ月になる。7月初旬に、旦那が、ある靴屋さんの店頭に置かれた、店員募集の紙のことを教えてくれた。同日のうちにその靴屋さんに行って話しをし、翌日に履歴書を提出し、その週のうちに仕事を始めていたから、比較的、運良くすんなり仕事が見つかって、スコットランド暮らし出発はすんなり進み始めていた。店員という仕事はが初めてで、また、靴にも興味は余りなかった私も、色々な種類の靴のこと、皮のこと、ソールのこと、ゴアテックスのことなど、今では多分、靴を見れば、色々語れるくらいに沢山勉強をした。また、靴屋での仕事を通じて、色々なお客さんと話しをし、同僚やマネージャーと話しをし、腹を抱えて笑うことも一杯あったし、失恋したばかりの同僚に同情して泣きそうになることもあった。動物病院でのヴォランティアとの両立も、ちょっときつかったけど、靴屋の仕事はストレスが全くなく、精神的にとても楽だったので、多少、身体が疲れても、疲労困憊はしなかった。嫌なお客さんや、ちょっとした気にかかる事件はどこにいてもあるもので、その都度、何事もなく過ぎて行っていた。
2週間前に、店のレジから、約£45(9千円くらい)が無くなった。
半端な金額のところが怪しいが、売り上げと、レジに残ったお金が、それくらいだけ合わないのだ。その日に仕事をしていたのは、私ともう一人の同僚で、とても寒い日で、しかもペンキ屋が来て、ドアを開け放したまま、丸一日中塗り立てのペンキを乾かさないといけなく、彼女と2人、隣の店からもらったホカロンの小さい物(中国製)を腰に入れ、マネージャーが電話で“あったかい靴下を一足ずつ使っていい”と言われたので靴下を2枚はき、寒さで座ることも出来ず、2人突っ立ったまま、震えながら仕事をしていた。レジは、2人がそれぞれ鍵を持っているので、どちらも使用することが出来る。その日、店はとても静かで、売り上げは余り無かった。同僚は朝9時半に店を開け、私は、11時から2時半まで彼女と店番をし、彼女が帰ってからは私が独りで5時半の閉店まで店番をした。終了時に、お金を数えると、レジの記録と売上金が合わなかったので、その旨、翌日のマネージャーへのメッセージを添えて帰った。今までも、売上金とレジの記録とが合わないことはよくあったが、翌日に時間をかけて見直すと説明が付いていた。だが、この日の£45ほどの説明は、どうしてもつかなかったらしい。翌日、動物病院から私が帰ってくると、留守番電話のメッセージがあったので、すぐ店に行った。マネージャーの話し、説明、どうよく考えても、おつりを間違ったとかレジを打ち忘れた覚えは同僚と私には無い。??お金はどこへ行ったのだろう??レジの記録からは、私と同僚が売り上げの時にレジを開けた以外の記録は皆無。そうすると、考えられるのは1つだけ…。同僚か私のどちらかが、取ったということだった。その説明を聞きながら、血の気が引く感じを覚えた。疑われている、というショックと、今まで笑顔が絶えずに笑って仕事をしてきた3人の関係が崩れる予感。マネージャーは尋ねる“これをあなた達2人で、どう説明してくれるの?”私と彼女は繰り返す“自分はお金を取っていないし、何か間違えた覚えも無い、だから説明は付けられない”普段の笑顔の消えたマネージャーは、完全に疑っている。2人で、このお金を弁償して欲しい、と言う。自分に非が無いお金を払うことは出来ない、と強く言った。英国の労働基準法では、こういう場合(と言っても、そのケースの細かい違いによって異なるが)店側は、完全に従業員に非があるとわかった場合は、彼らに弁償を要求できる。
が、もしも従業員がそれを断れば、経営者は、その従業員をくびにすることが出来る。でも、その従業員が1年以上働いている場合、法律ではくびになるのを守ってもらうことが出来る。
だから、私がこの弁償金を断ること=“バイバイ”なのだ。その後、店の雰囲気はすっかり変わってしまった。私は、一切レジには触らないので、外回りで動き回るだけ、毎週木曜日の午後は独りで店番していたのも、もう1人の同僚が私の代わりにすることとなった。
ここで ??疑問?? が生まれる。もう1人の同僚も、私と同じ立場なのに、なぜ彼女は1人での店番や、レジをうつことが出来るのに、私は出来ないの?この同僚は、マネージャーの友人で、もう3年もこの店で働いていて、今までこんなトラブルはなかったらしい。
…つまり、私が、1人、疑われているのだ。
この時、海の底まで潜るように落ち込んだ私だが、マイケルや彼の友人、私の日本人の友人が沢山励ましてくれた。自分は何も悪いことをしていない、それを力に、そう、開き直ったのだ。私の靴屋での仕事の情熱はすっかり冷め、ただ時間が過ぎるのだけを待ち、マネージャーや同僚との会話もはずまない。また、私は信頼されていない、疑われている、という思いが常にあったし、私の中では、同僚がお金を取った、という疑いが消えなかった。店の中で、信頼関係が消えてしまった…商売の中で、多分、最悪の出来事の1つである。先週、マネージャーが私に“1週間前の予告”として、店を辞めてくれるように申し出た。理由は、毎年クリスマス以降は数ヶ月、とても店が静かだから。でも私には、営業者側の本当の理由はわかっていた。もう私の心は、決まっていたし、これを聞いて、その日も決まった。くびになる前に、辞めること。昨日、金曜日の夕方、動物病院の帰り道に店に寄った。忙しくて不機嫌そうなマネージャーが汗をかいて働いていた。時間をもらって、一緒にコーヒーを飲んだりチョコをかじった控え室に入り、正直に、思っていることを全部言った。6ヶ月、2週間前まではとても楽しく働き、マネージャーが私の為に色々靴のことをノートに書いて教えてくれたこと、人種差別の言葉を受けて落ち込んだ時に、我がことのように怒ってくれたこと、一杯の感謝の言葉、
そして、2週間前の不幸な出来事、それから何もかも変わってしまい、信頼されない、できない仕事場での不満、これ以上、もう1日たりとも働く気は無いこと、だらか明日の仕事にはもう来ないこと、全部、静かに、でも正直に話した。彼女は、静かに話を聞いてくれ、特に何も反論はせず私の言葉を理解してくれた。最後に“私自身、もうこの店が嫌になった、他の仕事を探そうと思っているくらいだ”と、彼女がちょっと泣きそうになって言ったのには驚いたけど、大好きだった彼女に、最後は微笑んで、でも本当の気持ちを言えて良かった、とてもさっぱりした。もう数日の仕事を残し、自分から辞めると言うことが、私が今出来る反抗の態度だったので、それが出来てよかった。一杯の感謝の気持ちと、溢れる不満、それを伝えて仕事を終わった私は現在、失業中。
でも、これで心からのメリークリスマスは、迎えられる。
2005年、さぁ、やっこの年は、一体どんな年になるのやら?
# by yayoitt | 2004-12-17 02:45 | 英国暮らしって... | Comments(0)
恋人達の季節 穂高岳
優しい笑顔の彼との再会は、その夏。
雪舞い降りる冬に出会い、2つ目の季節を迎えた頃のこと。
彼は、6ヶ月だけの、田舎街での仕事を終え、遠く離れた大きな街に帰って行った。
私は、引き裂かれる心をまだ癒せぬまま、初夏の暑さをぬぐっていた。
もともと、子供の頃から父親に連れられては、山歩きをしていた私は、その夏、数人の同僚と共に、山登りの計画を立てていた。実は、この山登りは、仕事で山に滞在する彼の予定に合わせてのもので、彼は、夏の数週間を、山の上の診療所で過ごすこととなっていたのだ。
私達2人を、温かく見守ってくれている同僚の計らいで、この登山計画は進んだのだ。
夏の穂高は、沢山の登山者を迎え入れ、山の裾(すそ)は両腕を伸ばすようにして、優しく、でも、厳しく、大きなリュックを抱える人々を抱きしめる。上高地から、長いアプローチを進み、穂高の裾に辿り着ける。観光バスでやって来る、ハイヒールや軽装の観光客の姿が途切れ、本格的な登山道へと入る。朝の4時には家を出て、同僚や友人、計5人の私達のパーティーが、上高地を出発したのは、朝の7時少し前だった。その日のうちに、診療所のある山頂へと登る計画だったので、のんびり登山ではなかった。それでも、私を含む女性3人は、大声で歌ったり、花が咲いていると足を止め、“なんて花だ?”と話し合ったりした。途中、トイレのない所で用を足したくなると、登山道を少し外れて、茂みに入り、他のメンバーが、“誰か人が来たら、ホーホケキョって言うからね”と決め事をした。私が、茂みに入って、用を足している時のこと。標高(ひょうこう)が高くなるに連れて、木々や茂みは低くなるので、私が座っても、顔だけは茂みから出ているという状態。ドキドキしながら、登山道の方を向いたまま、用を足していた。同僚の姿は、3メートルほど先に見える。彼女達からも、私の顔は、茂みの中にひょっこり飛び出して見える。私は、朝の空気で冷えたお尻をさらしながら、“早く、早く、しーっ、しーっ”と、心の中で唱えていた。その時、2人の同僚が突然、叫び始めた。
“ホーホケキョ!ホーホケキョ!ホーホケッキョォ!”
狂ったホトトギス達は、手振りまでつけて、バタバタしている。誰かが近づいて来たのだ、しかも、かなり近くに。こうなると、用が終わったにしても、立ち上がってズボンを上げることも出来ない。ただただ、茂みの中で見つからないように、祈るしかない。登山道から見ると、私の、眉間に皺を寄せた焦る青い顔だけが、低い茂みの上から、出ている状態。
絶対に、見つかってはいけない…。
来た!人が来た!やばっ、男の人だ!最悪だ!うわっ!立ち止まった!こら!さっさと行けよ!歩けよ!ゲッ!おいおい、同僚に話し掛けてる!くっそーぉ!頼むぞ、追い払ってくれぇ!こらっ!あんたらも、ニコニコ答えんといてよ!
一瞬、その青いリュックの男の人が、茂みの方を見たが、目は合わなかった。もし目が合ったら、片手を挙げ、“こんにちわぁ”と明らかにオシッコしてます状態で、丁寧に頭をさげるしかなかった。その男性がようやく去り、同僚に手を振って歩いて行った。
私が叫んで聞く“ホーホケキョ、もう大丈夫?”
この出来事は、山歩きの間中、思い出しては同僚と涙を流し笑うことになった。
上高地から横尾までは殆ど平地であるが、横尾を過ぎて、吊り橋の架かる本谷橋まで来ると、急に本格的な山道が始まる。その道を、黙ってひたすら登ること、約2時間ほどで、涸沢(からさわ)に到着する予定だ。屏風岩の山腹をジグザグに急登、さらに山腹をトラバースしていくと、涸沢の流れに出る。目的の山頂へは、この涸沢から更に、這い松(はいまつ)も殆ど生えない岩場の道を、慎重に登って行く、ザイテングラードという道を、登り続ける。この時点で、日が暮れる事態だけは避けたかった。オシッコ事件や、のんびり花見の珍道中の為に、昼食を終えてたのが既に正午過ぎ、本格的な登山はそれからであったから、このままでは山頂に、明るいうちに辿り着けなくなる!焦り始めて、5人は真剣に、無口に歩き続けた。
必死に息を切らして一歩一歩進む。その一歩一歩が全て登りで、肩には、診療所で働く人々へのお土産にと買った、飛騨牛を分配して背負っていたので、時には腰に手を当て、時には胸元で腕を組み、ひたすら登り、歩いた。今夜には、あの人に、会える、私の思いは、それ1つ。夏の彼を見たことがない、彼に夏山で、星空の下、会える。ちなみに同僚を奮い立たせるのは、標高2300mの涸沢ヒュッテでの、噂のソフトクリームであった。
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# by yayoitt | 2004-12-16 02:52 | 穂高の恋人達 | Comments(0)
恋人達の冬 ブリジット的
病院での勤務を始めて、2年目の冬。
私の一生を大きく変えることとなる、その人に、出会った。
私が23歳になる、1月のことである。
6ヶ月だけの予定で、田舎の街に赴任して来たその人は、優しい笑顔だった。
その頃の私は、ニューヨークに憧れ、プリティーウーマンはジュリアロバーツに憧れ、
髪をクリンクリンにして、ジュリアロバーツと言うよりは、ティナターナーという感じだった。
黒のミニスカートに白いタイツ、お気に入りのカウボーイブーツを履き、雪の降り積もる田舎町を闊歩していたのだから、“あれ?あの子、変わった長靴はいとるわ、しかもタイツ一枚で”と笑われていたかもしれない。そんなクリクリ頭で、毎日、病院では“白衣のクリクリ天使”をしていた。1月のある午後、私達の仕事場に、ボスと共に彼が入って来た。
ちょうど日曜日で、病棟は比較的のんびりしており、控え室の奥で私達看護師は、アイスクリームを食べていた。そのボスに呼ばれて、皆でナースステーションに行った。
私一人がまだ、トロトロと棒付きアイスを舐めていたので、それを何処に置くことも出来ず、仕方無しに、後ろ手にアイスを隠しながら出て行った。赴任して来た彼が、ボスからの紹介を受ける間、私は持っているアイスが溶けて、ダラダラこぼれることを心配し、同時に、彼の、優しい笑顔に、目を離せないでもいたのだ。今でも、その場面は、心の中で鮮明に残っている。
周りの色や形、1月の淡い日の差し込みも、人々の声も笑顔も、思い出す度、変わりもせず蘇るのだ。運命的な出会いとは、こんなものかもしれない。
彼との、最初の待ち合わせは、雪の降りしきる駐車場だった。
夕方から深夜1時くらいまでの勤務だった私は、自分の車を職員の駐車場に停めていた。
勤務中、夜8時頃に仕事を済ませた彼が、私の勤務の終了時間を聞いてきた。多分、1時過ぎには終わる、と告げると、彼は、1時に彼のオフィスがある部屋で待っているから、一緒に帰ろう、と言った。彼の借家と私のアパートは同じ直線状にあったのだ。ずっと期待していたけど、夢のような気持ちで、でも誰にも話せずに、残りの4時間程の仕事中、まるで雲の上を歩いているような気分で、暗い病棟をパタパタ、フワフワ浮いて歩き回った。ずっと心臓がドキドキしたままで、さっきの彼の顔を思い出すと、ギューッと締め付けられて痛かった。
その夜、クリクリ頭が仕事を終えたのは、既に1時半を過ぎていた。それから着替えて、同僚にバイバイを言い、彼の待つオフィスに向かう。
 … 真っ暗で鍵がかかっている。
明日は平日だし、彼は仕事があるし、待ちきれず、帰ってしまったんだ…。でも、一緒に帰ろうと、誘ってくれたのは現実。明日、仕事に出て来た時に誤ろう、と決めた。そんなに落ち込んではいなかったが、それでもまだ、宙を歩くクリクリ頭のままだった。その日の私は、白いザックリ手編みのセーターに、チェックのミニスカートを履き、その下に、白の厚手のタイツを履いていた。そのスカートは、赤とピンクのチェックで、フロント部分に上から下までのチャックが2箇所付いていて、チャックを全部開けると、2枚の布になるものだった。とてもかわいらしくて大好きなスカートだった。初めての突然の待ち合わせでも、“おしっ!これならオッケー”と思っていた。
暗い病院を抜け、外に出た。
真っ暗な空から、大粒の雪は限りなく降り続けた。
その夜、遅くなってから、雪が本格的に繰り出したらしく、病院から駐車場まで、ほとんど足跡はなく、摺り足で歩いたような足跡が2つか3つ、続いているだけだった。駐車場にも人気(ひとけ)はなく、停まっている何台もの車は全て、白い布を下ろしたように、真っ白だった。
深夜の広い駐車場は、人の気配は全くなく、ただただ、降る雪が、電灯に映し出されていた。
息を潜めると、一粒一粒の雪の結晶が、地面に落ちる瞬間の音が聞こえる。
真っ黒な空と、真っ白な雪の幕の間から、人影が近付いて来た。
彼だった。
彼が、頭に雪を一杯積もらせて歩いてくる。
私は、クリクリカールに雪を絡ませて、やっぱり歩いた。
! と、その時 !
急に、おなかの辺りで、今までグッと締まっていたものが、プツンとほどける感じがした。
彼の笑顔を見つめながら、とっさに私は、コートの下のスカートに手をやった。
前に2つある、チャックが両方同時に、壊れてチャックが開き始めたのだ。
雪を払いながら、彼が疲れたように歩いて来る。胸がドキドキのまま、コートの下で、落ちそうになるスカートを必死に抑える。両手をコートの下に入れれば、何とかチャックをし直せられるかもしれないが、急にコートの下に両手入れてモゾモゾすると、どうも、怪しい。
だから、とにかく片手で、ずり落ちるスカートを持ち上げて、彼に出会えた。
“1時に来ないから、もう帰ったと思って、車探しに来たんだぁ”
雪が目に入るのを避けるように、目を細め、まぶしそうに笑う。
スカートを、落とすまい、落とすまい、と全身に力を入れて片手で持ち続け、“でも、会えて、よかったねぇ”“うん、帰ろっかぁ”まだ、消毒の匂いのする彼の横に並び、雪の降りしきる駐車場を、ゆっくり、スカートを抑えて歩いた。この光景は、私の人生の中で、一番、美しい情景、映像の1つと言える。残念なのが、やっぱり、ずり落ちるスカートと懸命に戦っていたことであるが、この夜の、雪の白さと静けさ、そして闇の深さは、感触として今も、忘れられずにいる。この日を最後に、チェックのスカートは、はけなくなった。
# by yayoitt | 2004-12-15 02:57 | 穂高の恋人達 | Comments(0)
恋人達のクリスマス ブリジット的
ブリジットジョーンズのダイアリー(日記)を読むと、幾つか私の記憶と重なる場面がある。
全く同じではないが、冗談のような出来事が、真剣な恋愛の中で起こってしまうのだ。
これはきっと、私の冗談のような性格がそうさせるのか、そういう運命なのかはわからないが、どう見ても、本の中の話としか思えないことは、沢山あるのである。
高校2年生の冬、クリスマス直前に、私から告白し、ある男の子と付き合いを始めたことがある。高校生といっても、私はかなり恥ずかしがり屋で、自分から告白したものの、いざ付き合うとなると、口をきくことさえが、最大の目的、と言えるほど、緊張していた。
一度だけ、学校の帰りに、2人で並んで駅まで帰ったことがある。
クリスマス直前で、終業式の日だったと覚えているが、帰り道は真っ暗で雪が散らついていた。その男の子は、マッチ棒のように背が高く、安全地帯の玉置浩二にそっくりな男の子だった。彼の持っていた透明の青いビニール傘に、私はちょっと頭を入れているくらいで、相合傘などとは程遠いが、それでも、ドキドキしながら歩いていた。彼が左足を出した時に、彼の左にいる私が右足を出すと、2人の距離は縮まって、セーラー服と学生服が擦れ合う。坂の上にある高校から、駅に向かって歩くと、だいたい25分くらいかかる。私達は、殆ど何も喋らず、ただ、“寒くない?”“ううん、大丈夫。あんたは?”“うん、大丈夫”などと繰り返した。
寒くないか聞いてくれた、それだけで、嬉しかった。急な坂を下り切ると、神社の鳥居があり、そこから直線に町へと伸びるゆるい坂道が続く。暗い、雪の降りる坂道の左側一体が工事中で、長い坂は、真っ赤なチカチカ光る小さな電球で埋っていたのだ。私は、その景色に胸をときめかしていた。とても、ロマンチックだったのだ。クリスマス直前の、その真っ赤な灯りの続く道を、大好きな玉置浩二と、いや、大好きな男の子と歩く。まるで、私達2人の為に、点灯された灯りのようにさえ、思えた。そして、ほとんど口を開かなかった私が、思い切って言ったのだ。“綺麗やなぁ…。” “うん。”と、彼。
(クリスマスの灯りみたいだぁ)
“盆踊りみたいやなぁ…。” “う、は?盆踊り?”
(しまった。クリスマスと言うつもりで、何故か、盆踊りと言ってしまった)
“ほら、盆踊り、ちゃんちゃちゃんちゃん♪って。”手振りまでつけて踊って見せた。
もう取り返しは付かず、彼は、その盆踊りをして見せる私を置いて、黙って歩き続ける。
小走りで、大粒の雪に濡れながら、すごすご後を歩いた。これが、最初で最後の、2人で帰った道だった。この彼とのお付き合いは、深夜の電話と、春のお祭りで一度、近くの神社で会って話したくらいで、5月の遠出の遠足で、上高地に行った、その前の晩に、電話で振られてしまった。振られて、バスの中でやけになり、カラオケで菊池桃子の“もう会えないかもしれない”を熱唱したのを思い出す。春の上高地には、思いがけず、勿忘草(わすれなぐさ)の花が一面に咲いていた。彼とはその後、友人関係もなかったが、一度だけ、卒業後、上京していて帰って来た彼から電話をもらったことがある。なんだか、すっかり東京の言葉になって、私ひとりが、“でなぁ…やもんでぇ…”と飛騨弁で喋っていた。時が経つと、こんなにも、簡単に気軽に話せるもなんだ、と大人になった気分がしたものだ。
彼が言った一言が妙に嬉しかった。
“やっぱりさぁ、あの時さぁ、若かったからねぇ、後悔したんだよねぇ、逃がした魚は大きかったって感じでぇ。”口からでまかせ、とは思っていても、昔好きだった玉置浩二にこう言われると、やっぱり照れた。でも、2人とも、冬の盆踊りの話は、しなかった。
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# by yayoitt | 2004-12-14 02:59 | 恋愛とは... | Comments(0)
恋人たちのクリスマス 2
家に飛んで帰ったクリスマスイブの夜。自分の中で、色々な想像をしいた。
いがぐり頭の彼は、今頃、まだ橋の真ん中で立ったまま、鼻水を凍らしているんじゃないか?いがぐり頭め!あいつ、本当は来なかったんじゃないか?
想像すれば想像するほど、この話を持ち出したことを後悔し始めた。
もう、好きとかいう気持ちは吹っ飛んで消え去り、というか、もともと、好きな男の子は1人だったのだ。ただ、橋の上での“織姫と彦星”のようなロマンチックな出会いを夢いただけで、相手が、本命の一番目の男の子でないのなら、もう誰でもよかったのだ。小学生のくせに、まるで、タカビーなOLっぽい、“ちょっと、遊びたかっただけぇ”とか言いそうな雰囲気である。しかも、私は非常に臆病だったのだ。イブの夜を、心になんとなく後ろめたさを感じながらも、それなりに家族と共に笑って過ごし、ドリフのクリスマス大特集を見てヒャラヒャラ笑っていた。
外は、もっと大き目の冷たい軽い雪が降り続いていた。クリスマスケーキの準備に、皆で取り掛かっている時だった。私の頭の中には、もう、いがぐり頭のことはなく、すっかり食欲だけに支配されていた。我が家の玄関は、昔店をしていたらしく広くて、戸口は全てガラス張りだった。玄関から最初の部屋が居間になっていて、そこで、食事もテレビも、家族の団欒も、殆どの時間を過ごしていた。その居間と玄関を隔てる戸も、刷りガラスで、居間からは外を通る人が見えるのだった。ケーキ用の皿やコーヒーカップを、母の支持の元、台所から運んで来て、居間に入った時だった。雪降る玄関の前、暗い路地に、2つの影が見えた。
1つは背が高め、もう1つは、とっても小さな影だった。
2つの影は、歩き去るわけでもなく、ただ左右に揺れるだけで、私の家の前で佇んでいた。
雪の影を映す、白いぼんやりした電灯に照らされ、一瞬、その小さな影の子供が、真っ赤なタートルネックのセーターを着ているのが見えた。ハッとして、急に、忘れていたあのいがぐり坊主を思い出した。彼は、母親と共に、私の家まで、プレゼントを持って来てくれたのだ。
そして、色々考えるよりも先に、家族に知られたら!という恥ずかしさがあり、台所へ逃げていた。トイレに隠れ、どうしよう、どうしよう、帰ってくれ、帰ってくれ、と願っているうちに、姉から、“やっこぉ。やっこぉ。ちょっとおいでぇ”と呼ばれた。私は、家族全員の前、“何?なに?”と、とにかくとぼけて知らん顔をして、呼ばれるまま囚人のごとく姉に付いて行った。
玄関から、明るい母と誰か他のおばさんの笑い声がする。“どうか、いがぐり頭じゃなくって、向かいのおもちゃやのおばちゃんでありますように!”いた。いがぐり頭。
背の低い、やさしい笑顔のおばちゃんが、横に立っている。
外が寒かったせいか、恥ずかしかったせいかはわからないが、いがぐり頭は、真っ赤なセーターと同じくらい、真っ赤なホッペをしていた。鼻水をズルズル吸いながら、彼は母親に肘を突っつかれて、そして黙って、雪で点々と塗れた、真っ赤な紙に包まれたプレゼントを、私に差し出した。真っ赤になって私は、隣で母がニコニコと見ているのを意識しながら、小さく“ありがとう”を言って受け取った。この時の記憶は、これ以上はないのだが、ただただ、家族の手前、気恥ずかしかったことばかり覚えている。家族は誰も、私がラブレターを書いて、イブの密会をアレンジして、そして裏切った、などという本当のあらすじは、知る余地もないのだ。
鼻を吸いながら、母親と帰って行った男の子。
その夜、私が準備していたプレゼントを、渡したかどうかも覚えていないが、それを渡したら、家族に私も彼を好きなんだ、という風に思われてしまうのが怖かったので、多分、プレゼントはもらっただけで、手渡さなかったんだと思う。彼が、橋に着たのか、橋でどれくらい待ったのか、どうして母親と私の家まで来ることになったのか、色々な疑問はあるものの、寒そうに去って行った、いがぐり頭を見ながら私は、ただただ、後悔と自責の念にかられていたのだ。
結局、好きでもない男の子に、自分のファンタジーの相手役を演じてもらいたく、その舞台間際に、私は逃げ出し、そして、私の思いは何も残らず、ただ、その男の子をポンッと放り出して、辛い恥ずかしい思いだけを植えつけたのだ。姉に後ろから、“なんや、なんや”と押されながら、その赤い包みを開けると、いがぐり頭の、あの小さな母親が編んだらしい、緑と赤のミトンが出てきた。ミトンは、私の手には少し多き目で、肩に掛ける紐は、やけに長かった。家族の注目の元、“こんなもん、使わんわ。手袋、あるもん”と言い、箪笥にしまい込み、その冬ずっと、その箪笥を私が開けることはなかった。
彼とは、冬休みが明けても、一言も喋らずじまいで、彼はずっと私を無視していた。
小学生なりに、私が悪かったんだという、罪悪感があったので、私も、無視されても気にせずに黙っていた。彼にとっての、クリスマスイブの思い出、私は、きっと、鬼婆(おにばば)に違いない。
# by yayoitt | 2004-12-13 03:05 | 恋愛とは... | Comments(0)
恋人たちのクリスマス 1
日本でのクリスマスといえば、家族との団欒よりは、恋人たちの熱い一夜、といったイメージが強い。聖子ちゃんの歌でも、♪今夜、わたぁしは、あなたの物よぉ♪とあるように、女の子が、自分にリボンをつけて、クリスマスには私を包んであげる!という具合。
クリスマスの本来の意味は、もうどうでもよく、プレゼント交換からはじまり、ホワイトクリスマスになどなれば、雰囲気に駆り立たされ、すっかりロマンチックに陥る。だから、恋人達が、内緒にしていたプレゼントで、愛する相手を驚かせた後、すっかりとろけてしまうのは、自然だと思う。
やっこにも、こんな時代はあったわけで、最初の思い出は、小学校5年生にさかのぼる。
いじめられっこを克服し、ピエロのごとく、おかしな顔をしたりして友人を作り、明るく、ひょうきんな子、と定評を得始めた頃だった。その頃の11歳にしたら多分、ちょっと私は、ませていた。ラブレターというものが、一部の活発な子供達の間で流行し、私も、恋らしき恋をしていたので、3人の男の子に、ラブレターを出した。同じクラスだから、ラブレターを出した後の、ドキドキは、きっとあったはずなのに、私の記憶には、全くそれは残っていない。
最初の男の子は、最初と言うだけに、一番好きだった子だ。
彼のお父さんは、学校の音楽の先生で、彼自身、どことなく音楽家という雰囲気があり、背が高く、無口で、頭がよくインテリジェンスな、長めの黒髪の似合う小学生だった。理科の実験で、2人で気が合い、腹抱えて笑いながら授業を受けたのをきっかけに、とても、その子を好きになった。学校のすぐ近くに、彼の家はあったので、放課後や休みの日に、校庭で一人で遊ぶ姿を私は、校庭の反対側、半分に切って埋められている色つきのタイヤに座っては、眺めていた。スヌーピーはピーナッツの、シュローダーみたいな子だった。いつか休みの日に、一緒に校庭で、ジャングルジムをしたり、鉄棒を並んでしたい、と願った。結局ラブレターは、彼には届いたけど、私に返事は届かなかった。それからは多分、子供ながらにぎくしゃくして、折角の友人関係も、壊れた気がする。去年、偶然に故郷のあるお店で働く彼に出会い、私の母を通じて、お互い、“あっ、あのラブレターの…”と思い出したはずなのに、ただ頭を下げただけだった。私のラブレターが、彼の思い出に、どんな風に残っているのだろう?
11歳の私は、すぐに、2人目の男の子にラブレターを出した。
この時点で私は、本命にふられて、やけになって誰でも良いと、酒を飲みながら“男じゃぁ、おとこ!おとこをくれぇ!”と叫ぶ小学生、みたいだった。2人目の男の子は、足が速くて、年中日焼けして真っ黒で、真っ白な歯を見せて笑う子だった。ところが、大将っぽい存在の女の子が、私と同時に彼にラブレターを出し、結局、その放課後、彼女と2人で彼を追廻し、“どっちにするの?どっちにするの?”と、彼の家まで付いて行き、ヘラヘラ笑ってばかりの彼が、家に逃げて入ってからは、急に2人とも興味を失い、夕方彼女の家に行って、次のラブレター書きの話をして終わった。翌日、もう次のラブレターが出来上がり、私は、3通目のラブレターを、ある男の子に手渡した。
この男の子は、背が低くて、いつも真っ赤な荒い手編みのタートルネックのセーターを着た、
クラスでは男の子にも女の子にも人気のある、ひょうきんな、いがぐり坊主の男の子だった。
彼は、背は小さいのに、実は案外おませで、真剣に私のラブレターに答えてくれた。
その日から、2人はカップルになり、生まれて初めての、“つきあう”経験をすることに。
とはいえ、何といっても小学生。することと言えば、交換日記、である。また、ちょうどその時期が、クリスマス前だったこともあり、プレゼント交換をすることを約束した。交換日記以外、一緒に遊ぶわけでもなく、クラスで話すわけでもなく、ただ気恥ずかしいだけで、すっかり話しさえしなかった。私にはその頃、恋人とこうしたい!というファンタジーがあり、それは、雪の舞うクリスマスイブの設定であった。故郷の町は、大きな川が、町を2つに切り取るように流れている。その川に架かる橋のうち、1つだけ、歩行者専用の、狭い橋がある。その橋の真ん中で、2人が会って、プレゼントを交換する。これが、私の中の、恋人が出来たら…という、憧れの設定だった。だから、今年は、ようやくこの夢が叶うと、心ウキウキ、イブを待ち焦がれたのだ。その年のイブは、とても寒くなり、チラチラと小さな雪が降っていた。
私は交換日記で、その小さな男の子に、時間と場所を告げた。
 xx 橋の真ん中で、6時
6時に、私は結局、橋の中央へ行く勇気がなく、橋の袂で、その男の子が来るのを見ていた。
今思うと、きっとどこかでその男の子も、橋の袂から、私が来るのを見ていたのかも知れない。6時を少し過ぎただけなのに、急に怖くなって私は、家に逃げて帰った。その時に、私があげようとしていたプレゼントが何だったかも、忘れてしまったが、その時の、急に、ロマンチックな夢見た光景が、現実となって近づいてくる怖さ、を寒さの中、痛感したのである。
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# by yayoitt | 2004-12-12 03:08 | 恋愛とは... | Comments(0)
クリスマスツリー完成
昨夜、クリスマスツリーの飾り付けをした。旦那も私も、多分、30分くらいで出来るだろう、と思っていて、好きなコメディーが、9時半から始まる、その前迄と、9時から飾り付けを始めた。ところがどっこい、飾り付けを終えたのが、11時をとうに過ぎていた。結局、好きなコメディーは、音だけ聞きながら、2人して“ひっひっひ”と時々笑いながらの、飾りつけとなった。
ツリーは、箱から出すと、ゴソッとかたまりで外に出てきた。中心のポールを組み立て、そのポールに所々書かれているアルファベットに従い、同じアルファベットの枝を、組み込んでいく。枝から出ている葉っぱを、上下、左右に広げて、全体のバランスをとっていく。段々と、本物のツリーらしくなってくるではないか!私達のツリーは、先端に、雪のデコレーションがほどこしてあって、それがポロポロとこぼれて、床は、真っ白になっている。
“何か、あたいに出来ることがある?”と聞きに来ては、クンクン匂いを嗅ぎ、私達の作業する手元に体を入れ込み、その手をペロペロ舐めるばっかりで、何の役にも立たないノーマンも、ツリーの雪で、白くなった。マイケルも私も、次第に無口に、飾り付けに集中し始める。私の場合は、集中と言えても、彼の場合は、集中よりは“執念”という感じで、なんだか、声をかけるのも怖いような、霊気さえ感じるようであった。そう、今まで気が付かなかったけど、マイケルの、ツリーに対する思いは、ちょっと人並み以上だったのだ。
数週間前に、“ツリー無しのクリスマスなんて、考えられない”と彼が言ったのを思い出す。
彼の人生でクリスマスには、家族と、そしてツリーがいつもそこにはあったのだ。
私が彼と暮らし始めて6年間、毎年、小さいけど、ツリーは準備した。
でも、今回、将来のことも考えて、本格的な大きなツリーを準備することとなって、そのデコレーションについても、2人で真剣に慎重に選択をした。ライトも、色や、チカチカするのかしないのか、数にもこだわった。TINSEL(ティンセル=長いキラキラした飾りで、ねじて飾る物)がいいか、それとも、BAUBLES(ボーブル=赤や緑、金や銀色の玉の飾り)がいいか、
2人の意見は一致、“ボーブルだけが良い”“色は金色、銀色のみで、高価な奴(絵柄があるもの)だけがいい”“ライトは、黄色い灯りの、チカチカするライトと、常に点灯しているライトの混ざった物がいい、ライトの数は沢山あって、窓の外からも、綺麗に見えるようにしたい”
木の形を整え、ライトを巻きつけた。マイケルが巻きつけ、私が彼の後をぐるぐる歩きながら、彼に長いライトを少しづつ渡して行く。巻き付け終わって、点灯すると、私は思わず声を漏らした…オオオオオオォ。綺麗だ、美しい、ワンダフル、ビューティフル、ラヴリー♪
首を傾けたまま、その美しさに見とれていると、マイケルがサッとライトを消し、今、巻きつけたばっかりのライトを取り外し始めた。“上の部分のライトが、少し足らない”
また、彼の後ろを付いて、長いコードをぶらさげながら、欠伸(あくび)しながらぐるぐる歩く。
何とか、彼の気に入るライトポジションとなったらしく(この時点で私は、最初のライトの位置と今のライトの位置の違いさえさっぱりわからなくなっていたが)、今度は、ボーブルの取り付けにかかった。ボーブルを吊り下げる時点で、マイケルが私に説明し始める。“やっこ、いいか、ツリーの下のこの部分で、18個あるボーブルの50パーセント、この真ん中部分で、30パーセント、で、あとの20パーセントはこっから先っちょまで、こんな分配で、いいか?やっこ?”            ゴーン
私の頭の中は真っ白、どうでもいい、早く終わらせよう…。
普段、髪型や、服装や、家具など、余り細かくこだわらないマイケル。
彼が、こんなにも、ツリーに対してこだわりのある男だとは、正直、この夜まで知らなかった。
私は、2時間以上に及ぶ作業に、かなり疲れてしまっていた。最後の作業である、星をマイケルがツリーの一番上に乗せる。実は、この作業は、私がとってもやりたいと思っていたのだが、疲れていたのと、183cmにもなったツリーの先に、私が星を飾ることは無理だったので、あきらめた。完成後2人で、点灯式を行う。ノーマンも来た。3人でツリーの前に並んで、電気を消す。そして、はい、点灯。
う、う、美しい…。
マイケルが言う。
“今まで見た中で、一番素敵なツリーだ”
私が思う。
“あんたの、このツリーに対する思い入れが、そう思わせるのさ”
私が言う。
“うん、絶対に、どのツリーよりも、綺麗だし上品だ”
2人の隣でノーマンが、落ちた雪を鼻から吸い込み、くしゃみした。
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# by yayoitt | 2004-12-11 08:10 | 英国暮らしって... | Comments(0)
我が家にツリーがやってきた♪
早く来い来いお正月 と ジングルベルを合わせて歌ってみよう。
メロディーは、お正月で。
“もうぅ-いぃくつ、ジングルベール、クゥリィスゥマァスゥ♪”
そう、もう幾つ寝ると、クリスマスか…、16回寝るとクリスマスの朝だ。
もし、週末に昼寝をしたら、18回くらいかもしれない。
街は、クリスマス色になっている。
月曜日から、日曜日まで、常に、街の中はクリスマスショッピングの人であふれ返っている。
一年の中で、一番、街に出るのが億劫になる、この時期なのに、やっぱり、私も買い物に、街へと繰り出さなくてはならないのだ。今日は、マイケルも私も仕事がお休みだったので、2人でショッピングに出掛けた。と言っても、プレゼント買いではない。クリスマスツリーを、買いに、出掛けたのだ。日本にいる時、私の家で、クリスマスツリーが飾られたことは一度もない。クリスマスツリーを、実際に飾る家の方が、まだまだ少ないだろう。ところが、こちらは、クリスマスの準備=クリスマスツリー と、ツリーは必需品なのだ。これも、その家庭、その人によって、別にツリーがなくても全然平気な人もいるだろうが、マイケルの人生の中で、ツリーのないクリスマスは、どうやら、考えられないらしいのだ。
昔あったコマーシャル、“マリームのないコーヒーなんて”(だったかな?)みたいに、“ツリーのない、クリスマスなんて”と言ったとこらしい。
スコットランドでの、前の3年間は、彼が大学生時代に使っていたと言う、50㎝ ほどの白いツリーを飾っていた。日本に帰った時は、100円ショップで買った、これまた小さなツリーを飾った。今回は、どちらのツリーも持って来ていないことと、また、この部屋の天井がとても高い為、ある程度、大きなツリーが必要、ということで、本格的なツリーを買うことにしたのだ。
店で売ってあるツリーは、基本的に、2種類ある。本物のクリスマスツリー(切ったもみの木)と、アートフィシャルツリー(偽物のツリー)である。花屋さんでは、切り出したもみの木を売っており、毎年、本物の木を購入するという家庭は多い。値段もそんなには高くなく、やはり、本物だけあって見た目がいいのである。ただ後始末が大変で、新年に入ると、あちらこちらで、粗大ゴミとして、ツリーがほかられてみじめである。私は、飾りの為に切られる木々のことを思う時、昔読んだ、クリスマスツリーの一生という話を思い出してしまう。
まだ大きくなりきっていない小さなもみの木が、切られて、どこに連れられて行くのかと期待し、ある家に到着する、そこで、綺麗なバブルや灯りで飾られ、子供達や人々の注目を得る、
そのもみの木は、とても幸せに感じているのもつかの間、数日後には、飾りや灯りは、全て剥ぎ取られて、燃やされてしまう、小さなもみの木は、短い一生を、そうして終える、という物語。どうしても、私にはやっぱり、こんな小さなもみの木を飾る気にはなれないのだ。
マイケルも同感なので、2人で、B&Qというスーパーに、アートフィシャルのツリーを買いに行った。選んだのは、少し、雪の様な白いデコレーションが乗った、1、8mのツリー。
値段は、£55(1万1千円)の物、毎年、末永く使いたい。
今夜は、遅くまでかかって、このツリーの飾り付けだ。ノーマンが手伝ってくれるか、邪魔してくれるかはわからないが、楽しみだ。背丈は、マイケルとほぼ同じ、私は見上げなくてはならない。マイケルのおっとさん、おっかさんの家でも、今週末にはツリーの飾り付けをする。
彼の家では、毎年、クリスマスの2週間前に飾りつけ、と決まっているのだ。
何とか間に合った、ツリーの飾りつけ、出来上がりは明日、また、写真でご紹介したい。
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# by yayoitt | 2004-12-10 08:16 | 英国暮らしって... | Comments(0)
クリスマスカードと年賀状
クリスマスまで、わずか2週間余りとなってしまった。
12月も、1週目を過ぎると、友人や家族、仕事関係者などからのクリスマスカードが届きはじめる。クリスマスカードは、日本のちょど年賀状のようなもので、義理でカードを出す相手もいるし、クリスマスカードだけの間柄、という相手もいる。クリスマスカードは、クリスマスまでに到着させるもので、もらったクリスマスカードは、その場で封を切り、中を読み、そして、飾るのだ。飾られるクリスマスカードの数が増えるに従って、クリスマスの雰囲気を徐々に高めていく。クリスマスカードは、色々な場所に飾られる。一般家庭であれば、暖炉の周り、本棚に並んだ本の前、テレビや家具の上、出窓の周りなど。また、クリスマスカードホルダーというのが、売ってあるので、それにカードを取り付けて、壁にぶら下げて飾ったりもする。
私とマイケルは、毎年、クリスマス過ぎに、セールに出されるカードを来年の為に買うようにしている。今年のカードは、約3年前のもので、高価な綺麗なカードが、セールで安くなったのを買ったものだ。3年前というのは、過去2年間は日本で、年賀状を出したので、結局準備していたカードは使わなかったからだ。旦那と私の、個人的な友達、家族(日本、スコットランド両方)、仕事仲間、そして私は、ヴォランティアで色々お世話になった動物病院に、出すつもりでいる。つもり、と言ったが、もう、今晩くらいに書いて出さないと、ちゃんとクリスマス前に着かない恐れがあるので、今晩、マイケルの重い尻を叩きつつ、絶対に書き上げなくてはならない。中に書くのは、とっても簡単なもので、色々なことを長々とは書かない。クリスマスの挨拶と、良いお年を、と言ったくらいである。
定番の文句としては …
“HAVE A NICE CHRISTMAS”
“MERRY CHRISTMAS”
“SEASON’S GREATINGS”
“OUR CHRISTMAS WISH FOR YOU”
“WISHING YOU A MERRY CHRISTMAS AND A HAPPY NEW YEAR”
 … こんな感じで、シンプルである。
既に、こういった文句がプリントされたものもあれば、何も書いてないものもある。
もうプリントされていれば、特に、他に書かなくても、自分のサインをして、それで終わりでよい。最近の年賀状には、“あけましておめでとう”以外にも色々なことを書いたり、家族の近況を書いたり、写真を付けたりするが、そういった色付けは、カードの表の絵柄の違いが、役目を果たしてくれている。だから、カードの種類は、万とあり、まず、同じカードが届く確立は、とても低いのだ。安いお店で、まとめ買いしたものだと、どうしても、手に取った人にそれがわかってしまうので、紙質や、絵柄、どこで買ったかなど、とても気をつけて購入している。
だから、一昨年のセールで、値の高いカードをまとめ買いは、とても理にかなっていると思う。一年経とうが、10年経とうが、クリスマスは、クリスマスだからだ。でも、年賀状は、そういう訳にいかない。その年の干支も違うし、スタンプ部分には、その年の年号が書かれてある。
私は、もともと絵を描くことが大好きなので、年賀状描きには、力を入れていた。
ちょっと人とは違った、個性的なものにしようと、毎年、(出来の悪い)頭をひねったものだ。
子供の頃は、必ず手描きで色々な絵を描き、文句も変えていた。いじめられっこから脱出するべく、クラスの友達へのアプローチでもあったから、枚数は少なくても、一枚一枚、必死に描いた。いじめられっこから、ひょうきんな自分に変わると共に、友人の数も増え、それでも、友人が去るというトラウマを抱えていた私は、やはり必死に、時間をかけて描いた。
覚えているのでは、中学生の時に、ひょうきんな自分を売ろうと、
“明けまして、こんにちわ”“明けまして、ごめんなさい”とか、意味不明なことを書いて送った年もあった。今思うと、情けなくって仕方がない、誰も、その年賀状を大事に保管してなんかいないことを、真剣に祈っている。子供の頃の私にとって年賀状は、友人保障のカード、とでも言うべきもので、それを待つ、3が日は、おなかを壊(こわ)すくらいに、神経質になっていた。クラスの誰から来たか、誰からは来なかったか?絶対に安泰、と思っている友人からのコメントはありか、それはどんなコメントか?コメントなどなく、プリントごっこのプリントだけか?私の年賀状を受け取る前に書いたか?“年賀状ありがとう”で始まる年賀状には、愕然と肩を落としたりしていた。人には、“明けましてごめんなさい”などと、ふざけた内容の年賀状を送っておきながら、自分に来る年賀状を評価する…。なんて、私って嫌な子供だっただろうか。男の子からの年賀状は、いつでも、貰うと嬉しかった。すぐに、“こいつ、私のこと、好きなんや”と勘違いした。これまた、嫌な、迷惑な、女子生徒だ。
大人になり、年賀状やクリスマスカードが、“義理”または、“習慣”で出すもの、と思うようになってきたが、そんな自分を、なんとなく寂しくも思う。必死に、相手のことを思い、何とか笑わせようと、何とかびっくりさせようと、一枚一枚、手を絵の具で染めて描いていた、あの頃の多感な自分…。“明けましてありがとう”と、真剣に書いた自分…。どこに行ってしまったのかな?と、不思議に思ったりする。
# by yayoitt | 2004-12-09 23:17 | 英国文化って... | Comments(0)
最近気になる芸能人
日本では、気になる芸能人は沢山いた。数年来、ずっとファンであるのが、鹿賀丈史である。
あの、でっかいコートが似合う大きさが好きなのと、映画や舞台での演技が、とっても素敵だ。存在感があって、その人がいるだけで空気が変わる、そんな雰囲気だ。
前回の2年間の日本滞在で、私がとっても気になったのは、鹿賀丈史とは全くタイプの違う、
山咲トオルだった。彼の場合は、理由はよくわからないが、多分、スコットランドでゲイの友人が沢山でき、彼らがとっても、魅力的だったことが、影響していると思う。山咲トオルは、結局、ストレートだと、テレビで言っていたが、まぁ、それはどちらでも構わない。あの、綺麗な顔と、彼の一つ一つの仕草(しぐさ)に、目が釘付けになるのだ。誰かに似ているのか、とも、思ってみたが、そういうわけでもなさそうで、私の、山咲トオルに対する思いの根拠は、わからない。ただ、“心のつぼ”を突っついたとしか言えない。
さぁ、こんな私が、最近、U2のボノ(ヴォーカリスト)などを追い越して、とっても気になっている男性を、テレビの中で見つけたのだ。彼は、感じとしては、“鹿賀丈史”風で、大きくて、存在感はばっちりありそうである。初めて、テレビで彼を見てから、ずっと、気になり、気が付くと私は彼のファンになってしまっている。彼を初めて見たのは、BBC の、LITTLE BRITAIN という番組だ。コメディーで、とっても人気があり、再放送されたり、DVDもよく売れている。
このコメディーは、2人のコメディアンによるもので、そのうちの1人、
DAVED WALLIAMS というのが彼だ。これは、このコメディアン2人が、色々なキャラクターになって繰り広げるスケッチコメディーで、その中には、“LOU AND ANDY”身障者で車椅子生活のLOUと、彼を世話するソーシャルワーカーANDY の話、
“MARJORIE DAWES AND THE FAT FIGHTERS”肥満と戦う人を支援する女性 MARJORIE の話、“RAY McCOONIE”という、不気味なホテルの経営者の話、
“VECKY POLLRD”という若くして子供ができた(いわゆる)不良の女の子の話などがある。それぞれの写真は、下に掲げてあります。このコメディーは、いかにも、英国的で、これを笑いにして良いのかどうか?という、ギリギリのところで遊ぶから、成功すると、とても、おかしいのだ。成功しないと、ブーイングになってしまうのだが…。彼らのコメディーのスケッチは、基本的に、差別(人種、貧困、一般市民、お金持ち、身体障害者)である。差別という、タブーの苦笑いの下にある、タブーを超えて湧き上がる、こらえきれない笑い…これを、彼らは、成功させたのだ。多分、見ていて気分を悪くする人もいてもおかしくはないが、そういった文句の声は実際、殆どないらしい。英国らしい、国民の態度と番組だ。結局、世の中どの人も、実はおかしくって、笑われる対象であって、一目置かれる存在で、ユニーク(唯一)なのだ、と思わせてくれる。
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# by yayoitt | 2004-12-08 23:12 | 英国暮らしって... | Comments(0)
霊(れい)と語る
最近、テレビのプログラムで、私がかなり、はまったものがある。リヴィングテレビというチャンネルの、“SIXTH SENSE”という番組。シックスセンス … 第六感 である。
COLIN FRY(コリン フライ)というイギリスの男性が、観客を前に繰り広げるプログラムで、彼は、第六感の持ち主で、亡くなった人の霊とコンタクトをとることが出来る。
観客は、愛する親であったり、子供であったり、パートナーであったりを亡くした人達で、コリンに、なんとか、その霊と話をして欲しいと、集っている。コリンは、観客を前に、まず、自分の中に降りてきた霊と話し始める。そして、その霊が、観客の中の誰の身内(親類)や友人であるかを、霊から聞き出し、その観客を、指差して、その人に前に出て来てもらい、もっと詳しい話をし始める。彼は、自分が選んだ観客からの情報は一切ないまま、霊が自分に語りかけていることを、伝え始める。“僕は、不慮の事故で、急にこの世を去ってしまい、色々、お母さんに伝えたいことがあったんだ”選ばれた観客は、泣き出して、“私の息子だ。去年、交通事故で亡くなったの。”“僕は、お母さんと最後に行った、旅行のことをよく思い出すんだ”
観客は微笑みながら“息子がプレゼントに、パリに連れて行ってくれたの。”コリンは、時折宙を見ながら、誰かの話にうなづくような感じで続ける。“彼がこれを言いたがっている…。彼が亡くなった後、何かの集いがあって、そこに、アイスで作った、鳥の形の像かなにかが、あったかな?”首をかしげる観客の女性、でも、思い出したように言う。“鳥ではないけど…。アイスで作った、テニスラケット?”そして続ける。“息子を皆で思い出す為のパーティーで、会場の中央に、彼の好きだったテニスのラケットを、氷で作ってもらったの。”コリンが言う。
“アイスの?鳥のように僕には見えたんだけど。でも、アイスの像なんだね?”コリンが、温かい笑顔で、続ける。“息子さんがね、あの時、僕は、あのアイスの像の中にいたんだよ、って言ってるよ”その女性が、泣きながら何回もうなづき、そして、微笑む。コリンがまた、息子からの話に耳を傾け、“何か、FOR XXXX(息子の名前)と書かれた、木製の何かが、あるかな?”母親は、全く思いつかないと言う。“その木製の、FOR XXXX(息子の名前)と書かれた、それのことを彼が言いたがってるんだけど。”それでも、彼女は、全く思いつかなかった。
しかし、観客席に戻った彼女が、その亡くなった息子のお嫁さんから、話を聞いて驚く。
現在、彼を記念して彼の奥さんが、FOR XXXX(息子の名前)と、病院のベンチに彫ってもらうように注文をしているということだったのだ。母親の彼女も知らなかった事実を、息子の霊が、知っていたのだ。コリンは、ある時には、その亡くなった人の名前をずばり言い当てたり、
口癖(くちぐせ)や、よくやっていた趣味などを的確に言い当てる。言い当てるといったら、おかしいかもしれないが、霊とのコンタクトを通じて、その霊の前世のことをも、見ることができるのだ。週に一回のこの番組を、私は、とても楽しみにして見ている。そして、毎回、観客と共に、声を出して泣いたりする。コリンの優しい笑顔に、更に、ウォーと、泣いたりするのだ。
彼のそのショーを、怪しむとか、疑うとか、信じるとか信じないという気持ちではなく、ただただ、そのショーを、ある人とある人との再会という形で、見ることができるのだ。再会して、涙する人々。聞きたかった言葉を聞いて、涙する人々。伝えたかった言葉を言えて、喜ぶ霊たち。不思議というよりは当たり前だろう、でも、なかなか体験できない、コリン フライのこのショーは、本当に不思議な番組だ。
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# by yayoitt | 2004-12-07 23:10 | 英国暮らしって... | Comments(0)
ADVENT CALENDER
今年も、11月末に、郵便が届いた。
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ダンディーの、おっとさんと、おっかさんからだ。私も旦那も、それが何かは、知っている。
それは、アドヴェントカレンダーである。アドヴェントADVENTとは、キリストの降臨節(キリスト誕生までの4週間)。そのカレンダーなので、12月1日から、24日までのカレンダーであるが、1日、1日が、めくれるようになっていて、めくると、中には、その日によって違う絵が書かれている。1から24までの番号は、その1枚のカレンダーの絵の上に、バラバラに散らばっている。カレンダーの絵は、様々で、今年私達が受け取ったのは、森の中、サンタクロースが橇(ソリ)に乗り、周りには沢山の動物が顔を出している、というもの。多分、おっとさん、おっかさんが、私達の動物愛護を意識して、選んだものだと思われる。私が、マイケルと結婚してから、必ず、このカレンダーを受け取っている。ただ、一度だけ、受け取らなかった年があった。それは、私と旦那が、スコットランドへ来春には引っ越す、と決まっていた11月。
今から、6年前になる。
現在、身体障害者になってしまったおっかさんが、病に倒れてしまった時だった。
マイケルが、また、姉のジェニファーが、どこにいても、必ず、両親からの、それが毎年届いていたのに、その年初めて、彼らの元に、アドヴェントカレンダーは届かなかった。
この時、ジェニファーは、届かなかったカレンダーと、お母さんの病を思い、ずっと泣き続けたらしい。それでも、奇跡的に、車椅子生活にはなったものの、翌年から、再び、カレンダーは届くようになった。しかも、両腕、特に、指がほとんど動かせなくなったおっかさんが、カレンダーの裏に、時間をかけて書いたらしい、   LOVE MUM XXX   の字を見つけた時には、みんなで歓声をあげた。この、XXX、“X”は“キス”の意味である。だから意味は、“愛を込めて、ママより、キスキスキス”。
私と旦那は、アドヴェントカレンダーで、毎年、競い合いをするのが常で、毎日、ひにちをめくった時に、中に描かれてある絵を当てるのだ。そして、24日間、当てた合計の多い方が、勝ちという、それだけの競い合い。でも、これが、2人とも、必死だからおもしろい。24日だけは、どんなアドヴェントカレンダーも、絵が決まっている。キリストが聖母マリアに抱かれているもの。昨年の勝者が、24日の分を、先に言うことが出来るルールで、もちろん、キリストと聖母マリアと言うから、自動的に一日分は得点を得ているのだ。去年は旦那が2-1で勝ったので、24日は、旦那の得点、ともう決まっている。中の絵は、そのカレンダーによって違うが、似たものが多く、冬とクリスマスにちなんだ物ばかりだ。ツリーだとか、靴下とか、サンタとか、クラッカーとか…。時々は、全く関係なさそうな、テディーベアとか出て来ると、二人で、
“なんでこれがクリスマスなのさ”と鼻息を荒立てる。毎晩、寝る前に、開けるこのカレンダー、ちょっとした一日のハイライトになっている。
私が初めて、アドヴェントカレンダーを知ったのは、看護婦時代。
オーストラリアへ、もう数週間で出掛ける頃だったと思う。
一緒に働いていた、ある女性医師(7月にご主人と会いに来てくれたので、その日記が7月分に書かれています)が、私の病院退職前に、それをプレゼントしてくれたのだ。彼女から頂いたのは、アドヴェントカレンダーのクリスマスカードで、その時の私は、それをどういう風にしたら良いかも、わからなかった。アメリカでの仕事経験などもある彼女が、それについて、色々教えてくれた。私は、結局、一日もひにちをめくることなく、オーストラリアに持って行き、
ただ大切に飾っていたのだが、いまだに、毎年、このカレンダーを受け取ると、彼女のことを思い出すのだ。前回、2年間日本に帰っていた時に、彼女とも再会し、また、旦那も共にとても楽しい時を過ごした。私は、仕事場で一緒だったので、懐かしい話を色々、彼女とした。
オーストラリアに行く前、一緒に働いていた時には、病院内の有志で、ちょっとしたバンドを組んだことがある。彼女はピアノを弾き、私はヴォーカリストの1人として、忘年会での披露に向けて、仕事後の暗い病院の一室で、他の医者や助手さんたちと、必死に練習をした。
歌ったのは、ビートルズの“HEY JUDE”“NOWHERE MAN”だったと思う。
これは、結構楽しくて、全部で8人くらいだったが、大成功したと記憶する。
新年宴会でも、再び、歌ったと思うので、結構、いけたんだろう、と思っている。
いや、自己満足だったか?いやいや、みんな、立って踊ってくれたはずだ。うん。
アドヴェントカレンダーから、色々蘇ってくる思い出、人々、おっかさんのこと…。
今晩の私の予想は、“靴下”で行くつもりだ。
# by yayoitt | 2004-12-06 23:05 | 英国文化って... | Comments(0)
ベッドで過ごす日
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昨日に引き続き、今日は沈んだままなので、日曜日だというのを良いことに、一日をベッドの中で過ごしたい日、となった。目を覚ましたり、また、ウトウトしたり、そして、眠りに入り、また、目覚めたり。目がさえると、枕の下に入れておいた読みかけの本を出して、数ページ読んでは、また、目を閉じる。身体が疲れている時よりも、精神的に疲れきっている時の方が、私はベッドで過ごす時間が長い。以前、ホームシックで長い間落ち込んでいた時も、多分、莫大な時間をベッドの中で過ごしたと思う。外界から自分自身を遮断し、また、眠りに入れば、現実からも遮断される。現実という壁に突き当たった時、私は、眠って夢を見たりすることで、どれだけでもの時間を現実から逃避して過ごすのだと思う。これは、決して解決法とか、癒す方法ではないけれど、自分の身体に、正直に従うと、こういう結果になるのだ。
心と身体は密接につながっているものだと、改めて、思わされる。
心が健康でないと、身体もそれに伴わない。心あっての、身体なのだ。
こんな、理由をつけて、私は丸一日、明るくなっても、ずっとベッドの中で過ごした。
旦那も、そんな私を、よく理解してくれているので、彼に感謝しながら、また、眠る。
夕方、ゴソゴソ起きだすと、ノーマンが、シッポを振って、会いに来た。
“あんた、今まで、どこにいたのさ?”
ノーマンを、思い切り抱きしめると、なんだか、泣けてきた。
# by yayoitt | 2004-12-05 23:02 | やっこの思想 | Comments(0)
お風呂に浸かる日
久し振りに、お湯を溜めて、お風呂に入った。特別な時だけ、私は、湯船に入る。何か理由がないと、湯船に浸かることはない。昨夜は、どうしても、湯船に浸かりたかった。
お湯に浸かって、どうなるかという訳でもないのに、亡霊のように、ただお湯に浮いていたかった。湯気の中で、うごめく景色を、ただボーっと見ていたい夜。人生、いろんなことがある。
嫌なことがあると、どうして、私にばかりこんなことが起こるのだろう、などと思う。
でも、それは、自分ばかりに起こっている訳では決してないことも、知っている。
ただ、傷付いた自分に同情して、悲劇のヒロインにとことん自分を引きずり込もう…
自然とそんな思いが浮かんでくるのならば、そんなヒロインになるのはお断りだ。
でも、いつの間にか、更に悲しい方へ、辛い自分へと、拍車をかけている。
こんな自分が大嫌いで、前向きに、強く行きたいのに、そういう肯定的な姿勢には、どうしても、なってはくれない自分。もっと、自分に自信があれば、少しは違ってくるのかもしれない。
こんな夜は、自分を嫌い、なぐさめ、けなし、同情し、そして、また嫌う。そんな身体を、ただ湯に浮かべると、何か違った思いが、湧いてくれるかもしれない。明日の夜は、違った思いで、湯船に入りたいと思うかもしれない。お風呂に浸かる日。

ただ、フワフワと、浮いてみたい、そんな夜。
# by yayoitt | 2004-12-04 22:58 | やっこの思想 | Comments(0)