ノーマンの性格を英語で言うと
NORMAN THE BEAGLE ビーグル犬ノーマン
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男の子の名を持つ彼女は、正真正銘の、BITCH(ビッチ=メス犬)だ。
でも、余りメスの犬がすることのない、マーキングをして廻るし、とっても STUBBORN(スタバーン=頑固)だし、DEMANDING(デマンディング=自己本位)、また、時に、執拗に要求してくることがあり、PUSHY(プッシー=ごり押しする)で、まさしく、彼女は、TOMBOY(トムボーイ=男勝り、おてんば娘)だ。そんな彼女だが、以外に GENEROUS(ジェネラス=寛大)なところもあり、特に、私と旦那に対しては、SUBMISSIVE(サブミッシブ=従順)。
自分より小さな犬に対しては、BULLY(ブリー=いじめっ子)である。なのに、大きな犬には知らん顔だったり、実は、COWARD(コワード=臆病者)らしい。旦那と私は、そんなノーマンを見た時には、彼女を“CHICKEN SHITE(チキンシャイツ=鶏のうんち)”と言ってからかうが、やっぱり意味は、臆病者、である。
アメリカ英語やイギリス英語では SHIT(シッツ)と言うけれど、スコットランドでは、SHITE(シャイツ)と発音する。ちなみに、これは、日常とてもよく使うスコットランド英語である。
“くそ!”とか、“クソみたいな物”の意味合いで使う。
…と、クソの話にそれてしまったが。“失礼”
ノーマンは、見た目がとってもかわいい犬なので、散歩中に、よく声をかけられる。
VERY CUTE!実際に、よくよく、彼女の歩く姿を見てみると、とにかく、何でも、落ちている物は食べ物と思い、駆け出し、匂いを嗅ぎ、少しでも食べ物の匂いがすれば、紙でもプラスチックでも何でも、口にする。とっても、GREEDY(グリーディー=貪欲、強欲、がつがつ)だから、見た目と実際には、大きな差があるのだ。何でも口にするから、時々、変な物を食べては、夜中に吐いたりするし、のどに詰まってゲホゲホするし、本当に、SILLY(スィリー=お馬鹿さん)だ。こんなノーマンだけど、私達にとって彼女は、ANGEL 天使 で、
SWEET とっても、愛らしく、BELOVED DOG 最愛の犬 なのだ。
# by yayoitt | 2004-11-30 00:35 | 愛犬ノーマンのこと | Comments(0)
英国ジョーク デヴィットベッカム編
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以前、英国一番おもしろいというデーターが出たジョークをご紹介した。そこで、日本人の笑いの感性と、英国人の笑いの感性の違いをしみじみ、感じた。毎日、いくつも、どこからかジョークが溢れては、携帯電話やコンピューターを通じて沢山の人に行き渡る。色々な人々が、色々な友人、知人に受け取っては、送る。旦那や私もここにいると、彼の友人や私の仕事仲間から、ジョークを受け取る機会が多い。その中で、数年前のものだが、私が“これは、おかしい”と、気に入ったものをご紹介したい。しかし、紹介するにあたり、下記の注意事項を必ず前もって読んで頂き、同意して頂きたい。
*** 注意事項 ***
1. 英語では、登場人物の声やアクセントを真似て話すジョークなので、日本語で画面上に書いてしまうのでは、笑いが減少することを理解して下さい。
2. もし、おかしくって、笑うのは結構ですが、決して鼻を垂らしたり、ましてや、よだれを垂らすなんてことはぁ、しないで下さい。
3. 心臓の弱い方、メディケーションを受けてみえる方は、注意してお読み下さい。
4. 笑えなくても、物を投げたり、画面を叩いたりしないで下さい。 
5. 万が一、笑えなくても、やっこは一切責任を負いませんのでご了承下さい。
6. ベッカムをベッカム様と、呼んでいる方のご利用はお控え下さい(笑)。

では、本題。
これは、デヴィットベッカムがまだ、マンチェスターユナイテッドにいる時のジョークです。

**********************************

最近、ベッカムは悩んでいた。
それはサッカーの試合にも現れていて、彼らしくないミスが続いていた。
そこで、心配したマネージャーのアレックスファーガソン(スコットランド人)が、
彼を自分のオフィスに呼び出した。
Alex  “ デイヴィット、最近のお前は一体、どうしたんだい? ”
Becham  “ 最近ちょっと悩み事があって眠れないんです、Sir。”
Alex “ なんだ?悩み事は?金を使い放題の女房か?長男のブルックリンか?それとも次男のロミオか? ”
Becham  “ Sir、違います。はぁぁぁ。僕はこのことを考えるだけで夜もろくに眠れないんですよ。”
Alex “ デイヴィット、一体なんだというんだ?言ってみろ。”
Becham  “ Sir、実は、タイガーなんですよ。そう、タイガー(トラ)。”
Alex “ タイガー?? ”
Becham  “ Sir、かっこいいタイガーなんですよぉ。タイガーの、ジグソーパズルなんです。”
Alex “ ジグソーパズル??”
Becham  “ はぁぁぁ…。Sir、そうなんですよぉ、かっこいいタイガーの絵のジグソーパズル、難しくて、これが全然出来ないんですよぉ。”
Alex “ 。。。”
Becham  “ はぁぁぁ…。Sir、僕は、このタイガーのジグソーのこと考えて夜も眠れず、もう一ヶ月以上経つんですよぉ。その箱の絵がかっこよくって、凄くいいタイガーなんだけどぉ、どうしても出来ないんだぁ。”
Alex “ … よし、デイヴィット、わかった。明日、そのジグソーパズルを、ここへ持って来い。俺が助けてやる。”
Becham  “ はいぃ、わかりました、Sir。でも、本当に難しいからぁ… ”
Alex “ ええい、うるさい。いいから、明日必ずここへ持って来い、いいか? ”
うつろな目をしてファーガソンのオフィスを出て行くベッカム。そして翌日、アレックスファーガソンのオフィス。ノックをして、元気のないベッカムが、溜め息をつきながら部屋に入ってきた。そして、大切そうに、そぉっとジグソーパズルの箱を、カバンから出して、マネージャーの目の前、机の上に置いた。
“ この、かっこいいタイガー、僕にはどうしてもこのパズルが出来ないんです ”
肩を落として、箱のタイガーの絵を見つめるベッカムにしばらく沈黙していたアレックスファーガソンは言った。
“ なぁ、デイヴィット。これは、ジグソーパズルじゃぁ、ないぞ。これは、フロスティー だ。”

*** 解説 *** 

フロスティーは、ケロッグの朝食、シリアルの一つ。トラのトニーがいつも箱に描かれてあります。そう、ベッカムがジグソーと思って毎日苦悩していたのは、フロスティー(コーンフレーク)だったのです。
# by yayoitt | 2004-11-29 05:32 | 英国暮らしって... | Comments(0)
数分だけの、人生模様
たった数分の出会いではあるが、靴屋に勤め始めてから、色々な人間模様、人生模様を、
そこに来たお客さんに見るようになった。多分、客商売の人は、皆、同じ様な経験をしているのではないだろうか。看護婦をしている時には、それが見えすぎて、悲しくなったり、辛くなって、嫌になったものだ。看護婦の仕事柄、患者さんからの言葉、目で見た観察だけでなく、カルテという、詳しいバックグラウンドを、知ってしまうからだ。他人(ひと)との出逢いが、そのドアを開けた時に、始まる。
    ♪チーン♪
髪を赤く染めた40代前半の女性、数ヶ月前にDr.Martensの靴を一足買ったが、今回は、窓に飾られた、この秋新作の、Dr.Martensのブーツを買いに来た。今年の夏が終わる頃、ファッション雑誌に、“足元だけは、ギリギリまで、覆い隠さずに、サンダルでいるのがポイント”とあった。彼女は、11月始めの来店の時、新たにピンクに染めた髪に良く似合う、高価そうなピンクのコートをまとい、黒いスマートなパンツに、足元だけは、ヒールのあるサンダルだった。彼女の家には、きっと、60足もの靴と、大きな鏡が各部屋にあるに違いない。
    ♪チーン♪
入ってくると同時に笑顔、私が声をかけるか否か、その日焼けした優しい笑顔の彼が言う。
“元気?お店は、忙しいの?”もちろん、面識は一切ない。髪はヒッピー風、首の辺りには、サーフィンを連想させる、エキゾチックな手作りのネックレース。オーストラリア訛りの英語を聞かなくても、それとなく、オーストラリア人を知れる。セーフティーブーツ(爪先にスチールが入った、仕事用のブーツ)が欲しいと言う。セーフティーブーツは、ピンから切りで、一番やすい物で£20(4千円)、これが見た目が悪く、硬い皮で覆われ、靴底もとっても基本的、一番高い物で£100(2万円)、TIMBERLAND(日本でも人気があるブランド靴)である。彼は笑顔で照れる感じもなく、ためらいなく、一番安い、その黒い塊(かたまり)を差して、“サイズ9ある?”と聞く。試着中、椅子にかけて、半袖からスラッと伸ばした腕に、東西南北を示す絵柄のタトゥーが見える。彼が言う。“仕事の為に、高いお金払いたくないからね。”
オーストラリアから、ヨーロッパを旅しがてら、お金が尽きると肉体労働をして稼ぎ、バックパッカーズに宿泊し、この国にいたいだけいた後、東ヨーロッパを巡り、ロシアを冒険するんだろうな、そして、赤の広場の前に立ち、ちょっと身震いしながらも、サラッと笑って立ち去るのだろう。
    ♪チーン♪
厳格そうな母親と、ニコリともしない父親が先に店に入る。その後ろを、黒の革の引きずりそうに長いジャケットに身をくるんだ、15歳くらいの男の子が黙ったまま歩いている。Dr.Martensの、14ホールの長いブーツにチラッと目を向けるが、すぐにそのまま、店の中央の椅子に、大きな音を立てて、ドサッと座る。母親と父親は、無口に、時々小声で喋りながら、アーミーブーツ、そして、店全体を見て廻る。椅子に座って、両親の方に背を向けたままの息子に、母親が、丁寧な口調で聞く。“あなたが欲しいって言ってたのは、そのブーツなの?”
息子が、少し肩をすぼめて、“別に”とでも言わんばかり。大きな溜め息の後、一言も口を開かずに、14ホールのDr.Martensの赤いブーツを、だるそうに指差す。そして、丁寧に母親が私に聞く。“この、サイズ10は、あるかしら?”息子が、やはり気だるそうに、仕方なさそうに試着する。いいとも悪いとも言わず、母親に少し頷(うなづ)いて見せて、母親は、息子の脱ぎ捨てたブーツを手に取り、私に渡し、父親が後ろで黙って、妻の手元を眺める中、ゴールドのカードで支払いする。£69.9(約14,000円)のブーツの入った袋を、母親が手に取ろうとしたので、私はすかざず、後ろで、宙を眺めて貧乏揺すりしている息子に、“はい”と渡す。
母親は、後ろの息子を振り返り、息子は、仕方なさそうに、その袋を手に取る。裕福な一戸建ての家のリビング、そのファイヤープレース(暖炉)には、息子の子供の頃の写真が飾られているが、実際に、背丈ばかり大きくなった息子は、ほとんどリビングで過ごすことはなく、キッチンの冷蔵庫からコークを取り出し、乱暴に閉め、すぐに自分の部屋へと閉じこもる。クリスマスには、プレゼントはお金がいいと言うくせに、うるさい祖父母が来るからと、似たような考えの友人と外をただ歩いてみたりするのだろう。
    ♪チーン♪
太った母親と、にぎやかに、乱暴な口調で喋り続ける女の子達4人。母親は、暑くもないのに汗をかき、一番大きな娘を催促する。一番大きな、痩せて薄着の女の子が聞く。
“この子が、ケデッツ(英国アーミーの、子供様のトレーニングコース)に入るんだけど。”
黒髪がベタッと顔に張り付いた、笑顔のない10歳くらいの女の子を指差しながら。私が、ケデッツ仕様のアーミーブーツを3種類示すと、一番安いのを手にして、“これのサイズ4ある?”3人の女の子が見守る中、必死に、長い黒紐を締め上げる女の子。“歩ってみなきゃわからんでしょう?”と、誰かに乱暴に言われ、うつむいたまま、2つある鏡の間を、行ったり来たりする。母親は、汗をかいたまま、財布を取り出し、お金の勘定をする。大きな女の子の支持で靴を脱いだ小さな女の子が、自ら、私の手元に靴を持ってきて言う。“これ、ください。”
他、3人の女の子は、“じゃぁ、**で待ってるから、いい?”と言い、店を出て行く。汗っかきの母親の、汗ばんだ手から、折り曲げられたり、伸ばしたりされた4枚の紙幣が渡される。
“£34.99で、はい、£35ね。1ペニーの、おつりです。”母親は焦るように店を出、その後ろを、にこりとも笑わなかった小さな女の子が、ありがとう、と言って出て行った。失業保険で、4人の娘を育て、父親も母親も、あいにく長期間の仕事には就けず、それでも、娘は自立心が強く、乱暴だけど、リビングには誰かの叫ぶ声、笑う声、怒る声が絶えない。肉体労働の父親は、怒鳴りつけるし、母親は、うるさいとヒステリーになりながらも、今年のクリスマスには、奮発してプレゼントを買い集め、リビングに飾られたナイロン製のツリーの周りは、にぎやかに金色や赤い紙で包まれたプレゼントが並ぶ。騒がしくても、子供達がいないと、すぐに涙してしまうような、父親と母親。来年頃は、一番上の女の子が妊娠し、子供を生むかもしれない。10代と若くして、その赤ん坊の父親はいないけど、彼女の汗っかきの母親は、おばあちゃんになったことを、逢う人みんなに、言って廻るのだろう。
私が見る人生模様、そこから想像する人生模様、この人達、1人1人に、それでも、笑顔と夢のある、クリスマスが来ることを願いたい。
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# by yayoitt | 2004-11-29 00:38 | 英国暮らしって... | Comments(0)
ノーマンとジャネット
昨夜、土曜の夜は、旦那の親友、私達のビーグル犬ノーマンの、名前元、ノーマンと、彼の奥さんのジャネットを食事に招待した。私は、夕方の5時まで仕事だったので、終わると早速に帰ってきて、旦那が日中に買い揃えておいてくれた食料をチェック。
“オッケー、全てあるぞ、マイケル、でかした!”
メニューは、下の通り。
** 白ワインで乾杯の時のおつまみ…
緑と黒のオリーブ(ビネガー漬け)、プリングルス(両方購入した物)
** スターター(前菜)前のおつまみ…
マフィンにオリーブとモッツァレラチーズ、ガーリックバターにバジルをこねたペーストを乗せ、ハチミツで作ったドレッシングを上に掛けて、グリルで焼いたもの
…これが美味しかったぁ♪
** 前菜(スターター)…
アボカドをスライスし、鶏もも肉を茹でて裂き、盛り合わせ、わさび、醤油、酢で作ったドレッシングを掛けたもの…私は、アボカドだけ、チキンの味見は旦那の役目
** メイン…
肉じゃが!! と 白いご飯 
…甘めにして、かぼちゃ、サツマイモも入れて、こちらでは非常に高い、“みりん”はふんだんに使って作った。…お肉は、上等の柔らかいビーフで、別に玉ねぎと炒めておいて、私の肉じゃが分だけ取り出した後、お肉を入れてクツクツ煮込んだ。
** デザート…
マーキーズ(MARKS&SPENCER)の、ラズベリーチーズケーキ
…マーキーズの食品は、とっても品質が良く、特に、READY MADE(既に調理してあって、温めるだけ)や、デザートは、長年に渡って、多くの国民からの支持を得ている。旦那のおっかさんは、マーキーズの服しか、着ないし、香水もマーキーズだ。
ノーマンの奥さんは、ちょっとしたお嬢様で、とても舌が肥えている。また、彼女は、料理がとっても上手くて、頻繁に友人を呼んでは、その腕前を披露している。もちろん、ノーマンも、その彼女と大学時代からずっと一緒にいる訳で、彼の舌が肥えていないはずはない。もの凄く大きなプレッシャーではあったが、まずまずの出来だった、と私は振り返って思う。彼らと旦那の出会いは、大学時代である。エーディンバラ大学在学中、旦那とノーマンは、フラットのシェアーメートとして出会ったのだ。2人でのシェアーではなく、他にも2人の男子学生と、4人でシェアーしていたらしい。ジャネットは、その頃のノーマンのガールフレンドで、写真を見せてもらうと、金髪で笑顔のかわいい女の子だ。ノーマンと旦那は、性格が似ていることもあり、今もなお、親友として、毎週何かかにかスポーツをしたりしている。2人とも、人生に悲観的、悲しいくらい現実的、そしてスポーツ大好き、音楽大好き、という4点が特に似ている。
ノーマンは精神科医で、時々、元患者さんのストーカー被害に遭いながらも、高級住宅街で、ジャネットと2人で暮らしている。2年半前の2002年6月には、私達の日本帰国と一緒に、彼ら夫婦も日本に旅行に来た。予約しておいた、ワールドカップ神戸戦を見る為ではあったが、一緒に、京都、広島、そして私の故郷へと旅をして、幾晩もカラオケしたりして楽しく過ごしたのだ。ジメジメと、でも、ジリジリ暑い初夏の日本を、汗だくで、4人で、色々歩き回った。これを機会に、私自身、彼らとの関係が近くなり、2人は、それほど数多くない、気兼ねせずに会える旦那の友人となった。昨夜は結局、1時半頃まで音楽のこと(旦那とノーマンが燃える)や、テレビのこと(ジャネットと私が燃える)、スポーツのこと(旦那とノーマンが燃える)、ショッピングのこと(私とジャネットが燃える)、政治の話(私が、消える)で、盛り上がった。
日本に行く前は、私は、同じ過去を彼らと共有していなかったので、なかなか気持ちが楽ではなかった。でも、一緒に、暑い京都を歩いたり、カラオケで唾を飛ばしたり、奥飛騨の温泉で同じ湯につかったとの過去を共有してから、彼らと私たちとの関係は、とっても近くなったような気がする。
# by yayoitt | 2004-11-28 00:43 | 英国暮らしって... | Comments(0)
マンディーの開花
6ヶ月前に、5年間付き合ってきた男性と別れたマンディー。別れて数週間後に、彼の方に新しい彼女ができ、マンディーは、悲しみというよりは、莫大なショックを受けていた。女の子の友人達と出掛けてみたり、毎週末は、ナイトクラブで踊ってみたりしても、マンディーの憂鬱は、晴れなかった。それでも、今までは友人だったある男性との、急接近をきっかけに、彼女はしばらくしていなかった、腹の底から、笑ったりし始めた。マンディーは、とってもロマンチックだ。でも、とてもやきもち妬きで、嫉妬深くもある。新しい関係で歩き出した、その男性に、毎日、数回のテキストメッセージを送った。彼女は、仕事中でも電話して、ロマンチックな言葉を言った。彼が仕事中でも、マンディーが、そうしたいと思った時に、愛しているよ!と電話をした。彼は、突然ある夜をさかいに、ズンズンと迫って来た熱い嵐に、恋心も、マンディーと楽しく過ごしたい、という気持ちさえも、吹き飛ばされてしまった。そして、マンディーは、傷ついた。もう傷付きたくないと、思っていたのに、自分で自分を、深い傷に、またもや放り込んでしまったのだ。マンディーは、またしばらくを、泣いたり、女の友人と出掛けては過ごした。
少しずつマンディーにとって、夜は、女友達と出掛けることが、普通になりかけてきた。日曜日は、母親と息子と過ごすことが、普通になりかけてきた。でも、土曜日は、ワイルドに遊びまわることも、普通になりかけてきた。特定の男性を選ばず、1人を楽しみ、1人のスペースとペースを壊さないこと。それが、彼女のルールになり、色々な男性、もしくわ女性と、笑って踊って、惹かれ合って、ただ、その時を一生懸命楽しんでいるマンディー。彼女は言う。
“ もう何年も前に、私は、私の女としての青春は、とうに終わったかと思っていたの。でも、今、私は、まるで20歳の頃のように、毎日を楽しみ、心から笑っているわ。私の、人生2度目の、恋愛最高潮(ピーク)なのよ! ”マンディーには、現在、パートナーはいない。
かと言って、毎週、誰かとキスをする。でも、それ以上の関係は、絶対にしない。
もっと、よく知り合ってからでないと、それは出来ない、と彼女は言う。
“ 縛りあわない関係、縛らない、縛られない、この自由が、とても恋しいわ。”
縛ることで、安心と、安堵、安全な居場所を確立してきた彼女が、深い傷口を、冷静に見つめたことで、見出した、彼女なりの治療法だ。“ 今年は、私にとって、人生最高の年だわ。”
同じ年に、傷付いたことも含めて、彼女はそう言った。
# by yayoitt | 2004-11-26 00:45 | 恋愛とは... | Comments(0)
懐かしき銭湯
高校に入るまで、うちには風呂がなかった。だから、近くの銭湯に、子供の頃なら2日か3日に1回通った。銭湯に毎日行くようになったのは、ちょっと色気づいて、好きな男の子が出来た頃からだ。銭湯の思い出は、独特のものがある。
私と家族が通っていた銭湯は、家から歩いて60歩ほどのところにあって、毎晩、特に夕食後は、とても混んでいた。入り口から男女別々で、夏にはドアは開けっ放しで、大きな湯と書いた暖簾(のれん)が風に揺れると、外からは、玄関の上がりたてにある更衣場で、着替える裸の人が、はっきり見えたものだ。入り口を入ると、女性側からは右手、男性側の入り口からは左手の高い所に番台がある。そこには、いつも、その銭湯を営む家族のうち、おばあちゃんか、おばさん、又は、娘(年頃の)が座っていた。今思うと、年頃の若い娘にとって、その番台は、結構、難しいものだったろう。番台からは、更衣場が、全て見渡せるから、男の人の裸を常に見る事となる。番台には、小さなテレビが置いてあり、彼女らは、いつもテレビで、“8時だよ全員集合”など見ていた。番台の、そのテレビの横には、小さなナイロンの入れ物に入ったシャンプーが20円ほどで売ってあった。他にも、あかすりや、かみそり、石鹸も用意してあった。その頃、余り、リンス(コンディショナー)という物には面識がなく、いつもシャンプーだけしていたが、髪がばさばさになることに気が付いたのは、やはり、私自身年頃になり、サラサラの髪を意識し始めてからだった。風呂代は、幾らか忘れてしまったが、髪を洗う場合は、プラス数十円払わなければならなかった。銭湯は、外まで、石鹸のいい匂いがしたが、実際に中に入ると、髪の毛が詰まっていたりして、数箇所ある排水溝の周りは、臭かったりもした。
ケロリンと書かれた黄色い桶(おけ)があり、始めは、座る椅子はなかったので、タイルの上に正座して、身体や髪を洗っていたと記憶する。シャワーが取り付けられたのも遅い時期で、コの字に陳列する洗い場には、赤の“湯”と書かれた蛇口と、青の“水”と書かれた蛇口、
そして何々商店、と、その下に書かれてある鏡があるだけだった。風呂場の真ん中には、冷たいタイルで出来た、背を向けて取り付けられた洗い場が4つあり、このうち、2つは、お尻を湯船に向けて座る格好だったので、私は嫌っていた。湯船は、2つに分かれて並んでいたが、片方が少し深いくらいで、お湯の温度などにさほど差はなかった。それでも、深い方(おっきい人の)は、新しい湯が入って来て、浅い方(ちっちゃい人の)には、水の蛇口があった。
湯は、いつも熱かったので、私はちっちゃい人の湯船に、まず水で少し埋めてから、そろそろと入った。シャワーが取り付けられるまでは、蛇口から熱い湯と水を、ケロリンの桶に入れて、何回も頭からかぶって髪を洗った。私は、物心付いた頃から、濡れた床が嫌いで、タイルの上をいつも、爪先立てで歩いていた。また、隣から流れてくる汚水や髪の毛が気持ち悪く感じて、目をつぶって、なるべく見ないように計らった。排水溝の隣の洗い場に座るのは極力避け、込み合っていて洗い場が開いていない時は、ジッと湯船で息を潜め、潜水艦からジーッと、狙った洗い場を見つめる、湯だったタコと化していたものだ。湯船の中からは、色々な背中が見えた。太った背中。骨ばっかりの背中。曲がった背中。縫った痕のある背中。それぞれの人生を刻む背中。熱いお湯から上がって、真っ赤にゆであがった私の背中は、まだ平らで小さかった。学校で、家で、外で、色々な楽しい、悲しい思いをしながら、その湯船から、大人の背中を見つめ続けていた。ケロリンの桶がタイルに当たる音、お湯が蛇口から噴出す音、誰かの咳払い、音は全て、湯煙の膜の中で反響してこだまし、まるで遠くから聞こえる様であった。時には母と、時には姉と、時には向かいのあけちゃんと入る風呂は、楽しかった。1人の風呂は、リラックスなどとはほど遠く、孤独と縄張り争い(自分ひとりで、勝手に使いたい洗い場を狙っていただけだが)、煮えた熱い湯との格闘、苦悩の方が大きかった気がする。濡れたまま更衣場に出ると、髪を洗っていないのに、湯気で濡れた髪を、番台のおばさんが見ている気がして、いつも、わざと頭をタオルで拭かずに、濡れたまま、うつむいて“ありがと”を言い、寒い夜も、飛んで家に帰って行ったものだ。
銭湯には、長年の私の思い出が一杯、詰まっている。いつの間にか、その銭湯はなくなってしまった。町にあった2、3件の銭湯は、全く姿を消してしまった。あの暖簾(のれん)も、あのこだまする会話や水の音も、ケロリンの黄色い桶も、もう、そこにはない。
# by yayoitt | 2004-11-25 00:47 | 思い出 | Comments(0)
スコットランドのサザエさん
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サザエさんは、長年、日本人に愛されてきた、そして今の子供達も知っている漫画。
スコットランドにも、サザエさんの如く、長年、そして、現代の子供達にも愛されている漫画がある。同じ漫画家によるもので、2つの作品である。1つは、子だくさんの家族を描いたもの。もう1つは、ウィリーという男の子が主人公のもの。
前者は、THE BROONS で、BROWN家を描いたもの。
スペルが OWN ではなく、OON になっているのは、スコットランドの発音で、ブラウンを、ブルーン、と言うからである。 
後者は、OOR WULLIE で、WILLY(WILLIAM)という男の子の話。
これも、正しくは OUR WILLY であるが、発音が アオァ は、ウール、ウィリー は、ウリー となるからだ。漫画は、年に1度、出版されている。
初版は、THE BROONS で1939年、128ページにも及ぶマンガ本。
現在では、なかなかこの初版を手に入れるのは難しく、値段的に、£2,000から£3,000(40万円から60万円)はするらしい。クリスチャン(カトリック)独特の大家族(子供が多い=避妊をしないので)で、お父さん、お母さん、背がひょろひょろ高い息子、がっしりした息子、器量の悪い太った娘、とっても綺麗な娘、賢い息子、双子の男の子、そして一番小さい女の子の、10人家族。別に暮らす、お父さんの父親、おじいさんもいる。このおじいさんは、時々、OOR WULLIE にも登場する。翌年、OOR WULLIE の初刊が出版され、96ページに及ぶ。WULLIE は、お父さんとお母さんの3人暮らしで、いつも、ダンガリー(胸当てのある吊り下げズボン)をはき、とっても元気で、いたずらな男の子、ペットにねずみを飼い、庭には彼のお気に入りの椅子(バケツをうつぶせた)があり、どのストーリーも、最後は、彼がそのバケツに座って一言何か言う、という風で終わる。両方とも、住まいはフラット(アパート)で、行事があるとキルトを着たり、ケリーを踊ったりと、スコットランドの様子がよく現れていて、興味深い。
この漫画の生みの親は、DUDLEY DEXTER WATKINS(ダドゥリー デキスター ワトキンズ)。1907年 イギリスはマンチェスターに生まれるが、18歳の時に、家族とスコットランドのダンディーに移住した。彼は、グラスゴーのアートカレッジに通い、その恩師の勧めで、ダンディーにあるD.C.THOMSON という出版社を紹介される。そこで、6ヶ月という期限付きの契約で、新聞のイラストを描きはじめるが、短期間の仕事の予定が、結局、彼は1969年に他界するまで、このダンディーで過ごすこととなる。
ダンディーは、3つの“J”で有名、と言われていた。
1. JAM ジャム
2.JOURNALISM ジャーナリズム
3.JUTE ジュート(米袋などに使われる繊維)
私の旦那はダンディー生まれで、月に1回は、彼の両親の所へ行くが、昔は栄えたであろうその街も、時の流れと共に、産業が落ち込み、大分、静かになってしまったようである。
今もなお、毎年、このマンガ本は、1年に1回、クリスマスの頃に発売される。誰が受け継いでいるのかは知らないが、多分、そこも、サザエさんのようなものだと思われる。私も、実は、毎年クリスマスのプレゼントに、このどちらかを、旦那のおっとさん、おっかさんから頂く。
漫画は、4コマではなく、A4紙1ページに及ぶもので、話し言葉が、全部スコットランドなまりで英語で書いてあるので、最初は、余り意味がわからなかった。でも、声を出して読んでみると、それは、まさしく、スコットランド訛り、になるからおもしろい。これで、かなり私のスコットランド語の勉強に、役立ったことは確かだ。
# by yayoitt | 2004-11-24 00:50 | 英国暮らしって... | Comments(0)
耳が燃える?
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仕事中に、隣の店(同じ会社で、同じオーナー)に用事があり、立ち寄った時のこと。
店には、お客さんは誰もいなかったが、従業員の男の子1人と、最近マネージャーとして仕事を始めたばかりの男の子が1人、向かい合って、配達された品物の整理をしていた。
私が店に入って行くと、2人が私を見て、笑顔でこう言った。
WERE YOUR EARS BURNING?直訳すれば、“あんたの耳、燃えてなかった?”
もちろん、私の耳は、無事だ。英語のこの表現は、うわさ話の時に使われる。
意味は、“今ね、あんたの噂をしてたんだよ!”という意味。
そう言われた私であったが、もし悪い噂をしていたのなら、きっと、私が入って来た時、シーンとなって、“ハロー、やっこ!”とでもごまかすだろうし、わざわざ本人に、今あんたの噂してたの”とは、笑顔では言わないはずだ。私は、“全く、なんて言ってたのよぉ”と言いながらも、別に真剣に知りたい訳でもなかった。多分、先週の、毛糸のパンツの話でもしてたに違いないから。いじめられっこ、泣き虫の子供から、道化師へと生まれ変わり、人を笑わせることに懸命になっていた私は、20代の頃迄は、他人のする自分の噂が、気になって気になって仕方がなかった。でも、30代に入って、他人の噂は、ほとんど、どうでもよくなって来た。
そのくせ、旦那と誰かが、私のことを笑いながらコソコソ話してそうだと、“鼻なし?”“不細工(ぶさいく)?”“顔がまん丸?”“おつむが今ひとつ?”何言ってるんだろう??と気になり、後で旦那をしつこく追及したりもする。となり、自分の耳に、目に入らない限り、誰かが自分の噂してても、平気…。人並みに、気にもするが、気にもしない、のだ。
この 噂 の現場を、英語で表現してみよう。

*** やっこの、奥様劇場 ***

若い男 : DID YOU HEAR THAT YAKKO WAS WEARING GRANNY’S   KNICKERS YESTERDAY?
まずまず若い男 : WELL, I KIND OF KNEW SHE WAS A WEIRDO. 
BUT…DID YOU SEE THEM?
若い男 : OH,YES.IT WAS NIGHTMARE!
まずまず若い男 : EEEK!
 ♪CLICK♪
まずまず若い男 : PSSSSS! 
若い男 : OOOPS, HERE COMES THE DEVIL. 
やっこ : WHAT ARE YOU TALKING ABOUT?
男両方 : HAHAHA! SPEAK OF THE DEVIL!!
やっこ : TALKING ABOUT ME??
♪TARAAAAAAN♪

   日本語訳

若い男 : やっこが、昨日、ばあさんパンツを履いてたって、知ってる?
まずまず若い男 : うーん、あいつ、なんか変わり者ってことは知ってたけど。
でも … お前、見たの?
若い男 : おお、見たよ。もう、ありゃぁ悪夢だよ!
まずまず若い男 : うえぇぇぇ!
 ♪ガチャ♪ (ドアの開く音)
まずまず若い男 : シィ――――! 
若い男 : おっとぉ,噂をすれば…だな。 
やっこ : あんたら2人、何はなしてんの?
男両方 : ははは!噂をすれば影、さ!
やっこ : あたしの話し、してたんかい??
♪チャンチャン♪
# by yayoitt | 2004-11-23 00:54 | English | Comments(0)
日本の友人に、感謝! 其の2
今年の6月25日に、旦那より2週間遅れて、スコットランドにノーマンと到着。
グレーの空、よく見慣れた空だった。厚い雲の層が、勢いよく流れる、感じ慣れた風を受けた。独特の方言で笑い合う人々、静かだけどいつもどこからか聞こえる喧騒。
黄色い電灯に映し出される、古い建物の並。帰って来てしまったんだ。
これが、私の最初の言葉、溜め息と共に漏らした。
日本での最後の夜は、成田で、田舎から両親と姉が見送りに出てきてくれた。
4人で空港敷地内のホテルに宿泊して、空港近くの高級ホテルに夕食にも行った。
初夏と言えど、毎年暑さは厳しくなるので、この日もジリジリ、暑かった。
年老いた母と父、田舎から電車を乗り継ぎ、何時間もかけて、来てくれた。
真ん中の姉も、飛行機で、富山から子供と旦那さんを家において、来てくれた。
肩の出たテラテラっとしたサマードレスに、サンダル、暑くても、気持ちが良かったし、夕食のホテルは、冷房が効いて寒いくらいで、そこに長袖を羽織らないと、すぐにくしゃみが出た。
4人で笑って、馬鹿な話をし、食事を楽しみ、そして来年、もしくわいつか絶対にスコットランドに来ると、母と父、姉は私に約束をして、何となく4人とも静かになってしまったものだ。
翌日、朝早くの飛行機で、私は日本を発った。
あいにく、空港が人で込んでいたのと、ハリーポッターのロン役の男の子の到着と重なり、
私は、母と抱き合い、父と抱き合い、姉に笑ってピースをしてビデオを撮ってもらい、誰かの顔が、崩れてしまうその前に、背中を向けて人込みに紛れることが出来た。
その瞬間から、日本での忙しさ、多くの別れ、葛藤、全てが吹っ切れたのだ。
それでも、飛行機の中で、平行飛行に入った頃から涙が止まらず、斜め後ろにいた、日本人ツアーの添乗員らしき若い女の子に、“すいません、荷物とらせてもらっていいですか?”と、声をかけられるまでずっと泣き続けた。
スコットランドに到着。バスで街の中央まで出る。すぐに見慣れてしまうほど、馴染んだ景色だった。右手にお城を眺めながら、街の中央を走るバス。帰ってきたことに、ワクワクもしたが、もう悲しくはなかった。日本を離れて、少しの間泣いて、私の心はもう、前向きになっていたのだ。懐かしいフラットに着くと、旦那と、先に到着していたノーマンが待っていた。
旦那が作ってくれた夕食を食べ、熱いコーヒーを飲むと、生活が、始まった。
私は、今回の渡英に際し、モットーを立てていた。
“自分に嘘をつかない、我慢しない、自分らしさを守る”前の3年間で、好きでもないお酒に付き合ったり、興味が余りないのに、話の種にと無理して新聞で得た知識だけで、クリケットを語ったり、こういう無理をやめよう。嫌いなものは嫌いだし、興味が無いものは話題に無理に出さない。いわゆる、私の中での開き直り…でも、これは、私自身をこの海外生活から守る、大切な盾(たて)となったのだ。そして、日本と交わりを持つべく、インターネットに時間を費やした。日本に残してきた家族と、友人と、一杯メールで話しをした。その時の私は、それを欲していたから。そして、何とかこのページを作ってみた。(知識が無いので、このままなのだが)
検索して、海外に住む、英国に住む、スコットランドに住む、日本人のホームページを探し回り、エーデインバラに住む日本人のホームページも探して、そうして、1人の日本人女性と、コンタクトを取ったのが、この夏。私がここに来て、まだ1ヶ月ほどの時だった。
彼女は素敵なウェブサイトを立ち上げていたので、何回も何回も、毎日立ち寄り、そして、偶然にも、お互いの家が近いことをきっかけに、実際にお会いすることとなったのだ。その、私としては初体験の、インターネットを通じての誰かとの出会いに、感動するやら、のぼせるやら、浮かれていた。そして、たった1ヶ月日本を離れていただけでも、自分がどれほど、日本人の人との接触を欲しがっていたかが、しみじみと、わかったのだ。この出会いを通じて、新たに、もう1人の日本人女性と出逢った。それぞれ、パートナーとは一緒でも、親や兄弟姉妹がここにいない、それなりに知人は出来ても、心を許す親友は、日本にいて会えない、沢山の共通点があり、すぐに仲良くなったのだ。今でも、何かと一緒にお茶してみたり、先日はパーティーに招待されて、旦那とすっかり居座って、ゲラゲラ、ガハガハ笑い、旦那などすっかり酔っ払って、夜中に数回、ゲーゲー(失礼)したほど、楽しく飲んだのだ。キッチンに何となく日本人だけが集まると、日本のテレビの話をしたり、日本のギャグで大笑いしたりもした。
その夜は、新しい日本人の友人もできた。私は、飾らず、自分の言葉で、ギャーギャー喋っては笑える、この空間を、この上なく愛している。どれは、毎日ではないけだけに、確実に、心のオアシス、となっているのだ。同じ文化、同じバックグラウンド、同じ笑いのセンス。
これらを共有することは、人間、生きていく中で、欠かせないものなのだ、と今わかる。
5年半前にここに到着した私は、これを、自ら避けて生きていたのだ。
本当は、欲しくて欲しくてたまらなかったのに、自分をごまかし、嘘をつき、他の仮面をつけて、ここで、自然に暮らそうとしていたのだ。こんな不自然な生活が、続くはずはなかった。
あの時の苦しさ、切なさ、寂しさを経験して、今回のこの生活が始まって、本当に良かったと思う。私は、愛する日本の人々なしで、この自分の生まれ育ったのとは到底違う国で、明るく生きていけるほど、強くもなく、自立もしていない。常に誰かの助けが欲しい、1人だと、気楽ではなく、気悲(作った字です)な人間なのだ。そのことに、今更、嘘は付かない。この正直な自分を抱えて、この国で、ゆっくり長く、旦那とノーマンと一緒に生きていくんだ。
そして、愛すべく、日本人の友人達と。
# by yayoitt | 2004-11-22 00:59 | 英国暮らしって... | Comments(2)
日本の友人に、感謝! 其の1
今から、約5年半前に、初めてスコットランドに引っ越して来た。
オーストラリアで20ヶ月を過ごしたものの、本格的に生活するという形での、海外渡航は初めてであった。旦那とはその1年半前に日本で結婚しており、旦那と2人、彼の生まれ育った国、そして、彼の青春時代を過ごした街での、私にとっては、何もかも新しい生活の出発であった。正直、かなり焦ってもいたし、神経質にもなっていた。特に、自分の英語力に対して、不安で仕方がなかった。オーストラリアでは、英語を学ぶ学生という立場で生活し始めたので、実際に1人で外に出ても、物を買うにも、トラムに乗るにも、多少の英語の間違いは、平気だ、と自分の中で決め込んでいたのである。英語でトラブルがあっても、学生にとっての間違いは、いい経験!と、すっかり学生生活を満喫することに専念していた。そして、時間的にもリミットがあったので、いずれは日本に帰る、という、心に余裕があったのだ。この心の余裕は、怠惰を生み出してしまっていた。日本に帰れば、これくらい英語が喋れればたいしたものさ!という、悲しい諦めと自信で、自分の可能性を抑え付けてしまっていた。また、何でも、旦那に聞けば大丈夫!という、安心感もあった。
オーストラリアに、旦那と2人で見切りをつけ、日本に帰った。
1年半を2人で楽しみ、一生懸命に働き、1999年、スコットランドへの移住に踏み切ったのだ。スコットランドで私は何をするのか?英語を学ぶ、学生ではない。旦那と2人、生活していかなくてはいけない。働かなくてはいけない。いずれ、それは平凡な生活のひとこまになり、毎日を、サラッと、平気に過ごせるようにならなくてはいけない。生活に対しての、プレッシャーを生み出した。スコットランドに到着し、英語の壁だけではなく、カルチャーの壁と気候の壁、旦那の家族との壁など、色々な壁を、肩に力を入れすぎたお陰で、沢山作り上げてしまった。焦っていた。生活がぎこちなく、自分の家にいても、そこは外国の、独りぼっちの蚊帳の中。自然な自分を見失ってしまったのだ。特に、英語に対して、かなり不安があり、悲しい選択をしてしまった。“よし。日本語を生活から取り去ろう。日本人との接触を持たないようにしよう。”街のホテルは、レストランでの仕事は、とっても楽しかった。何もかも初めてで、必死で、夢中で、自分の思いを振り払い、現地の人との付き合いなら、どこへでも行った。常に自分を高い所に持ち上げて、心が、“嫌だなぁ”と声をあげても、知らん顔をしていた。お酒が飲めない上、パブへ行っても、会話が聞こえないし、楽しめないのに、毎週金曜日には、仕事帰りに同僚に付いて、パブへ行った。会話がわからず、それでも付いて来た以上、ニコニコして頷(うなず)いたりして。同僚が楽しくお酒を飲む間、何倍もレモネードを飲み干した。
…同等な、仲間でいたかったのだ。そうして、疲れて、落ち込んで、家に帰る。
それでも、旦那には、誰がこんなこと言ったとか、誰はいつ結婚するそうだとか、楽しんできた様子で、話していた。旦那に対しては、変なプライドもあり、本当の気持ちは隠していた。
これは、確実に私の心と身体を、救いようのない疲れの積み重ねへと運んで行った。
それでも3年も経てば、それなりに毎日を楽しみもしたし、気を遣わなくてすむ、現地の友人も出来た。でも、この疲れと悲しい気持ちだけは、ずっと張り付いて剥がれずにいたのだ。
日本の友人を恋しい、と思う自分を無視して、日本の家族に会いたい、とせがむ自分を閉じ込めて。“私は、スコットランドで生活を始めたのだから、スコットランドの人の様に、生活をするんだ。”2年目終わりの、日本への一時帰国で、正直な気持ちが、一気に流れ始めた。
日本から帰って来て、ひどいホームシックにかかってしまった。
症状は、
1. ベッドの中にいるのが好き。
2. 夢を見ることを、楽しみに思う(特に日本の夢)。
3. 泣く。
4. スコットランドが嫌いになる。
5. この人生が、ばか馬鹿しい、と感じる。
この頃は、旦那に迷惑を一杯かけたと思う。忙しい仕事から帰って来ると、先に帰ってきた妻が、夕方から眠っていたり、すぐ泣いたり、スコットランド人の悪口を言ったりするのだから。
結局、これが原因ではないが、私の希望と、彼の野心もあって、3年をスコットランドで過ごしただけで、日本へ引っ越すことを決めたのだ。
そんな風にして、今回、日本で2年間、自分の生まれ育った街で、両親と姉の近くで生活した後、やっぱりこちらの生活を強く希望する、旦那の為にも、2人で再びスコットランドへ戻って来た。日本で、2人でその決心をした後、かなり長い期間、私は苦しんだ。
スコットランドでの、生活、再び…。
一度、真剣に旦那に、私は日本で暮らして、遠距離結婚できるかな?と言ったこともある。
今回のスコットランド帰りに際し、私の中で、1つのモットーを作った。簡単なことである。
でも、自分を守るため、そして、旦那と、ノーマン3人の生活を守る為にも。
““ 自分に、嘘は付かず、正直に生活する ””
わがままだが、これはかなり大切なことだと、今、心底思う。国際結婚で、一方が相手の国で生活する場合、これはアドヴァンテージとさせてもらうこと。あなたの国で、私、頑張って暮らすから、好きなこと、させてね!と。これを決め込んだ私、態度はでかかった。好きなだけ、インターネット使わせてね!このインターネットを通じて、前回、かたくなに拒否してもたなかった、日本人との交流を持つことにしたのだ。これが、どんなに私を、救ったことであろうか。
愛すべく日本人の友よ…。
               つづく
# by yayoitt | 2004-11-21 01:01 | 英国暮らしって... | Comments(4)
いい男 ベスト10 ミュージシャン編
音楽、歌、歌手、バンド…。
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幾つになっても、いつの時代も、生活の中心にあり、欠かせない人生のご褒美である。いい歌、音楽は、時と共に一旦去りはするが、必ず脳裏に蘇ってくるものだ。特に、バンド音楽が私は好きだが、男の人のバンドや歌手は、その見た目も、非常に大切である。綺麗でなくても、かわいくなくても、かっこよくなくても構わない。それは、彼らの音楽、歌詞、そして態度も含めて、魅了される。だから、視覚と聴覚で、私が判断する、独自のいい男ベスト10なるものを決めたい。知っている歌手、歌のジャンルが偏っているので、きっとこのベスト10も偏っているとは思うが…。国籍、年齢、関係なく、やっこわがまま投票、ということで。

♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

第10位 玉置浩二 (安全地帯)
声が綺麗だし、音楽も素敵、雰囲気のある歌が多くて、青春時代の思い出のバンド。
化粧無しの、玉置さんの顔が妙に好き。

第9位 吉岡秀隆
実は、歌はほとんど聞いたことがないんだけれど、何と言っても、あの表情が大好き。

第8位 JARVIS(BRANSON)COCKER (PULP)
イギリスは、PULPパルプというバンドのヴォーカリスト。
独特の雰囲気と、いつもかけている大きな黒い縁取りの眼鏡がよく似合う。

第7位 DAMON ALBARN (BLUR)
イギリスは、BLUR ブラー というバンドのヴォーカリスト。
とにかくかわいい、幾つになっても少年みたい。

第6位 高野寛 

1988年にデビュー。代表作は、“虹の都へ”や“べステンダンク”歯並びがかわいらしく、
口元が愛らしい。歌も個性的でよく車の中で聞いた。

第5位 FRANCIS HEALY(TRAVIS)
スコットランドはグラスゴー出身のバンド、トラヴィスのヴォーカリスト。
とってもチャーミングで、ヴィデオもおもしろい。声も良い。

第4位 JUSTIN TIMBERLAKE ジャスティン ティンバーレイク
もと、ブリトニースペアーズの彼氏で、現在は キャメロンデイアスと婚約(?)。
始めてヴィデオで見た時からの、私はファンである。言うことなし。

第3位 FREDDIE MERCURY (QUEEN)
QUEENのヴォーカリスト。惜しくもHIV感染でこの世を去ってしまった。
いかにも、ゲイらしい雰囲気の晩年より、長髪だった頃の彼の、あの出っ歯がたまらなく好きだ。非の打ち所がないくらい、声もいい、歌もいい、見た目も素敵だ。

第2位 BILLY CORGAN (SMASHING PUMPKIN)
いわゆる スマパン の、ヴォーカリスト。
彼の声は信じられない様な音域で、パワーがあり、魅力的。
旦那によく似ていると、私は思っている、ふふふふふ。

第1位 BONO (U2)
南アイルランドのバンド、ユーツーのヴォーカリスト。現在44歳、まだまだ若い!
何もかもが大好き。特に口元が好き。どの歌も、名曲であり、長年に渡って、今もなお、こんなにも素晴らしい曲を作り、歌い続けるのは、素晴らしいと思う。来日した時に、ニュースステーションに、ビールを片手に出演したのを覚えている。
# by yayoitt | 2004-11-20 18:56 | やっこの思想 | Comments(2)
昨夜のサッカーの試合
昨夜は、フレンドリーのサッカー試合があった。
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スコットランド 対 スウェーデン は、ヒッブス(スコットランドは、エーデインバラのプレミアムチームの一つ)グランドで、8時半頃から始まった。また、イギリス 対 スペイン が、スペインはマドリッドのスタジアムで行われた。スコットランド戦は、1-4で、スコットランドの大敗であった。
スコットランド人は、これくらいのことは、もうかなり、慣れている。イギリス戦は、ちょっと違う。イギリスのチームには、有名なベッカムを含め、マイケルオーウェンなど、数々の世界的に活躍する選手が揃っている。そして、イギリスは、それを誇っている。彼らは、ウェールズやスコットランド、アイルランドの活躍を喜ばない。ウェールズ、スコットランド、アイルランド人は、イギリスのサッカーチームの活躍を憎んでいる。ここには、歴史上の出来事と、宗教上の絡みがあるのだ。昨夜の、イギリス、スペイン戦を、私と旦那はテレビで見ていた。
マドリッドのスタジアムは、5万人の観客が入れる、とても大きな、度肝を抜くようなスタジアムらしい。テレビで見る限り、観客席は一杯に見えた。サッカーのゲーム自体は、スペインのテクニックが、はるかにイギリスのテクニックを上回っていることが明らかで、イギリスチームは、ボールをキープしておくことが出来ずに、ボールは常に、スペインの選手から選手へとパスされるだけであった。それでも、イギリスは 1-0 をキープして、結果は、1-0であった。試合は、明らかに一方が強いのに、それほど点は入らないという、見ている方としては、おもしろくないものだった。ところが、試合はさておき、大きな問題が起こったのだ。
この問題は、早朝から、ラジオでも、新聞のスポーツ欄一面に書かれるくらい大きな問題となって、波紋を呼んでいるのだ。それは、観客の、態度である。
イギリスチームには、幾人かの黒人プレーヤーがいる。
昨夜は、Shaun Wright-Phillips と、Ashley Cole がプレーをしていた。
もちろん、彼らは英国人で、イギリスチームで活躍している。試合中、毎回この二人がボールに触る度、観客から、ウォフ ウォフ ウォフ を、サルの真似をする声が聞こえるのだ。
ただ、皮膚の色の違いだけである。 しかも、毎回、である。黒人の選手がボールに関わっている間中、サルを真似する観客の声が大きくテレビを通じて入って来る。私も旦那も、これにはビックリ、そして吐き気を覚える思いがした。今日、この話題は、スポーツ欄だけではなく、トニーブレアがコメントするほど、政治的な問題にまで至った。このスペインの観客の態度に対して、政治的に、倫理的に、何かアクションを起こさなければならない、と。チームの着ているストリップ(シャツ)の色ではなく、肌の色で、このようなリアクションをする。
人種差別 という、人間としての、原点の問題である。レポートでは、そこにいたスペインの観客はこう話す。“僕達は、人種差別してなんかいないし、(サルの真似をしていた観客)は、ある一部の人達だけで、僕の周りで、そんな声は全く聞こえなかった。これは本当だと思う。
テレビのセットの近くにいた人達が、この声を出していたのは、テレビを見ていても明らかで、
スタジアム全体から聞こえる、というよりも、テレビの近くで、大きくこの声が聞こえた、という感じであった。とは言え、実際にプレーしていた、黒人の選手達は、これを聞いており、プレー後のインタヴューで、“肌が黒いというだけで、こんな思いをして”と、その憤りは隠せない様子だった。FIFAでは、もしも、この試合中、黒人選手がプレーを拒否したらどうなるか、という想定で話し合いもしていた。彼ら、黒人選手達にとって、プレーをする気を失くし、そこを立ち去りたい気持ちだったのは言うまでもない。2001年9月11日のアメリカテロ攻撃の後、スコットランドのプレミアムチームの試合中のこと。アメリカ人のプレーヤーを持つチームの試合中。その反対側のチームのサポーターが、アメリカ人のプレーヤーがコーナーに来た時に、立ち上がって、飛行機の真似をして、それがテレビに映ったことがあり、やはりこれは、大きな波紋をスコットランドでよんだ。その観客は、その後、一切の彼のサポートするチームの試合への立ち入りを禁じられた。これも、人種差別である。アメリカ人、ということでの、個人的なリアクションなのだ。でも、もしも、彼の姿がたまたまテレビに映らなかったら?
昨日の試合で、もし、テレビを通して、サルの声を真似する音が入ってこなかったら?
人種差別は、人間に視覚がある以上、また、聴覚がある以上、必ずついて廻る、人間の悲しい習性なのだ。自分と違う、周りの人と違う、隣の人や自分の家族と違う。マジョリティーの中では安心できるが、マイノリティーの中にいると不安である。この、“違う”という意識。
悲しいかな、違いは、興味深くもあるが、忌み嫌いもしてしまうのだ。アメリカでの人種差別。
オーストラリアでの人種差別(外国人を追い出そう、という政府の動きは強い)。
タイでの人種差別(白人を“白い悪魔”という意味の言葉で呼ぶ)。
日本での人種差別(外国人お断り、の看板を掲げる店は意外に多い)。
どの国に行っても、そこに人間がいる限り、人種差別はあり続けるのだ。
昨夜の試合後、一夜明けて、私は数人のスコットランド人と、この試合に付いて語ってみた。
彼らは言う。
“もしも、イギリスがスペインに勝っていたら、こんな大きな問題にはしなかったはずだ。
彼らは、負けたから、その負けたという事実から、何か他のことに目を向けさせる為に、これほど大きな問題にしたんだ。”   ふぅうん。これが一理あるかどうかは、私にはわからない。でも、人間って、なんて難しくて、単純なのだろうか?私も、所詮、そんな人間の1人なのだ。
# by yayoitt | 2004-11-19 19:01 | 英国暮らしって... | Comments(0)
毛糸のパンツ
今日は風が強くて、とっても寒い。おなかも冷えるし、足も冷たくなる。
これはこれは、毛糸のパンツが必要と、私は日本で買ってきた毛糸のパンツを、ズボンの下にはいた。2枚買ったのだが、色違いで、ファンキーな星の柄のもので、形はショートパンツみたいなのだ。高校生が、ミニスカートの下にはいてた、あんなやつだ。これが実に、あったかい!足の先まで、暖かくなる!毛糸のパンツ、様様(さまさま)だ。
仕事中、靴を探してストックルームでしゃがんでいたら、後ろにいた同僚の女の子が聞いてきた。“やっこ、あんたズボンの下に、何はいてんの?”
シャツとズボンの間から、私のファンキー毛糸のパンツが見えたらしい。
しかも、赤、黄、赤のラインの部分が見えたものだから、彼女はかなり不思議に思ったようである。そこで、私は、シャツをめくり、ズボンを少し下げてみせた。彼女の目がまん丸になり、“マンマミーァ!!”と叫んだ。彼女はイタリアンスコットランド人で、自然に叫んだりする時はイタリア語になるのだ。マンマミーァは、オーマイゴッド(OH MY GOD)のイタリア版。
日本語で言う、“あんれ、まぁ”だろう。真っ赤な顔で大笑いする彼女、もうちょっとちゃんと見せて欲しい、と言ったので、ズボンのチャックを外して、全体の絵がわかるように、しっかり見せた。真っ赤な顔で、涙を流して笑う彼女の声を聞き、マネージャーの女性がやってきた。
私は彼女にも、最初は少し、そして、いかに温かいか説明しながら、またもやチャックを外して全体の絵を見せた。マネージャーも、涙を流して真っ赤な顔をしている。
“ばあさんが、履いてるような毛糸のパンツかと思ったら、星がチカチカ!はっはっは”
私は、涙を流し笑い続ける二人を前に、踊ったりしていた。そう、調子に乗りやすいのだ。
もとこの店で働いていたという女性が、たまたま店の前を通りかかったが、彼女もこの笑い声を聞いて、中まで入ってきて、私たちのところに来た。私は、この女性に会うのは初めてだったが、簡単に、はじめまして、と握手し、挨拶をして、マネージャーに言われて、その女性にも、また、ズボンのチャックを下ろして、毛糸のパンツを見せた。初対面の相手に、会って数秒後に自分のパンツを見せてるって、私…、とも思ったが、調子に乗り続けているので、気にならない。3人が、私の前で、腹を抱えて身をよじり笑っている。同僚が、涙を拭きながら、外に出て行った。私は、マネージャーと、初対面の彼女に、色々、毛糸のパンツに付いて語った。とってもおしゃれで、高校生の女の子が、ミニスカートの下にはいて、かわいいんだ、とか、決して、おばあちゃんが履くのとは一緒ではないんだとか、必死に説明した。
クレージー、クレージーと言われながら。チーン、と店のドアが開き、さっき外へ出て行った同僚と、その後ろに、隣の店(同じ会社だが、別の建物で隣同士)の21歳の男の子が入ってきた。そして、その彼が言った。“やっこ、毛糸のパンツ、見せて”私は、今度は真っ赤になりながら、“男には見せない、女だけの秘密だ、女同士の甘いシークレット”などと、意味不明なことを叫んだ。それを聞いて、レズビアンの友人を沢山持つ同僚がまた、“マンマミーァ!”と叫ぶ。彼は、“じゃぁ、僕のパンツ、見せてあげるから”と、シャツを上げ、ズボンの上から、パンツを引き上げて、バックスバーニーのパンツを見せてくれた。靴屋の店のど真ん中で、若い男の子がパンツを見せ、それに目を丸くして食い入るように見つめる、4人の女性達…。外からお客さんが見たら、なんだと思うだろう?結局、彼は、わざわざ隣の店に、自分のパンツを見せに来ただけで、帰って行った。私は、皆に、毛糸のパンツの絵柄は見せていたが、それが、足首までもあるモモヒキみたいなのだと思われたら嫌なので、彼女達を奥の部屋に呼び、今度は、言われもしないのに、ズボンをバッと下ろして、その全貌を見せた。
笑い疲れていた彼女達が、ヒーヒー言いながら、また笑う。前からと、お尻からと、更に調子に乗り、見せまくる私…。お客さんが入ってきて、とっさにズボンを、急いで上げる私…。
毛糸のパンツは、良い、パンツ。
# by yayoitt | 2004-11-18 19:05 | 英国暮らしって... | Comments(0)
お城が消える夜
家の台所の窓からは、お城を望むことが出来る。旦那は、食事をする時に、窓み向かう形でテーブルにつく。私は、彼の向かいに座るので、窓に背を向ける形で座る。彼は、窓から見える、このお城の景色がとても好きだ。食事中に、“うぅぅぅぅん。城が綺麗だぁ。”と目を細めて、スパゲティーをくわえながら言う。その度に、私は、“えぇえ?”と、スパゲティーを口に垂らしながら、背中を反らせて城を見る。
数年前に比べ、この窓とお城との間に、幾つか新しいフラットが建ったものの、幸運なことに、城はそれに邪魔されず、全貌を見ることが出来る。暗いと、明かりが灯り、ぼんやり浮いた感じで、とっても綺麗だ。昼間は、古い石で出来たこのお城と城壁は、黒っぽくて遠くからだとパッとしないのだが、夜は、はっきりと、その存在感が浮き上がっているのだ。
日中、私はよく城を見る。台所に立ち、シンクに向かい、皿を洗いながら、野菜を洗いながら、城を見る。家の下には大きな共同の庭があり、その向かいには、一個立ちの家が3件並んでいる。ボケーっと、城を眺めていると、向かいの家に住む、おじいさんとおばあさんが、やはり窓辺に二人で立って、指をさして、私を見ていることがある。それに気が付くと、私はすぐさま、背伸びをしたり、グラスに水を汲み、ごくごく飲んだりするのだ。彼らが、私がジッと彼らのことを見ていると思われては嫌なので、急遽(きゅうきょ)そんな行動をとってしまうのだ。
わざわざ、大声張り上げて、“ハロー!こっからのお城の眺めは最高でぇ。”なんて言うのは恥ずかしい。もしかしたら、おじいさんとおばあさんも、うちのアパートの反対向かい側に建っている、大きな煙突を指差して見ているだけかもしれないし。
イギリスのバッキングガム宮殿から、何か行事や、祝い事、避暑などで、クイーンや皇族が城に来ていると、この城に、大きなユニオンジャックの旗があがる。
ユニオンジャックの旗は、イギリス、スコットランド、北アイルランドの旗が融合したものだが、
私はやっぱり、スコットランドの旗、青地に白の斜めのクロスが入ったもの(St,Andrews)か、黄色地に赤のふちどり、中央に赤のライオンがあるもの(Rampant Lion)が、好きだ。
今夜、旦那が食事をしながら、悲しそうにつぶやいた。“城が、消えた。”
焼いたナスの入ったパスタを口から垂らしながら、私はグリュッと身体をよじて、窓の外を見た。城がない、消えた。深いもやで、城は消えてしまったのだ。
今日一日、霧雨のような雨が降り続け、夕方までには、街をすっぽりと深い霧が覆ってしまったのだ。城どころか、向かいの家のおじいさんとおばあさんも見えない、明かりがポッと浮かぶだけだ。この風景を見て、私は、昔のことを思い出した。

田舎の病院の看護学校にいた時のこと。
その看護学校は、全寮制だったので、週末だけ私は家に帰った。遠くから来ている生徒達は、週末もずっと寮で過ごしていた。高校卒業してからの3年間、多感な時期をここで友人や先輩、後輩達と共に過ごした。楽しいことも一杯あったけど、嫌なことも沢山あった。田舎の街には、大きなビルや、壮大な夜景はなかった。それでも、私は友人と、夜になると屋上に上がっては、星を見たり、散らばる電灯の明かりを見ては、色々な話をして過ごした。好きな人の話、将来の話、音楽の話…。その屋上は、病院の真向かいに建っていた寮の5階にあったので、早い時間帯には、患者さんから見られることもあった。だから、屋上の暗い場所を選び、ラジカセを持ってきて、レベッカを聞きながら踊ったり歌ったりもした。そんな田舎街の5階から見える夜景の中で、私がとても気に入っていた光景があった。それは、山手に建っている大きなボーリング場の夜景だった。その建物の周りは山だけで、他に明かりがなく、建物を照明が下から照らしていたので、それはまるで、真っ暗な空に浮かぶ、飛行船のようだったのだ。キャプテンハーロックが乗っていた様な、あんな宇宙船のようでもあった。1人でも、毎晩、必ずその宇宙船を見に行った。試験勉強の合間に、1人、嫌になって部屋を抜け出し、宇宙船を眺めて溜め息をつく。その頃から、海外への夢や思いが強かったので、レベッカの“ロンドンボーイ”を口ずさみながら、ジッと眺めた。数年後いつの間にか、その飛行船は、周りの新しい建物の明かりに邪魔されて、消えてしまっていた。
感受性の強い青春時代を、どれだけ、この光景に思いを寄せては過ごしたことだろう…。
今、その頃に憧れていた外国の地で私は、文句を言ったり、愚痴を言ったりしている。
古い建物の美しさを見たり、夜景を見ながら過ごす時間より、道に落ちているゴミのことを不満に思ったりして暮らしている。
旦那が好きだと言った、そのお城が、消えた。
そんなことから、色々なことを思い出し、また、考え直させられる、霧の夜。
# by yayoitt | 2004-11-17 19:07 | 思い出 | Comments(0)
幼少の頃の思い出 クリスマス 2
父と母は、共働きだった。その頃、お母さんが働いているという家庭は、比較的少なかった。
私は、保育園や学校から帰って来た時の、誰もいない暗い家の中が大嫌いだった。
年を取ったおじいさんがいたが、いつも自分の部屋でテレビを見ていて、私が1人で家にいる時に、顔を合わすことは、余りなかった。母は、親戚の呉服屋で着物を売ったり、お客さんにお茶を出したり、反物をたたんだりしていた。そこには、私より小さな女の子の従妹が2人と、男の子が1人いて、母は、その子供達の“もり”もしていた。暗い家に帰って、1人でテレビを見ながら、よく私は、こらえきれない嫉妬心で一杯になったものである。私のお母さんは、私よりも、いとこ達のことが好きなんだ。子供の頭で、それが仕事という考えが出来ずに、ただただ、悔しい思いをしていた。保育園から帰って、毎日、覚えた番号を廻して、有線(電話で、その町内だけ掛けられる)で、母に電話しては、毎日毎日、同じことを母に言っては、困らせた。“いつ帰ってくるの?”“今、何しとるの?”“なんで、そこに行かんならんの?”
母は、それでも怒らず、私の同じ質問に答えては、最後は笑いながら、“よし、もう切るでな、いいかぁ?”と言って、私がぐずぐず言っても、“じゃぁなぁ”と電話を切った。こんな甘えん坊の私の電話は、それでも毎日、必ず呉服屋の店で、チーン、チーンと鳴るのだった。
父はとても働き者で、プロパンガスの小さな会社で働いていた。
重いガスのボンベを配達する父の細い腕には、カチカチのちからコブが、どっしり乗っていた。よく、父が腕を曲げて見せるちからコブを、私はゲンコツで叩いては、思う以上にそれは硬くて、“いってぇー”と言っては、顔をしかめたものだ。父は、とてもよく動き、また、走れば速く、飛べば高く飛べる人だった。そんな父は、クリスマスの数日前には必ず、クリスマスケーキの箱を2つ抱えて、仕事から帰って来る。
会社で、ボーナスとして、クリスマスケーキを2つ、もらっていたのだ。
一つは、我が家様であるが、もう一つは、親戚のおじさんの家にあげていたのだ。
二つのケーキは、クリスマスまで2日間ほど、寒い玄関の、新聞が重ねておいてあるその上に、大事に乗せられていた。子供の私達は、二つのケーキが、どこから来たものなのかは知らなかったが、両方とも、自分達が食べれるものと信じていた。その頃のケーキは、まだ、生クリームが出回っていなかったので、バターケーキという、甘い、でも、硬いクリームのケーキだった。上には、赤いボタンのような玉と、サンタの形のロウソク、そして必ず、チョコレートで出来た雪をかぶった家が置かれていた。12月20日を過ぎると、玄関に、その二つのケーキの箱が現れる。姉達と、父や母に見つからないように、中を見る。
“わぁぁぁぁ”
二つ目の箱も、中を開けて見てみる。
“わぁぁぁぁ”
全く同じだが、ロウソク臭いサンタがやっぱり、乗っていると、瞳を大きく見開き、3人で興奮する。姉が、そっと、指でクリームに触る。硬いけど、強く指でこすれば、コソッと、はがれてくる。花の模様のクリームの部分を、3人それぞれ、はがして舐(な)める。
あっまぁぁぁい!
私達は、一つの箱のケーキだけ、ひどくくずれていたら、両親にすぐわかってしまうと言って、二つ目の箱も開け、同じ様に、指でくずして舐めた。姉は私を抱きながら、ころころ転がるほど喜び、甘い、甘い、と笑って舐め続けた。
数日後に、その箱が玄関から消え、姉達が一つ目の箱のケーキを、父と母の目の前でドキドキしながら開ける頃、山奥に住む父の兄の家で、私達の舐め続けて形が崩れたもう一つのケーキの箱を開け、田舎の村のおじちゃんと、おばちゃんは、どんな風にそのケーキを眺めたのだろうか。それでも、従姉の一人娘のすみちゃんは、手を叩いて歓喜してたに違いない。
そして、私達がくずしたクリームの硬い壁を、同じ様に指で、グリッと撫でては“甘い、甘い”と笑ったのだろうか。
# by yayoitt | 2004-11-16 19:15 | 思い出 | Comments(0)