恋人達の冬 ブリジット的
病院での勤務を始めて、2年目の冬。
私の一生を大きく変えることとなる、その人に、出会った。
私が23歳になる、1月のことである。
6ヶ月だけの予定で、田舎の街に赴任して来たその人は、優しい笑顔だった。
その頃の私は、ニューヨークに憧れ、プリティーウーマンはジュリアロバーツに憧れ、
髪をクリンクリンにして、ジュリアロバーツと言うよりは、ティナターナーという感じだった。
黒のミニスカートに白いタイツ、お気に入りのカウボーイブーツを履き、雪の降り積もる田舎町を闊歩していたのだから、“あれ?あの子、変わった長靴はいとるわ、しかもタイツ一枚で”と笑われていたかもしれない。そんなクリクリ頭で、毎日、病院では“白衣のクリクリ天使”をしていた。1月のある午後、私達の仕事場に、ボスと共に彼が入って来た。
ちょうど日曜日で、病棟は比較的のんびりしており、控え室の奥で私達看護師は、アイスクリームを食べていた。そのボスに呼ばれて、皆でナースステーションに行った。
私一人がまだ、トロトロと棒付きアイスを舐めていたので、それを何処に置くことも出来ず、仕方無しに、後ろ手にアイスを隠しながら出て行った。赴任して来た彼が、ボスからの紹介を受ける間、私は持っているアイスが溶けて、ダラダラこぼれることを心配し、同時に、彼の、優しい笑顔に、目を離せないでもいたのだ。今でも、その場面は、心の中で鮮明に残っている。
周りの色や形、1月の淡い日の差し込みも、人々の声も笑顔も、思い出す度、変わりもせず蘇るのだ。運命的な出会いとは、こんなものかもしれない。
彼との、最初の待ち合わせは、雪の降りしきる駐車場だった。
夕方から深夜1時くらいまでの勤務だった私は、自分の車を職員の駐車場に停めていた。
勤務中、夜8時頃に仕事を済ませた彼が、私の勤務の終了時間を聞いてきた。多分、1時過ぎには終わる、と告げると、彼は、1時に彼のオフィスがある部屋で待っているから、一緒に帰ろう、と言った。彼の借家と私のアパートは同じ直線状にあったのだ。ずっと期待していたけど、夢のような気持ちで、でも誰にも話せずに、残りの4時間程の仕事中、まるで雲の上を歩いているような気分で、暗い病棟をパタパタ、フワフワ浮いて歩き回った。ずっと心臓がドキドキしたままで、さっきの彼の顔を思い出すと、ギューッと締め付けられて痛かった。
その夜、クリクリ頭が仕事を終えたのは、既に1時半を過ぎていた。それから着替えて、同僚にバイバイを言い、彼の待つオフィスに向かう。
 … 真っ暗で鍵がかかっている。
明日は平日だし、彼は仕事があるし、待ちきれず、帰ってしまったんだ…。でも、一緒に帰ろうと、誘ってくれたのは現実。明日、仕事に出て来た時に誤ろう、と決めた。そんなに落ち込んではいなかったが、それでもまだ、宙を歩くクリクリ頭のままだった。その日の私は、白いザックリ手編みのセーターに、チェックのミニスカートを履き、その下に、白の厚手のタイツを履いていた。そのスカートは、赤とピンクのチェックで、フロント部分に上から下までのチャックが2箇所付いていて、チャックを全部開けると、2枚の布になるものだった。とてもかわいらしくて大好きなスカートだった。初めての突然の待ち合わせでも、“おしっ!これならオッケー”と思っていた。
暗い病院を抜け、外に出た。
真っ暗な空から、大粒の雪は限りなく降り続けた。
その夜、遅くなってから、雪が本格的に繰り出したらしく、病院から駐車場まで、ほとんど足跡はなく、摺り足で歩いたような足跡が2つか3つ、続いているだけだった。駐車場にも人気(ひとけ)はなく、停まっている何台もの車は全て、白い布を下ろしたように、真っ白だった。
深夜の広い駐車場は、人の気配は全くなく、ただただ、降る雪が、電灯に映し出されていた。
息を潜めると、一粒一粒の雪の結晶が、地面に落ちる瞬間の音が聞こえる。
真っ黒な空と、真っ白な雪の幕の間から、人影が近付いて来た。
彼だった。
彼が、頭に雪を一杯積もらせて歩いてくる。
私は、クリクリカールに雪を絡ませて、やっぱり歩いた。
! と、その時 !
急に、おなかの辺りで、今までグッと締まっていたものが、プツンとほどける感じがした。
彼の笑顔を見つめながら、とっさに私は、コートの下のスカートに手をやった。
前に2つある、チャックが両方同時に、壊れてチャックが開き始めたのだ。
雪を払いながら、彼が疲れたように歩いて来る。胸がドキドキのまま、コートの下で、落ちそうになるスカートを必死に抑える。両手をコートの下に入れれば、何とかチャックをし直せられるかもしれないが、急にコートの下に両手入れてモゾモゾすると、どうも、怪しい。
だから、とにかく片手で、ずり落ちるスカートを持ち上げて、彼に出会えた。
“1時に来ないから、もう帰ったと思って、車探しに来たんだぁ”
雪が目に入るのを避けるように、目を細め、まぶしそうに笑う。
スカートを、落とすまい、落とすまい、と全身に力を入れて片手で持ち続け、“でも、会えて、よかったねぇ”“うん、帰ろっかぁ”まだ、消毒の匂いのする彼の横に並び、雪の降りしきる駐車場を、ゆっくり、スカートを抑えて歩いた。この光景は、私の人生の中で、一番、美しい情景、映像の1つと言える。残念なのが、やっぱり、ずり落ちるスカートと懸命に戦っていたことであるが、この夜の、雪の白さと静けさ、そして闇の深さは、感触として今も、忘れられずにいる。この日を最後に、チェックのスカートは、はけなくなった。
# by yayoitt | 2004-12-15 02:57 | 穂高の恋人達 | Comments(0)
恋人達のクリスマス ブリジット的
ブリジットジョーンズのダイアリー(日記)を読むと、幾つか私の記憶と重なる場面がある。
全く同じではないが、冗談のような出来事が、真剣な恋愛の中で起こってしまうのだ。
これはきっと、私の冗談のような性格がそうさせるのか、そういう運命なのかはわからないが、どう見ても、本の中の話としか思えないことは、沢山あるのである。
高校2年生の冬、クリスマス直前に、私から告白し、ある男の子と付き合いを始めたことがある。高校生といっても、私はかなり恥ずかしがり屋で、自分から告白したものの、いざ付き合うとなると、口をきくことさえが、最大の目的、と言えるほど、緊張していた。
一度だけ、学校の帰りに、2人で並んで駅まで帰ったことがある。
クリスマス直前で、終業式の日だったと覚えているが、帰り道は真っ暗で雪が散らついていた。その男の子は、マッチ棒のように背が高く、安全地帯の玉置浩二にそっくりな男の子だった。彼の持っていた透明の青いビニール傘に、私はちょっと頭を入れているくらいで、相合傘などとは程遠いが、それでも、ドキドキしながら歩いていた。彼が左足を出した時に、彼の左にいる私が右足を出すと、2人の距離は縮まって、セーラー服と学生服が擦れ合う。坂の上にある高校から、駅に向かって歩くと、だいたい25分くらいかかる。私達は、殆ど何も喋らず、ただ、“寒くない?”“ううん、大丈夫。あんたは?”“うん、大丈夫”などと繰り返した。
寒くないか聞いてくれた、それだけで、嬉しかった。急な坂を下り切ると、神社の鳥居があり、そこから直線に町へと伸びるゆるい坂道が続く。暗い、雪の降りる坂道の左側一体が工事中で、長い坂は、真っ赤なチカチカ光る小さな電球で埋っていたのだ。私は、その景色に胸をときめかしていた。とても、ロマンチックだったのだ。クリスマス直前の、その真っ赤な灯りの続く道を、大好きな玉置浩二と、いや、大好きな男の子と歩く。まるで、私達2人の為に、点灯された灯りのようにさえ、思えた。そして、ほとんど口を開かなかった私が、思い切って言ったのだ。“綺麗やなぁ…。” “うん。”と、彼。
(クリスマスの灯りみたいだぁ)
“盆踊りみたいやなぁ…。” “う、は?盆踊り?”
(しまった。クリスマスと言うつもりで、何故か、盆踊りと言ってしまった)
“ほら、盆踊り、ちゃんちゃちゃんちゃん♪って。”手振りまでつけて踊って見せた。
もう取り返しは付かず、彼は、その盆踊りをして見せる私を置いて、黙って歩き続ける。
小走りで、大粒の雪に濡れながら、すごすご後を歩いた。これが、最初で最後の、2人で帰った道だった。この彼とのお付き合いは、深夜の電話と、春のお祭りで一度、近くの神社で会って話したくらいで、5月の遠出の遠足で、上高地に行った、その前の晩に、電話で振られてしまった。振られて、バスの中でやけになり、カラオケで菊池桃子の“もう会えないかもしれない”を熱唱したのを思い出す。春の上高地には、思いがけず、勿忘草(わすれなぐさ)の花が一面に咲いていた。彼とはその後、友人関係もなかったが、一度だけ、卒業後、上京していて帰って来た彼から電話をもらったことがある。なんだか、すっかり東京の言葉になって、私ひとりが、“でなぁ…やもんでぇ…”と飛騨弁で喋っていた。時が経つと、こんなにも、簡単に気軽に話せるもなんだ、と大人になった気分がしたものだ。
彼が言った一言が妙に嬉しかった。
“やっぱりさぁ、あの時さぁ、若かったからねぇ、後悔したんだよねぇ、逃がした魚は大きかったって感じでぇ。”口からでまかせ、とは思っていても、昔好きだった玉置浩二にこう言われると、やっぱり照れた。でも、2人とも、冬の盆踊りの話は、しなかった。
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# by yayoitt | 2004-12-14 02:59 | 恋愛とは... | Comments(0)
恋人たちのクリスマス 2
家に飛んで帰ったクリスマスイブの夜。自分の中で、色々な想像をしいた。
いがぐり頭の彼は、今頃、まだ橋の真ん中で立ったまま、鼻水を凍らしているんじゃないか?いがぐり頭め!あいつ、本当は来なかったんじゃないか?
想像すれば想像するほど、この話を持ち出したことを後悔し始めた。
もう、好きとかいう気持ちは吹っ飛んで消え去り、というか、もともと、好きな男の子は1人だったのだ。ただ、橋の上での“織姫と彦星”のようなロマンチックな出会いを夢いただけで、相手が、本命の一番目の男の子でないのなら、もう誰でもよかったのだ。小学生のくせに、まるで、タカビーなOLっぽい、“ちょっと、遊びたかっただけぇ”とか言いそうな雰囲気である。しかも、私は非常に臆病だったのだ。イブの夜を、心になんとなく後ろめたさを感じながらも、それなりに家族と共に笑って過ごし、ドリフのクリスマス大特集を見てヒャラヒャラ笑っていた。
外は、もっと大き目の冷たい軽い雪が降り続いていた。クリスマスケーキの準備に、皆で取り掛かっている時だった。私の頭の中には、もう、いがぐり頭のことはなく、すっかり食欲だけに支配されていた。我が家の玄関は、昔店をしていたらしく広くて、戸口は全てガラス張りだった。玄関から最初の部屋が居間になっていて、そこで、食事もテレビも、家族の団欒も、殆どの時間を過ごしていた。その居間と玄関を隔てる戸も、刷りガラスで、居間からは外を通る人が見えるのだった。ケーキ用の皿やコーヒーカップを、母の支持の元、台所から運んで来て、居間に入った時だった。雪降る玄関の前、暗い路地に、2つの影が見えた。
1つは背が高め、もう1つは、とっても小さな影だった。
2つの影は、歩き去るわけでもなく、ただ左右に揺れるだけで、私の家の前で佇んでいた。
雪の影を映す、白いぼんやりした電灯に照らされ、一瞬、その小さな影の子供が、真っ赤なタートルネックのセーターを着ているのが見えた。ハッとして、急に、忘れていたあのいがぐり坊主を思い出した。彼は、母親と共に、私の家まで、プレゼントを持って来てくれたのだ。
そして、色々考えるよりも先に、家族に知られたら!という恥ずかしさがあり、台所へ逃げていた。トイレに隠れ、どうしよう、どうしよう、帰ってくれ、帰ってくれ、と願っているうちに、姉から、“やっこぉ。やっこぉ。ちょっとおいでぇ”と呼ばれた。私は、家族全員の前、“何?なに?”と、とにかくとぼけて知らん顔をして、呼ばれるまま囚人のごとく姉に付いて行った。
玄関から、明るい母と誰か他のおばさんの笑い声がする。“どうか、いがぐり頭じゃなくって、向かいのおもちゃやのおばちゃんでありますように!”いた。いがぐり頭。
背の低い、やさしい笑顔のおばちゃんが、横に立っている。
外が寒かったせいか、恥ずかしかったせいかはわからないが、いがぐり頭は、真っ赤なセーターと同じくらい、真っ赤なホッペをしていた。鼻水をズルズル吸いながら、彼は母親に肘を突っつかれて、そして黙って、雪で点々と塗れた、真っ赤な紙に包まれたプレゼントを、私に差し出した。真っ赤になって私は、隣で母がニコニコと見ているのを意識しながら、小さく“ありがとう”を言って受け取った。この時の記憶は、これ以上はないのだが、ただただ、家族の手前、気恥ずかしかったことばかり覚えている。家族は誰も、私がラブレターを書いて、イブの密会をアレンジして、そして裏切った、などという本当のあらすじは、知る余地もないのだ。
鼻を吸いながら、母親と帰って行った男の子。
その夜、私が準備していたプレゼントを、渡したかどうかも覚えていないが、それを渡したら、家族に私も彼を好きなんだ、という風に思われてしまうのが怖かったので、多分、プレゼントはもらっただけで、手渡さなかったんだと思う。彼が、橋に着たのか、橋でどれくらい待ったのか、どうして母親と私の家まで来ることになったのか、色々な疑問はあるものの、寒そうに去って行った、いがぐり頭を見ながら私は、ただただ、後悔と自責の念にかられていたのだ。
結局、好きでもない男の子に、自分のファンタジーの相手役を演じてもらいたく、その舞台間際に、私は逃げ出し、そして、私の思いは何も残らず、ただ、その男の子をポンッと放り出して、辛い恥ずかしい思いだけを植えつけたのだ。姉に後ろから、“なんや、なんや”と押されながら、その赤い包みを開けると、いがぐり頭の、あの小さな母親が編んだらしい、緑と赤のミトンが出てきた。ミトンは、私の手には少し多き目で、肩に掛ける紐は、やけに長かった。家族の注目の元、“こんなもん、使わんわ。手袋、あるもん”と言い、箪笥にしまい込み、その冬ずっと、その箪笥を私が開けることはなかった。
彼とは、冬休みが明けても、一言も喋らずじまいで、彼はずっと私を無視していた。
小学生なりに、私が悪かったんだという、罪悪感があったので、私も、無視されても気にせずに黙っていた。彼にとっての、クリスマスイブの思い出、私は、きっと、鬼婆(おにばば)に違いない。
# by yayoitt | 2004-12-13 03:05 | 恋愛とは... | Comments(0)
恋人たちのクリスマス 1
日本でのクリスマスといえば、家族との団欒よりは、恋人たちの熱い一夜、といったイメージが強い。聖子ちゃんの歌でも、♪今夜、わたぁしは、あなたの物よぉ♪とあるように、女の子が、自分にリボンをつけて、クリスマスには私を包んであげる!という具合。
クリスマスの本来の意味は、もうどうでもよく、プレゼント交換からはじまり、ホワイトクリスマスになどなれば、雰囲気に駆り立たされ、すっかりロマンチックに陥る。だから、恋人達が、内緒にしていたプレゼントで、愛する相手を驚かせた後、すっかりとろけてしまうのは、自然だと思う。
やっこにも、こんな時代はあったわけで、最初の思い出は、小学校5年生にさかのぼる。
いじめられっこを克服し、ピエロのごとく、おかしな顔をしたりして友人を作り、明るく、ひょうきんな子、と定評を得始めた頃だった。その頃の11歳にしたら多分、ちょっと私は、ませていた。ラブレターというものが、一部の活発な子供達の間で流行し、私も、恋らしき恋をしていたので、3人の男の子に、ラブレターを出した。同じクラスだから、ラブレターを出した後の、ドキドキは、きっとあったはずなのに、私の記憶には、全くそれは残っていない。
最初の男の子は、最初と言うだけに、一番好きだった子だ。
彼のお父さんは、学校の音楽の先生で、彼自身、どことなく音楽家という雰囲気があり、背が高く、無口で、頭がよくインテリジェンスな、長めの黒髪の似合う小学生だった。理科の実験で、2人で気が合い、腹抱えて笑いながら授業を受けたのをきっかけに、とても、その子を好きになった。学校のすぐ近くに、彼の家はあったので、放課後や休みの日に、校庭で一人で遊ぶ姿を私は、校庭の反対側、半分に切って埋められている色つきのタイヤに座っては、眺めていた。スヌーピーはピーナッツの、シュローダーみたいな子だった。いつか休みの日に、一緒に校庭で、ジャングルジムをしたり、鉄棒を並んでしたい、と願った。結局ラブレターは、彼には届いたけど、私に返事は届かなかった。それからは多分、子供ながらにぎくしゃくして、折角の友人関係も、壊れた気がする。去年、偶然に故郷のあるお店で働く彼に出会い、私の母を通じて、お互い、“あっ、あのラブレターの…”と思い出したはずなのに、ただ頭を下げただけだった。私のラブレターが、彼の思い出に、どんな風に残っているのだろう?
11歳の私は、すぐに、2人目の男の子にラブレターを出した。
この時点で私は、本命にふられて、やけになって誰でも良いと、酒を飲みながら“男じゃぁ、おとこ!おとこをくれぇ!”と叫ぶ小学生、みたいだった。2人目の男の子は、足が速くて、年中日焼けして真っ黒で、真っ白な歯を見せて笑う子だった。ところが、大将っぽい存在の女の子が、私と同時に彼にラブレターを出し、結局、その放課後、彼女と2人で彼を追廻し、“どっちにするの?どっちにするの?”と、彼の家まで付いて行き、ヘラヘラ笑ってばかりの彼が、家に逃げて入ってからは、急に2人とも興味を失い、夕方彼女の家に行って、次のラブレター書きの話をして終わった。翌日、もう次のラブレターが出来上がり、私は、3通目のラブレターを、ある男の子に手渡した。
この男の子は、背が低くて、いつも真っ赤な荒い手編みのタートルネックのセーターを着た、
クラスでは男の子にも女の子にも人気のある、ひょうきんな、いがぐり坊主の男の子だった。
彼は、背は小さいのに、実は案外おませで、真剣に私のラブレターに答えてくれた。
その日から、2人はカップルになり、生まれて初めての、“つきあう”経験をすることに。
とはいえ、何といっても小学生。することと言えば、交換日記、である。また、ちょうどその時期が、クリスマス前だったこともあり、プレゼント交換をすることを約束した。交換日記以外、一緒に遊ぶわけでもなく、クラスで話すわけでもなく、ただ気恥ずかしいだけで、すっかり話しさえしなかった。私にはその頃、恋人とこうしたい!というファンタジーがあり、それは、雪の舞うクリスマスイブの設定であった。故郷の町は、大きな川が、町を2つに切り取るように流れている。その川に架かる橋のうち、1つだけ、歩行者専用の、狭い橋がある。その橋の真ん中で、2人が会って、プレゼントを交換する。これが、私の中の、恋人が出来たら…という、憧れの設定だった。だから、今年は、ようやくこの夢が叶うと、心ウキウキ、イブを待ち焦がれたのだ。その年のイブは、とても寒くなり、チラチラと小さな雪が降っていた。
私は交換日記で、その小さな男の子に、時間と場所を告げた。
 xx 橋の真ん中で、6時
6時に、私は結局、橋の中央へ行く勇気がなく、橋の袂で、その男の子が来るのを見ていた。
今思うと、きっとどこかでその男の子も、橋の袂から、私が来るのを見ていたのかも知れない。6時を少し過ぎただけなのに、急に怖くなって私は、家に逃げて帰った。その時に、私があげようとしていたプレゼントが何だったかも、忘れてしまったが、その時の、急に、ロマンチックな夢見た光景が、現実となって近づいてくる怖さ、を寒さの中、痛感したのである。
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# by yayoitt | 2004-12-12 03:08 | 恋愛とは... | Comments(0)
クリスマスツリー完成
昨夜、クリスマスツリーの飾り付けをした。旦那も私も、多分、30分くらいで出来るだろう、と思っていて、好きなコメディーが、9時半から始まる、その前迄と、9時から飾り付けを始めた。ところがどっこい、飾り付けを終えたのが、11時をとうに過ぎていた。結局、好きなコメディーは、音だけ聞きながら、2人して“ひっひっひ”と時々笑いながらの、飾りつけとなった。
ツリーは、箱から出すと、ゴソッとかたまりで外に出てきた。中心のポールを組み立て、そのポールに所々書かれているアルファベットに従い、同じアルファベットの枝を、組み込んでいく。枝から出ている葉っぱを、上下、左右に広げて、全体のバランスをとっていく。段々と、本物のツリーらしくなってくるではないか!私達のツリーは、先端に、雪のデコレーションがほどこしてあって、それがポロポロとこぼれて、床は、真っ白になっている。
“何か、あたいに出来ることがある?”と聞きに来ては、クンクン匂いを嗅ぎ、私達の作業する手元に体を入れ込み、その手をペロペロ舐めるばっかりで、何の役にも立たないノーマンも、ツリーの雪で、白くなった。マイケルも私も、次第に無口に、飾り付けに集中し始める。私の場合は、集中と言えても、彼の場合は、集中よりは“執念”という感じで、なんだか、声をかけるのも怖いような、霊気さえ感じるようであった。そう、今まで気が付かなかったけど、マイケルの、ツリーに対する思いは、ちょっと人並み以上だったのだ。
数週間前に、“ツリー無しのクリスマスなんて、考えられない”と彼が言ったのを思い出す。
彼の人生でクリスマスには、家族と、そしてツリーがいつもそこにはあったのだ。
私が彼と暮らし始めて6年間、毎年、小さいけど、ツリーは準備した。
でも、今回、将来のことも考えて、本格的な大きなツリーを準備することとなって、そのデコレーションについても、2人で真剣に慎重に選択をした。ライトも、色や、チカチカするのかしないのか、数にもこだわった。TINSEL(ティンセル=長いキラキラした飾りで、ねじて飾る物)がいいか、それとも、BAUBLES(ボーブル=赤や緑、金や銀色の玉の飾り)がいいか、
2人の意見は一致、“ボーブルだけが良い”“色は金色、銀色のみで、高価な奴(絵柄があるもの)だけがいい”“ライトは、黄色い灯りの、チカチカするライトと、常に点灯しているライトの混ざった物がいい、ライトの数は沢山あって、窓の外からも、綺麗に見えるようにしたい”
木の形を整え、ライトを巻きつけた。マイケルが巻きつけ、私が彼の後をぐるぐる歩きながら、彼に長いライトを少しづつ渡して行く。巻き付け終わって、点灯すると、私は思わず声を漏らした…オオオオオオォ。綺麗だ、美しい、ワンダフル、ビューティフル、ラヴリー♪
首を傾けたまま、その美しさに見とれていると、マイケルがサッとライトを消し、今、巻きつけたばっかりのライトを取り外し始めた。“上の部分のライトが、少し足らない”
また、彼の後ろを付いて、長いコードをぶらさげながら、欠伸(あくび)しながらぐるぐる歩く。
何とか、彼の気に入るライトポジションとなったらしく(この時点で私は、最初のライトの位置と今のライトの位置の違いさえさっぱりわからなくなっていたが)、今度は、ボーブルの取り付けにかかった。ボーブルを吊り下げる時点で、マイケルが私に説明し始める。“やっこ、いいか、ツリーの下のこの部分で、18個あるボーブルの50パーセント、この真ん中部分で、30パーセント、で、あとの20パーセントはこっから先っちょまで、こんな分配で、いいか?やっこ?”            ゴーン
私の頭の中は真っ白、どうでもいい、早く終わらせよう…。
普段、髪型や、服装や、家具など、余り細かくこだわらないマイケル。
彼が、こんなにも、ツリーに対してこだわりのある男だとは、正直、この夜まで知らなかった。
私は、2時間以上に及ぶ作業に、かなり疲れてしまっていた。最後の作業である、星をマイケルがツリーの一番上に乗せる。実は、この作業は、私がとってもやりたいと思っていたのだが、疲れていたのと、183cmにもなったツリーの先に、私が星を飾ることは無理だったので、あきらめた。完成後2人で、点灯式を行う。ノーマンも来た。3人でツリーの前に並んで、電気を消す。そして、はい、点灯。
う、う、美しい…。
マイケルが言う。
“今まで見た中で、一番素敵なツリーだ”
私が思う。
“あんたの、このツリーに対する思い入れが、そう思わせるのさ”
私が言う。
“うん、絶対に、どのツリーよりも、綺麗だし上品だ”
2人の隣でノーマンが、落ちた雪を鼻から吸い込み、くしゃみした。
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# by yayoitt | 2004-12-11 08:10 | 英国暮らしって... | Comments(0)
我が家にツリーがやってきた♪
早く来い来いお正月 と ジングルベルを合わせて歌ってみよう。
メロディーは、お正月で。
“もうぅ-いぃくつ、ジングルベール、クゥリィスゥマァスゥ♪”
そう、もう幾つ寝ると、クリスマスか…、16回寝るとクリスマスの朝だ。
もし、週末に昼寝をしたら、18回くらいかもしれない。
街は、クリスマス色になっている。
月曜日から、日曜日まで、常に、街の中はクリスマスショッピングの人であふれ返っている。
一年の中で、一番、街に出るのが億劫になる、この時期なのに、やっぱり、私も買い物に、街へと繰り出さなくてはならないのだ。今日は、マイケルも私も仕事がお休みだったので、2人でショッピングに出掛けた。と言っても、プレゼント買いではない。クリスマスツリーを、買いに、出掛けたのだ。日本にいる時、私の家で、クリスマスツリーが飾られたことは一度もない。クリスマスツリーを、実際に飾る家の方が、まだまだ少ないだろう。ところが、こちらは、クリスマスの準備=クリスマスツリー と、ツリーは必需品なのだ。これも、その家庭、その人によって、別にツリーがなくても全然平気な人もいるだろうが、マイケルの人生の中で、ツリーのないクリスマスは、どうやら、考えられないらしいのだ。
昔あったコマーシャル、“マリームのないコーヒーなんて”(だったかな?)みたいに、“ツリーのない、クリスマスなんて”と言ったとこらしい。
スコットランドでの、前の3年間は、彼が大学生時代に使っていたと言う、50㎝ ほどの白いツリーを飾っていた。日本に帰った時は、100円ショップで買った、これまた小さなツリーを飾った。今回は、どちらのツリーも持って来ていないことと、また、この部屋の天井がとても高い為、ある程度、大きなツリーが必要、ということで、本格的なツリーを買うことにしたのだ。
店で売ってあるツリーは、基本的に、2種類ある。本物のクリスマスツリー(切ったもみの木)と、アートフィシャルツリー(偽物のツリー)である。花屋さんでは、切り出したもみの木を売っており、毎年、本物の木を購入するという家庭は多い。値段もそんなには高くなく、やはり、本物だけあって見た目がいいのである。ただ後始末が大変で、新年に入ると、あちらこちらで、粗大ゴミとして、ツリーがほかられてみじめである。私は、飾りの為に切られる木々のことを思う時、昔読んだ、クリスマスツリーの一生という話を思い出してしまう。
まだ大きくなりきっていない小さなもみの木が、切られて、どこに連れられて行くのかと期待し、ある家に到着する、そこで、綺麗なバブルや灯りで飾られ、子供達や人々の注目を得る、
そのもみの木は、とても幸せに感じているのもつかの間、数日後には、飾りや灯りは、全て剥ぎ取られて、燃やされてしまう、小さなもみの木は、短い一生を、そうして終える、という物語。どうしても、私にはやっぱり、こんな小さなもみの木を飾る気にはなれないのだ。
マイケルも同感なので、2人で、B&Qというスーパーに、アートフィシャルのツリーを買いに行った。選んだのは、少し、雪の様な白いデコレーションが乗った、1、8mのツリー。
値段は、£55(1万1千円)の物、毎年、末永く使いたい。
今夜は、遅くまでかかって、このツリーの飾り付けだ。ノーマンが手伝ってくれるか、邪魔してくれるかはわからないが、楽しみだ。背丈は、マイケルとほぼ同じ、私は見上げなくてはならない。マイケルのおっとさん、おっかさんの家でも、今週末にはツリーの飾り付けをする。
彼の家では、毎年、クリスマスの2週間前に飾りつけ、と決まっているのだ。
何とか間に合った、ツリーの飾りつけ、出来上がりは明日、また、写真でご紹介したい。
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# by yayoitt | 2004-12-10 08:16 | 英国暮らしって... | Comments(0)
クリスマスカードと年賀状
クリスマスまで、わずか2週間余りとなってしまった。
12月も、1週目を過ぎると、友人や家族、仕事関係者などからのクリスマスカードが届きはじめる。クリスマスカードは、日本のちょど年賀状のようなもので、義理でカードを出す相手もいるし、クリスマスカードだけの間柄、という相手もいる。クリスマスカードは、クリスマスまでに到着させるもので、もらったクリスマスカードは、その場で封を切り、中を読み、そして、飾るのだ。飾られるクリスマスカードの数が増えるに従って、クリスマスの雰囲気を徐々に高めていく。クリスマスカードは、色々な場所に飾られる。一般家庭であれば、暖炉の周り、本棚に並んだ本の前、テレビや家具の上、出窓の周りなど。また、クリスマスカードホルダーというのが、売ってあるので、それにカードを取り付けて、壁にぶら下げて飾ったりもする。
私とマイケルは、毎年、クリスマス過ぎに、セールに出されるカードを来年の為に買うようにしている。今年のカードは、約3年前のもので、高価な綺麗なカードが、セールで安くなったのを買ったものだ。3年前というのは、過去2年間は日本で、年賀状を出したので、結局準備していたカードは使わなかったからだ。旦那と私の、個人的な友達、家族(日本、スコットランド両方)、仕事仲間、そして私は、ヴォランティアで色々お世話になった動物病院に、出すつもりでいる。つもり、と言ったが、もう、今晩くらいに書いて出さないと、ちゃんとクリスマス前に着かない恐れがあるので、今晩、マイケルの重い尻を叩きつつ、絶対に書き上げなくてはならない。中に書くのは、とっても簡単なもので、色々なことを長々とは書かない。クリスマスの挨拶と、良いお年を、と言ったくらいである。
定番の文句としては …
“HAVE A NICE CHRISTMAS”
“MERRY CHRISTMAS”
“SEASON’S GREATINGS”
“OUR CHRISTMAS WISH FOR YOU”
“WISHING YOU A MERRY CHRISTMAS AND A HAPPY NEW YEAR”
 … こんな感じで、シンプルである。
既に、こういった文句がプリントされたものもあれば、何も書いてないものもある。
もうプリントされていれば、特に、他に書かなくても、自分のサインをして、それで終わりでよい。最近の年賀状には、“あけましておめでとう”以外にも色々なことを書いたり、家族の近況を書いたり、写真を付けたりするが、そういった色付けは、カードの表の絵柄の違いが、役目を果たしてくれている。だから、カードの種類は、万とあり、まず、同じカードが届く確立は、とても低いのだ。安いお店で、まとめ買いしたものだと、どうしても、手に取った人にそれがわかってしまうので、紙質や、絵柄、どこで買ったかなど、とても気をつけて購入している。
だから、一昨年のセールで、値の高いカードをまとめ買いは、とても理にかなっていると思う。一年経とうが、10年経とうが、クリスマスは、クリスマスだからだ。でも、年賀状は、そういう訳にいかない。その年の干支も違うし、スタンプ部分には、その年の年号が書かれてある。
私は、もともと絵を描くことが大好きなので、年賀状描きには、力を入れていた。
ちょっと人とは違った、個性的なものにしようと、毎年、(出来の悪い)頭をひねったものだ。
子供の頃は、必ず手描きで色々な絵を描き、文句も変えていた。いじめられっこから脱出するべく、クラスの友達へのアプローチでもあったから、枚数は少なくても、一枚一枚、必死に描いた。いじめられっこから、ひょうきんな自分に変わると共に、友人の数も増え、それでも、友人が去るというトラウマを抱えていた私は、やはり必死に、時間をかけて描いた。
覚えているのでは、中学生の時に、ひょうきんな自分を売ろうと、
“明けまして、こんにちわ”“明けまして、ごめんなさい”とか、意味不明なことを書いて送った年もあった。今思うと、情けなくって仕方がない、誰も、その年賀状を大事に保管してなんかいないことを、真剣に祈っている。子供の頃の私にとって年賀状は、友人保障のカード、とでも言うべきもので、それを待つ、3が日は、おなかを壊(こわ)すくらいに、神経質になっていた。クラスの誰から来たか、誰からは来なかったか?絶対に安泰、と思っている友人からのコメントはありか、それはどんなコメントか?コメントなどなく、プリントごっこのプリントだけか?私の年賀状を受け取る前に書いたか?“年賀状ありがとう”で始まる年賀状には、愕然と肩を落としたりしていた。人には、“明けましてごめんなさい”などと、ふざけた内容の年賀状を送っておきながら、自分に来る年賀状を評価する…。なんて、私って嫌な子供だっただろうか。男の子からの年賀状は、いつでも、貰うと嬉しかった。すぐに、“こいつ、私のこと、好きなんや”と勘違いした。これまた、嫌な、迷惑な、女子生徒だ。
大人になり、年賀状やクリスマスカードが、“義理”または、“習慣”で出すもの、と思うようになってきたが、そんな自分を、なんとなく寂しくも思う。必死に、相手のことを思い、何とか笑わせようと、何とかびっくりさせようと、一枚一枚、手を絵の具で染めて描いていた、あの頃の多感な自分…。“明けましてありがとう”と、真剣に書いた自分…。どこに行ってしまったのかな?と、不思議に思ったりする。
# by yayoitt | 2004-12-09 23:17 | 英国文化って... | Comments(0)
最近気になる芸能人
日本では、気になる芸能人は沢山いた。数年来、ずっとファンであるのが、鹿賀丈史である。
あの、でっかいコートが似合う大きさが好きなのと、映画や舞台での演技が、とっても素敵だ。存在感があって、その人がいるだけで空気が変わる、そんな雰囲気だ。
前回の2年間の日本滞在で、私がとっても気になったのは、鹿賀丈史とは全くタイプの違う、
山咲トオルだった。彼の場合は、理由はよくわからないが、多分、スコットランドでゲイの友人が沢山でき、彼らがとっても、魅力的だったことが、影響していると思う。山咲トオルは、結局、ストレートだと、テレビで言っていたが、まぁ、それはどちらでも構わない。あの、綺麗な顔と、彼の一つ一つの仕草(しぐさ)に、目が釘付けになるのだ。誰かに似ているのか、とも、思ってみたが、そういうわけでもなさそうで、私の、山咲トオルに対する思いの根拠は、わからない。ただ、“心のつぼ”を突っついたとしか言えない。
さぁ、こんな私が、最近、U2のボノ(ヴォーカリスト)などを追い越して、とっても気になっている男性を、テレビの中で見つけたのだ。彼は、感じとしては、“鹿賀丈史”風で、大きくて、存在感はばっちりありそうである。初めて、テレビで彼を見てから、ずっと、気になり、気が付くと私は彼のファンになってしまっている。彼を初めて見たのは、BBC の、LITTLE BRITAIN という番組だ。コメディーで、とっても人気があり、再放送されたり、DVDもよく売れている。
このコメディーは、2人のコメディアンによるもので、そのうちの1人、
DAVED WALLIAMS というのが彼だ。これは、このコメディアン2人が、色々なキャラクターになって繰り広げるスケッチコメディーで、その中には、“LOU AND ANDY”身障者で車椅子生活のLOUと、彼を世話するソーシャルワーカーANDY の話、
“MARJORIE DAWES AND THE FAT FIGHTERS”肥満と戦う人を支援する女性 MARJORIE の話、“RAY McCOONIE”という、不気味なホテルの経営者の話、
“VECKY POLLRD”という若くして子供ができた(いわゆる)不良の女の子の話などがある。それぞれの写真は、下に掲げてあります。このコメディーは、いかにも、英国的で、これを笑いにして良いのかどうか?という、ギリギリのところで遊ぶから、成功すると、とても、おかしいのだ。成功しないと、ブーイングになってしまうのだが…。彼らのコメディーのスケッチは、基本的に、差別(人種、貧困、一般市民、お金持ち、身体障害者)である。差別という、タブーの苦笑いの下にある、タブーを超えて湧き上がる、こらえきれない笑い…これを、彼らは、成功させたのだ。多分、見ていて気分を悪くする人もいてもおかしくはないが、そういった文句の声は実際、殆どないらしい。英国らしい、国民の態度と番組だ。結局、世の中どの人も、実はおかしくって、笑われる対象であって、一目置かれる存在で、ユニーク(唯一)なのだ、と思わせてくれる。
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# by yayoitt | 2004-12-08 23:12 | 英国暮らしって... | Comments(0)
霊(れい)と語る
最近、テレビのプログラムで、私がかなり、はまったものがある。リヴィングテレビというチャンネルの、“SIXTH SENSE”という番組。シックスセンス … 第六感 である。
COLIN FRY(コリン フライ)というイギリスの男性が、観客を前に繰り広げるプログラムで、彼は、第六感の持ち主で、亡くなった人の霊とコンタクトをとることが出来る。
観客は、愛する親であったり、子供であったり、パートナーであったりを亡くした人達で、コリンに、なんとか、その霊と話をして欲しいと、集っている。コリンは、観客を前に、まず、自分の中に降りてきた霊と話し始める。そして、その霊が、観客の中の誰の身内(親類)や友人であるかを、霊から聞き出し、その観客を、指差して、その人に前に出て来てもらい、もっと詳しい話をし始める。彼は、自分が選んだ観客からの情報は一切ないまま、霊が自分に語りかけていることを、伝え始める。“僕は、不慮の事故で、急にこの世を去ってしまい、色々、お母さんに伝えたいことがあったんだ”選ばれた観客は、泣き出して、“私の息子だ。去年、交通事故で亡くなったの。”“僕は、お母さんと最後に行った、旅行のことをよく思い出すんだ”
観客は微笑みながら“息子がプレゼントに、パリに連れて行ってくれたの。”コリンは、時折宙を見ながら、誰かの話にうなづくような感じで続ける。“彼がこれを言いたがっている…。彼が亡くなった後、何かの集いがあって、そこに、アイスで作った、鳥の形の像かなにかが、あったかな?”首をかしげる観客の女性、でも、思い出したように言う。“鳥ではないけど…。アイスで作った、テニスラケット?”そして続ける。“息子を皆で思い出す為のパーティーで、会場の中央に、彼の好きだったテニスのラケットを、氷で作ってもらったの。”コリンが言う。
“アイスの?鳥のように僕には見えたんだけど。でも、アイスの像なんだね?”コリンが、温かい笑顔で、続ける。“息子さんがね、あの時、僕は、あのアイスの像の中にいたんだよ、って言ってるよ”その女性が、泣きながら何回もうなづき、そして、微笑む。コリンがまた、息子からの話に耳を傾け、“何か、FOR XXXX(息子の名前)と書かれた、木製の何かが、あるかな?”母親は、全く思いつかないと言う。“その木製の、FOR XXXX(息子の名前)と書かれた、それのことを彼が言いたがってるんだけど。”それでも、彼女は、全く思いつかなかった。
しかし、観客席に戻った彼女が、その亡くなった息子のお嫁さんから、話を聞いて驚く。
現在、彼を記念して彼の奥さんが、FOR XXXX(息子の名前)と、病院のベンチに彫ってもらうように注文をしているということだったのだ。母親の彼女も知らなかった事実を、息子の霊が、知っていたのだ。コリンは、ある時には、その亡くなった人の名前をずばり言い当てたり、
口癖(くちぐせ)や、よくやっていた趣味などを的確に言い当てる。言い当てるといったら、おかしいかもしれないが、霊とのコンタクトを通じて、その霊の前世のことをも、見ることができるのだ。週に一回のこの番組を、私は、とても楽しみにして見ている。そして、毎回、観客と共に、声を出して泣いたりする。コリンの優しい笑顔に、更に、ウォーと、泣いたりするのだ。
彼のそのショーを、怪しむとか、疑うとか、信じるとか信じないという気持ちではなく、ただただ、そのショーを、ある人とある人との再会という形で、見ることができるのだ。再会して、涙する人々。聞きたかった言葉を聞いて、涙する人々。伝えたかった言葉を言えて、喜ぶ霊たち。不思議というよりは当たり前だろう、でも、なかなか体験できない、コリン フライのこのショーは、本当に不思議な番組だ。
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# by yayoitt | 2004-12-07 23:10 | 英国暮らしって... | Comments(0)
ADVENT CALENDER
今年も、11月末に、郵便が届いた。
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ダンディーの、おっとさんと、おっかさんからだ。私も旦那も、それが何かは、知っている。
それは、アドヴェントカレンダーである。アドヴェントADVENTとは、キリストの降臨節(キリスト誕生までの4週間)。そのカレンダーなので、12月1日から、24日までのカレンダーであるが、1日、1日が、めくれるようになっていて、めくると、中には、その日によって違う絵が書かれている。1から24までの番号は、その1枚のカレンダーの絵の上に、バラバラに散らばっている。カレンダーの絵は、様々で、今年私達が受け取ったのは、森の中、サンタクロースが橇(ソリ)に乗り、周りには沢山の動物が顔を出している、というもの。多分、おっとさん、おっかさんが、私達の動物愛護を意識して、選んだものだと思われる。私が、マイケルと結婚してから、必ず、このカレンダーを受け取っている。ただ、一度だけ、受け取らなかった年があった。それは、私と旦那が、スコットランドへ来春には引っ越す、と決まっていた11月。
今から、6年前になる。
現在、身体障害者になってしまったおっかさんが、病に倒れてしまった時だった。
マイケルが、また、姉のジェニファーが、どこにいても、必ず、両親からの、それが毎年届いていたのに、その年初めて、彼らの元に、アドヴェントカレンダーは届かなかった。
この時、ジェニファーは、届かなかったカレンダーと、お母さんの病を思い、ずっと泣き続けたらしい。それでも、奇跡的に、車椅子生活にはなったものの、翌年から、再び、カレンダーは届くようになった。しかも、両腕、特に、指がほとんど動かせなくなったおっかさんが、カレンダーの裏に、時間をかけて書いたらしい、   LOVE MUM XXX   の字を見つけた時には、みんなで歓声をあげた。この、XXX、“X”は“キス”の意味である。だから意味は、“愛を込めて、ママより、キスキスキス”。
私と旦那は、アドヴェントカレンダーで、毎年、競い合いをするのが常で、毎日、ひにちをめくった時に、中に描かれてある絵を当てるのだ。そして、24日間、当てた合計の多い方が、勝ちという、それだけの競い合い。でも、これが、2人とも、必死だからおもしろい。24日だけは、どんなアドヴェントカレンダーも、絵が決まっている。キリストが聖母マリアに抱かれているもの。昨年の勝者が、24日の分を、先に言うことが出来るルールで、もちろん、キリストと聖母マリアと言うから、自動的に一日分は得点を得ているのだ。去年は旦那が2-1で勝ったので、24日は、旦那の得点、ともう決まっている。中の絵は、そのカレンダーによって違うが、似たものが多く、冬とクリスマスにちなんだ物ばかりだ。ツリーだとか、靴下とか、サンタとか、クラッカーとか…。時々は、全く関係なさそうな、テディーベアとか出て来ると、二人で、
“なんでこれがクリスマスなのさ”と鼻息を荒立てる。毎晩、寝る前に、開けるこのカレンダー、ちょっとした一日のハイライトになっている。
私が初めて、アドヴェントカレンダーを知ったのは、看護婦時代。
オーストラリアへ、もう数週間で出掛ける頃だったと思う。
一緒に働いていた、ある女性医師(7月にご主人と会いに来てくれたので、その日記が7月分に書かれています)が、私の病院退職前に、それをプレゼントしてくれたのだ。彼女から頂いたのは、アドヴェントカレンダーのクリスマスカードで、その時の私は、それをどういう風にしたら良いかも、わからなかった。アメリカでの仕事経験などもある彼女が、それについて、色々教えてくれた。私は、結局、一日もひにちをめくることなく、オーストラリアに持って行き、
ただ大切に飾っていたのだが、いまだに、毎年、このカレンダーを受け取ると、彼女のことを思い出すのだ。前回、2年間日本に帰っていた時に、彼女とも再会し、また、旦那も共にとても楽しい時を過ごした。私は、仕事場で一緒だったので、懐かしい話を色々、彼女とした。
オーストラリアに行く前、一緒に働いていた時には、病院内の有志で、ちょっとしたバンドを組んだことがある。彼女はピアノを弾き、私はヴォーカリストの1人として、忘年会での披露に向けて、仕事後の暗い病院の一室で、他の医者や助手さんたちと、必死に練習をした。
歌ったのは、ビートルズの“HEY JUDE”“NOWHERE MAN”だったと思う。
これは、結構楽しくて、全部で8人くらいだったが、大成功したと記憶する。
新年宴会でも、再び、歌ったと思うので、結構、いけたんだろう、と思っている。
いや、自己満足だったか?いやいや、みんな、立って踊ってくれたはずだ。うん。
アドヴェントカレンダーから、色々蘇ってくる思い出、人々、おっかさんのこと…。
今晩の私の予想は、“靴下”で行くつもりだ。
# by yayoitt | 2004-12-06 23:05 | 英国文化って... | Comments(0)
ベッドで過ごす日
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昨日に引き続き、今日は沈んだままなので、日曜日だというのを良いことに、一日をベッドの中で過ごしたい日、となった。目を覚ましたり、また、ウトウトしたり、そして、眠りに入り、また、目覚めたり。目がさえると、枕の下に入れておいた読みかけの本を出して、数ページ読んでは、また、目を閉じる。身体が疲れている時よりも、精神的に疲れきっている時の方が、私はベッドで過ごす時間が長い。以前、ホームシックで長い間落ち込んでいた時も、多分、莫大な時間をベッドの中で過ごしたと思う。外界から自分自身を遮断し、また、眠りに入れば、現実からも遮断される。現実という壁に突き当たった時、私は、眠って夢を見たりすることで、どれだけでもの時間を現実から逃避して過ごすのだと思う。これは、決して解決法とか、癒す方法ではないけれど、自分の身体に、正直に従うと、こういう結果になるのだ。
心と身体は密接につながっているものだと、改めて、思わされる。
心が健康でないと、身体もそれに伴わない。心あっての、身体なのだ。
こんな、理由をつけて、私は丸一日、明るくなっても、ずっとベッドの中で過ごした。
旦那も、そんな私を、よく理解してくれているので、彼に感謝しながら、また、眠る。
夕方、ゴソゴソ起きだすと、ノーマンが、シッポを振って、会いに来た。
“あんた、今まで、どこにいたのさ?”
ノーマンを、思い切り抱きしめると、なんだか、泣けてきた。
# by yayoitt | 2004-12-05 23:02 | やっこの思想 | Comments(0)
お風呂に浸かる日
久し振りに、お湯を溜めて、お風呂に入った。特別な時だけ、私は、湯船に入る。何か理由がないと、湯船に浸かることはない。昨夜は、どうしても、湯船に浸かりたかった。
お湯に浸かって、どうなるかという訳でもないのに、亡霊のように、ただお湯に浮いていたかった。湯気の中で、うごめく景色を、ただボーっと見ていたい夜。人生、いろんなことがある。
嫌なことがあると、どうして、私にばかりこんなことが起こるのだろう、などと思う。
でも、それは、自分ばかりに起こっている訳では決してないことも、知っている。
ただ、傷付いた自分に同情して、悲劇のヒロインにとことん自分を引きずり込もう…
自然とそんな思いが浮かんでくるのならば、そんなヒロインになるのはお断りだ。
でも、いつの間にか、更に悲しい方へ、辛い自分へと、拍車をかけている。
こんな自分が大嫌いで、前向きに、強く行きたいのに、そういう肯定的な姿勢には、どうしても、なってはくれない自分。もっと、自分に自信があれば、少しは違ってくるのかもしれない。
こんな夜は、自分を嫌い、なぐさめ、けなし、同情し、そして、また嫌う。そんな身体を、ただ湯に浮かべると、何か違った思いが、湧いてくれるかもしれない。明日の夜は、違った思いで、湯船に入りたいと思うかもしれない。お風呂に浸かる日。

ただ、フワフワと、浮いてみたい、そんな夜。
# by yayoitt | 2004-12-04 22:58 | やっこの思想 | Comments(0)
日本のお正月に想う 2
大晦日の夜、どんなテレビの特集番組よりも、一番心に残っているのは、NHKで始まる、“行く年、来る年”である。しんしんと雪降る積もる、どこかのお寺からの中継だったりしたと思うが、その静かさと、雪の深さ、人々が松明(たいまつ)の側を通り、お参りに行く様子を、ただただ中継していた。その解説の男の人の声が、とても、雪の深さに似合って、優しく、厳(おごそ)かだったと覚えている。今も多分、変らず毎年、この番組はあるのではないかと思う。最初の字幕、行く年来る年 の字が、習字書きで書かれていた。そして、大きなお寺から、修行僧達が裸足で、廊下を歩く様子や、鐘をつく準備をする様子が、せわしなく映し出されていた。画面の中で、最初の鐘を突き出すと同時に、私は、ドキドキしながら、外に出る。
テレビのある茶の間と、玄関は隣り合わせで、身体を半分だけ玄関から外に出して、耳を済ませると、町しある3つの大きな寺から、鐘が響いてくるのだ。寺までの距離がわかるくらい、それは大きかったり、少しこもっていたりする。そして、テレビからの鐘の音と混ざる。この幾つにも重なる鐘の音が、たまらなく好きだった。その頃から、今まで静かだった家々の玄関が開き、家族で連れ立って、出掛ける音が聞こえ出す。新しい雪の積もった道を、歩く時に聞こえる、独特の、うなるような音を聞くと、身体半分だけ外に出ていた私も、フラフラと外に出て、グイッグイッと、雪を踏んで歩いたりするのだった。私の家庭は、私が幼い頃からクリスチャンだったので、お寺参りというものを、したことがない。この大晦日の夜、降りたての雪を踏みながら、松明の燃えるお寺へ向かい、鐘の音を数えて家族で歩く、深夜の道程は、私にとって、ちょっとした、夢の様なものであった。1人で、近所の雪を踏み付け歩くと、ゴーン、ゴーンと不規則に響く鐘の音。みかんの皮で、黄色に染まった手をポケットに入れたまま、コートも着ずに、近所の家から家へと歩いて廻る。家の中では、姉達が紅白を見終わり、その結果について色々語り合っている。おじいさんは、既に自分の寝床へ戻り、父がコタツで、赤い顔をして眠そうに、行く年来る年を眺める。夕食の片付けを適当に切り上げた母は、もう4個目のみかんを手でむいている。冷たくなった手をポケットから出して、家の中に入り、家族の集まるコタツに足を下ろすと、きゅうに眠気が襲って来て、毎年、3時までは起きていようとか、鐘の音を全部数えようとか、そんな誓いは、簡単に破られて、新しい年の、あいさつもままならぬまま、結局、母親と父親の手に抱えられては、布団の中へ沈むのであった。
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# by yayoitt | 2004-12-03 22:57 | 思い出 | Comments(0)
日本のお正月に想う 1
    ♪もう幾つ、寝ると、お正月♪
大晦日、お正月…。
一年のうちで、こんなにも忙しく、待ち遠しく、ゆっくりとした時間が他に、あるだろうか?
師走に入ると、仕事をしていれば、仕事は常に忙しさを増す。看護婦をしていても、それは同じことだった。年末年始に病院が休みになるというので、外来に、患者さんが詰め掛ける。
また、一気に寒くなる時期でもあるので、多くの人が、風邪を引いて外来にみえ、お年寄りが風邪をこじらせて、入院することになったりする。師走、誰もが走り回る、忙しい時期なのだ。
仕事で走り回りながらも、我が家に帰ると、山積みの年賀状書きが待っている。そして、家で大掃除に明け暮れた後ホッとすると、待ちに待った大晦日の晩と、お正月が来る。この、大忙しの日々から、一気に開放されて、家でゴロゴロする怠惰な感じが、何とも言えない。お正月の雰囲気と、それにまつわる思い出は独特のもので、私の最も愛する時期のひとつである。
私の田舎では、昔は必ず、お正月には雪が降った。
ここ数年は、雪のないお正月が多いのだが、子供の頃は、56豪雪などもあり、決まって、大晦日の夜辺りから、しんしんと、静かに、寒い、重い、雪が降り出すのだ。雪は、音を吸収するので、夜は、いたって静かで、時間が重たく流れる気がする。大晦日の夜は、夕方5時を過ぎると、小さな田舎の町は、誰も歩いておらず、ひたすら地面に降る雪の、その音さえも、聞こえるくらいに、静かであった。我が家では、昔から、決まって年取り(としとり)の夜には、家族ですき焼きを囲んだ。茶の間で夕食を食べていたので、真ん中に置かれた四角い堀りコタツの、母が一番入り口に近い場所に、その向かい側に2人の姉が、その右側の面におじいさんが、そして向かい側に、父と私が座って、6人で、1つの鍋の熱い湯気を囲む。その頃、甘い牛肉を食べるという機会はこの夜だけで、子供だった私達にとっても、多分、両親とおじいさんにとっても、心騒ぐ夜だったことは、言うまでもない。私は、特に、牛肉の脂身が大好きで、いつも、皆から脂身をもらって、ジュルジュルとそれを食べた。脂身は、今でこそ、身体に悪いと残す物だが、私は掬(すく)って小さな欠片も食べた。白いご飯の上に、すき焼きの甘い汁がしみると、茶色く染まって、ご飯一粒一粒が、箸(はし)で掬(すく)おうと思っても、つるつるすべる。それを、指でつまんで口に運ぶと、この上ない幸せを感じたものだ。茶の間の角、玄関から二階に続く階段の下に置かれたテレビでは、大晦日の番組が始まっている。
どれも特集番組なので、どのチャンネルでも、見応えがある。ドリフの大爆笑だったり、華やかな歌番組だったり、甘い肉を噛みながら、テレビに声をあげて笑う。家族揃って声をあげて笑う、外は雪が降り続く、コタツの中で、足と足がぶつかり、縄張り争いをする。間違って父親の足を蹴って、また、大声で皆で笑う。この夜が、永遠に続くかのように、ゆっくりと時は流れ、少しずつおなかは満腹になり、ひっそりと、雪は降り積もり、その年は幕を下ろす。
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# by yayoitt | 2004-12-02 22:54 | 思い出 | Comments(0)
12月6日を待つ女達
12月6日? 一体、何の日だっけ?そう、ほとんどの人にとっては、普通の日である。
しかし、ある女性達にとって、それは、待ちに待った、大切な日であるのだ。大袈裟に言ってみたが、実に、待ち遠しい日であることは確か。さぁ、何があるのであろうか…?
以前にも一度、この日記でご紹介したが、例の、ブーツである。
Dr.Martens 、この秋の新作のブーツが3種類、9月に売り出された。
3種類のブーツは、ヒールがなく、とてもかわいらしく、セクシーと言うよりは、女の子っぽいもの。その新作の売り出しと共に、1種類は、一ヵ月後に完売、10月末には、英国中のお店でも完売してしまった。私の店で、このブーツを売り出したのは、10月に入ってから。ショーウィンドウに並んだ途端(とたん)に、若い女性客が殺到し、ストックしてあったブーツは、すぐに売切れてしまった。うちの店と取引するDr.Martens 担当の男性が、9月終わりに、ブーツのサンプル(右足だけの物)を持って店に訪れた時、私は、その3種類のうちの1つに、一目惚れしてしまった。ラッキーなことに、彼が、私に好きなペアーを一足くれる、と言うので、私は、3A63という形の、色はホーニー(茶色)という名の物をお願いした。最初の配達で、私のサイズのそのブーツは、一度私の手に入ったものの、余りに、お客さんの注文が多く、店のマネージャーが、私のブーツも売ってしまったのだ。私は、一度、そのブーツを手に入れたと確信していながら、失ってしまったことに、夢まで見るくらい、落胆してしまったのだが、マネージャーが、次のオーダーで、私のブーツも頼むから、と言ってくれたので、じっと、我慢することにした。次の配達は、英国中のお店からの注文に追いつかずに、結局、取り消しとなってしまった。英国で完売、というニュースを聞いて、もう手に入らないと、絶望した。その数週間後、マネージャーのところに、Dr.Martens の担当の男性からファックスが届いた。
何と、彼が、このブーツを海外から、何足か輸入に成功したということ。赤、茶、黒の、サイズは4から7まで数足ずつ、うちの店に仕入れてくれることになった。このブーツが、12月の6日に、うちの店に届くのだ。この1月半(ひとつきはん)、この限られた数の色とサイズの紙を壁に貼り、お客さんが欲しいと言えば、前金を置いて、予約することが出来るようにした。
店には、右足のサイズ4(22.5-23.0)しか置いてなく、試着も出来ないのに、女性達は、わんさかと、£5、£10、£20、または、全額支払い、ブーツを予約する。その都度、壁に貼られた紙の、数を減らして行き、今では、ほとんど、残りがないくらいなのだ。私が一目惚れした、そのブーツ(その色)が一番人気で、次に、赤、黒、と残り数も増えている。私は、絶望した日から立ち直り、それでも、もう自分の手元にはこのブーツはやってこないものと、あきらめていたある日、マネージャーが私に言った。“今度の配達で、やっこのも来るから。”
イヤッホーィ!!どうやら、マネージャーは忘れかけていたようだが、Dr.Martens の担当の男性が、マネージャーに念を押し、私に、一足あげるように、と言ってくれたらしいのだ。
さすが、男の人は、優しい♪今度、彼が店に来たら、ありがとうのチョコレートをあげよう♪
私も随分、調子がいい、でも、本当に、嬉しい。マドンナの歌ではないが、正直、私は、MATERIAL GIRL(マテリアルガール)物質的なもので左右される女。
このブーツの予約数は、既に、40足を軽く超えている。10月から、お金を払って、3ヶ月も待っている女性もいる。毎週、まだか、まだか、と店に確認に来る女性もいる。12月6日、と言ったにもかかわらず、本当に手に入るのか?と電話してくる女性もいる。このブーツの問い合わせを受ける度に、私は心の中で、つぶやいている。“フンッ。私は、今度こそ、絶対に、手に入れてやる!”
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# by yayoitt | 2004-12-01 22:46 | やっこのファッション | Comments(0)