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専業主婦ふふふ
私をよく知る人だと、私が今、専業主婦してます、と言ったものなら、必ず吹き出に違いない。
だが、私は今、専業主婦、なのである。わっはっはっはっはぁ。
やっこ = 専業主婦 とはどうもつながりにくい。これは、決して私が、キャリアウーマンだから、という意味ではなく、主婦の仕事 に やっこ がイコールでつながらないからなのである。そんな私も、それなりにこの一ヶ月ちょっとの専業主婦という仕事を、楽しんでいる。パンも作るし、スープも作る、毎晩夕食も作るし、夜私が出掛ける時にはマイケルに夕食も作って行く。本当は、専業主婦でなくても、兼業主婦の方でも多くの女性が、毎日、何年間もこれをこなしているのだ。私は、ただただ、そんな女性達に頭が下がる。また、男性で、同じように家の仕事をして、また仕事をしている人達もいる。1人暮らしの女性や男性でも、家に帰って食事を作って食べたりする人達も沢山いる。それを毎日、地道にやっている人々に、感嘆の声をあげる。ここに子供が加わってくると、私の想像を絶する人間の力と忍耐を感じる。どうであっても、誰もが一生懸命に生きているのだ。私を育て上げた両親のことを思う。
2人とも働いていたので、母親は仕事から帰ると、すぐに台所に立った。私がコタツで腹這いになって、ポテトチップスを食べながら遠山の金さんを見終わった頃、その日の慌しさに吹かれ、色々な人間関係にさらされながら、ぐうたらな子供達が大きな顔して待つ家に帰る。腹が減った、早くご飯作って、とほざく子供をどんな気持ちで見つめたのだろう?そのくせ、夕食が出来ると、今いいテレビの途中だ、とか言ってなかなか姿を現さない。美味しい食事は、すぐに冷めてしまったものだ。母が、私が成人してから言ったことがある。“子供を鍵っ子にした、ということに、ずっと責任を感じていた”と。私は、今の自分を振り返る。確かに鍵っ子ではあったけれど、いつも家族からの愛情を感じていたし、幸せだった。鍵っ子という名の意味を知り、それを親が申し訳なく思っていると知った私は、子供ながらにきっと、それを利用しては、彼らを困らせたのに違いない。両親から、大人たちから、どうすれば哀れんでもらえるか?注目を得られるか?そんな要らない知恵ばかりつけて、計算高く振舞っていた子供だったに違いない。子供は、案外、図太い。繊細と図太さが、器用にねじりながらその中枢を作り上げているのだ。主婦業をしてみて、その大変さは、あの頃の母や父のものとは比べ物にならないけれど少しだけ、その気持ちがわかった気がする。
by yayoitt | 2005-01-28 02:32 | 思い出 | Comments(0)
背筋が寒くなった話 2
京都で1年半看護師をしていた頃の話。職場の同僚の看護師さんで、四国から来て結婚して京都に住んでいるTちゃんと仲良くなり、何かと、彼女は私を誘ってくれたので、マイケルの帰りの遅い夜にはよく、彼女の家に夕食を食べに行っていた。彼女のご主人も、仕事でいつも帰りが遅かったから、2人で鍋などつついては四方山話を咲かせていた。
そんなある日、私は、ここ1週間以上ずっと左の肩こりに悩まされていたが、彼女の誘いで仕事帰りに家にお邪魔した。彼女にも仕事中に、肩こりの話をしていたので、昼休みなど、彼女は私の肩をもんでくれた。夕食を食べ終わり、ビデオをみたりして、お礼を言い、ではまた明日、病棟で!と私は自転車で5分ほどの家に帰って行った。
翌日の朝、彼女に再びお礼を言うと彼女が聞いた。“やっこちゃん、肩こり、どう?”
そう言えば、忘れていたが、今、もう肩こりはすっかり消えている。いつの間に消えたかさえ、わからないが、昨日の日勤の間は痛くて、Tちゃんに漏らしていたくらいだから、昨夜のうちに消えたのかな?彼女は、それを聞くと、知っていた、とでも言うように頷いて見せた。
そして、話をしてくれた。まず、私が家に帰った後に、彼女は、左肩が急にこって痛みを感じ始めたそうである。彼女の母親は田舎で、ある宗教の幹部のような仕事をしていて、何やら霊感があるので霊媒師もしているらしい。その母親から、昨夜私が彼女の家を出た後に電話があったらしいのだ。母親は、電話口で、“今夜、誰か来たやろう?”と聞いたそうだ。もちろん、私が彼女の家に来ていたことを母親は知らない。そこでTちゃんが、私が来ていたことを話すと、母親はこう言ったそうだ。
“その子が、あんたに、男の人の霊を置いていったよ。あんた、肩こらないか?”
彼女は、全て思い当たったので、どうしたら良いかと、母親に聞いた。母親は、塩を盛ったお皿をどこに置くように、と色々説明して、昨夜のうちにTちゃんはその供養をしたのである。
なんでも、寂しい男の人の霊が、私にくっついて来ていたらしいのである。確かに、どうして左肩だけがこんなに痛くて重くて、辛いんだろう?と1週間以上不思議だったのだ。何をしても治らず、夜も眠れないくらいだったのだ。それが、あの夜、彼女の家に行った後、嘘の様に消えてしまったのだ。私は、Tちゃんのお母さんが、見てもいないのに娘に霊が付いたことを知ったという第六感に驚愕した。そして、寂しい男の人…のことを思い、ブルブルッと身震いした。どうして私と来ちゃったんだろう…?目に見えないことだけど、当たり前なのかもしれない、様々な存在に対して、初めて親近感を持った出来事だった。
by yayoitt | 2005-01-27 04:50 | 思い出 | Comments(5)
背筋が寒くなった話 1
オーストラリアにいる20ヶ月の間に、旅らしいたびは、3度しかしなかった。
シドニーへ2泊3日で出掛けたこと。
ケアンズからもう少し北のDAINTREEへ1週間行ったこと。
そして、タスマニアに船で渡り、レンタカーで1週間廻ったこと。
この、タスマニアの旅は、私がまだ英語学校在学中の時で、私の他、日本人の女の子2人と、ユーというマレーシア人の男の子の4人で出掛けた。ユーは、その時で確か16歳、架橋の流れの中国系マレーシア人で、国ではストリートダンスをやっていたと言ってはクラスでよく踊って見せていた。彼は、10も年の違う私を姉のように慕ってくれたので、学校帰りはいつも2人で散歩したり公園に行ったりしていた。最初、タスマニア旅行の計画は私とユーとで言い出したが、2人だけでは心細くて、友人の女の子2人にも声を掛けたら賛成してくれたのだ。オーストラリアはメルボルン(南東端)に住んでいたので、タスマニアはメルボルンから船で直接行けた。レンタカーを始終私が運転しての4人での旅は、本当に楽しかった。その中でも、印象に残っている出来事は幾つもあるのだが、特に、これだけは忘れられない、という“不思議な”出来事があった。それは、旅も最終に迫った、いわゆる私達の中ではハイライトとでも言うべきアトラクション、PORT ARTHUR(ポートアーサー)でのOLD JAIL TOUR(オールドジェイルツアー=古い監獄ツアー)でのことであった。ポートアーサーは、タスマニアで最も人気のある観光スポットである。何故ならば、古い朽ちた教会があり、湖にはボートが浮かび、それはとても美しい所であるにもかかわらず、その背景には、血なまぐさい犯罪者達の過去があるからだ。今でこそ、湖にはボートが浮かんで家族の楽しむ声が聞こえるが、150年以上前のここは、英国でも最も凶悪犯罪者達がチェーンにつながれて、船でこの島に送られ、その生涯をそこで過酷な労働をしながら過ごす場所だったのである。1830年から1877年の間に、3万人以上の犯罪者達が、このハーバー(港)に到着した。そして、牢獄者が死んだ時には、 現在レジャー用のボートが浮かぶ湖の中央にぽっかり浮かぶ小さな島に埋められ、今もなお、その小さな島は“ISLE OF DEAD”= 死の島 と呼ばれている。この PORT ARTHUR に、その時の古い監獄跡と墓地が残っており、それを昼間と夜にツアーで見て廻ることが出来るのだ。興味津々で私達は、その街に着くとすぐに、その夜のツアーを予約した。ただ、日本人の女の子の1人が絶対に行きたくない、と泣きそうになって言ったので、結局、3人で行くことになった。夜の9時からのツアー開始で、ドキドキしながら、でも、妙に3人とも神妙な気分になって集合場所へ向かった。ツアーの参加者は全部で10人くらいで、引率してくれる女性が、2人か3人に1つ、暗いランプを渡してくれた。そのランプを下げて、彼女に付いて色々と歩くのであるが、牢獄の庭に立ち、真っ暗な湖を指差して彼女が色々説明すると、私達3人は、余り彼女の言っている英語が理解していないながらも、雰囲気が不気味で寂しくって、肩を寄せたロビンのように凍えたものだ。場所を移して、私達は、一番幽霊がよく見られているという建物の入り口に立たされた。私達3人は、建物の入り口を背中にして立つツアーメイト達の最後尾に立っており、背後には暗闇と不気味なドアがニョキッと立っていた。また、彼女の迫力ある説明が始まった、が、やっぱり話の詳細は私達3人には余りわからないでいた。と、その時、私の左斜め後ろに立っていたユーが、フラフラっと、私の背中にぶつかった。振り返ると彼は、前後左右に時々揺れ、その度に後ろを振り返ったりしていた。まるで飛び回る虫を避けているかのようだったが、周りは真っ暗で、ランプの明かりも終わりかかっていた。???と思って、見守っていたが、私が見ているのに気が付く様子もなかった。そして次の瞬間、私の背中に彼が胸から強くぶつかると、急に口元を押さえて“気分が悪い!吐きたい!”と私に言った。その頃には、他のツアーメイト達もその異変に気が付いていたので、皆がこちらを見ていた。引率の女性に、彼が気分が悪いことを告げると、近道でオフィスに帰れる道を教えてくれたので、ランプを返して、私ともう1人の女の子は、両側からユーを支えながら歩き始めた。背後で、ぼそぼそと、噂する声が聞こえた。
抱えられながらユーは一度だけ嘔吐したが、歩き出してからすぐに元気を取り戻し、興奮して私達に話し出したのだ。
彼の話によると… 一番幽霊が目撃されていると言われているあの建物の前に立っていた時のこと、誰かが、背後からドンッと彼を押したらしい、それは一回だけではなく、まるで何人もの人が後ろからぶつかるように右、左、とぶつかってきたそうである。私達の後ろ、彼の後ろに、確かに人はいなかった。私が彼を不思議に見ていた時、だから彼はあんなにフラフラと動き回っていたのだ。そして、そのぶつかるのが止まると、急に吐き気がしてきたそうなのである。その場を離れた彼は、今、もうすっかり元気で吐き気もおさまっているではないか!
そう、それは確かに、霊だったのではないか…彼もそれを確信していた。霊感が強いと今まで感じたわけではなかったけれど、この興味深い体験は、彼をすっかり魅了してしまい、その夜、震えて戻ったホステルの部屋で、待っていた友人に話しをすると、彼女はまた泣きそうになって怯えてしまった。それなのに、ユーだけは、もう一度あの場所に行って見たい、などと言い出し、しばらく私達を困らせたものである。
今でも確信する。
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私達の背後にあったドアを抜け、霊たちが、私達の間を通っていったのだろう、と…。
by yayoitt | 2005-01-26 00:27 | 思い出 | Comments(2)
ダーウィン と ビーグル
週に一度くらいの割合で、今も同じ動物病院でのヴォランティアをしている。
今日の手術中の出来事…
VET(動物のお医者さん)のアラン(アランおじさん、と心の中で私は呼んでしまう)が突如、私に聞いた。彼は、いつも唐突に誰か彼かに質問をすることがある。以前には、“やっこ。世界で一番、登録ラグビー(ラグビーユニオン)選手が多い国はどこだ?”と聞かれたことがあった。彼の質問は、質問する相手によって、その相手にちなんだ質問が多いことを知ってはいながら私は、しばらく考えて、オーストラリア?え?もしかしてニュージーランドか?オールブラック!と答えた。答えは、意外にも“ジャパン♪”、そう、エキゾチィックー、ジャパァン♪であった。へぇ、へぇ、へぇ…だった。
今日の質問は、進化論を唱えたダーウィンが、旅に出る時に使用していた船の名は何か?だった。突然、ダーウィンの名前が英語で出てきたので、は??何?なに?という感じだったが、進化論と聞いて初めて、(ダーウィンかぁ、何か、習った習った、でも、ダーウィンの進化論という言葉以外の記憶は何一つなかった。私が頭をひねらせ、ちらりと隣の看護師フィオーナの顔を見ると、私に何か言いたげに見守っている。知っているんだ…。
私に質問するということは、私にちなんだ話だ…ジャパン?ジャポニカ?こりゃ学習帳だ。
何々??ニッポン?いや、もしかして、ヤッコ?なわけない、ダーウィンがこんなセンスのない船に乗ったらすぐに沈没じゃん。考えてたら、アランもフィオーナも、ワークエクスペリエンス(お仕事体験学生の大学生)の女の子もみなが私の答えを待っている。顔がかぁっと赤くなるのを感じた。そして、おじけづき、知らない…と答えた。答えは、“ビーグル号”であった。
そう言えば、何かその話、聞いたことある!急にそんな過去の会話だか本の一説だかが蘇る。なんで、質問されてる時に、脳裏に蘇ってくれないんだ??私は、ビーグル号で仮説を立てたダーウィンの功績を無視して、なかなか進化しないらしい(というか、こういう進化のことではないが)。ダーウィン(1809~1882)以前の西洋では、キリスト教的なものと生物の多様性という事実の間にどうしても存在するギャップを、何とか解明、説明つけたいと思い始めていた。キリスト教の思想、神父の教えだけでは説明し得ない事実が、沢山ありすぎることを否定できなかった。ダーウィンがビーグル号に乗って観察してきた結果“生物は自然に変化するものだ”という考えを指示した。その後の功績に対してはちょっと勉強不足なのですが、これを機会に、勉強してみたいと思った。初め医者を志したダーウィンは、エディンバラ大学で医学を学んでいた。これも、知らなかった…マイケルの大.大.大先輩じゃぁないか!
しかも、ノーマン(マイケルの親友、人間の方の)は同じ医学を学んだ、これも奇遇?じゃぁないか!ダーウィンは当時、麻酔がまだ発明されてなかった為、麻酔無しの外科手術を経験し、それをきっかけに医学が嫌になり、ケンブリッジ大学へ転学した。そこで牧師になる勉強をしたという。進化論を唱えた彼が、やはりキリスト教を学び、そこで疑問を抱き、現実と理想論の間で苦しんだだろうことが伺われる。こんな風に、ちょっとづつ知っていくと、歴史で習った“ダーウィンの進化論”が頭の中で生きて動き出すからおもしろい。
進化論…正直、私にはわからない。
進化するんだ、と思う方が自然な気もするが、神がこの世にいて、人間の知恵をはるかに超えた神の思いにて、この世が出来た、というのも、一理あると、実は今も思っている。この世には、理論で説明できないこと、証明できないことが、限りなくある。それは、神(決して人間のような格好をした口髭をたくわえた爺さんでなくてよいのだ)だから、出来ることなのかも知れない。人間の知恵なんかにはとても及ばない、だから、命とは不思議で、強く、弱く、説明不可能なものなのだ。そう思うだけで、何となく、楽しい気がするのも、正直本当だ。でも、ゆっくりと時間をかけて変化してきたという方が、頭では描きやすい。莫大な時間をかけて…だから、“じゃぁ、何故、そこにいるサルが変化しないの?”という疑問は、かかる時間の桁が違うからだろう。ちなみに、私の父親は、まさに進化の途中である。サルから、人へ … または、人からサルへ... (マイケルは彼のことをいつも“サル衛門”と呼ぶくらいだ。
こうやって、普段あまり真剣に考えもしないことを考え出すと、宇宙は広がるし、地球は躍動する、そして、ゴキブリ一匹、蚊一匹でも、神秘的な思いを抱くから、不思議だ。

ひとつ、思い出した悲しい命の話…

インド洋で1598年に発見されたDODO(ドド)という鳥、発見からたったの80年、1681年に、絶滅してしまった。飛ばない鳥、ドド、やはり人間の手が、この撲滅に影響を与えたらしいのだ。
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このドドの悲劇を繰り返さない為にも、生き物との共有の意味を考える為にも、ダーウィンの種の起源を読んでみたい、と思った。
by yayoitt | 2005-01-25 07:19 | 迷い犬、犬のこと | Comments(0)
ヒッピーへの憧れ
昨夜、旦那の姉から電話があった。来週の土曜日に、ロンドンで友人の40歳を祝う誕生日会があると言う。40歳ということで、彼女が生まれた60年代をテーマに、ファンシードレスパーティー(仮装パーティー)となったらしい。60年代のファッションというと、今、リヴァイバルで復活もしているが、超ミニスカートや、幾何学模様の光るシャツ、又は、いわゆる“ヒッピー”の最盛期であるから、それにちなんだ格好でも良い。大人っぽいシットリとした服を着る姉は、思い当たる物が見つからず、私に電話をして来た、という具合。早速、Googleで60年代ファッションを調べて、チェストを開け、ベッドに一枚、二枚、と思う限りに服を投げた。
引き出しも開けて、あれ、これ、と引っ張り出す。そうするうちに、数えただけで、10数枚の上着やワンピース、パンツなどが積み重ねられた。私は昔から、ヒッピー系ファッションが大好きで、今でも本当は、髪をドレッドロックにしたい!と思っているのだ。以前に働いていた靴屋に来たスペイン人の女の子が、ドレッドロックにしていたので、どうやってしたか?私もしたい、と話したことがある。彼女は、私の髪を見てすぐに、“あんたの髪じゃ、駄目、できないわ”と言ったのだ。どうやら、腰があって強すぎるらしい、しかも、真っ黒だから見た目がくどくなりすぎる…と。それから、すっかり諦めてしまってるのだ。でも、この願望は、消えることはないらしい…オーストラリアにいた時に、ヒッピーかぶれの不思議な日本人になってしまい、
裾の破れた、長い透けるワンピースを着ては、裸足でスーパーに買い物に行っていたりしたくらいだ。オーストラリアでは、ヒッピー(系)、それらしい人達がよく、靴を履かずに裸足で歩いているのだ。もちろん、普通の住宅街、お店とかスーパーとかを。最初は痛かった裸足が、慣れて来た頃、ボトルが割れて辺り一面に破片が飛び散っていたことがあり、仕方なく遠回りして歩いたお陰で、迷子になりかけたことがあった。それで懲りて、ちゃんと靴は、サンダルでも、履くようにした。私は、一番たちの悪い、ヒッピー好きなのだ。よくヒッピーとはどういう人たちのことを言うのか?なぜ、そういう生活習慣なのか?そういう本質を知らないまま、ただそのファッションや見た目に惹かれているだけなのだから。ボブマレイ?彼に憧れるわけではない。YOKO ONO?日本人で思い浮かぶ60年代のヒッピーと言えば…でも、彼女を目指すわけでもない。自然を愛し、動物を愛し…それは努力してしているが、今の世の中に行きながら、また、街の中のフラットに住みながら、やっぱりヒッピーの様には生きられないのだ。そんな私は今もなお、それらしい服を買い続けているが、やっぱりヒッピー系の服は止められないのだ。義理の姉に全てを写真に撮って送ったが、結局、サイズ的なものや夏の物が多いということで、これと言って選べるものはなかった。
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世界の平和を願い…願いたいが、願う以上に自分が出来ることが何か?それを探求しなければ、本当のヒッピーにはなれない。
by yayoitt | 2005-01-24 04:29 | やっこのファッション | Comments(0)
最近やっこはお風呂三昧♪
寒がりにも関わらず、ギリギリまでセントラルヒーティングを我慢していた私達。さすがに12月に入ったら、夕方には必ずヒーティングを使い始めた。セッティングをお湯とヒーター両方にしておけば、お湯が使えるし、ヒーターにも湯がまわる。12月暮れにボイラーの調子が悪くて、数日ではあったが、湯が沸ききると自動的にボイラーが止まってしまう事があり、止まる前に、お湯を使って、また湯を沸かし続けなければならないことがあった。この時には、はい、使わせていただきます、とばかりに私は喜んでお風呂に湯を溜めて入った。それから、ボイラーがガスマンのケヴィンによって修理された後も、私は現在、毎晩の様に風呂に入っているのだ。文字通り、至福の時、である。
以前にも事細かと、恥ずかしげもなく紹介したのだが、私独特の“必殺風呂への入り方”を毎晩繰り広げている。図書館で借りた、日本の単行本をそこで読みふけるので、時間は軽く1時間はかかる。熱めで入り始めても、1時間後にはちょっと寒気がするくらいに湯も冷えていることがある。それでも、すっかりこの日課が気に入ってしまった私…
タオルを頭に乗せて、顔に吹き出た汗を拭う姿は、セクシーとかとはほど遠く、♪えんやぁこぉらしょっとぉい、はぁ、どっこいしょぉのこおらっしょっとぉい♪とドリフターズがハンテンを着て踊ったように、舟をこぐ真似までしているくらいで、とても他人に見せられるものでは、ない。他人でなくても、何事かとノックをして入ってくる、旦那にも、さすがにこの姿は見せられない。入浴が1時間以上にもなると、トイレを我慢しきれず旦那が入ってくることもある。その時は、頭のタオルをバスタブに置き、目を閉じて天使のように湯に浮かんで見せるのだ。ジョジョジョー、っという彼のトイレの音を聞きながら。
それにしても、風呂に入ることは、なんという素敵な習慣なのだろう。日本にいて、日本人がほとんど皆、毎晩のようにそれをして疲れをとったり、一日のことを考え直したりする理由はよく理解できる。風呂に入っていると、思いがけないことを思い出したり、考えたりもする。日本で看護師の仕事をしている頃はよく、湯に沈みながら、“あっ、やべっ!xxさんの記事、書き忘れた!”とか、“あっ、いけねっ!501号室に清拭したタオル、そのままにしてきた!”など、ちっちゃなことでも、思い出すことがあった。
湯に入る=体温が上がる=四肢への血液の循環がよくなる=??頭への血流は減るはずなのに、何故だろう??
よく、余りに長湯をしているのが心配で、家族が見に行くと、お風呂の中で亡くなっている、なんてことが、ちょくちょく聞かれる。これは正に、身体が温まり頭への血流が減り貧血状態となり、意識を失って溺れてしまうからである。やっぱり、頭にはタオルを載せ、♪えんやぁこらしょっ♪と船を漕いでみるくらいに、湯船の中では、しっかりしていた方が、安全だ。
by yayoitt | 2005-01-23 09:08 | 遠くにて思う日本 | Comments(1)
SUPERSTITION 迷信
SUPERSTITION スーパースティション とは、迷信 のことである。
日本にも、沢山の迷信があるように、どこにでも、文化がある限り迷信は存在する。
英語では、また、OLD WIVES TALES = 昔の妻達の話 とも言う。
そこで、それはもう、数え切れないくらいある英語の迷信の中から、幾つかおもしろいものをご紹介。

1. 鏡

鏡を割ると、7年間の不幸

自分の顔を、蝋燭の明かりで鏡に見るのは不運

2. 写真

もし、3人で写真を撮る時、真ん中の人が一番早くに亡くなる

3. 救急車

救急車を見るのはとても不運であるが、もし、何か黒い物、または茶色の犬を見るまで息を止めるか鼻をつまむかすれば、その不運は免れる

4. 蝶

もし、その年の一番最初に見る蝶が白なら、その一年間幸運である

蝶が3匹一緒であるのは、幸運を意味する

5. 猫

黒猫が自分の方に向かって歩いてくるのは、幸運をもたらす

が、自分から歩き去っていくならば、その幸運を持って行ってしまう

6. 指の爪

金曜日、または土曜日に爪を切るのは不運

7. 傘

傘を家の中で広げるのは不運、特に頭の上で広げるのはもっと不運

8. 靴

靴をテーブルの上に乗せてはいけない、なぜなら、その日1日が不運になるから、例えば友人を失ったり、仕事を失うことになったりするから

9. スープ

辛いスープは、それを作った人が、恋している

…なかなかおもしろいではないか。
信じるのも信じないのもどちらでも良いとは思うが、自分に都合良く信じるのが一番利巧かもしれない。でも、迷信と言うのは、それなりに理にかなったものが多いのも事実。
知っている以上、しない方がいいことは、しない方がいいだろうし、知っててするんだったら運がいいと言われることをするほうがいい、と、私は勝手ながら案外、やきもきしながら毎日を迷信に縛られて生きていたりするのだ。
by yayoitt | 2005-01-22 07:44 | 英国文化って... | Comments(0)
本当に強い人
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私は、正直、弱虫だ。臆病で、怖がりで、一人だとなかなか何でも出来ずに、常に誰かに頼って生きている。私がここで暮らすことも、もしも、1人でだったらきっと出来ないに違いない。
オーストラリアへ一人では行ったけど、それに注ぎ込む努力はそれはそれは大きなものだった。マイケルとそこで出会い、ここに来ることが出来たのも、彼がいたからであって、自分独りではきっと出来なかったに違いない。昔から海外生活に憧れていた私は、そう言った意味で、とても幸運だったと言える。自分で切り開く人生…そんな風に思いがちだが、実際は自分で人に頼って切り開く人生なのかな?と思うことがよくある。本当に、強い人は、いるものだ。
海外に独りで来て、そこで様々な選択をする。例えば、どこに住みたいか?誰と住みたいか?どのくらい住みたいか?何をしたいか?次どこに行くのか?海外で旅に独りで出る、というのも、かなりの勇気がいることだと思う。私は、オーストラリアにいる時も、結局一人では旅をしたことがない。怖いから、だ。いつも、友人やマイケルと旅をした。オーストラリアで出会った日本人の中には、ワーキングホリデーの期間を利用して、独りで東南アジアを旅行する人達がいた。3ヶ月ほど東南アジアをマイケルと旅行したことがあるが、マレーシアのユースホステルである日本人女性に出会った。彼女は一人でオーストラリアに行き、日本に帰る途中で東南アジアを旅しているのだと言う。話を聞くと、私と同じく看護師さんで、しかもなんと同郷であったからかなりビックリした。そしてそれよりも彼女の強さに、強く心を打たれたものである。東南アジアはその場所によって、私が旦那と歩いていても、何かと物売りやタクシーの誘いが多くてまっすぐに歩けない所がある。そんな場所を、毎日、その日泊まる宿を探しながら、常に地図やガイドブックを頼りに旅して廻るのだ。2人での旅なら、その荷は半減するし、甘えん坊で判断力の鈍い私は殆どの決定を旦那に任せていたくらいだ。ここにいても、ちょっと知らない場所や行ったことのない所へ出掛けるのが、怖いし億劫だ。マイケルの実家があるダンディーに独りで行くのでさえ、大仕事だったりする。本当に強い人達に、私はかなり頭が下がるのだ。
by yayoitt | 2005-01-21 04:35 | やっこの思想 | Comments(0)
SCOTLAND 電車事情 怒って其の2
その大切な用事に、どうしても遅れられなかったので、駅には発車20分前に到着。8時48分の電車…スクリーンに出ていない?チケットを買いに、売り場に行って、チケットを買いながら係りの男性に尋ねた。“あのぉ、8時48分発のxx行きは、どうなったの?スクリーンに表示されてないんだけど?”そしたら彼が答える。“大丈夫、xxへは、8時53分発の、xxx駅まで行って、そこからバスでxxまで連接されるから。xxxからxxまでは約2マイル(3キロ強)くらい”私は今までxxxという名前の駅を聞いたことが無かったけれども、xxと同じ街の名前で、サウスかノースの違いだけだったので、案外、すぐ納得して、じゃぁ大丈夫だな、と思った。
ラインは違うけど、サウスとノースではさすがに同じラインということはないか、と思って素直に8時53分の電車に乗った。私の大切な用事は、10時半からで、xx駅からなら、歩いても40分くらい、タクシーで5分程度であった。歩くつもりでいたから、xx駅にはせめて、余裕を持って9時半には着いていたかった。普通、xx駅までが電車で20分くらいだから、xxx駅からバスに乗っても5分程度の違いだろう、と簡単計算で考えた。私は、ここをスコットランド、電車でひどい目に何度も合わされていることを覚えていたが、悲しくも自分に大丈夫だ、大丈夫だ、と言い聞かせていた。xxx駅へ向かう電車、乗客は私一人、車掌さんが“xxに行くんだね?xxxからバスが待ってるからそれでxxまで行くからね”と優しく言ってくれた。xxxに向かう途中、3回くらい雑草のぼうぼう生える荒地で停車したり、停車予定の無い小さな駅で停まったりしながらその電車はこれ以上ないくらいにゆっくりと、xxx駅へ向かっていた。xxxへの到着は、結局、30分以上かかっており、9時半を数分過ぎていた。電車を降りる時に優しい笑顔の車掌さんが、口笛を吹きながらやって来て、“降りたら高架橋くぐって、そこのバス停でバスが待ってるから”と言った。サンキューと言って、私はその待ってるバスへと急いで走った…が、バスが、待ってない。誰もいないし、囲いだけのバス停は霜で真っ白で、時刻表はあったが3種類の違うバスが走っているらしいのにどこへ行くとも書いてない。辺りには、タクシー乗り場らしいものもない、流しのタクシーも走っていない。もうほとんど9時40分を回りかけて、私は泣きたい気持ちと怒りの混ざった複雑な感情を、寒さをこらえて身震いしては積もらせていた。鼻水がバシバシと凍りかけた怒り顔の私の前に、2台のバスが来たので、鼻をぬぐいながら運転手に聞いた。そのうちの太ったスキンヘッドの運転手が、これはxx駅へ行くと言ったので、“よっしゃ!”と思い、どのくらい時間がかかるか尋ねると、“たったの、5分だよ”と軽く答えた。その時、私は既にxx駅からタクシーで目的地まで行かざるおえないと思っていたので、今から5分程度で駅に到着すれば余裕!と、そのスキンヘッドを、おっさん、たのんまっせぇぇー、と後ろから頭をピシャリと叩きたいほど安心して笑顔だった。

**やっこ。ここを、どこだと思っているの?スコットランドよ、スコットランド…**

私は余り、学ばないらしい。私がバスに乗ると同時に、スキンヘッドのドライヴァーがバスを降りたのが気になったが、中には2人の乗客が座っていてエンジンもかかったままだった。
私は時計を見ながら、全然余裕、全然余裕、フンフンフン♪と鼻歌まで歌いだした。
フンフンフン、フンフンフン … 10分経過、9時50分。
鼻歌が、鼻息に変わって来た。
カリカリカリカリ … 9時55分。
頭からはスチーム、目からは涙が落ちそうだ、しかも緊張が度を越すと、漏らしてしまう感じまでしていた。席を立ち、前からのん気に座っている乗客のおばさんに、出発時刻を知っているかと尋ねると、“さぁ、何時かは知らないけど、30分ほどで戻ってくるとは言ってたから、あと5分くらいじゃないかなぁ”

ううううううううううううううりぃぃいいいいゃゃやああぁあぁあああああ!!!!

怒りは最高潮、しかも漏らす寸前!あの、スキンヘッド、xx駅まで5分と答えた時に、ちゃんと説明しろよぉ!“でも、出発は30分後です”とぉ。聞かれたことだけに答えるだけなら、どこの誰にでも出来るわぁ、あんた、サービス業じゃぁ、ないんかぁ?? … 怒りと恐怖はつのる。
でも、漏らしてなどいられない 30+ 歳の状況なので、とにかくタクシーを呼ぼうとバスの中から電話ボックスを探す。こんな時に、携帯電話があるとなんて便利なのだろうと、思う。そう、私は携帯電話という物を持っていない、マイケルが頑なに嫌だ、嫌だと言うので結局ずっと持ったことが無い。この時点で私は、何の罪も無いマイケルまで悪者にしていた。 バスをとにかく降りようと思って席を立ったところに、のん気にハンバーガーをくわえながらドライヴァーが乗り込んできた。

10時10分 !!

ダイハード、スピード、とにかく走れ、馬鹿、走れはげ頭!スキンヘッドも、はげ頭と呼ばれたらいたたまれない。バスはバイパスに入って、ラウンドアバウトを幾つか過ぎると、ようやくxx駅のサインが見えた。

10時17分 !!

バスを急いで転げるように落ちる(降りる)と、タクシー乗り場を探すが、乗り場にはタクシーは、ない。もう、怒っている時間も無い。辺りを見回すと、やったぁ!タクシーが一台、バス停の乗車口辺りに停まってる!50台くらいの太ったおじさんがニコニコと答えてくれた。お喋りなおじさんに答えつつ、しかもバカバカとタバコを吸い続ける煙で染まったタクシーの中で時計を見ると、10時25分。ほんの5分で到着したので、時間には間に合ったが、せっかく朝時間をかけて慎重に準備した私の服はタバコのにおいが染み付いていた。ドライヴァーの太ったおじさんは、帰りにまた電話くれれば迎えに来るから、と優しく笑ってカードをくれた。
何十分も笑わず、眉間に皺を寄せっぱなしだった私が、ようやく頬を丸めて笑った。
by yayoitt | 2005-01-20 20:19 | 英国暮らしって... | Comments(0)
SCOTLAND 電車事情 怒って其の1
大切な用事の為、車を持たない私は、電車で目的地は最寄の駅まで行くことに。サイトで調べると、8時48分に、街の中心の駅を出発、その駅には9時10分には到着するということ。
その待ち合わせに、遅れることだけは避けたかったので、本当は一本遅いのでも良かったが、その48分に乗ることを決めた。チケットを駅で買う為、更に早くに街の駅に到着したのが、8時半、家を出たのは8時10分だった。
モニターのスクリーンを見る … 8時48分という電車が無い …
嫌な予感を抱えて、チケット売り場へ向かった私は、過去にそれはそれは何回とも、スコットランドの電車で嫌ぁな思いをしてきたのだ。
以前、3年間住んでいる時に勤めていた会社が、電車で街から2つ目の駅にあったが、そのラインは、グラスゴーへ行くラインなどに比べると、比較的マイナーなものであって、それでも、その駅の周辺は会社や工場が沢山あったから、毎朝仕事に向かう人で混んでいた。
ところが、通勤ラッシュの朝であろうと夕方であろうと、よく、キャンセルされたのだ。何故??理由はわからないが、電車を待っているとアナウンスで“X時XX分のXX行きは、キャンセルとなりました”次の電車が30分後だから、はい、会社には遅れます、はい、朝の忙しい30分無駄にします、でも、待たなくちゃいけません、だ。一度は、そのアナウンスも、馬鹿正直に理由を説明して、“運転手が無断で仕事を休んだ為X時XX分のXX行きは、キャンセルとなりました”それで、キャンセルにするのか?! 誰か代わりに運転してくださいよぉ、頼むよぉ…と腹が立つより笑えてきた。また、時間に遅れるのは当たり前、1分、2分どころではなく、15分、20分、と遅れる。ただ、30分おきの単線の電車なので、20分以上遅れたら、もうアナウンスもなしにキャンセルとなる。だから、待てど暮らせど、その時間の電車は来ないのだ。駅はどれも無人で、風が吹きすさぶ中、ただただ、待つ…鼻が垂れて飛ぼうが、待つ。
また、電車はいたる所でよく停まる。特に街の主要の駅の周りだと、どの電車も時間通りに出発、到着しないから、駅に入りたい電車がホームの大分向こう側で待たされるのだ。
その頃(3-4年前)、このサービスの余りのずさんさが大問題となり、会社は、最善を尽くして改革!などと新聞などで語っていたものだ。また、不満一杯の乗客達が、沢山の投書や新聞などにこの問題を持ち込んだ。特に、電車の車掌さんの給料が、仰天するくらい良かったから、尚さらだった。こんなに給料もらってて、サッカーを見に行った翌日の仕事を無断で休み、電車がキャンセルになる?どう考えてもおかしい。

ふつふつ と湧き上がる、数え切れない思い出の苦味を舌で感じながら、チケット売り場へ闊歩した私であった。

    続く
by yayoitt | 2005-01-19 00:41 | 英国暮らしって... | Comments(0)