<   2004年 11月 ( 27 )   > この月の画像一覧
ノーマンの性格を英語で言うと
NORMAN THE BEAGLE ビーグル犬ノーマン
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男の子の名を持つ彼女は、正真正銘の、BITCH(ビッチ=メス犬)だ。
でも、余りメスの犬がすることのない、マーキングをして廻るし、とっても STUBBORN(スタバーン=頑固)だし、DEMANDING(デマンディング=自己本位)、また、時に、執拗に要求してくることがあり、PUSHY(プッシー=ごり押しする)で、まさしく、彼女は、TOMBOY(トムボーイ=男勝り、おてんば娘)だ。そんな彼女だが、以外に GENEROUS(ジェネラス=寛大)なところもあり、特に、私と旦那に対しては、SUBMISSIVE(サブミッシブ=従順)。
自分より小さな犬に対しては、BULLY(ブリー=いじめっ子)である。なのに、大きな犬には知らん顔だったり、実は、COWARD(コワード=臆病者)らしい。旦那と私は、そんなノーマンを見た時には、彼女を“CHICKEN SHITE(チキンシャイツ=鶏のうんち)”と言ってからかうが、やっぱり意味は、臆病者、である。
アメリカ英語やイギリス英語では SHIT(シッツ)と言うけれど、スコットランドでは、SHITE(シャイツ)と発音する。ちなみに、これは、日常とてもよく使うスコットランド英語である。
“くそ!”とか、“クソみたいな物”の意味合いで使う。
…と、クソの話にそれてしまったが。“失礼”
ノーマンは、見た目がとってもかわいい犬なので、散歩中に、よく声をかけられる。
VERY CUTE!実際に、よくよく、彼女の歩く姿を見てみると、とにかく、何でも、落ちている物は食べ物と思い、駆け出し、匂いを嗅ぎ、少しでも食べ物の匂いがすれば、紙でもプラスチックでも何でも、口にする。とっても、GREEDY(グリーディー=貪欲、強欲、がつがつ)だから、見た目と実際には、大きな差があるのだ。何でも口にするから、時々、変な物を食べては、夜中に吐いたりするし、のどに詰まってゲホゲホするし、本当に、SILLY(スィリー=お馬鹿さん)だ。こんなノーマンだけど、私達にとって彼女は、ANGEL 天使 で、
SWEET とっても、愛らしく、BELOVED DOG 最愛の犬 なのだ。
by yayoitt | 2004-11-30 00:35 | 愛犬ノーマンのこと | Comments(0)
英国ジョーク デヴィットベッカム編
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以前、英国一番おもしろいというデーターが出たジョークをご紹介した。そこで、日本人の笑いの感性と、英国人の笑いの感性の違いをしみじみ、感じた。毎日、いくつも、どこからかジョークが溢れては、携帯電話やコンピューターを通じて沢山の人に行き渡る。色々な人々が、色々な友人、知人に受け取っては、送る。旦那や私もここにいると、彼の友人や私の仕事仲間から、ジョークを受け取る機会が多い。その中で、数年前のものだが、私が“これは、おかしい”と、気に入ったものをご紹介したい。しかし、紹介するにあたり、下記の注意事項を必ず前もって読んで頂き、同意して頂きたい。
*** 注意事項 ***
1. 英語では、登場人物の声やアクセントを真似て話すジョークなので、日本語で画面上に書いてしまうのでは、笑いが減少することを理解して下さい。
2. もし、おかしくって、笑うのは結構ですが、決して鼻を垂らしたり、ましてや、よだれを垂らすなんてことはぁ、しないで下さい。
3. 心臓の弱い方、メディケーションを受けてみえる方は、注意してお読み下さい。
4. 笑えなくても、物を投げたり、画面を叩いたりしないで下さい。 
5. 万が一、笑えなくても、やっこは一切責任を負いませんのでご了承下さい。
6. ベッカムをベッカム様と、呼んでいる方のご利用はお控え下さい(笑)。

では、本題。
これは、デヴィットベッカムがまだ、マンチェスターユナイテッドにいる時のジョークです。

**********************************

最近、ベッカムは悩んでいた。
それはサッカーの試合にも現れていて、彼らしくないミスが続いていた。
そこで、心配したマネージャーのアレックスファーガソン(スコットランド人)が、
彼を自分のオフィスに呼び出した。
Alex  “ デイヴィット、最近のお前は一体、どうしたんだい? ”
Becham  “ 最近ちょっと悩み事があって眠れないんです、Sir。”
Alex “ なんだ?悩み事は?金を使い放題の女房か?長男のブルックリンか?それとも次男のロミオか? ”
Becham  “ Sir、違います。はぁぁぁ。僕はこのことを考えるだけで夜もろくに眠れないんですよ。”
Alex “ デイヴィット、一体なんだというんだ?言ってみろ。”
Becham  “ Sir、実は、タイガーなんですよ。そう、タイガー(トラ)。”
Alex “ タイガー?? ”
Becham  “ Sir、かっこいいタイガーなんですよぉ。タイガーの、ジグソーパズルなんです。”
Alex “ ジグソーパズル??”
Becham  “ はぁぁぁ…。Sir、そうなんですよぉ、かっこいいタイガーの絵のジグソーパズル、難しくて、これが全然出来ないんですよぉ。”
Alex “ 。。。”
Becham  “ はぁぁぁ…。Sir、僕は、このタイガーのジグソーのこと考えて夜も眠れず、もう一ヶ月以上経つんですよぉ。その箱の絵がかっこよくって、凄くいいタイガーなんだけどぉ、どうしても出来ないんだぁ。”
Alex “ … よし、デイヴィット、わかった。明日、そのジグソーパズルを、ここへ持って来い。俺が助けてやる。”
Becham  “ はいぃ、わかりました、Sir。でも、本当に難しいからぁ… ”
Alex “ ええい、うるさい。いいから、明日必ずここへ持って来い、いいか? ”
うつろな目をしてファーガソンのオフィスを出て行くベッカム。そして翌日、アレックスファーガソンのオフィス。ノックをして、元気のないベッカムが、溜め息をつきながら部屋に入ってきた。そして、大切そうに、そぉっとジグソーパズルの箱を、カバンから出して、マネージャーの目の前、机の上に置いた。
“ この、かっこいいタイガー、僕にはどうしてもこのパズルが出来ないんです ”
肩を落として、箱のタイガーの絵を見つめるベッカムにしばらく沈黙していたアレックスファーガソンは言った。
“ なぁ、デイヴィット。これは、ジグソーパズルじゃぁ、ないぞ。これは、フロスティー だ。”

*** 解説 *** 

フロスティーは、ケロッグの朝食、シリアルの一つ。トラのトニーがいつも箱に描かれてあります。そう、ベッカムがジグソーと思って毎日苦悩していたのは、フロスティー(コーンフレーク)だったのです。
by yayoitt | 2004-11-29 05:32 | 英国暮らしって... | Comments(0)
数分だけの、人生模様
たった数分の出会いではあるが、靴屋に勤め始めてから、色々な人間模様、人生模様を、
そこに来たお客さんに見るようになった。多分、客商売の人は、皆、同じ様な経験をしているのではないだろうか。看護婦をしている時には、それが見えすぎて、悲しくなったり、辛くなって、嫌になったものだ。看護婦の仕事柄、患者さんからの言葉、目で見た観察だけでなく、カルテという、詳しいバックグラウンドを、知ってしまうからだ。他人(ひと)との出逢いが、そのドアを開けた時に、始まる。
    ♪チーン♪
髪を赤く染めた40代前半の女性、数ヶ月前にDr.Martensの靴を一足買ったが、今回は、窓に飾られた、この秋新作の、Dr.Martensのブーツを買いに来た。今年の夏が終わる頃、ファッション雑誌に、“足元だけは、ギリギリまで、覆い隠さずに、サンダルでいるのがポイント”とあった。彼女は、11月始めの来店の時、新たにピンクに染めた髪に良く似合う、高価そうなピンクのコートをまとい、黒いスマートなパンツに、足元だけは、ヒールのあるサンダルだった。彼女の家には、きっと、60足もの靴と、大きな鏡が各部屋にあるに違いない。
    ♪チーン♪
入ってくると同時に笑顔、私が声をかけるか否か、その日焼けした優しい笑顔の彼が言う。
“元気?お店は、忙しいの?”もちろん、面識は一切ない。髪はヒッピー風、首の辺りには、サーフィンを連想させる、エキゾチックな手作りのネックレース。オーストラリア訛りの英語を聞かなくても、それとなく、オーストラリア人を知れる。セーフティーブーツ(爪先にスチールが入った、仕事用のブーツ)が欲しいと言う。セーフティーブーツは、ピンから切りで、一番やすい物で£20(4千円)、これが見た目が悪く、硬い皮で覆われ、靴底もとっても基本的、一番高い物で£100(2万円)、TIMBERLAND(日本でも人気があるブランド靴)である。彼は笑顔で照れる感じもなく、ためらいなく、一番安い、その黒い塊(かたまり)を差して、“サイズ9ある?”と聞く。試着中、椅子にかけて、半袖からスラッと伸ばした腕に、東西南北を示す絵柄のタトゥーが見える。彼が言う。“仕事の為に、高いお金払いたくないからね。”
オーストラリアから、ヨーロッパを旅しがてら、お金が尽きると肉体労働をして稼ぎ、バックパッカーズに宿泊し、この国にいたいだけいた後、東ヨーロッパを巡り、ロシアを冒険するんだろうな、そして、赤の広場の前に立ち、ちょっと身震いしながらも、サラッと笑って立ち去るのだろう。
    ♪チーン♪
厳格そうな母親と、ニコリともしない父親が先に店に入る。その後ろを、黒の革の引きずりそうに長いジャケットに身をくるんだ、15歳くらいの男の子が黙ったまま歩いている。Dr.Martensの、14ホールの長いブーツにチラッと目を向けるが、すぐにそのまま、店の中央の椅子に、大きな音を立てて、ドサッと座る。母親と父親は、無口に、時々小声で喋りながら、アーミーブーツ、そして、店全体を見て廻る。椅子に座って、両親の方に背を向けたままの息子に、母親が、丁寧な口調で聞く。“あなたが欲しいって言ってたのは、そのブーツなの?”
息子が、少し肩をすぼめて、“別に”とでも言わんばかり。大きな溜め息の後、一言も口を開かずに、14ホールのDr.Martensの赤いブーツを、だるそうに指差す。そして、丁寧に母親が私に聞く。“この、サイズ10は、あるかしら?”息子が、やはり気だるそうに、仕方なさそうに試着する。いいとも悪いとも言わず、母親に少し頷(うなづ)いて見せて、母親は、息子の脱ぎ捨てたブーツを手に取り、私に渡し、父親が後ろで黙って、妻の手元を眺める中、ゴールドのカードで支払いする。£69.9(約14,000円)のブーツの入った袋を、母親が手に取ろうとしたので、私はすかざず、後ろで、宙を眺めて貧乏揺すりしている息子に、“はい”と渡す。
母親は、後ろの息子を振り返り、息子は、仕方なさそうに、その袋を手に取る。裕福な一戸建ての家のリビング、そのファイヤープレース(暖炉)には、息子の子供の頃の写真が飾られているが、実際に、背丈ばかり大きくなった息子は、ほとんどリビングで過ごすことはなく、キッチンの冷蔵庫からコークを取り出し、乱暴に閉め、すぐに自分の部屋へと閉じこもる。クリスマスには、プレゼントはお金がいいと言うくせに、うるさい祖父母が来るからと、似たような考えの友人と外をただ歩いてみたりするのだろう。
    ♪チーン♪
太った母親と、にぎやかに、乱暴な口調で喋り続ける女の子達4人。母親は、暑くもないのに汗をかき、一番大きな娘を催促する。一番大きな、痩せて薄着の女の子が聞く。
“この子が、ケデッツ(英国アーミーの、子供様のトレーニングコース)に入るんだけど。”
黒髪がベタッと顔に張り付いた、笑顔のない10歳くらいの女の子を指差しながら。私が、ケデッツ仕様のアーミーブーツを3種類示すと、一番安いのを手にして、“これのサイズ4ある?”3人の女の子が見守る中、必死に、長い黒紐を締め上げる女の子。“歩ってみなきゃわからんでしょう?”と、誰かに乱暴に言われ、うつむいたまま、2つある鏡の間を、行ったり来たりする。母親は、汗をかいたまま、財布を取り出し、お金の勘定をする。大きな女の子の支持で靴を脱いだ小さな女の子が、自ら、私の手元に靴を持ってきて言う。“これ、ください。”
他、3人の女の子は、“じゃぁ、**で待ってるから、いい?”と言い、店を出て行く。汗っかきの母親の、汗ばんだ手から、折り曲げられたり、伸ばしたりされた4枚の紙幣が渡される。
“£34.99で、はい、£35ね。1ペニーの、おつりです。”母親は焦るように店を出、その後ろを、にこりとも笑わなかった小さな女の子が、ありがとう、と言って出て行った。失業保険で、4人の娘を育て、父親も母親も、あいにく長期間の仕事には就けず、それでも、娘は自立心が強く、乱暴だけど、リビングには誰かの叫ぶ声、笑う声、怒る声が絶えない。肉体労働の父親は、怒鳴りつけるし、母親は、うるさいとヒステリーになりながらも、今年のクリスマスには、奮発してプレゼントを買い集め、リビングに飾られたナイロン製のツリーの周りは、にぎやかに金色や赤い紙で包まれたプレゼントが並ぶ。騒がしくても、子供達がいないと、すぐに涙してしまうような、父親と母親。来年頃は、一番上の女の子が妊娠し、子供を生むかもしれない。10代と若くして、その赤ん坊の父親はいないけど、彼女の汗っかきの母親は、おばあちゃんになったことを、逢う人みんなに、言って廻るのだろう。
私が見る人生模様、そこから想像する人生模様、この人達、1人1人に、それでも、笑顔と夢のある、クリスマスが来ることを願いたい。
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by yayoitt | 2004-11-29 00:38 | 英国暮らしって... | Comments(0)
ノーマンとジャネット
昨夜、土曜の夜は、旦那の親友、私達のビーグル犬ノーマンの、名前元、ノーマンと、彼の奥さんのジャネットを食事に招待した。私は、夕方の5時まで仕事だったので、終わると早速に帰ってきて、旦那が日中に買い揃えておいてくれた食料をチェック。
“オッケー、全てあるぞ、マイケル、でかした!”
メニューは、下の通り。
** 白ワインで乾杯の時のおつまみ…
緑と黒のオリーブ(ビネガー漬け)、プリングルス(両方購入した物)
** スターター(前菜)前のおつまみ…
マフィンにオリーブとモッツァレラチーズ、ガーリックバターにバジルをこねたペーストを乗せ、ハチミツで作ったドレッシングを上に掛けて、グリルで焼いたもの
…これが美味しかったぁ♪
** 前菜(スターター)…
アボカドをスライスし、鶏もも肉を茹でて裂き、盛り合わせ、わさび、醤油、酢で作ったドレッシングを掛けたもの…私は、アボカドだけ、チキンの味見は旦那の役目
** メイン…
肉じゃが!! と 白いご飯 
…甘めにして、かぼちゃ、サツマイモも入れて、こちらでは非常に高い、“みりん”はふんだんに使って作った。…お肉は、上等の柔らかいビーフで、別に玉ねぎと炒めておいて、私の肉じゃが分だけ取り出した後、お肉を入れてクツクツ煮込んだ。
** デザート…
マーキーズ(MARKS&SPENCER)の、ラズベリーチーズケーキ
…マーキーズの食品は、とっても品質が良く、特に、READY MADE(既に調理してあって、温めるだけ)や、デザートは、長年に渡って、多くの国民からの支持を得ている。旦那のおっかさんは、マーキーズの服しか、着ないし、香水もマーキーズだ。
ノーマンの奥さんは、ちょっとしたお嬢様で、とても舌が肥えている。また、彼女は、料理がとっても上手くて、頻繁に友人を呼んでは、その腕前を披露している。もちろん、ノーマンも、その彼女と大学時代からずっと一緒にいる訳で、彼の舌が肥えていないはずはない。もの凄く大きなプレッシャーではあったが、まずまずの出来だった、と私は振り返って思う。彼らと旦那の出会いは、大学時代である。エーディンバラ大学在学中、旦那とノーマンは、フラットのシェアーメートとして出会ったのだ。2人でのシェアーではなく、他にも2人の男子学生と、4人でシェアーしていたらしい。ジャネットは、その頃のノーマンのガールフレンドで、写真を見せてもらうと、金髪で笑顔のかわいい女の子だ。ノーマンと旦那は、性格が似ていることもあり、今もなお、親友として、毎週何かかにかスポーツをしたりしている。2人とも、人生に悲観的、悲しいくらい現実的、そしてスポーツ大好き、音楽大好き、という4点が特に似ている。
ノーマンは精神科医で、時々、元患者さんのストーカー被害に遭いながらも、高級住宅街で、ジャネットと2人で暮らしている。2年半前の2002年6月には、私達の日本帰国と一緒に、彼ら夫婦も日本に旅行に来た。予約しておいた、ワールドカップ神戸戦を見る為ではあったが、一緒に、京都、広島、そして私の故郷へと旅をして、幾晩もカラオケしたりして楽しく過ごしたのだ。ジメジメと、でも、ジリジリ暑い初夏の日本を、汗だくで、4人で、色々歩き回った。これを機会に、私自身、彼らとの関係が近くなり、2人は、それほど数多くない、気兼ねせずに会える旦那の友人となった。昨夜は結局、1時半頃まで音楽のこと(旦那とノーマンが燃える)や、テレビのこと(ジャネットと私が燃える)、スポーツのこと(旦那とノーマンが燃える)、ショッピングのこと(私とジャネットが燃える)、政治の話(私が、消える)で、盛り上がった。
日本に行く前は、私は、同じ過去を彼らと共有していなかったので、なかなか気持ちが楽ではなかった。でも、一緒に、暑い京都を歩いたり、カラオケで唾を飛ばしたり、奥飛騨の温泉で同じ湯につかったとの過去を共有してから、彼らと私たちとの関係は、とっても近くなったような気がする。
by yayoitt | 2004-11-28 00:43 | 英国暮らしって... | Comments(0)
マンディーの開花
6ヶ月前に、5年間付き合ってきた男性と別れたマンディー。別れて数週間後に、彼の方に新しい彼女ができ、マンディーは、悲しみというよりは、莫大なショックを受けていた。女の子の友人達と出掛けてみたり、毎週末は、ナイトクラブで踊ってみたりしても、マンディーの憂鬱は、晴れなかった。それでも、今までは友人だったある男性との、急接近をきっかけに、彼女はしばらくしていなかった、腹の底から、笑ったりし始めた。マンディーは、とってもロマンチックだ。でも、とてもやきもち妬きで、嫉妬深くもある。新しい関係で歩き出した、その男性に、毎日、数回のテキストメッセージを送った。彼女は、仕事中でも電話して、ロマンチックな言葉を言った。彼が仕事中でも、マンディーが、そうしたいと思った時に、愛しているよ!と電話をした。彼は、突然ある夜をさかいに、ズンズンと迫って来た熱い嵐に、恋心も、マンディーと楽しく過ごしたい、という気持ちさえも、吹き飛ばされてしまった。そして、マンディーは、傷ついた。もう傷付きたくないと、思っていたのに、自分で自分を、深い傷に、またもや放り込んでしまったのだ。マンディーは、またしばらくを、泣いたり、女の友人と出掛けては過ごした。
少しずつマンディーにとって、夜は、女友達と出掛けることが、普通になりかけてきた。日曜日は、母親と息子と過ごすことが、普通になりかけてきた。でも、土曜日は、ワイルドに遊びまわることも、普通になりかけてきた。特定の男性を選ばず、1人を楽しみ、1人のスペースとペースを壊さないこと。それが、彼女のルールになり、色々な男性、もしくわ女性と、笑って踊って、惹かれ合って、ただ、その時を一生懸命楽しんでいるマンディー。彼女は言う。
“ もう何年も前に、私は、私の女としての青春は、とうに終わったかと思っていたの。でも、今、私は、まるで20歳の頃のように、毎日を楽しみ、心から笑っているわ。私の、人生2度目の、恋愛最高潮(ピーク)なのよ! ”マンディーには、現在、パートナーはいない。
かと言って、毎週、誰かとキスをする。でも、それ以上の関係は、絶対にしない。
もっと、よく知り合ってからでないと、それは出来ない、と彼女は言う。
“ 縛りあわない関係、縛らない、縛られない、この自由が、とても恋しいわ。”
縛ることで、安心と、安堵、安全な居場所を確立してきた彼女が、深い傷口を、冷静に見つめたことで、見出した、彼女なりの治療法だ。“ 今年は、私にとって、人生最高の年だわ。”
同じ年に、傷付いたことも含めて、彼女はそう言った。
by yayoitt | 2004-11-26 00:45 | 恋愛とは... | Comments(0)
懐かしき銭湯
高校に入るまで、うちには風呂がなかった。だから、近くの銭湯に、子供の頃なら2日か3日に1回通った。銭湯に毎日行くようになったのは、ちょっと色気づいて、好きな男の子が出来た頃からだ。銭湯の思い出は、独特のものがある。
私と家族が通っていた銭湯は、家から歩いて60歩ほどのところにあって、毎晩、特に夕食後は、とても混んでいた。入り口から男女別々で、夏にはドアは開けっ放しで、大きな湯と書いた暖簾(のれん)が風に揺れると、外からは、玄関の上がりたてにある更衣場で、着替える裸の人が、はっきり見えたものだ。入り口を入ると、女性側からは右手、男性側の入り口からは左手の高い所に番台がある。そこには、いつも、その銭湯を営む家族のうち、おばあちゃんか、おばさん、又は、娘(年頃の)が座っていた。今思うと、年頃の若い娘にとって、その番台は、結構、難しいものだったろう。番台からは、更衣場が、全て見渡せるから、男の人の裸を常に見る事となる。番台には、小さなテレビが置いてあり、彼女らは、いつもテレビで、“8時だよ全員集合”など見ていた。番台の、そのテレビの横には、小さなナイロンの入れ物に入ったシャンプーが20円ほどで売ってあった。他にも、あかすりや、かみそり、石鹸も用意してあった。その頃、余り、リンス(コンディショナー)という物には面識がなく、いつもシャンプーだけしていたが、髪がばさばさになることに気が付いたのは、やはり、私自身年頃になり、サラサラの髪を意識し始めてからだった。風呂代は、幾らか忘れてしまったが、髪を洗う場合は、プラス数十円払わなければならなかった。銭湯は、外まで、石鹸のいい匂いがしたが、実際に中に入ると、髪の毛が詰まっていたりして、数箇所ある排水溝の周りは、臭かったりもした。
ケロリンと書かれた黄色い桶(おけ)があり、始めは、座る椅子はなかったので、タイルの上に正座して、身体や髪を洗っていたと記憶する。シャワーが取り付けられたのも遅い時期で、コの字に陳列する洗い場には、赤の“湯”と書かれた蛇口と、青の“水”と書かれた蛇口、
そして何々商店、と、その下に書かれてある鏡があるだけだった。風呂場の真ん中には、冷たいタイルで出来た、背を向けて取り付けられた洗い場が4つあり、このうち、2つは、お尻を湯船に向けて座る格好だったので、私は嫌っていた。湯船は、2つに分かれて並んでいたが、片方が少し深いくらいで、お湯の温度などにさほど差はなかった。それでも、深い方(おっきい人の)は、新しい湯が入って来て、浅い方(ちっちゃい人の)には、水の蛇口があった。
湯は、いつも熱かったので、私はちっちゃい人の湯船に、まず水で少し埋めてから、そろそろと入った。シャワーが取り付けられるまでは、蛇口から熱い湯と水を、ケロリンの桶に入れて、何回も頭からかぶって髪を洗った。私は、物心付いた頃から、濡れた床が嫌いで、タイルの上をいつも、爪先立てで歩いていた。また、隣から流れてくる汚水や髪の毛が気持ち悪く感じて、目をつぶって、なるべく見ないように計らった。排水溝の隣の洗い場に座るのは極力避け、込み合っていて洗い場が開いていない時は、ジッと湯船で息を潜め、潜水艦からジーッと、狙った洗い場を見つめる、湯だったタコと化していたものだ。湯船の中からは、色々な背中が見えた。太った背中。骨ばっかりの背中。曲がった背中。縫った痕のある背中。それぞれの人生を刻む背中。熱いお湯から上がって、真っ赤にゆであがった私の背中は、まだ平らで小さかった。学校で、家で、外で、色々な楽しい、悲しい思いをしながら、その湯船から、大人の背中を見つめ続けていた。ケロリンの桶がタイルに当たる音、お湯が蛇口から噴出す音、誰かの咳払い、音は全て、湯煙の膜の中で反響してこだまし、まるで遠くから聞こえる様であった。時には母と、時には姉と、時には向かいのあけちゃんと入る風呂は、楽しかった。1人の風呂は、リラックスなどとはほど遠く、孤独と縄張り争い(自分ひとりで、勝手に使いたい洗い場を狙っていただけだが)、煮えた熱い湯との格闘、苦悩の方が大きかった気がする。濡れたまま更衣場に出ると、髪を洗っていないのに、湯気で濡れた髪を、番台のおばさんが見ている気がして、いつも、わざと頭をタオルで拭かずに、濡れたまま、うつむいて“ありがと”を言い、寒い夜も、飛んで家に帰って行ったものだ。
銭湯には、長年の私の思い出が一杯、詰まっている。いつの間にか、その銭湯はなくなってしまった。町にあった2、3件の銭湯は、全く姿を消してしまった。あの暖簾(のれん)も、あのこだまする会話や水の音も、ケロリンの黄色い桶も、もう、そこにはない。
by yayoitt | 2004-11-25 00:47 | 思い出 | Comments(0)
スコットランドのサザエさん
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サザエさんは、長年、日本人に愛されてきた、そして今の子供達も知っている漫画。
スコットランドにも、サザエさんの如く、長年、そして、現代の子供達にも愛されている漫画がある。同じ漫画家によるもので、2つの作品である。1つは、子だくさんの家族を描いたもの。もう1つは、ウィリーという男の子が主人公のもの。
前者は、THE BROONS で、BROWN家を描いたもの。
スペルが OWN ではなく、OON になっているのは、スコットランドの発音で、ブラウンを、ブルーン、と言うからである。 
後者は、OOR WULLIE で、WILLY(WILLIAM)という男の子の話。
これも、正しくは OUR WILLY であるが、発音が アオァ は、ウール、ウィリー は、ウリー となるからだ。漫画は、年に1度、出版されている。
初版は、THE BROONS で1939年、128ページにも及ぶマンガ本。
現在では、なかなかこの初版を手に入れるのは難しく、値段的に、£2,000から£3,000(40万円から60万円)はするらしい。クリスチャン(カトリック)独特の大家族(子供が多い=避妊をしないので)で、お父さん、お母さん、背がひょろひょろ高い息子、がっしりした息子、器量の悪い太った娘、とっても綺麗な娘、賢い息子、双子の男の子、そして一番小さい女の子の、10人家族。別に暮らす、お父さんの父親、おじいさんもいる。このおじいさんは、時々、OOR WULLIE にも登場する。翌年、OOR WULLIE の初刊が出版され、96ページに及ぶ。WULLIE は、お父さんとお母さんの3人暮らしで、いつも、ダンガリー(胸当てのある吊り下げズボン)をはき、とっても元気で、いたずらな男の子、ペットにねずみを飼い、庭には彼のお気に入りの椅子(バケツをうつぶせた)があり、どのストーリーも、最後は、彼がそのバケツに座って一言何か言う、という風で終わる。両方とも、住まいはフラット(アパート)で、行事があるとキルトを着たり、ケリーを踊ったりと、スコットランドの様子がよく現れていて、興味深い。
この漫画の生みの親は、DUDLEY DEXTER WATKINS(ダドゥリー デキスター ワトキンズ)。1907年 イギリスはマンチェスターに生まれるが、18歳の時に、家族とスコットランドのダンディーに移住した。彼は、グラスゴーのアートカレッジに通い、その恩師の勧めで、ダンディーにあるD.C.THOMSON という出版社を紹介される。そこで、6ヶ月という期限付きの契約で、新聞のイラストを描きはじめるが、短期間の仕事の予定が、結局、彼は1969年に他界するまで、このダンディーで過ごすこととなる。
ダンディーは、3つの“J”で有名、と言われていた。
1. JAM ジャム
2.JOURNALISM ジャーナリズム
3.JUTE ジュート(米袋などに使われる繊維)
私の旦那はダンディー生まれで、月に1回は、彼の両親の所へ行くが、昔は栄えたであろうその街も、時の流れと共に、産業が落ち込み、大分、静かになってしまったようである。
今もなお、毎年、このマンガ本は、1年に1回、クリスマスの頃に発売される。誰が受け継いでいるのかは知らないが、多分、そこも、サザエさんのようなものだと思われる。私も、実は、毎年クリスマスのプレゼントに、このどちらかを、旦那のおっとさん、おっかさんから頂く。
漫画は、4コマではなく、A4紙1ページに及ぶもので、話し言葉が、全部スコットランドなまりで英語で書いてあるので、最初は、余り意味がわからなかった。でも、声を出して読んでみると、それは、まさしく、スコットランド訛り、になるからおもしろい。これで、かなり私のスコットランド語の勉強に、役立ったことは確かだ。
by yayoitt | 2004-11-24 00:50 | 英国暮らしって... | Comments(0)
耳が燃える?
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仕事中に、隣の店(同じ会社で、同じオーナー)に用事があり、立ち寄った時のこと。
店には、お客さんは誰もいなかったが、従業員の男の子1人と、最近マネージャーとして仕事を始めたばかりの男の子が1人、向かい合って、配達された品物の整理をしていた。
私が店に入って行くと、2人が私を見て、笑顔でこう言った。
WERE YOUR EARS BURNING?直訳すれば、“あんたの耳、燃えてなかった?”
もちろん、私の耳は、無事だ。英語のこの表現は、うわさ話の時に使われる。
意味は、“今ね、あんたの噂をしてたんだよ!”という意味。
そう言われた私であったが、もし悪い噂をしていたのなら、きっと、私が入って来た時、シーンとなって、“ハロー、やっこ!”とでもごまかすだろうし、わざわざ本人に、今あんたの噂してたの”とは、笑顔では言わないはずだ。私は、“全く、なんて言ってたのよぉ”と言いながらも、別に真剣に知りたい訳でもなかった。多分、先週の、毛糸のパンツの話でもしてたに違いないから。いじめられっこ、泣き虫の子供から、道化師へと生まれ変わり、人を笑わせることに懸命になっていた私は、20代の頃迄は、他人のする自分の噂が、気になって気になって仕方がなかった。でも、30代に入って、他人の噂は、ほとんど、どうでもよくなって来た。
そのくせ、旦那と誰かが、私のことを笑いながらコソコソ話してそうだと、“鼻なし?”“不細工(ぶさいく)?”“顔がまん丸?”“おつむが今ひとつ?”何言ってるんだろう??と気になり、後で旦那をしつこく追及したりもする。となり、自分の耳に、目に入らない限り、誰かが自分の噂してても、平気…。人並みに、気にもするが、気にもしない、のだ。
この 噂 の現場を、英語で表現してみよう。

*** やっこの、奥様劇場 ***

若い男 : DID YOU HEAR THAT YAKKO WAS WEARING GRANNY’S   KNICKERS YESTERDAY?
まずまず若い男 : WELL, I KIND OF KNEW SHE WAS A WEIRDO. 
BUT…DID YOU SEE THEM?
若い男 : OH,YES.IT WAS NIGHTMARE!
まずまず若い男 : EEEK!
 ♪CLICK♪
まずまず若い男 : PSSSSS! 
若い男 : OOOPS, HERE COMES THE DEVIL. 
やっこ : WHAT ARE YOU TALKING ABOUT?
男両方 : HAHAHA! SPEAK OF THE DEVIL!!
やっこ : TALKING ABOUT ME??
♪TARAAAAAAN♪

   日本語訳

若い男 : やっこが、昨日、ばあさんパンツを履いてたって、知ってる?
まずまず若い男 : うーん、あいつ、なんか変わり者ってことは知ってたけど。
でも … お前、見たの?
若い男 : おお、見たよ。もう、ありゃぁ悪夢だよ!
まずまず若い男 : うえぇぇぇ!
 ♪ガチャ♪ (ドアの開く音)
まずまず若い男 : シィ――――! 
若い男 : おっとぉ,噂をすれば…だな。 
やっこ : あんたら2人、何はなしてんの?
男両方 : ははは!噂をすれば影、さ!
やっこ : あたしの話し、してたんかい??
♪チャンチャン♪
by yayoitt | 2004-11-23 00:54 | English | Comments(0)
日本の友人に、感謝! 其の2
今年の6月25日に、旦那より2週間遅れて、スコットランドにノーマンと到着。
グレーの空、よく見慣れた空だった。厚い雲の層が、勢いよく流れる、感じ慣れた風を受けた。独特の方言で笑い合う人々、静かだけどいつもどこからか聞こえる喧騒。
黄色い電灯に映し出される、古い建物の並。帰って来てしまったんだ。
これが、私の最初の言葉、溜め息と共に漏らした。
日本での最後の夜は、成田で、田舎から両親と姉が見送りに出てきてくれた。
4人で空港敷地内のホテルに宿泊して、空港近くの高級ホテルに夕食にも行った。
初夏と言えど、毎年暑さは厳しくなるので、この日もジリジリ、暑かった。
年老いた母と父、田舎から電車を乗り継ぎ、何時間もかけて、来てくれた。
真ん中の姉も、飛行機で、富山から子供と旦那さんを家において、来てくれた。
肩の出たテラテラっとしたサマードレスに、サンダル、暑くても、気持ちが良かったし、夕食のホテルは、冷房が効いて寒いくらいで、そこに長袖を羽織らないと、すぐにくしゃみが出た。
4人で笑って、馬鹿な話をし、食事を楽しみ、そして来年、もしくわいつか絶対にスコットランドに来ると、母と父、姉は私に約束をして、何となく4人とも静かになってしまったものだ。
翌日、朝早くの飛行機で、私は日本を発った。
あいにく、空港が人で込んでいたのと、ハリーポッターのロン役の男の子の到着と重なり、
私は、母と抱き合い、父と抱き合い、姉に笑ってピースをしてビデオを撮ってもらい、誰かの顔が、崩れてしまうその前に、背中を向けて人込みに紛れることが出来た。
その瞬間から、日本での忙しさ、多くの別れ、葛藤、全てが吹っ切れたのだ。
それでも、飛行機の中で、平行飛行に入った頃から涙が止まらず、斜め後ろにいた、日本人ツアーの添乗員らしき若い女の子に、“すいません、荷物とらせてもらっていいですか?”と、声をかけられるまでずっと泣き続けた。
スコットランドに到着。バスで街の中央まで出る。すぐに見慣れてしまうほど、馴染んだ景色だった。右手にお城を眺めながら、街の中央を走るバス。帰ってきたことに、ワクワクもしたが、もう悲しくはなかった。日本を離れて、少しの間泣いて、私の心はもう、前向きになっていたのだ。懐かしいフラットに着くと、旦那と、先に到着していたノーマンが待っていた。
旦那が作ってくれた夕食を食べ、熱いコーヒーを飲むと、生活が、始まった。
私は、今回の渡英に際し、モットーを立てていた。
“自分に嘘をつかない、我慢しない、自分らしさを守る”前の3年間で、好きでもないお酒に付き合ったり、興味が余りないのに、話の種にと無理して新聞で得た知識だけで、クリケットを語ったり、こういう無理をやめよう。嫌いなものは嫌いだし、興味が無いものは話題に無理に出さない。いわゆる、私の中での開き直り…でも、これは、私自身をこの海外生活から守る、大切な盾(たて)となったのだ。そして、日本と交わりを持つべく、インターネットに時間を費やした。日本に残してきた家族と、友人と、一杯メールで話しをした。その時の私は、それを欲していたから。そして、何とかこのページを作ってみた。(知識が無いので、このままなのだが)
検索して、海外に住む、英国に住む、スコットランドに住む、日本人のホームページを探し回り、エーデインバラに住む日本人のホームページも探して、そうして、1人の日本人女性と、コンタクトを取ったのが、この夏。私がここに来て、まだ1ヶ月ほどの時だった。
彼女は素敵なウェブサイトを立ち上げていたので、何回も何回も、毎日立ち寄り、そして、偶然にも、お互いの家が近いことをきっかけに、実際にお会いすることとなったのだ。その、私としては初体験の、インターネットを通じての誰かとの出会いに、感動するやら、のぼせるやら、浮かれていた。そして、たった1ヶ月日本を離れていただけでも、自分がどれほど、日本人の人との接触を欲しがっていたかが、しみじみと、わかったのだ。この出会いを通じて、新たに、もう1人の日本人女性と出逢った。それぞれ、パートナーとは一緒でも、親や兄弟姉妹がここにいない、それなりに知人は出来ても、心を許す親友は、日本にいて会えない、沢山の共通点があり、すぐに仲良くなったのだ。今でも、何かと一緒にお茶してみたり、先日はパーティーに招待されて、旦那とすっかり居座って、ゲラゲラ、ガハガハ笑い、旦那などすっかり酔っ払って、夜中に数回、ゲーゲー(失礼)したほど、楽しく飲んだのだ。キッチンに何となく日本人だけが集まると、日本のテレビの話をしたり、日本のギャグで大笑いしたりもした。
その夜は、新しい日本人の友人もできた。私は、飾らず、自分の言葉で、ギャーギャー喋っては笑える、この空間を、この上なく愛している。どれは、毎日ではないけだけに、確実に、心のオアシス、となっているのだ。同じ文化、同じバックグラウンド、同じ笑いのセンス。
これらを共有することは、人間、生きていく中で、欠かせないものなのだ、と今わかる。
5年半前にここに到着した私は、これを、自ら避けて生きていたのだ。
本当は、欲しくて欲しくてたまらなかったのに、自分をごまかし、嘘をつき、他の仮面をつけて、ここで、自然に暮らそうとしていたのだ。こんな不自然な生活が、続くはずはなかった。
あの時の苦しさ、切なさ、寂しさを経験して、今回のこの生活が始まって、本当に良かったと思う。私は、愛する日本の人々なしで、この自分の生まれ育ったのとは到底違う国で、明るく生きていけるほど、強くもなく、自立もしていない。常に誰かの助けが欲しい、1人だと、気楽ではなく、気悲(作った字です)な人間なのだ。そのことに、今更、嘘は付かない。この正直な自分を抱えて、この国で、ゆっくり長く、旦那とノーマンと一緒に生きていくんだ。
そして、愛すべく、日本人の友人達と。
by yayoitt | 2004-11-22 00:59 | 英国暮らしって... | Comments(2)
日本の友人に、感謝! 其の1
今から、約5年半前に、初めてスコットランドに引っ越して来た。
オーストラリアで20ヶ月を過ごしたものの、本格的に生活するという形での、海外渡航は初めてであった。旦那とはその1年半前に日本で結婚しており、旦那と2人、彼の生まれ育った国、そして、彼の青春時代を過ごした街での、私にとっては、何もかも新しい生活の出発であった。正直、かなり焦ってもいたし、神経質にもなっていた。特に、自分の英語力に対して、不安で仕方がなかった。オーストラリアでは、英語を学ぶ学生という立場で生活し始めたので、実際に1人で外に出ても、物を買うにも、トラムに乗るにも、多少の英語の間違いは、平気だ、と自分の中で決め込んでいたのである。英語でトラブルがあっても、学生にとっての間違いは、いい経験!と、すっかり学生生活を満喫することに専念していた。そして、時間的にもリミットがあったので、いずれは日本に帰る、という、心に余裕があったのだ。この心の余裕は、怠惰を生み出してしまっていた。日本に帰れば、これくらい英語が喋れればたいしたものさ!という、悲しい諦めと自信で、自分の可能性を抑え付けてしまっていた。また、何でも、旦那に聞けば大丈夫!という、安心感もあった。
オーストラリアに、旦那と2人で見切りをつけ、日本に帰った。
1年半を2人で楽しみ、一生懸命に働き、1999年、スコットランドへの移住に踏み切ったのだ。スコットランドで私は何をするのか?英語を学ぶ、学生ではない。旦那と2人、生活していかなくてはいけない。働かなくてはいけない。いずれ、それは平凡な生活のひとこまになり、毎日を、サラッと、平気に過ごせるようにならなくてはいけない。生活に対しての、プレッシャーを生み出した。スコットランドに到着し、英語の壁だけではなく、カルチャーの壁と気候の壁、旦那の家族との壁など、色々な壁を、肩に力を入れすぎたお陰で、沢山作り上げてしまった。焦っていた。生活がぎこちなく、自分の家にいても、そこは外国の、独りぼっちの蚊帳の中。自然な自分を見失ってしまったのだ。特に、英語に対して、かなり不安があり、悲しい選択をしてしまった。“よし。日本語を生活から取り去ろう。日本人との接触を持たないようにしよう。”街のホテルは、レストランでの仕事は、とっても楽しかった。何もかも初めてで、必死で、夢中で、自分の思いを振り払い、現地の人との付き合いなら、どこへでも行った。常に自分を高い所に持ち上げて、心が、“嫌だなぁ”と声をあげても、知らん顔をしていた。お酒が飲めない上、パブへ行っても、会話が聞こえないし、楽しめないのに、毎週金曜日には、仕事帰りに同僚に付いて、パブへ行った。会話がわからず、それでも付いて来た以上、ニコニコして頷(うなず)いたりして。同僚が楽しくお酒を飲む間、何倍もレモネードを飲み干した。
…同等な、仲間でいたかったのだ。そうして、疲れて、落ち込んで、家に帰る。
それでも、旦那には、誰がこんなこと言ったとか、誰はいつ結婚するそうだとか、楽しんできた様子で、話していた。旦那に対しては、変なプライドもあり、本当の気持ちは隠していた。
これは、確実に私の心と身体を、救いようのない疲れの積み重ねへと運んで行った。
それでも3年も経てば、それなりに毎日を楽しみもしたし、気を遣わなくてすむ、現地の友人も出来た。でも、この疲れと悲しい気持ちだけは、ずっと張り付いて剥がれずにいたのだ。
日本の友人を恋しい、と思う自分を無視して、日本の家族に会いたい、とせがむ自分を閉じ込めて。“私は、スコットランドで生活を始めたのだから、スコットランドの人の様に、生活をするんだ。”2年目終わりの、日本への一時帰国で、正直な気持ちが、一気に流れ始めた。
日本から帰って来て、ひどいホームシックにかかってしまった。
症状は、
1. ベッドの中にいるのが好き。
2. 夢を見ることを、楽しみに思う(特に日本の夢)。
3. 泣く。
4. スコットランドが嫌いになる。
5. この人生が、ばか馬鹿しい、と感じる。
この頃は、旦那に迷惑を一杯かけたと思う。忙しい仕事から帰って来ると、先に帰ってきた妻が、夕方から眠っていたり、すぐ泣いたり、スコットランド人の悪口を言ったりするのだから。
結局、これが原因ではないが、私の希望と、彼の野心もあって、3年をスコットランドで過ごしただけで、日本へ引っ越すことを決めたのだ。
そんな風にして、今回、日本で2年間、自分の生まれ育った街で、両親と姉の近くで生活した後、やっぱりこちらの生活を強く希望する、旦那の為にも、2人で再びスコットランドへ戻って来た。日本で、2人でその決心をした後、かなり長い期間、私は苦しんだ。
スコットランドでの、生活、再び…。
一度、真剣に旦那に、私は日本で暮らして、遠距離結婚できるかな?と言ったこともある。
今回のスコットランド帰りに際し、私の中で、1つのモットーを作った。簡単なことである。
でも、自分を守るため、そして、旦那と、ノーマン3人の生活を守る為にも。
““ 自分に、嘘は付かず、正直に生活する ””
わがままだが、これはかなり大切なことだと、今、心底思う。国際結婚で、一方が相手の国で生活する場合、これはアドヴァンテージとさせてもらうこと。あなたの国で、私、頑張って暮らすから、好きなこと、させてね!と。これを決め込んだ私、態度はでかかった。好きなだけ、インターネット使わせてね!このインターネットを通じて、前回、かたくなに拒否してもたなかった、日本人との交流を持つことにしたのだ。これが、どんなに私を、救ったことであろうか。
愛すべく日本人の友よ…。
               つづく
by yayoitt | 2004-11-21 01:01 | 英国暮らしって... | Comments(4)