弥生、スコットランドはエジンバラ(エディンバラ)発!:看護学生寮の思い出
2013-10-15T04:28:39+09:00
yayoitt
やっこが、スコットランド暮らし、ビーグルとの暮らし、ベジタリアン生活、動物愛護の思いを赤裸々に語る
Excite Blog
髪をなでる … それが、サイン
http://scotyakko.exblog.jp/20839168/
2013-10-13T04:10:00+09:00
2013-10-15T04:28:39+09:00
2013-10-15T04:28:39+09:00
yayoitt
看護学生寮の思い出
年の頃は、18~21歳という花盛り。
我が看護学校は全寮制で、学年25人定員、3学年で80人弱が暮らしていた。
その頃、学生寮は赤十字病院の真隣にあり、実習時は1分で病院に行けた。
なんと言っても 花盛り の少女ばかりが暮らす寮。
夜の同級生、先輩、後輩との会話の中心は …
恋 恋 恋
彼氏のいる人、欲しい人、できかけの人 ...
色んな恋話が花を咲かせていたもの。
同級生の一人に彼氏ができ、夜、デートで外出する度に、彼女の部屋に集まった。
その頃 …
彼氏ができるかも 状態だった私。
一歩も二歩も前を進んでいる彼女の帰りを待ち どうなった かと質問攻め。
ある夜、彼女はこう言った。
最初はね …
私の隣に座るんだよ
まだ、赤ら顔の田舎少女たちは追い討ちをかける。
で? で? で??
背の高い、落ち着き払った彼女が続ける。
次に …
私の髪の毛に触るんだよ
その時点で、鼻血ぶーである。
その後の詳しい状況を、彼女の口から聞こうと待っている私たちに …
それがね
サインだからね
鼻血ぶはーっっ!!!
はっきり詳細を説明しないだけに、少女たちの妄想は駆け巡り …
なんだか、眠れぬ夜を過ごすのであった。
今、あの背の高い彼女は、可愛い女の子のママである。
あ~あ 懐かしやぁ 懐かしやぁ
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ストーカーヘルペスな思い出
http://scotyakko.exblog.jp/16683694/
2011-08-03T03:45:00+09:00
2011-08-04T04:17:38+09:00
2011-08-04T03:57:12+09:00
yayoitt
看護学生寮の思い出
ちょっと免疫力が低下したりしていると …
ひょっこり顔を出してくれる …
帯状疱疹(ヘルペス)。
これに罹患したのは、看護学生の頃。
オッパイの横のところが、とても痛いのが始まり。
全寮制だった学生時代、先生(看護師)に相談した。
もしかしたらヘルペスかも …
ということで、すぐに付属の病院の外科受診をした。
外科医で外科部長だった医師に受診。
これは、ヘルペスだろうなぁ~
彼は、オッパイの横の痛みの範囲を見ながらそう言った。
もしも、疱疹が現れたら、また再受診してな~
外科の医師は皆、京都大学の医師で、関西弁で彼は言った。
それから20年。
神経の帯に沿った、痛みだけは、時々に現れて私を悩ませる。
それは顔面であったり、やっぱりオッパイの横んとこだったり。
今週は毎日、昼食が抜きになり、帰りが1時間も遅くなるほど忙しい。
そこで ヘルペスくん が現れた。
忘れてないだろうなぁ~ 俺のこと?
ズキンっっ
一生、付きまとうからなぁ~ あんたに
ズキンっっ
まったく、困ったやつである。
20年前の、あの受診は、妙にはっきり覚えている。
それには、訳がある。
まだ若かりし、乙女な私。
とてもポッチャリしていた私は、ことにオッパイが大きかった。
受診の終わりに、その医師(♂)が言った。
やっこ君、ついでに乳がん検診をしてあげよか?
外科病棟で、その部長は、看護師なら誰もが恐れる、怖い医師。
ははぁ~ よろしくお願いいたします!
乳がん検診とは …
つまり、触診。
そう、手でオッパイを探る方法。
彼の触診の確かさは、とても評判が良かった。
触診を終え …
まっっ 若いからな~ 乳腺はごつごつあるけど、癌はないで~
ブラジャーと上着を着けながら …
ははぁ~ ありがとうございましたっっ!!
ありがたや、ありがたや、と頭を下げながら寮に戻った。
寮に戻って、友人や先輩に、部長の親切さを話した。
すると …
皆が、口を揃えて言ったのである。
二十歳(はたち)で乳がんなんか、あるわけないやん!!
まったく~ あの部長~ エロおやじやなぁ~!!
やっこの豊満な胸を触りたかっただけに決まっとるやろう!
赤いほっぺたの私は、あんぐり口を開けたまま。
そうなんか!!!!
と。
そんな疑惑事件であった。
いや … ありがたや と思っておきたい …
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彼女の言葉
http://scotyakko.exblog.jp/6884905/
2007-09-04T03:43:00+09:00
2007-09-05T06:40:56+09:00
2007-09-05T06:35:40+09:00
yayoitt
看護学生寮の思い出
私達の学年は25人、遠くは九州から、その田舎町の看護学校に集まっていた。
古い学生寮は病院の建物と並んで建っており、北側の窓を開けると患者さんと目が合った。
夜になると私はよく、友人と共に屋上に出て、田舎町のネオンを見下ろしながら、遠くの黒い山並みを見つめた。
高校卒業後の若い女性ばかりが70数名、24時間共に暮すその場所。
輝かしい想い出の宝庫であり、そして、2度と戻りたくない場所 でもある。
クラスメート25人が、全員で仲が良いわけはなく、喧嘩があり、仲直りがあり、幾つにも別れる友達の輪があった。
若い女性が集まると大抵は、大きく、こういう友人の輪に分けられるかも知れない。
・・・ 大人しい女子
・・・ 気の強い、目立つ女子
・・・ 当たり障りのない女子
・・・ どのグループにも加わらない一匹狼女子
その頃の私は 当たり障りのない女子 でありながら、人に嫌われるのが怖くて、あちらへこちらへ飛び回っていた気がする。
つまり ・・・
・・・ 踊るピエロな女子 だった。
そんな私が、苦手としてなるべく寄り付けかなかったのが 気の強い目立つ女子達 だ。
その頃の親友が、その女子達のグループに加わりたがって、ひどく傷付いていたのも知っている。
彼女たちの話題はいつも、誰かの陰口、悪口だったのも知っている。
それが何より、嫌悪させる原因だった。
3年も一緒にいると、親友も移り変わるもので、部屋が同じになるのを機会に急に仲が良くなることも多かった。
お風呂上り、髪を乾かしもせずに風呂桶だけ部屋に置き、友人の Iちゃん と屋上へ出掛けた。
秋間近の夜空は、明るい月の陰に、星たちも隠れてしまっていた。
私は、Iちゃん と色んなことを語っていた。
特に、人生のこと、将来のこと、恋愛のこと、真面目に語り合った。
彼女はいつも、深く悩んでいる女性 だった。
そんな彼女がとっても、愛おしかった。
その夜 Iちゃん は、友人のことで深く悩んでいた。
彼女は、本当に 親友 と呼べる人がいないんだ、とポツリ、言った。
親友 ・・・ その言葉が、その頃の私には正直、重くて重くて、なんだか尊すぎてよく分かりかねた。
軽々しく、口に出せないその言葉を私も Iちゃん の背後でライトアップされた赤十字を見ながら考えた。
Iちゃん とは、答えのない、出口のない、そしてとっても大切なことを沢山語り合っていたけど、親友とも違った。
高山市内の喫茶店巡りを一緒にしていた友人は、違う友達だったし、恋愛の相談はまた、違う友達にしていたし。
そんな私を、彼女は一度だけこう言ったことがある。
“ やっこは、調子が良い。結局は八方美人なんだ ”
その時は悩んだけど、否定もしなかったし、それは変わりもしなかった。
不意に吹いた秋風に、身体を縮ませた Iちゃん は、溜息の後にこう言った。
“ 私、ここで暮していてわかったことがあるんだ ・・・
友達は、待っていては向こうからは近付いてこないって。
向こうから歩み寄っては来ないって。
私から、歩み寄らなければ、何も始まらないんだよ。
相手に期待しちゃダメなんだって、本当によくわかった。 ”
ある意味、吹っ切れたような彼女の表情を見つめながら、うんうん とは言いながらも、何度も何度もその言葉を胸の中で繰り返していた。
調子が良くて八方美人の私は、気が付かなかったことだった。
知らないうちに、近寄ったり、来てもらうのを待っていたりしていただけだった。
誰も来なかったら、寂しくなって赴いていっただけだった。
何年も月日が流れて、25人で一緒に過した3年が懐かしくなるにつれ、彼女のこの言葉は、時々、蘇る。
その時の、彼女の心の痛みは知りえないけれど、彼女が言い切ったこの言葉の意味が、良くわかる。
それなりに大人になり、色んな経験をし、引越しをし、人を愛し、今、わかる。
人の心は移ろいやすいけれども、人の心を動かすことは困難なのだ ・・・
自分がそうして欲しいと願っても、待っていては相手はそのように動いてはくれない ・・・
だから、自分自身が変わらないと、自分自身が歩み寄らないと、相手は気が付いてくれもしない ・・・
同窓会で再会した Iちゃん は、結婚をし、子供を育て、少し痩せていたけど良い笑顔だった。
あの屋上から20年近く ・・・
高山のネオンは変わったし、愛した屋上も、飛行船も見えないけど ・・・
彼女の言葉は、いつまでも私の心に生き続いている。]]>
看護学生寮 大奥 の思い出 “ お風呂 ”
http://scotyakko.exblog.jp/5047560/
2006-11-28T04:29:00+09:00
2006-11-29T05:23:10+09:00
2006-11-29T05:23:10+09:00
yayoitt
看護学生寮の思い出
お化粧を覚え出し、週末にはお洒落して出掛けたい、流行の肩パットの入ったスーツを着てみい。
そのくせ、お酒を飲みに行けば飲み過ぎて吐き、苦しむ。
覚えたばかりのピンクのお化粧や、逆三角シルエットのボディコンは滅茶苦茶である。
某CMに出てきたばかりの 宮沢りえ を真似て長い髪が流行ったり、お碗のように膨らむソバージュだったり、若い彼女達の髪はどれも真っ黒で、長かったり刈上げていたりした。
ちなみにやっこは石原真理子が大好きで、髪を長くしても太りすぎていて似ても似つかなかった
毎日の授業や実習で汗もかく、できれば朝シャンしたいが忙しい共同の朝はそんな時間も度胸もなく、ただ毎晩7時から9時の間に入れる風呂には欠かさず入った。
風呂は、畳8畳くらいの大きさで、真ん中に湯船、両端にシャワーが3つづつ取り付けられていた。
その日に当番のお部屋の学生が入れた湯は、足すくらいで、2時間そのまま変えない。
9時近くの湯船には、80人分の垢が浮かんでいた。
7時になるとまず、3年生の先輩が2~30人風呂に入る。
その次が2年生、そして最後が1年生。
1年生が急ぎの用事(特にデート)があって、3年生の風呂の時間帯に “ すみません ” と謝りながら風呂に入ることなどあると、それから数日は身の狭い思いをすることとなったものである。
風呂の使い方には幾つものルールがあった。
1.シャワーを出す時には、大きな声で “ シャワー出します ” と言うこと
(シャワーのお湯が出ると、一時的に他のシャワーのお湯の温度が下がる為、周りの人に知らせるのだ)
2.桶で掛け湯をする時は、“ 上から失礼します ” と言うこと
3.風呂への出入り、更衣室への出入りには必ず、“ 失礼します ” “ お先に失礼します ” と言うこと
4.湯船に入る時にも、“ 失礼します ” と言うこと
それは同級生同士でも、いつの間にかしなくてはならないことから、して当たり前のことに変わっていた。
ギャーギャー言いながら、誰の胸が大きいの、誰の尻はダンボールだのと裸で湯船の周りを走り回りながらも、
湯船に入る時には丁寧に、失礼します、と断わっているから面白い。
24時間 顔をあわせ、毎晩 裸で顔をあわせ、同級生同士はどれほど親しくなり、時に親しくなりすぎて言わなくても良いことを言ってしまったり・・・。
喧嘩あり、笑いあり、涙あり、絶交あり、酔っぱらいありの、その時にはとても外部の人々には語れなかった思い出が、満載なのである。]]>
看護学生寮 大奥 の思い出 “ お部屋 ”
http://scotyakko.exblog.jp/5041447/
2006-11-27T06:54:00+09:00
2006-11-29T06:57:22+09:00
2006-11-28T07:46:39+09:00
yayoitt
看護学生寮の思い出
だから、同市内の学生も、車で30分の隣町の私も、寮に入らなくてはならなかった。
その頃はまだ 看護婦さん が殆どで 看護師さん という名称も使われていなかった。
だから、寮は見事に女ばかり。
高校卒業したての18歳から21歳くらいまでの若い娘さんが常に80名ほど、古い寂れた汚い建物内で匂いを放っていた。
寮は病院の敷地内にあり、向かいには6階建ての新しい病棟が建ち、朝日を遮っていた。
4階建ての築数十年のその おばけ屋敷 は、1階2階が学校、3階4階が学生の生活の場。
部屋は狭くて畳敷き、4人1部屋が普通で、1人1畳分の2段ベッドがある他は、プライベートの空間はなかった。
軋む引き戸を開けて部屋に入ると、小さな玄関にはスリッパをぬぐようになっている。
その、スリッパから足の匂いが届く位置に、1年生の勉強机があった。
机と言っても、みかんの箱に毛が生えたようなゴツゴツの木製で、その上に厚手のカバーを乗せないと字など書けなかった。
机は妙に低くて、座布団の上に座っていても足がしびれて尻までしびれてきたものである。
私物で持っていてよかった物は、本棚1つだったので、自分の本棚と先輩の本棚を上手く組み合わせて、自分の空間を囲う。
玄関すぐに自分の場所を持つ1年生にとっては、常に人が出入りし、それが先輩だとその都度頭を下げなくてはならなかったので、プライバシーも何もなく、勉強にも身など入ったものじゃなかった。こうして、狭い部屋の四方に、1年生1人、2年生2人、3年生が1人の4人が生活していた。
何とか作られた部屋の中央の空間には、小さなテーブルが1つ置かれており、夜な夜な お茶会 というものが開かれていた。
先輩がデートの帰ってきて、彼からもらったケーキがあれば、“ やっこちゃん、お茶会しようか ” と誘われる。
1年生、明日がテストでも、“ あ、はい! ” と笑顔でそのまま2時間も夜中まで先輩達の話を うんうん と頷いて聞く。
共同の湯沸しが各階に1つあったので、そこで毎朝、湯を沸かして魔法瓶に入れておくのも1年生だった。
唯一のプライベートと言えるのは、それぞれの手作りのカーテンで仕切られたベッドだった。
とは言え、そこへ辿り着くまでの道程が長くて苦しい。
ベッドは部屋の奥に壁に接して作られており、2段になっていたが、下の段は、そのベッドの前に勉強机を持つ先輩2人で、玄関の1年生は上の段と決まっていた。
だから、好きな時に昼寝など出来ない。
先輩が勉強していれば、そのすぐ横を謝りながら通って、直立した梯子を登って自分のベッドに入らなくてはならない。
夜中に、勉強中に畳の上で大の字になって居眠りしている先輩を起こさないよう、先輩の頭を踏まないよう、先輩の顔をまたいで、ベッドに行かなくてはならなかった。
朝起きて、パジャマから普段着に着替えるのはベッドの中で頭を打ちつけながら出来たが、
朝の掃除が終わり、階下の授業や実習に行くのに、普段着から看護学生のユニフォームに着替えるのは自分の机の前だった。
ユニフォームのスカートを捲り上げ、白いストッキングを腹まで引っ張っている時に先輩が “ やっこちゃん、今日の実習、頑張ってな ” などと背後から声をかけられたりする。
ボロボロで、ジメジメで、ガタガタで、ヒューヒューだったけど、楽しかった。
若くて多感な3年間を、あの苦境の中で過した経験は、一生の大切な大切な 宝石 である。]]>
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