カテゴリ:安楽死に思う( 14 )
動物病院での安楽死が行われている間 …
それは多分、多くの人間が望むのだけれど …

人間にはまだ、行われることが少ないもの。

けれども、私たちの動物には、それを与えてあげることができる。

その行為は、最愛で。

それは、最も深い愛情から来るもので。

とても個人的で。

とても繊細で。

ご主人と、動物の間だけでしか交わせない約束であり。

見送られる動物は、それは言葉そのまま 眠るように 逝き。

その決断をし、見送るご主人は、断腸の思いに苛まれてしまう。

けれども …

愛するからこそ、自らの苦しみ、悲しみと引き換えに与える愛の証である。

私の動物病院でも、多くのケースは、最期は安楽死である。

私がノーマンに与えたのも、安楽死という最高のプレゼント。

安楽死 …。

動物病院にて、安楽死は、とても大切に扱われる。

計画できて予約ができる安楽死の場合 …

他に動物を連れた飼い主さんたちが病院内にいない時間を選ぶ。

公の待合室から出入りしないでも良いように、裏口から直接に招き入れる。

最期の愛する命との数十分が、より尊く静かで穏やかでありますようにと。

しかし、そうできない安楽死もある。

動物が苦しんでいる場合や

獣医師がその命をこれ以上、生かせておくべきではないと判断した時。

予約ではない、予定外の安楽死である。

それは、診察時間の真っ只中だったり、待合室が混み合っている時だったり。

そんな時に私たちは、精一杯に静かな環境を作るように努力をするけれど。

やはり、待合室の人々は知らないから、大きな声で喋ったりもする。

だからと言って、言葉に出して 今、安楽死の途中なので とは …

言うことはできない。

動物病院で働く中で、どうしようもできなくて身悶えする場面のひとつなのだ。
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 このキャンドルに火が灯っている時は

 誰かが、愛する命にさようならをしています


 その辛く困難な時間を敬ってくださり

 どうか、優しく小さな声で話してください

 あなたの我慢と親切に感謝します


なんて、素敵なアイデアだろう。

言葉で、人々が聞くには辛い 安楽死 と伝えなくても良い。

それを見ただけで、人々は理解し、その時間を敬ってくれる。

目から鱗の、アイデアである。
by yayoitt | 2016-05-27 04:38 | 安楽死に思う | Comments(4)
ココの、虹の橋への旅立ち
ロードオブザリングの映画の中で …

魔法使いの賢者であるガンダルフが言う言葉を思い出す。

  Death is just another path...

  One that we all must take.

  死とはただ、次の路(みち)にしか過ぎない …

  わたしたち誰もが通る路(みち)でしかない


(英文は、私なりに訳させて頂いています)

世の中で、ひとつだけ確実で現実であるのは  であると言われる。

人智で理解できえない、不確かで限りのないこの地球上の生の中で …

確実に現実として避けられないことが  であると理解できる。

人々は、その  を畏(おそ)れ慄(おのの)く傾向もある。

ほとんどの人々が望む …

最期の時が安らかでありたい と。

しかし人間社会では 確実な安楽な死 は望めない。

一部の先進国では 安楽死 を認めてはいるけれど …

いくつもの文書や医師による判断と診断の繰り返しが必要であったりする。

 ただ安らかに最期は逝きたいだけなのに

と、人々は思うはずだ。
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人が人には簡単に与えられない 人が望む最大の願い = 安楽な死 

その強い願いを、誰かが叶えさせてあげる時 …

それは、最高の愛情と優しさによるもの。

人が人には与えることは困難だけれども …

人は、至上の愛をもって 誰か愛する命 に与えることはできる。

愛する家族、共に暮らす動物に …。

最上の愛による選択は、引き換えに 寂しさ や 悲しみ をもたらすけれど。

利己的とは正反対の、相手(命)を思い遣ることだけを考えた選択。
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… 姉の愛するビーグル犬、ココが虹の橋へと旅立った。

家族みなに見守られて、最高の愛情の中、それは安らかに、安らかに …。

迷い苦しみ、けれども勇気と愛でもっての彼女の選択で …。

私は心から、姉を尊敬し、彼女に感謝の思いを伝えたい …。

 ココは、なんて幸せ者だろう!
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愛するココ、大好きなココの旅立ちに、心からボンヴォヤージュを。
by yayoitt | 2013-02-18 04:26 | 安楽死に思う | Comments(15)
ある男性の、叶えられなかった、たったひとつの願い
生きている一秒一秒

1分 1時間 1日 1週間 1ヶ月 1年 …

明日に願う 目標がある 楽しみがある 

小さなことであっても、誰でもそれなりに、待ち望む未来はあるだろう

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ある男性が、先日、安らかに眠りに着いた

Tony Nicklinson(トニーニクルソン)58歳

彼はその人生を 拷問そのものである と言い表した

7年前の2005年に、彼の体に起こった脳梗塞

その後遺症 *lócked-ìn sýndrome(ロックトゥインシンドローム)に陥る

(* 閉じ込め症候群 :脳血栓などのため、 意識ははっきりしているものの
 手足はまったく動かせず、 口もきけない状態で、 眼球運動によってのみ
 自分の意思を伝えることのできる状態)

人知れぬ苦しみの中、彼はひとつの願いを抱き続けた

家族や関わる医師が罪を問われることなく、彼の命を終わらせてくれること …

そして、その為の法的な許可を待っていた

しかし、8月12日に、最高裁判所はこれを却下した

その判決に泣き崩れながら、彼は特別なコンピューターでの意思表示にて

 あまりにも残念で、破壊的な悲しみと絶望である

と伝えている
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彼はその日から、一切の水分や食物を拒否し …

およそ1週間後の先日に、自然な死を遂げた

Tony Nicklinson(トニーニクルソン)享年58歳

妻と2人の娘に見守られながらの死であった

彼が娘に頼んで公に伝えるよう残した最期の言葉は …

 この世よさようなら この時が来たよ

 ボクの人生は、色々と楽しいこともあったよ

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生きながら、自分自身のことで願うこと

仕事、健康、老後 …

そして、安らかな死

ある人は、その生かされる一瞬一瞬を、痛み、苦しみ過ごす

その苦しみから解放されることを、心の底から願う

自らの力で、それが叶えられない時 …

また、叶えたいと願う時に、法の許しに守られなくてはならない時 …

悲しいかな

まだ多くの国では、法は、1人の人間の唯一の断腸の願いを叶えてはくれない

より健やかに生かされることに莫大な力とお金をかける社会であれば …

どうして、苦痛から唯一に救われることが死であれば、それを許せないのだろうか
by yayoitt | 2012-08-22 02:58 | 安楽死に思う | Comments(24)
切ない瞳と虹の橋
トニーは、いつもゆっくり歩いていた。

その細い身体と、薄い皮膚には、沢山の歴史が刻まれていて。

若い時代を、レース犬として走り去り ・・・

まだ2歳足らずで不用とされて ・・・

トニーは、そこに来たんだった。
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はじめて、私が彼に出会ったのは4年前。

同じ通りに住む初老の男性と、いつもトニーは歩いていた。

一言、二言、お互いの犬のことで話を交わすようになって、ただそれだけ。

トニーは、いつもゆっくり、彼と歩いていたんだった。

彼は、泣くような表情で笑う男性で、遠くからでも目が合うと手を上げた。

そこにはいつも、グレイハウンドのトニーがいた。

初めて会った4年前でも、トニーは8歳を越えていたらしい。
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あれから、4年の月日 ・・・

もう公園までも歩けないから、通りの角を曲がった空き地に行く。

冬の冷たい空気が流れる、トニーがゆっくりと歩いていた。

巣つくりに忙しく飛来するカモメの下で、トニーがゆっくりと歩いていた。

いつまでも落ちきらない紫色の夏の夜、タバコを吹かす彼と、横にはトニーがいた。

クリスマスの会話が聞こえ出す頃、なかなか前に進めないトニーを見つめる彼がいた。

立ち止まって会話をすると、とても嬉しそうに、でも寂しげに彼は言った。

 だんだんと足が弱って、立てない時もあるんだよ ・・・

 もう、お別れは近いのかな、なんても思うんだけどね ・・・

 もう少し、一緒にいられるように祈ってるんだ ・・・


そうして、隣に立つ鼻の長いトニーのお尻をパンパンと優しく叩くのだった。
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日曜の朝の買出しの帰り道。

マイケルと私は、食料の詰まった大きなリュックを担いで、その通りを歩いていた。

トニーと彼の家の門が開くのと同時に、彼が1人で出てきたのを遠くから捉えた。

持ってたゴミ袋を角のゴミ箱に入れ、彼は自分の家に戻らず、私達の方に歩いて来た。

その瞬間に、私もマイケルも理解した。

 トニーは虹の橋を渡ったんだ ・・・

彼は、私達の前まで来ると、いつもの泣きそうな笑顔で話し始めた。

でも本当はそれが、笑顔なのか泣き顔なのか、わからなかったんだ。
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 残念なことなんだけど ・・・ 木曜の朝に、トニーを逝かせてあげたんだ。

 段も上がれなくなって、立ち上がれなくなってね ・・・

 いつか、と心の準備はしていたけど、頭から離れないんだ。

 ずっとそこに、ここに、あそこに居たんだよ、そのトニーがいないんだ。

 あんたたちには伝えておきたいと思ってね ・・・。


小さく舌打ちするような音を立て、彼は手を上げ じゃぁ と言って家に戻って行った。

トニーのいない門を開け、トニーのいない玄関から、トニーの思い出ばかりの部屋へと。

人はそうして ・・・ 越えていくのだろうか

人はそうして ・・・ 越えていくのだろう
by yayoitt | 2008-06-08 03:48 | 安楽死に思う | Comments(17)
安楽死 を受け入れる (ペット動物の場合) 下
私なりに ペット動物の安楽死 とは何か、と聞かれるといつもこう答えている。

 ペット動物にとっては優しい選択であり、飼い主人間にとって苦しい選択

そして、

 飼い主とその動物との間だけで決定される、とてもプライベートな選択

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飼い主さんは、愛する命との時間をどれだけでも長く、どれだけでもその姿を側に留めておきたいと心から願う。

愛する動物が病気になった時、立ち上がれなくなった時、食べることを楽しみとできなくなった時・・・

色んな状況の中で、飼い主さんは苦しみ、断腸の思いでその現実と立ち向かう。

いつであっても、未来の予測は不可能なもの。
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もしかしたら、良くなるんじゃないか?

もしかしたら、痛みがなくしばらくいられるんじゃないか?

もしかしたら、自然と、苦しまずに眠るように逝けるんじゃないか


もう1秒でも1時間でも1日でも長く一緒に愛する動物といたい気持と、この、もしかしたら、に願いを託しているに違いない。
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ところがやはり、現実の死は 安楽死 を受け入れる (ペット動物の場合) 上 で述べたように、眠るように苦しまずに逝けることは、決して多くはない。

1日でも一緒にいたい、という気持ちは、人間側の気持ちでしかないかもしれない。

動物(ペット動物も自然動物も含めて)は 今を生きている と私は思う。

これは想像でしかないけれど、動物は過去の経験を感じながら、今を生きている。

その愛する動物が、果たして人間と同じように もう1日でも長く生きたい と感じるのだろうか ・・・。

一緒にいたい、という思いはペット動物にもあるに違いないし、その幸福感を焦がれる思いも感じている尊い命たちではあるが、

実際に苦しみや痛み、また、ひどい倦怠感の連続の中で彼らは、まず何を望むのだろうか?

その、苦痛から逃れること なのではないだろうか?


あくまでも、私たちと同じ言葉を共有しない彼らであるから、彼らの気持は、人間が汲むしかない。

想像するしかない。
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その時に、選択がある。

安楽死 という選択 と それを選ばない選択

決して誰が、そうしなさいとか、そうしなくてはならないとか言えることではない、あくまでも飼い主さんの選択である。

とてもプライベートで、一般化できない、繊細な選択 だと考える。

そして、どちらの選択をしたとしても、飼い主さんは愛しい命を亡くして、その亡くなる段階をくぐり抜けて来て、傷付いて打ちひしがれている。

獣医師 だけが医療者側から、一般化してその苦痛を想像して飼い主さんに選択のアドバイスが出来るのだと思う。

それも、軽く肩を押すだけの・・・。

安楽死 を選んだ場合、それが自身の決定で、人間の手によって早められる死であるだけに、飼い主さんは多分、ずっと自問し苦しむのだと思う。

だからこそ、安楽死は人間には辛い選択 なのである。

人間(飼い主さん)が、その命の全責任を背負っている限り、人間の手で伸ばされてきた(救われてきた、守られてきた)ペットの寿命も、最期はその責任は人間にある。

人間が、ペットの命を延ばしている以上、その命の終わりも、人間の手に託されるべき なのかも、知れない。

これはあくまでも私の意見であり、一般化されないし、誰にも勧めることはしないし、いつか自分自身がその場に立たされる時ですら、自分がどういう選択をするかはわからない
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ただし、この選択、決断において、こうでなければならないと言いきれることも幾つかある。

それは、その選択が ・・・

 決して人間の都合によるものではないこと 

 安楽死でなければならない 

 それ以外に、苦しみを取り除く方法がない、と考えられる時でしかならない

 それまでの一生が愛されたものでなければならない  
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(注 : ここで示す 安楽死 とは、心身両方に苦痛のない獣医師による医学的な安楽死のことであり、動物愛護センターの死などとは全く別なものであること
by yayoitt | 2007-03-17 07:48 | 安楽死に思う | Comments(59)
安楽死 を受け入れる (ペット動物の場合) 上
安楽死 (英 EUTHANASIA) 

助かる見込みがない病人を苦痛から解放する目的で、延命の為の処置を中止したり死期を早める処置をとること。また、その死。

尊厳死 とも言われるが、尊厳死は、人間に対して使われる。
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人間同様、ペットへの医療技術が発展し続ける現在、

ペット動物(ここではあくまでも野生動物ではない、ペット動物のこと)の病気は人間の知恵や手(薬や手術など)により癒され、寿命が延ばされている。

犬猫はその 繁殖自体 に人間の知恵や手が深く関わっている。

つまり、生命の誕生にも、そして誕生以前にも 人間の手 が加えられている。

ペット動物の一生は、初めから 自然、野性 ではないのである
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そうやって、人の手によって生かされている生ならば、その生が向かう 死 に人の手が加わるのは、道理なのかもしれない
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飼い主さんは、愛するペットの安楽死に対して、様々な思いを抱えて悩み苦しむのだろうと思う。

 “ 人間が、動物の死に手を加えることは、してはいけないことなのだ ”

 “ 動物は、自然に死ぬことこそ自然の姿である ”

 “ 一日でも長く、一緒にいたい ” 
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看護婦時代、数知れぬ色々な方々の 最期 に私は立ち会ってきた。

人の場合、それが病院での 最期 であれば、薬や麻薬にて殆ど意識が無いと思われる状態で息を引き取られる方も多かった。

が、そうでない方だと(本人の意志でそうしなかったり、急に最期を迎えてしまった場合)、その最期までの道程はやっぱり、苦痛に満ちていることが多いのだ。

血を吐きながら窒息するように逝ってしまった子供もいる。

ベッドの上でもがいて逝かれた老人もいる。

最期の苦痛は少なかったとしても、それまでの長い病床生活の中で、自殺を願いながらようやく逝けた老婆もいた。

自ら空に身を投げて、終わらせたおじいさんもいた。

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 とは 眠るように逝ける ことを誰もが願いながら、そうでないことが殆どであるのが現実なのだと、感じたものである。 

だからと言って、現在の殆どの国の法律上、本人が死を望んでも、それを他人(家族であっても)助長できないのが、現実だ。

そこには 人権 という深く難しい問題が絡まってくる。
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     ・・・ ペットの場合はどうなんだろうか ・・・

ペット動物には、飼い主の選択による、安楽死が適用される。

それは アニマルライツ(Animal rights)動物の権利 を持って、認められている。

人間と共有する言葉を持たない彼らの気持を汲むことは、困難である。

そんな彼らと暮らす中で飼い主である人間は、必死に彼らを理解しようとし、こうなのではないか、こうして欲しいのではないか、と考えている。

痛みや病気の兆候を感じてあげる、見つけてあげられるのも飼い主ならではのことが多い。

飼い主(人間)とペット動物との間に信頼関係が築かれたなら、彼らは100%その命を飼い主に預けるのである。

愛するペット動物の生から死まで、その一生は、飼い主の手の中に託されている。
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                  続く
by yayoitt | 2007-03-17 04:43 | 安楽死に思う | Comments(2)
安楽死 を受け入れる (人間の場合)
安楽死 (英 EUTHANASIA) 

助かる見込みがない病人を苦痛から解放する目的で、延命の為の処置を中止したり死期を早める処置をとること。また、その死。

尊厳死 とも言われるが、尊厳死は、人間に対して使われる。

人間、ペットへの医療技術がただただ発展し続ける現在、病気は人間の知恵や手(薬や手術など)により癒され、寿命が延ばされている。

生命の誕生にも、人間の手 が加えられている。

私たち人間、そして人間が作り変えてきたペット動物(自然、野生動物ではない)には、生命が誕生する時から 人間の手 が加わっている。

私達の一生、ペット動物の一生は、初めから 自然 ではない。

そうやって、人の手によって生かされている生ならば、その生が向かう  に人の手が加わるのは、道理なのかもしれない。

病棟勤めをしていた看護婦時代 ・・・。

大きな葛藤があった。

高齢のご老人の病院での生活 ・・・。


       それまでとっても元気だったお年寄りが入院したとする 
                ↓

    単純な入院生活、家とは全く異なる生活環境(共同生活)の繰り返し
                ↓

         精神的ショック  身体的ダメージ(単純生活による体力低下)
           ↓           ↓        

         痴呆が始まる    寝たきりになったりする
                ↓ 

        筋肉の衰え、精神的な落ち込み、内蔵機能の低下
                ↓

入院した当初の問題は治癒していたとしても、結局、とても元の生活には戻れるような状況ではなく、そのまま病院で死を迎える
 ・・・

・・・ 

こういうケースが、とても多かった。

病院にて施される処置は、それまで元気に畑を耕して生きてきたご老人の意志には沿えず、ただただ繰り返される延命処置であったりすることもある。

あの時、言葉を失った彼らが、自分で身体を動かすことができなくなった彼らが、涙を浮かべて私に訴えていた たった1つの願い はもしかしたら、 だったのではないか、と今でも思う。

そういうご老人を、実に沢山、看取らせて頂いてきた。

延命だけが、その人の希望ではないことは必ずあるし、延命だけはして欲しくいないと強く願う人もいる。

その人の気持を尊厳するのが、そして、最も安楽な方法で(人間の手によって)逝かせてあげるのが 安楽死 なのだろう。

生を授かった時から人の手によって伸ばされてきた命、その死を決めてあげるのも、人であって良いのかも知れない。
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私の身近な家族の1人に、ずっと安楽死を望んで生きている人がいる。

その人は、自分で立つことも歩くこともできない。

24時間の介助を必要とし、常に痛みや倦怠感と戦いながら生きている。

もしもこの国で、スイスのように法的に認められる安楽死(本人の希望による法的自殺)があるのなら、迷わずそうしたい、と語ったことがある。

今まで、薬や治療によって生かされてきたその人は、叶わぬ望みを強く抱きながらも、ただその1日1日を、一瞬一瞬を、戦って生きている。

私は、そんな彼女にはとても 頑張れ という言葉は決して言えず、肩に乗せた自分の手の力なさを、彼女の温度で痛く感じるだけなのだ。
by yayoitt | 2007-02-07 05:58 | 安楽死に思う | Comments(12)
ちっちゃなLady(レディ)、さようなら
様々な命と接していると、理由はわからないが何故か、特別に忘れられない子 が時々いる。

決して多いのではないが、ずっと、その子 のことが気になる。

気になって気になって、会えないと獣医師に あの子はその後どうなの? と聞いてしまう。

ちっちゃなヨークシャテリアの Lady(レディ) は、そんな命の1つだった。

彼女が診察に来た朝、緊急手術となったのは1月の頭 ・・・。

PYOMETRA(子宮蓄膿症)と診断されると、痛みが大きくなるのと子宮が破裂することがある為に緊急手術を行なう。

12歳のLady はそのまま午後に手術となったのだ。

彼女は、両目が見えない

その為か、常に大きな耳を動かして必死に周囲の音を拾っている。

彼女に触れるのには、じっくりゆっくり時間を掛けて声掛けをし、手を近づけて匂いを嗅がせて静かに触る。

声がないまま触られるととても驚いて、犬歯を向ける。

12歳の盲目の彼女は始終、私の腕の中で震えたまま前投薬を受け、麻酔を受け、深い眠りに入って行った。

ちっちゃなちっちゃな身体から出てきたのは、大きく膨れた子宮だった。

手術が終わって、真っ白い瞳を開いて周りの光を感じようと頭を動かし始めた Lady、これで元気になる、これで痛みから解放される、まだ数年は優しいご主人と幸せに暮らすだろう ・・・ そう、信じていた。

ご主人はとても優しい女性Mrs. Fで、あったかな毛布を持参して、手術後の Lady を両手で包む(くるむ)と Lady に執拗に舐められながら帰って行った。

私は ・・・ ちっちゃなちっちゃな彼女が、気になって気になって仕方がなかった。

翌日から、元気がない バスケットから出てこない ということで診察や観察にほぼ毎日、彼女は戻って来た。

先週の半ばのこと ・・・。

Lady のケネルを覗いて声を掛けていると、それまでケネルの奥で震えてばかりだった彼女が、初めて自ら立ち上がり、挨拶に来てくれた
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思いがけずに、涙が出た。

静かに撫でられて寝そべる彼女は、やっぱり、震えっぱなしだった。

そのまま指で水を飲ませるとしばらく、両足を伸ばして眠った。 

その日、迎えに来たMrs.Fにその旨を話すと、彼女も興奮して “手術が終わってからそんな風に自分から近付くことがなかったから、それは良い兆しだわ! ”と笑顔で Lady を私の腕から受け取り、フィンガーズクロス(fingerscrossed) と言いながら帰って行った。
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その週末、Lady は 虹の橋の袂 へと旅立った

日曜の午後、安楽死 だった。

手術後の数週間、結局、回復の兆しがなく、身体に少し触れられるだけで痛がるようになりり、

保険に入っているので、獣医師から大きな病院への紹介を促された飼い主さんだったが、“ これ以上、痛い苦しい怖い検査などをさせるのは ・・・ ”と、断腸の思いでの決断だったそうだ。

ちっちゃな Lady は、もういない。

匂いと聴覚に頼り、暗い恐怖の中で震えて生きていたかも知れない Lady は、もういない。

人の温もりを感じては、そこに永遠の安らぎを覚えていたかもしれない Lady は、もういない。

ただ、腕の中で震え続ける彼女の、少しの重みは、忘れることがないだろう。

おやすみ、Lady ・・・ 最後の数週間は辛かったけど、もう大丈夫だね
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by yayoitt | 2007-01-29 03:28 | 安楽死に思う | Comments(9)
初めての安楽死から~ 終わりに
今回、動物病院にての初めての安楽死を経験し、それを機会に、多くの方々と様々な意見を交わせたことを、とても嬉しく思います。

安楽死は、人間であれ動物であれ、本当に繊細な難しい問題であり、決してイエスかノーか、正しいか正しくないかの問題ではありません。

それは、愛の元に選択されるべきであって、その命の、生きている価値が苦しみや痛みにより失われている時にこそ、その選択の余地を残すべきであるものだと、信じています。

他には、どんな理由であれ私は、上に挙げた以外の状況での安楽死の選択は、あってはならないと思います。

今後、様々な症例、家族関係、動物を見て行くことで、その考えが変わるかどうかはわかりません。

しかし、人間が何ものかの命を簡単に奪える以上、それは真剣に考えられ、決して簡単に出される答えではあってはならないのです。

愛があっての、選択であるべきなのです。

この問題を取り上げることで、多くの読者の方に、過去の辛い思いを思い出させたこと... 、現在ペットと一緒に暮らしてみえる方には、辛い未来を想像させてしまったことを、今一度、お詫び申し上げます。

そして最後に、ここで本当に温かい優しい心の持ち主に沢山出会えたこと、こんなに素晴らしい人々が日本にいるのだということを知り、心から嬉しく思い、感謝しています。

こんな素敵な人々がいるのだから、今の日本の、ペットブームによる悲劇(保健所での窒息死...安楽死ではありません)は絶対に変わって行くと、日本の将来に明るい光を見た気がします。

本当に、皆さん、ありがとう。
by yayoitt | 2005-11-22 05:12 | 安楽死に思う | Comments(2)
初めての安楽死から~ 症例 4 と 5
これは、同僚の看護婦、アイリーンから聞いた話です。


1例目  まだ6歳くらいの、若い犬の話です。

この犬を飼っていた人は、スコットランドからオーストラリアへ急に引っ越すこととなり、愛犬をどうするか、悩んだそうです。

そして、ある週末、その飼い主は、これが一番幸せ、と決断を下したそうです。

   安楽死

自分たちはこの愛犬をオーストラリアへ連れて行けない...

でも、この犬にとっては、自分たちといることが一番の幸せである...

自分たちと暮らせないくらいなら...


そういう決断だったと言います。

たまたま、その週末に安楽死を決心した為、週末休みだった、うちの動物病院ではなく、他の動物病院にお願いに行って、逝かせたそうです。

週末開けにその話を、飼い主から報告受けたうちの先生や看護師は、皆、ひどく心を痛めたそうです。

そうと知ってたら、何とか、リホームさせるなり説得して誰か引き取るなり出来たかも知れないのに ... と。

  これも、飼い主による、選択でした。


2例目  確かまだ若い元気な犬の話です。

ある家族が、その飼い犬を病院に連れてきました。

“子供を噛んだのだ、危険だからどうか、安楽死させてあげて欲しい” と。

家族の決断で、こうして頼まれた場合、動物病院側はそれを受け入れるしかありません。

そして、まだ若い遊びたがりな大人しいその犬は、永遠に、逝きました。

その犬を知るスタッフは、今まで人を噛んだこともなかった、大人しくて優しいその犬が悔やまれてなりませんでした。

その後、看護婦が、噛まれた子供は大丈夫か?と尋ねた時 ...

家族の1人が言ったそうです。

 “子供はすっかり元気で、もう猫の尻尾(しっぽ)引っ張って遊んでるよ” 

噛まれた子供 ... 猫の尻尾を摑んで遊ぶようなことを、きっと、その犬にもしたのでしょう。

その子供が噛まれた傷も、おでこを縫うほどではなく、バンドエード一枚で済んだような傷だったそうです。

人間の命は、動物のそれよりはるかに、尊いのか?大事なのか?価値があるのか?

  これも、飼い主による、選択でした。
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by yayoitt | 2005-11-21 04:27 | 安楽死に思う | Comments(8)