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カテゴリ:両親が来た!( 13 )
DWARVES 無事、帰路に着く
自分の両親を、DWARF = 小人 と呼ぶのも何であるが、ここで見る彼らは、まさに、DWARF という感じだった。

丸々3週間の滞在を終え、今朝、6時半にタクシーに乗って、空港へと向かって行った。

よく晴れて暖かい、気持のいい朝日の中、タクシーの後部座席に座った二人は、出来る限り小さな身体を伸ばして、短い腕を、いつまでもいつまでも、振っていた。

昨夜は、お別れの夕食に、HOWIES という今風スコットランド料理のレストランへ出掛け、色んな話をした。

英国と日本の違い、文化の違い、歴史、戦争のことについて、よく語る私達だが、昨夜は癌の告知について話し合った。

深刻に、それぞれの意見を交わしながら父親が話し出すと、隣に座っていたマイケルが、父の腕をつねったり、鼻をつまんだり、耳をつまんだり、頭を空手チョップする真似をしたりし始めて、それが可笑しくて結局、笑いながらレストランを出た。

夏至を迎えたばっかりの北の街は、9時でも明るく青空で、バスを乗り過ごしたことを言い訳に、ぶらぶら、夕陽のあたるお城を見上げながら、4人で歩いてみた。

“今夜の月は、一年のうちで一番明るい月なんだ”とマイケルが言った。

4人で空を見上げても、まだ月は見えなかったが、雲の切れ端が浮かんだ、水色い空が一面に見えた。

今朝、一杯の“ありがとう”と、一杯の“寂しさ”とを残して、両親の3週間眠った部屋は、空っぽになった。

今日の午後、うちに帰ると、ノーマンとマイケルがいるけど、ニコニコ笑って“今日はな、うんまいランチを食べたのよ”と鼻の穴広げて語る両親は、そこには、いない。
by yayoitt | 2005-06-23 19:14 | 両親が来た! | Comments(12)
ベルギーの旅 ブルージュとゲント 1
3泊4日のベルギーの旅、2泊をブルージュ、3日目をゲントで過し、ゲントで宿泊して、早朝の飛行機でエージンバラに帰って来た。

ゲント(GHENT)はブルージュから電車で数十分、ブリュッセルの空港に比較的近くにある、運河を持つ比較的大きなメディイーボル(中世期)の古い街である。ブルージュは、古い街並みを残した中心街は小さくて、丸1日あればざっと見て回れるくらい、私達も2日間も歩き回っていると、同じ通りばかり行き来したりしていた。こじんまりしていて綺麗でかわいらしく、私の母曰く、とっても女性的な街。それに比べてゲントは、同じく古い綺麗な建物や大聖堂が建ち並ぶが、観光の街というよりは、実際に街が街として起動しているといった感じの、男性的な街。

ゲントへ到着した月曜日は、とにか暑く、気温が30度は軽く超えていたので、ホテルにチェックインするとすぐに母は昼寝にかかった。私とマイケル、そして父は大聖堂やゲントのお城を見る為に、暑い日差しの中、繰り出して行った。トラム(路線電車)が走り、活気がある。ホテルは街の中心、大聖堂や運河、そしてお城にもすぐ近くの場所にあったので、3人でまず大聖堂に入ってみた。この大聖堂、外観は驚くような美しさだとか、素晴らしさだとか、そういう訳ではないのだが、中が思いがけずに素晴らしかったのだ。

ST BAVO CATHEDRAL(聖バヴォ大聖堂)には、様々な絵画や彫刻、また幾つもの小部屋の窓にはそれぞれ違う美しいステンドグラスと絵画があり、特に名高いものとして、1432年に完成した絵画 THE MYSTIC LAMB がある。HUBERT&JAN VAN EYCK の手によって描かれたもので、下の写真をご参照頂きたいが、中心にいけにえの子羊を囲み、人々がその子羊を見つめる様子が見事に描かれている。地下にも洞窟のような大きな部屋があり、幾つもの宗教美術品が置かれているのも見ものであった。私もマイケルも父親もとてもこの大聖堂を気に入り、あとで父が母を起こして再び一緒に行ったのであるが、母も“今まで見てきた大聖堂の中で、いっちばん良かった”と豪語した。でも、正直、それくらいあの大聖堂は見応えがあったのだ。

父と私とマイケルはその後、お城へと向ったが、入場料が結構高かったので、私とマイケルは入るかどうか迷っていると、折角だから入ろうと父に押されて3人で入ったのだが、これまた、おもしろかったのだ。最初は戦いに使われた剣や盾、ヤリや銃などを見ていたが、ある部屋に来ると、観光客が滞っていたので??と思っているとそこには、中世の拷問、処刑道具が置かれていたのだ。一つ一つ見て行くと、信じられないような拷問がなされていたことを思い知らされた。この城の地下には出口のない牢獄があり、そこで様々な拷問や処刑が行なわれていたのだ。

ある冷たい石の部屋、4隅の石には穴が幾つか残っていたが、そこでは、こんな拷問が行なわれていた。囚人を部屋の真ん中に座らせて、首に鉛で出来た輪を着けられるのであるが、輪の内側には鋭い小さなやりが無数についており、その首輪は部屋の四方で紐で引っ張られている。囚人が自らの意思で動かなければそのやりが首に食い込むことはないが、囚人の座る椅子の下、両足部分では薪が焚かれて、囚人の足を燃やすのである。だから、もちろん熱くて苦しみ、身悶える、すると首にやりが突き刺さる…。

またある模型は、細長い木の台の上に囚人を寝かせ、両手、両足をぐ~っと紐で上下に引っ張る、囚人の身体は上下にこれ以上、と言ってよいくらい伸ばされる、その状態で口からどんどん水を流し込み、伸び切った身体、胃も水で一杯になり口まで水が溢れかえるまで水を注ぐ…かなり苦しいらしい。

処刑道具は、やはりギロチンであった。クリスチャンの父親は、こういう処刑や拷問に、キリスト教徒の司教や地位ある人々が関わったことを考え、複雑な気持で1つ1つの道具を見つめていた。

城を出たところで父はホテルに帰って母を起こして大聖堂に行くと、私とマイケルは少しブラブラしながらホテルに向った。その途中で食べたベルギーワッフルは、私の思い描いていた丸い、重たい、硬いワッフルで、とっても美味しかった。父は母と2人分のサンドウィッチを買ったが、サンドウィッチを私が英語で注文した後に、飲み物を頼んでくれと父に言わた時、私は“自分で頼んでみたら”と父に言った。どぎまぎ英語で注文をする父を見ながらマイケルが、私を“意地悪”と呼んだが、父は本当はそれくらいの英語は出来るのだし、咄嗟にさせたのはちょっとかわいそうだったが、どんなことでも父の自信と喜びになるよ!と私はマイケルに訴えた。
あとででも、しみじみ考えたが、やっぱり、私達が側にいたって、今まで母を引っ張って海外を何度も旅してきた父なので、あれはあれでよかった…と思ったりした。

でも、咄嗟にさせたのは不公平でした…ごめん。

長い暑い日差しの中、ワッフルをかじりながらマイケルとホテルに向いながら、本の少しの両親がいない時間だったのにもう、両親のことが気になり、一緒に今晩ご飯を食べることなんか考えている私に気付いて苦笑した。ゲントの大きな運河にかかる、セントマイケル橋を眺めながら、2人でぼんやり午後の暑い風に吹かれてみた。
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by yayoitt | 2005-06-21 02:34 | 両親が来た! | Comments(0)
ベルギーの旅 ムール貝と両親
18日の土曜日に出発、その夜と日曜の夜は、ベルギーはブルージュに宿泊した。両親は以前にブルージュを2度訪れており、今回が3度目、マイケルは大学時代に友人と来たので2度目、私だけが初めてであった。この週末はとかく天気が良く、連日30度を越える暑さ!雲ひとつない夏日和だった。

ブルージュは、昔、港として貿易が栄え、その名残の運河が街を流れており、その後も布織物で栄えたりした裕福な街である。観光客が行き来する街の中心は小さいので、丸1日あれば、十分見て歩けるくらいだ。とにかく街がかわいらしい、建物や石畳の道、まあるい石橋の下を流れる運河…どれも絵になる…さすが日本人観光客、特に女性の観光客に人気がある理由がよくわかる。

父が先頭になり、確かこっちに行くと“マルクト広場(マーケットのこと)だ”とか、“聖血教会がこっちにあって…”と案内してくれた。到着の土曜日は、私が疲れきっていたので観光はしなかったが、夜の涼しい明るい街を歩いてみると、人もまばらでとても素敵だった。

夕食を摂るために裏庭のある、そして、一番大事な、ムール貝のあるレストランを見つけた私達、少し早い時間だったが、裏庭の鳥が鳴くテーブルを囲んだ。両親は、このムール貝が大好き(ベルギーで食べて虜になったらしい)で、メニューを見る前からニコニコ笑って“ムール貝よ、ムール貝”と繰り返していた。酒に弱いが味は好きだと言う父は、マイケルと一緒のベルギーぼフルーツビールを頼み、皆がそれぞれ注文が決まっても、私はメニューとにらめっこしていた。
なぜなら…とにかくヴェジタリアン料理が、ないのだ。どのレストランを見ても、常に同じヴェジタリアンメニュー1つだけ…ヴェジタリアンコロッケ…仕方なくコロッケにサラダを頼み、あとでワッフルを食べるんだと豪語した。

ムール貝は、鍋に一杯、しかももう1個鍋で蓋をして、奇妙な形で登場したが、大抵のレストランではこういう風に運ばれてくるらしい。初めて挑戦するマイケルも、ムールのとりこ…となり、私以外の3人、無言で貝を掴んでは口に運び、掴んでは口に運び…かなり美味しいらしい。コロッケはまずまず、マイケルのフルーツビールは、やっぱり下戸で苦い味嫌いの私には苦いだけで、ちょっとがっかりしたが、ワッフルで挽回(バンカイ)しようと、身構えた。

登場したワッフルは、私の思い描くワッフルと違うもので、長方形で柔らかく、硬さがどこにもなくて中もフワフワだった。どうやら、お店に行っても、2種類のワッフルがあるらしくて、そのもう一方がこのレストランでは出されていたのだ。私やマイケルが好きなのは、もう一方の、丸くて、硬くて重くて、外に砂糖がブツブツついている方…でもこれは夕食の後のデザートには確かに向かないかな?

ベルギーの夜は、スコットランドよりは早く更けるくせに、いつまでも明るいままのように感じられた。ブラックバードがヒュルルリと声をあげ、運河の水は緩やかで、石畳を行く人々は石橋に腰をおろし、暮れない空を見上げていた。4人で暖かな夜の風を受けて歩いていたら、前から男の子が、ビーグルを連れて歩いてきた。同時に母と父は、向かいの屋根の上に見えるコウノトリのようなペリカンが、果たして本物か偽物か、話し合っていた。マイケルと2人でまるでスパイのように、男の子とビーグルを追いかける…ビーグルが臭いを嗅いで立ち止まると私達も立ち止まるが、完全にばれていた。
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結局、ノーマンと同じ様に引っ張り、他の犬に対して喜び勇む様子を確認すると私達は安心して来た道を戻った。

そこには、美しい運河をはさんで立ち並ぶ、400年以上も歴史のある家々の前に2人、母と父がまだ口を開けたまま“あれは本物や、今首が動いたろ?”と真剣に話し合っていた。

下は私達が宿泊した Hotel Ter Brughe の外観
by yayoitt | 2005-06-20 20:04 | 両親が来た! | Comments(0)
ベルギーの旅 私の新しい決意
本日、土曜から、21日まで3泊4日でベルギーを旅することに。

以前、両親が2人でスコットランドに来た帰りに立ち寄ったベルギーが、とても気に入り忘れがたく、今回、私とマイケルを招待したい、という申し出だったのだ。近くなのに、私はまだ一度も訪れたことがなかったので、とっても楽しみだったし、両親とマイケルと4人で旅行できること自体が嬉しくって堪らなかった。この気持は両親も同じで、“ベルギーに一緒に行けるなんてなぁ~。嬉しいなぁ~、嬉しいなぁ~”を連発していた。

ベルギーは、2泊をブルージュで、最後の1泊はゲントで、という予定、ブルージュは両親の一番気に入りの場所だし、ゲントはマイケルが行きたがっていた場所だ。

ベルギーを知らないのは私だけ、ドキドキだった。

KLMで行ったので、オランダはスキポー空港にて数時間の暇をつぶすことになった。スキポーには、新しい寿司バーがオープンして、早速4人で握りと巻き寿司の混ざったのを、とても高かったのだが4人で立ち食いをし、シャリが美味しくって、握っているのが日本人だったのに感動して、また新鮮なネタにも舌鼓を打った。母は、姉2人に、と言っては“根付け”=キーホルダーを購入していたが、オランダのお土産よりベルギーのお土産にしたら、と言ったが、聞く耳持たなかった。

私は、よく母と小さな言い合いをする。今回の両親の滞在中も、大きな言い合いはなかったものの、ちょっとした小競り合いの言い合いはよくあった。親子ってそんなものなのかも知れないが、やっぱり言い合った後に気分が落ち込むし、自己嫌悪にも陥るので、なるべくはない方がいい。

この、大きな言い合いを実は、このスキポーでしてしまったのだ。

母という人は、食べ物に関しての自己の意見と要望が強くて、注文をする時点で、自分がどれだけ食べられるかという推測が出来ずにいつも山のような量を頼んでは、食べきれず、そのくせ食べ物を残すということを、何よりも嫌うので、結局いつも一緒にいる父が、自分の分を食べた後に無理して食べたり、また、パンなどは紙で包んで持って帰ったりすることになるのだ。

多分、戦時中に父親を失い、兄弟姉妹は口減らしに他所に出されては帰って来たり、母自身、7~8歳から大きな屋敷に奉公に行っては自分とどれだけも背丈の変わらない子供を背中に背負っては小学校の教室の一番後ろに立って勉強したと言うから、その貧しさが、今の母親の欲望というものをアンバランスにしてしまっているのではないかと思うのだ。足りないよりは余る方がいい、という一方、それを残し無駄にすることはどうしても出来ず、結局は文字通りの“持ち腐れ”してしまうのだ。

さぁ、そんな母と、父とマイケルと4人でちょっとした食事をする為に空港内のフードコートへ向かった。サラダバーがあり、フルーツカクテルは自分でグラスに注ぎ、ピザやベーカリーは並んで注文してそれを受け取り、最後に会計する形で、注文をする為に、ベーカリーには長い列が一列に並んでおり、マイケルも並んでいた。両親は、サラダバーのサラダを自分で取ったので並んでサービスを受ける必要はなく、会計の方に向かって歩いて行こうとしていた。母が、その歩く途中で、ベーカリーの中にあるクロワッサンを見つけ、クロワッサンを1つ欲しい、と言った。
マイケルはまだサービスを受ける前で並んでいたので、私はマイケルの所に行き、クロワッサンを1つ注文してくれるように頼んだ。“危機一髪!!”ベーカリーで働いているのは一人だけで、客の列は、長かったのだ。会計に父と私とマイケルと向かおうとすると、あれ?母がいない??…と探すと、母が、そのベーカリーの前に立って、その一人しかいない店員の注目を得て、話し掛けたい、話し掛けたい、としているとこだった。でも、店員は、順番に並んでいるお客の相手を順番にしているし、母には気がつかない。マイケルと私は、??と共に、まさか… という気持になったのだが、英国では“列を作って順番を待つ”というのはとても基本的で大切なマナーで、人が待っているのに横から誰か入ってきたり話し掛けたりするのを、非常に嫌うのだ。
私が母の所へ駆け寄って行った時には、店員に話し掛けることに成功した母は、“クロワッサンを1つください”と頼んでいたのだ。店員さんの顔も、ずらりと並んでこちらを見ている客の顔も私はまともに見られずに、母を引っ張りながら、思わず言ってしまった。

“みんな、ちゃんと待っているんだから、何か追加でも欲しかったらちゃんと並ばないと!日本ではすることあるけど、こっちでそういうことは絶対に止めてな”

これが、母の癪に触ってしまったらしいのだ。多分、私の言い方もきつかっただろうし、後で考えたら、その場で私の気持で母をたしなめなくても、その場は見守り、機会があればちょっと助言してあげるくらいでよかったはずじゃないか、と後悔した。母は怒って、“70年も生きてきた人に向かってそんな小さいことでがみがみ言うな。そんなこと百も承知だし、知らないはずがないじゃないか、でも、こんなにくどくど言われるほど大きなことなんかじゃないはずだ”と繰り返した。

その時は、マナー違反ということで頭が一杯で、冷静に考えられなかった私だったが、よく考えればそれほど口をすっぱくして私が母に言うべきことではなく、何故、それを見守り笑って受け止められるくらいの優しさが私にはないのか、と自分が悲しくなってしまったのだ。それと同時に、クロワッサンをもう1つ欲しい!という思いだけで、こんな嫌な思いをすることとなった母がかわいそうで仕方がなくなってしまった。

そのクロワッサンを母がかじるのを見ながら、私は英語でマイケルに言った。

“マイケル、私、新しい決意をしたよ I’VE MADE NEW RESOLUTION” “母ちゃんに優しくするの、彼女に対してお気楽で行く BE NICE TO MUM,JUST BE EASYGOING TOWARD HER”
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そう決め、マイケルが“いい考えだ”と頷くのを見届け、二つ目のクロワッサンが食べれないと、父に“あんた、食べてよ”と真剣な顔で訴える彼女を見つめていたら、ただただ可笑しさしかこみ上げてこなかった。

さぁ、この決意、この旅行中、続くのだろうか???
by yayoitt | 2005-06-19 19:10 | 両親が来た! | Comments(0)
まだまだ写真
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6月11日の日記にも載せましたが、コインラグビーの写真をアップいたしました。

母が、挑戦しているところです。

お金(イギリス札)が手前にありますが、決して、お金をかけているわけではぁ、ありません。

プライド、だけです…???

こんなに真剣にやっている母も、最後には、点数獲得ならず、それどころか父の飛ばしたコインが頭に当たってしまいました。

ちょっと、写真アップで、日記を怠けてみました、あしからず。
by yayoitt | 2005-06-17 02:12 | 両親が来た! | Comments(0)
ハイランドに行った時の写真
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これは、ハイランドに行った時の写真です。

後ろの三角の山は、以前に両親を連れてハイランドに来た時に、2人がすっかり惚れてしまった山、

ビュッホエティブモア という、舌を噛んでしまいそうな名前です。

私が覚えられない時にも、母親は、“エチブモア、エチブモア”と盛んに話題に出していたほど。

** 私がしかめ面しているのは、確か、マイケルとこの写真を撮る直前に言い争いをしたからです…お恥ずかしい ***

今回、再会できて、本当に嬉しそうでした。

この写真で、この山の後方に、グレンコー(グレン渓谷)が広がり、スリーシスターズという3つの山が連なります。

その1つ目の山には、スコットランドの悲しい歴史の、マクドナルド一族が、牛を隠していた ヒドゥンヴァリー (隠れた谷)があります。

山の表面には見えない、平らな草地が山腹にあり、そこに牛を放牧させていたのです。

エージンバラからハイランドに行く時には、必ず通るであろうこの道からのこの景色は、最高です。
by yayoitt | 2005-06-16 02:07 | 両親が来た! | Comments(2)
“珍しい”の本当の意味 両親の味覚
雪国での田舎暮らしの両親の味覚は、基本的に、塩分 で評価される。

塩辛ければ、美味しい。塩辛くなければ、美味しくない。

特に母親は、この辛味にうるさい上、自分が美味しい物は、皆が美味しいと思うと信じているので、この母とは食事の時にしょっちゅう言い合いになる。マイケルと私が、母を相手に、食事、そして味に付いて、幾度となく同じ会話を繰り返してきているのだ。

マイケルと母との食事の時点での最初の衝突は日本で、皆でランチを食べに近くのレストランに出掛けた時だった。姉や私、マイケルがテーブルに着いたか着かないかに母が席を立ち、水の準備をしているウェイトレスの所へ行き、“すんません。ステーキ定食を、4つ!”

どう考えてもマイケルが正しいと言う周囲のジャッジにより、マイケルの勝利となったが、母曰く、この定食を愛する母は、これが一番美味しいから、これを食べさせたかったと言う。食べさせたい気持はわかる…が、それは母自身を満足させるのであって、本当の優しさではない…と主張、さすがにマイケルに強く説得を受けると笑って黙り、オッケーサインを出した母。それでもこの母の、こういう態度は、食事だけに限らず全てに言えることで、自分が良いと思うものは、皆が良いと思う、と信じているから癖が悪い。

こんな母にも慣れたマイケルも、最近では、いかにその母を黙らせるかを熟知しているので、私が彼女に言って理解されない時には、マイケルの口を借りることが度々ある。

… 決して、母を苛めているのではないのでご安心を!あくまでも、最後には笑えるように説得しているので …

この母と、その母を、上手く気分を害さないようにしながら長年一緒に暮らしてきた父、この2人との食事時間は、ちょっとした“爆弾”抱えた状況であることが多いのだ。2人は、美味しい白いご飯と辛いおかずがあれば、それが最高の食事であるから、塩の辛味のない食べ物となると ??? となるのである。

そんな母の料理で育ったにも関わらず、私は、余り塩辛い物が好きではなく、味噌汁も日本にいる頃から殆ど飲まなかった。

私とマイケルの作る料理は、塩を一切使わない(パスタを茹でる時のお湯に入れるのみ)し、味付けは野菜そのものの味だけか、チーズ、スパイス、ニンニクのみが殆どなので、これが両親の舌に合うはずはない。

マイケルが初めて両親に、彼の得意のスパイスだけを使ったカレーを披露した時 … カレーを口にした父と母、まず、目を大きく見開き、いかにも“へ?”という顔をした。それから長~い沈黙、それから“ふ~ん、へ~ぇ、ほっほ~ぉ、ふ~ん”という声というよりは音が洩れ、“珍しいなぁ~、珍しいなぁ~、ふ~ん、珍しいなぁ~”の繰り返し。父が申し訳なさそうに“塩、かけていいか?”と尋ねた。“美味しい”という言葉は1つもなく、その代わりに連発された“珍しい”で、マイケルはもう2度と彼らにカレーを作ることはなくなった。これは、両親の精一杯の、マイケルの作ったカレーへの誉め言葉、でも、塩辛くないから美味しくはない、だから、美味しいではなく、珍しいのだ。その後も、私達が“私達の味”料理を披露すると、決まって“珍しい”の連発、母などは、はっきり“かぁちゃんはこういう物は嫌いなんや”とも言う。

彼らの滞在中に私は、英国風コテージパイ、炊き込み御飯、肉じゃがなど作ったが、コテージパイの時は、母がいかにも嫌いという態度で、フォークでスズメの涙ほどしか口に運ばないにも関わらず、“ふ~ん、へ~、珍しいな~”を連発したので、私とマイケル、彼女の間でちょっとした言い合いになった。“嫌いなら嫌いでいいし仕方がないし、そうだったらそう言って何か他の物を食べて欲しい。もし、我慢して食べるのなら、ふ~ん、ほ~ぉばかり言わずに黙って食べてくれ!”これには“俺は好きや”と食べていた父も納得、母ははっきり“はい、ごめんな、かぁちゃん、こんなのは嫌いや”と言って、食パンを焼いて食べた。

私が大人になって見る彼女は、本当にわがまま頑固な子供のようなところがある、この頑固さに何度悩まされ喧嘩してきたことかわからないが、基本的には、彼女は心の優しい、人を喜ばせることが自身の喜びと思う、また感情的な、そして傷付きやすい女性でもあるのだ。

娘3人はもちろん、彼女に会ったことのある人が口を揃えて言う、“あんな人は他にはいない”そんな母。そして、その母の突飛な言動を隣で常に見守って来た父。

私は一緒にいると甘えて憎まれ口を叩いてしまう、それを静かにただ受け止めてくれる2人、どうしていつもずっと、もっと優しくできないんだろう…と、いつも心の中で私は苦悩する。
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by yayoitt | 2005-06-15 20:36 | 両親が来た! | Comments(4)
両親の一日 セントアンドリュースにて
雨模様になるかと思われた今日火曜日、マイケルの薦めで、両親はセントアンドリュースの町へ行くことに。前日にマイケルが調べたバスの時間表があったので、それにラインを引きながら父に説明した。ローカルのバスで、エージンバラからセントアンドリュースまで約2時間。

電車で最寄の駅まで行き、そこからバスに乗って町まで行く方法もあったが、バスの乗り降りを心配している両親を見ると、少しくらい時間がかかっても、乗ったら最後まで乗り換えしないでよいバスの方が安心だ。

朝一番のバス、8時20分のに乗る為に、せっせと準備をし、出掛けていった二人。前夜に、バス停の場所、どこのカウンターでチケットを買うか、どういう風に言うか、などを予習させた。

“ツー、リターン、ツー、セントアンドリュース、プリーズ”

この日私が仕事をしていると、11時くらいに電話がかかってきた、父だった。“おい~、やっこ~、おらぁなぁ~、また、げばいたのよ~” げばいた…というのは、失敗した、という意味である。
聞くと、カメラを行きのバスの中に置き忘れたという。早速、最寄のバスステーション、そのコーチのオフィスに電話すると、それぞれから違った番号をもらい、そこにかけろと言われたが、どこにかけても、カメラはなかった。しかし、全て忘れ物はここへ戻ってくる、という場所の電話番号をもらい、まだ届いていないが、また明日電話してみてくれ、と言われて、捜索は一時中断した。

夕方、7時半頃、両親が帰って来た。母の第一声 … “まぁ~、今日はえらい目に遭った~” えらい目 とは、ひどい目 という意味である。話を聞くとこうだった。

11時半くらいにセントアンドリュースに到着した2人は、まず、ゴルフコースの近くにある高級ホテルへコーヒーと軽いランチを食べたいと入ったらしい。うちの両親は、豪華なホテルでコーヒーを飲むのが好きで、そこにお金がなくて泊まれなくてもコーヒーを飲んで、必ずトイレを使ってくるのだ。美味しいレンティル豆のスープを頼み、コーヒーを堪能し、2人はお互いにトイレに行ったらしい。

ここから、父の証言…

父が出てくると母がいない、腹具合でもおかしいのだろうと待っていたが全く出てくる様子がない、外に出てみても姿はない、ホテルの中を捜してもいない。おかしいと思い、女性トイレのドアを開けて名前を呼んでも返事はない。その間、多分、20分くらい。

ここから、母の証言…

高級ホテルの綺麗なトイレに入って、個室に入って鍵をかった。用を足して鍵を開けようとしたが開けられない。これは困った…と思いながらも、ず~っとガチャガチャやっていたが、全く開く傾向がない。人が来ないか待ったけど、客は男の人ばっかりで女の人はいなかったし、トイレにも誰も入って来なかった。これは、ここでのたれ死ぬことはなくても、父は諦め、母を置いて
エージンバラに帰ってしまうかもしれない…。こんなところで助けてくれ~と叫ぶのは絶対に嫌だ…どうするか…

父の行動…

女性トイレのドアを開けて名前を呼んだが返事がなかった。でも、英国のトイレはドアが2重で、入り口のドアの奥にもう1つドアがあることが多いことを思い出した。しかし、さすがに男が女性トイレには入っていけないので、たまたま通りかかった女性スタッフに説明した。“ア~、マイ、ワイフ、エ~ット、トイレ、インサイド”

母の行動…

ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャ

高級ホテルのトイレから救出された母と父は、ゴルフ場の前で写真を撮ろうとして、父が下げたカバンの中にカメラが無いことに気が付いた。カメラの中のフィルムは殆ど使い切っていて、ハイランドの写真や、前夜、蕨(わらび)を鼻の穴に入れて撮った写真なんかも入っている。そこで、私に電話してきたということらしい。父は、仕方なく、町の端にあるテスコへ行き、インスタントカメラを£2ほどで購入、その間、父の帰りを待っていた母は、我慢しきれず、父に見せつけようと、たまたま一人で入った個人のお店でインスタントカメラを購入…£7も払って…。

その後、カメラのことで落ち込んでいても仕方がないと、朽ちた城や宗教戦争で破壊されたままの大聖堂を巡り、一日楽しんだと言うことだった。そして、今日(水曜日)、電話で確認したらカメラがあり、エージンバラへ送ってもらえることとなった。

終わり良ければ、全て良し…
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by yayoitt | 2005-06-14 21:28 | 両親が来た! | Comments(6)
わらび はぁ 見~た~り ♪
週末、土曜日の朝にレンタカーを借り、1泊2日のハイランドの旅に出掛けた。ノーマンは、ハイランドへ行く途中で、マイケルのお姉さんのおうちでお泊りの為滞在する。

父は72歳、レンタカーの年齢制限が心配だったが、そこは74歳までオッケーということで、日本でわざわざ国際免許証を取った父親も大喜びだ。父は、運転が大好きだ、そして、とっても安全運転だ。一応私も運転するかも、とお金を少し余分に払ったが、結局は、甘えて、父に全行程の運転を任せることになった。

エージンバラを出て、幾つか大きなラウンドアバウト(四つ角交差点の代わりに英国にあるぐるりと左回りに廻るロータリー式の交差点)を冷や汗かきながら通り、何とか、高速に出て、お姉さんの家はStrathyre ストラッサィアーという村に向かった。朝から青空のいい天気で、私など車の中では袖なしでいられた。

…が、車が苦手のノーマンは、お姉さんの家に着く10分前に、私の膝の上で嘔吐した。ノーマンは、車が嫌いで嫌いで、ここ最近は必ず、抱えている私の膝に吐くようになった。特に後部座席では、スペースがある為、揺れに逆らい動き回り、またサイドの窓に見える風景を見続ける…これが良くないと思い、帰りはフロントのマイケルの膝の上で、マイケルに抱えてもらってなるべく前を見て過ごしたら、吐かなくって済んだ。

私 = 吐きたい なのか??

お姉さんの家で2時間くらい過ごし、広い庭を見ては“ほ~、すごいなぁ~”、カリフラワースープを食べては“ほ~、すごいなぁ~”、自家製の焼きたてパンを頬張ったまま“ほ~、すごいなぁ~”の両親。

…かわいい。

庭を皆で歩いている時に、母が話を切り出した。話題は、わらび である。母は、本当にわらびの虜で、わらび採りが好きで好きで堪らない人なのだが、食べなくてもいい、採るのが楽しいんだ、というくらいで、その行為自体を愛してやまないらしいから、車窓からわらびが生えていれば大声を出して、車を停めさせ、外に出てわらびを採って帰ってくる。ここ、スコットランドでは食べる習慣のない わらび がちょっと田舎に行っただけで沢山繁殖してるのだ。前回、ここを訪れて、やはりレンタカーでハイランドに行った時は10月だったので、わらびは伸びに伸びて、“惜しいなぁ~惜しいなぁ~”を連発していた。だが、今回は、少しだけ時期的に遅いものの、少し日の当たりの悪いところへ入ると、ちょうど食べごろのわらびの群生がある。

母が歌いだした。

♪わ、ら、び はぁ、見ぃ~たぁ~りぃ~♪

…… あのぉ、あ…、童(わらべ)は見たり、野中のバラ、ね ……

マイケルが、父と私に言う。“あと3回以上、わらび と口に出したら、かぁちゃんの今夜の食事は抜き!”いい考えだ、とばかりに賛同すると、母は頑なに わらび とは口に出さず、“あれ”とか、又は余計に感嘆詞が増えるので、余計に苛々する結果となった。それでも、うるさい観客にも負けずに、この2日間での母の手による わらび の収穫は、両手一杯にもなった。

昨夜は、あく抜きの為の “重曹”をどうしよう、どうしよう、と困っていたので一晩中、“重曹、重曹”と念仏のように繰り返しながら眠った母。

ベーキングソーダ-を買ってみよう…

 ↓ 写真は宿泊したホテルの隣にある運河。湖から湖を、運河が通り、北海から大西洋、大西洋から北海に抜ける為の運河の階段である。これは坂になった運河をヨットが下りたり、登ったりする為のもので、運河の水を何箇所も塞き止めることで水の段を作り、ヨットが通る時には水を移動させて段を無くして、ゲートを開け、次の段へとゆっくり移動していくのだ。
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by yayoitt | 2005-06-13 19:46 | 両親が来た! | Comments(9)
COIN RUGBY コインラグビー
金曜日の夜は、マイケルのちょっとしたお祝いだった。長年の英語教師(外国人に教える)としての仕事に、一区切りをつけたのだ。大学を卒業してから今まで、タイ、イタリア、オーストラリア、日本、英国にて16年間ずっと英語教師だけをしてきた彼、ここに来てとうとう、この職業への思いが燃え尽きてしまったのだ。特に、英語学校での雇われての仕事は、彼の思いに反していることが多く、どうしてもレベルの違う生徒を少ないクラスに押し込める、それが嫌で嫌で仕方なかったらしい。彼がいくら、出来る限りのことを生徒に提供しても、学校の経営側の問題で苦しむ生徒を彼は救えない。

彼が選んだ終止符だった。

今はまだ次の仕事が決まっていないので、夏の間3ヶ月だけ、ずっと働いていたロイヤルマイルの学校で働く。彼が基本的にやりたいのは、何か自分のビジネス、観光関係で日本とこちらを結べるもの…と考え中、でも、現在の余った時間は、犬のウォーキングをやりたいと言っている。

…… という訳で、彼の人生の中のある意味大きな区切りのちょっとしたお祝いを、シャンパンでしたのだ。父は、私と一緒でお酒に弱く、味は好きで飲みたいのに、すぐ真っ赤になっては苦しくなり、その数時間のうちに二日酔いに苦しむ、母は、お酒はとても強いのに心臓が悪いので、やはり心臓が苦しくなって沢山は飲めない。

そんな日本人3人を相手に、マイケルがグラスにシャンパンを注ぎ、皆で乾杯、数分も経たないうちに、日本人だけ全員酔っ払ってきた。

父は椅子から立ち上がり、シェ~の格好をしながら笑いこけ、母は頬を赤らめ鼻息荒く“ちょっと心臓が苦しい”と言いながらも、ひ~ひ~笑う父をけなしている。私は、全くといって良いくらい下戸なのに、目の前で2人が酔うのを見たせいか、意外に冷静だった。そのうち、マイケルが2ペニー(4円くらいの銅貨)コインを出して、遊び始めた … これが、COIN RUGBY コインラグビー である。

COIN RUGBY コインラグビー とは、パブなどのテーブルで遊ばれたりもするコインを使った遊びで、やり方は下の通り。

*  *  *  *  *  *  *

1. 基本的に2人で遊ぶゲームで、テーブルに向かい合う。
2. A側のプレーの場合 … A側のテーブルの端に、コインを少しだけはみ出すように置き、手のひらでコインを(テーブルを滑らせるように)押す。テーブルの途中で止まったコインは、あと2回(合計3回)で指ではねて、相手のテーブルの端、ギリギリよりも少しはみ出すところで止まるように狙う。
3. この時、テーブルから落ちたり、3回でテーブルの端をコインが少しでも超えられないのはアウト、相手の番となる。
4. 2で、上手くコインが相手側のテーブルの端に少しだけはみ出す形で止まったら、A側から身体を伸ばして、コインのはみだし(いわゆる注に浮いた)部分を下から指ではね、コインが飛ぶのを手でキャッチできたら成功。
5. 4で失敗したらそのトライは終わりで、コインは相手の番となる。
6. 4の時点で成功したら、コインをテーブルの上で指でくるくる、と回転させ、回転中のコインを、**組んだ指** の両方の親指ではさめたら、ひとまず成功。
7. 6で失敗したら相手の番に変わる。
8. 6でちゃんと親指で立っているコインをはさんだら、テーブルの向かいにいる相手が、両人差し指と親指でLの字を作り、その親指の先を合わせて、人差し指の部分をテーブルに付けるようにして“ゴール”を作る。
9. そのゴールよりも上に目掛けて、両親指ではさんだままのコインを飛ばし、見事、ゴール頭上をコインが越えて飛んだら成功、7ポイント獲得。

**組んだ指** とは、ちょうど畳の上で丁寧にお辞儀をする時の手の組み合わせをして、親指の方を少し浮かした感じ。コインは自分の腕の中で回っている、ことになる。

これに興味を示した両親、4人でのゲームとして、それからの1時間半をひゃ~ひゃ~いい叫びながら興じたのだが、マイケルが21ポイント獲得した以外は誰も点数を入れられないので、時間も遅いし、お互い最後の一回づつ、と決めた時、父が、コインを回して親指で初めてキャッチしたのだ!最後の最後のチャンス!母が向かいに立って、短い指を伸ばして必死にゴールを作っている。

父は、下唇を噛み締め、親指をクルっと回して、コインを投げた!!!!

思い切り、力を入れて投げたコインは、ベレー帽をかぶった母の頭を直撃した。

一瞬の沈黙と皆の引きつった顔...瞬間後、母以外のマイケルと私、そして父まで腹を抱えて床の上を転がり笑った。母は 頭を撫でて“いって~ぇ”と言っていたのが更に可笑しくて涙流して笑った。

かぁちゃん、ごめん。最後のトライ!
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by yayoitt | 2005-06-11 19:28 | 両親が来た! | Comments(2)