2017年 08月 16日 ( 1 )
母と娘の第二次世界大戦
一番上の姉が、終戦記念日に思いを馳せて …

こんな文章を書いていた

今日は終戦から72年。
私の母は73年前第二次世界大戦で父親をブーゲンビル島で亡くした。
戦死である。
母は7歳で子守りをして口減らし(その家でご飯をいただくこと)をし、
4人いた兄弟の一番下はお腹の中だった。
その後3歳と5歳の妹と弟は里子に出された。
母の母(私のおばあちゃん)は小さい我が子を隠れて見にいき
地面を叩いて号泣していたという。
一つのみかんを兄弟で分けて食べ、
母の母は、みかんの皮を匂いでがまんしたという。
母は小さい頃の子守りで赤ちゃんをおんぶしていた事により、
今だに肺が弱くすぐ肺炎をおこす。
母の母は重たい着物の行商で背中が丸く縮んでいたのを、
私も覚えている。
2年前、孫たちへの証言という本に母の戦争体験が載り、
夏休みには娘や孫に読んでもらおうとしていました。
今朝、娘に電話すると奥で泣きじゃくる声がして、聞くと、
孫がもうすぐ戦争が始まるのではないかと泣いているのだという。
テレビで連日北朝鮮との不安なニュースが流れ、怖くなってしまったのだ。
子どもはとってもピュアだ。
そして戦争があると犠牲になるのも、こんなピュアで若い命だ。
広島の原爆にはピカ、という言い方とピカドンとがある。
ピカは爆心地に近くて、ピカっと光った瞬間に溶けて焦げて亡くなったため、
ドンは聞こえなかったのだという。初めて知った。
今日は不安で泣きじゃくる孫に戦争の話しはやめておこうと思う ??
けれど、何らかの形で語り伝えなければ、と思う。
母も一生懸命伝えてきたが、風邪をひいたり
膝が痛かったりして大変になってきた。
戦争体験者がどんどん少なくなって、忘れられてはいけないと、
思う、今日でした。

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ちなみに、忘れてはならないことがもう一つある。

とても大切なこと。

私たちの祖父の戦死の理由はこうである。

彼は兵隊として送られたブーゲンビリア島で

病気になり、同じ日本兵たちの手によって

足手まといになっては困ると、海に生きたまま

放り投げられたのである。

それでも 戦死 と一言で、70年近くも

葬られていた。
by yayoitt | 2017-08-16 02:47 | 遠くにて思う日本 | Comments(4)