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小学校時代の思い出 運動会の栗ご飯
私が生まれた時代は、ちょうどベビーブームにひっかかる。町全体でも2万人足らずの小さな故郷の町には、小学校が2つある。私の通っていたのは、2つのうちでも大きい方の学校で、私の在学中は、生徒だけで1200人はいた。一クラスは約42人で、一学年5.6クラスあった。毎年秋に開かれる運動会は、その頃、町を挙げての大きなイヴェントで、来賓客も多かったし、それこそ町中の人が見に来た。前日からグランドには万国旗が飾られ、いつも最後を締めくくる大玉送り(地球送り)の大きな玉が整然と並ぶと、祭り事が大好きな私などは、いても立ってもいられず、家に帰ってはまた、グランドへと足を運んだものだった。当日の朝は、その日の天気が危ういと、有線放送(町内だけで掛けられる電話があった)で運動会の有無が伝えられる。確か、運動会がある、と分かると、必ず朝に大きな空砲が鳴ったと記憶する。
鞄も何も持たずに家を出るその日だけは、胸を張って朝日を浴びたものだ。学校嫌いだった私は、それでも、家族が私の走るのを、踊るのを、投げるのを見に来る。お昼には、弁当を家族と皆で食べる。私が、主役の1日。走れば、大きなほっぺたをブルブル震わせるだけで遅く、投げても上手く玉は籠に入らず頭に当たるばかり、踊りは好きでも、真っ赤なリンゴのほっぺたをやっぱり震わせるばかり。そんな私でも、この日は、一躍何か特別な気がして、そこに参加しているだけで誇らしげな気分になった。好きだったのは、一番最初の入場で、整列して右足、左足揃えてマーチする1200人の子供達の姿に、自分がその中の1人であることに感激するくらい見事だった。また、運動会中ずっと流れるクラシック音楽(例 天国と地獄♪)が大好きだった。昼ご飯が近くなると、家族がどこで待っているか、昨日のうちに打ち合わせをしていた場所へと向かう。外ででも、体育館の中ででもどちらでも良かったので、たいがいは母が近所の家族と一緒に場所を取っていた。私は、毎年、この運動会の日には決まって注文する物があった。栗ご飯である。何故かはわからないが、多分、生まれて初めての運動会に、母が栗ご飯を作ってくれたのだと思う。だから今でも、栗ご飯といえば、運動会の砂埃や、汗臭さが、天国と地獄の軽快な音楽に乗って蘇る。母に加えて、父も仕事の途中で食事にだけ参加できると幸せだった。父はとても運動神経がいいので、私は、自分が走るのを見せるのは少し恥らった。姉2人が学校の都合もなくて、お昼に参加できると、私はそれ以上の幸せはないくらい嬉しかった。記憶にはないのだが、一緒に住んでいた血の繋がりのないおじいさんも、一緒にそこでご飯を食べていてくれたことを、願いたい… お昼を食べ終えると、クラスの友人や、近所の友人を探したり、一緒に座って更にご馳走になったりと、たった1時間ちょっとではあったけれども、運動会のお昼ご飯は、一年の楽しみの中の1つだった。いつも走ったり、踊ったりではスターになれない私が、安心する愛する家族の中でスターになれる、その瞬間を、この上なく愛した。
小学校時代の思い出 運動会の栗ご飯 _c0027188_6454939.jpg
栗ご飯は、少ししょっぱくって甘かった。
by yayoitt | 2005-02-06 06:43 | 思い出
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