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失脚、良心の呵責、知らぬが仏
タイトルが

Downfall 失脚 落下

そんな映画を見た。

日本訳は ヒトラー~最期の12日間 となっている。

 1945年4月のベルリン市街戦を背景に
 ナチス・ドイツ総統アドルフ・ヒトラーの総統地下壕における最期の日々を描く

 混乱の中で国防軍の軍人や親衛隊の隊員が迎える終末や、
 ナチス宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルス一家の悲劇、
 老若男女を問わず戦火に巻き込まれるベルリン市民の姿にも焦点が置かれている

 ヨアヒム・フェストによる同名の研究書、およびヒトラーの個人秘書を務めた
 トラウドゥル・ユンゲの証言が本作の土台となった

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ドイツでは、ドイツ人たちが今でも苦しんでいる。

我が国が、我が国民が、我が祖先たちが歩んだ道、現実。

どんな歴史に加担してきたのか。

それをどう、受け止めるのか。

映画の最初と最期に、2006年に死を迎えた女性、トラウドゥルが語っている。
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彼女は、年老いた、その時もなお、良心の呵責に苦しんでいた。

ドイツ軍が行った虐殺を知った時の驚きを語っていた。

消えない歴史。

加害者としての国民であることの、責任。

今もなお、そういう傷跡は、瘡蓋(かさぶた)を再生されずに痛んでいる。

そこで …

疑問する。

果たして、私たち日本人はどうだろうか?

日本兵が行った大虐殺について、心を痛めているだろうか?

加害者としての我が祖国を、恥じて、悲しんでいるだろうか?

ヒロシマ、ナガサキ …

被害者としての涙しか、流していないのではないだろうか?

塗り替えられぬ歴史を、終わったものとして安心してはいないだろうか?

それは、なかったのだと、そんな言葉に安堵してはいないだろうか?


犯した罪は忘れても、犯されたことだけは許さない …

そんな自分になってはいないだろうかと。

問うてみる。
by yayoitt | 2016-03-26 22:13 | 遠くにて思う日本
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