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日本のお正月に想う 2
大晦日の夜、どんなテレビの特集番組よりも、一番心に残っているのは、NHKで始まる、“行く年、来る年”である。しんしんと雪降る積もる、どこかのお寺からの中継だったりしたと思うが、その静かさと、雪の深さ、人々が松明(たいまつ)の側を通り、お参りに行く様子を、ただただ中継していた。その解説の男の人の声が、とても、雪の深さに似合って、優しく、厳(おごそ)かだったと覚えている。今も多分、変らず毎年、この番組はあるのではないかと思う。最初の字幕、行く年来る年 の字が、習字書きで書かれていた。そして、大きなお寺から、修行僧達が裸足で、廊下を歩く様子や、鐘をつく準備をする様子が、せわしなく映し出されていた。画面の中で、最初の鐘を突き出すと同時に、私は、ドキドキしながら、外に出る。
テレビのある茶の間と、玄関は隣り合わせで、身体を半分だけ玄関から外に出して、耳を済ませると、町しある3つの大きな寺から、鐘が響いてくるのだ。寺までの距離がわかるくらい、それは大きかったり、少しこもっていたりする。そして、テレビからの鐘の音と混ざる。この幾つにも重なる鐘の音が、たまらなく好きだった。その頃から、今まで静かだった家々の玄関が開き、家族で連れ立って、出掛ける音が聞こえ出す。新しい雪の積もった道を、歩く時に聞こえる、独特の、うなるような音を聞くと、身体半分だけ外に出ていた私も、フラフラと外に出て、グイッグイッと、雪を踏んで歩いたりするのだった。私の家庭は、私が幼い頃からクリスチャンだったので、お寺参りというものを、したことがない。この大晦日の夜、降りたての雪を踏みながら、松明の燃えるお寺へ向かい、鐘の音を数えて家族で歩く、深夜の道程は、私にとって、ちょっとした、夢の様なものであった。1人で、近所の雪を踏み付け歩くと、ゴーン、ゴーンと不規則に響く鐘の音。みかんの皮で、黄色に染まった手をポケットに入れたまま、コートも着ずに、近所の家から家へと歩いて廻る。家の中では、姉達が紅白を見終わり、その結果について色々語り合っている。おじいさんは、既に自分の寝床へ戻り、父がコタツで、赤い顔をして眠そうに、行く年来る年を眺める。夕食の片付けを適当に切り上げた母は、もう4個目のみかんを手でむいている。冷たくなった手をポケットから出して、家の中に入り、家族の集まるコタツに足を下ろすと、きゅうに眠気が襲って来て、毎年、3時までは起きていようとか、鐘の音を全部数えようとか、そんな誓いは、簡単に破られて、新しい年の、あいさつもままならぬまま、結局、母親と父親の手に抱えられては、布団の中へ沈むのであった。
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by yayoitt | 2004-12-03 22:57 | 思い出
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