人気ブログランキング | 話題のタグを見る
もしも俺が … 生と死を見つめるケルン
子供の頃から、山に登っていた。

父に連れられて登った山。

岩場を両手でがっしり掴んで登るようになると

その恐ろしさを学んだ。

冬の山。

雪の残った山。

寒さに震え、死ぬこともあると畏れていた。 

子供ながらに、とても好きだった歌がある。

 いつかある日 山で死んだら
 古い山の友よ 伝えてくれ

 母親には 安らかだったと
 男らしく死んだと 父親には

 伝えてくれ いとしい妻に
 俺が帰らなくても 生きて行けと

 息子達に 俺の踏みあとが
 故郷(ふるさと)の岩山に 残っていると

 友よ山に 小さなケルンを
 積んで墓にしてくれ ピッケル立てて

 俺のケルン 美しいフェイスに
 朝の陽が輝く 広いテラス

 友に贈る 俺のハンマー
 ピトンの歌声を 聞かせてくれ


原詩の作者は、フランスの登山家。

1951年に、ヒマラヤの高峰を登頂中、友とともに消息を絶った。

享年30歳だった。
もしも俺が … 生と死を見つめるケルン_c0027188_5382854.jpg

山の恐ろしさ。

山の険しさ。

ただ登って下る、というだけでは説明の付かない魅力。

死と隣り合わせであることの、恍惚と寂しさ。

山を登るのならば、覚悟がいる。

生きては帰れないかもしれないという可能性。

それを心に刻み付ける。

そういう覚悟がいる。
もしも俺が … 生と死を見つめるケルン_c0027188_5385544.jpg

今冬は、例年より多くの登山者が、スコットランドの山で亡くなった。

ある新聞の記事に …

 遭難者を出さない為に、もっと警察がすべきことがあるのではないか

とあった。

正直、私は思う。

登山者の生と死は、他の誰の責任でもない。

その登山者だけの責任であるはずだ。

甘く見れば、苦い仕打ちを自然から受けることもある。

甘く見るわけではなくても、痛い仕打を自然が与えることもある。

遭難者を出さないように、他の誰も取り組んだりすることはできない。

それだけ、山に踏み入るということは、多くの犠牲を伴う行為なのだから。
もしも俺が … 生と死を見つめるケルン_c0027188_5391219.jpg

石を積み上げたケルン。

それには、道標としての役割だけではなく 慰霊 の意味もあるのだ。
by yayoitt | 2013-03-27 04:26 | やっこの思想
<< 犬は 理由もなく突然に噛む こ... 本屋でさ、あれ、ほら、なんでな... >>