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おとうさん とか おかあさん 
生まれてきた私たちには、父親と母親が一人ずついる。

一緒に暮らしたりはしていなくても、生まれた限りは、一人ずつ。
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私が病院に勤めていた頃 …

おとうさん おかあさん と呼ぶ人が、沢山いた。

患者さんたちだ。

看護師として、患者さんを おじいさん おばあさん と呼ぶのは躊躇われた。

けれど、個人の愛情をこめた意味で おとうさん おかあさん と呼んだ。

名前で呼ぶのが当たり前だし、そうすべきであったけれど …

患者さんとの付き合いが長くなり、ふと、そう呼んでしまう患者さん。

私にとっては、祖父母の年齢の方だけれど。

個人的な話を聞かせてくれたり …

寝たきりで、老いた妻が付き添っている患者さんを …

ついつい おとうさん などと呼んでしまう。

正直、病院では厳しく 名前で呼びなさい と言われていたけれど。

誰でもかれでも、ではなく、そう呼ばせてくれる患者さんがいたもの。

そう呼んでくれ と言われることもないのだけれど。

90近い患者さんを おとうさん、今朝の調子はどうですか? と。

そんな時、不思議な親近感が湧く。
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果たして相手の方が、どんな風に感じていたかは、知る由がないけれど。

いま、振り返ってみて、自分でも なぜだったんだろう? と思う。

その方に、子供さんはいないとわかっていても、そう呼ぶことがあった。

職業柄、それはいけないことなんだと思う。

プロの意識に欠けると言われても仕方が無いのだと思う。

あの頃 …

私の生活の中で、彼らは大きな存在だった。

毎日、顔を合わせ、様子を心配する。

大好きだけれど、家族じゃないし、友達でもない。

看護師と患者の仲だけれども。

おとうさん

おかあさん


と、呼んでしまった途端に、こぼれる思いがあった。

そこに、信頼を感じる、自分勝手な若さがあった。

あの おとうさん おかあさん 達は、きっとこの世にはいない。

病院の玄関、逝ってしまった おとうさん おかあさん を頭を垂れて見送りもした。

私はあくまで、通りすがりの看護師の一人だったに違いない。

おとうさん

おかあさん


そう呼ぶ私を、笑顔で迎えて受け入れてくれた人々 …。

彼らの名前はもう、覚えていないけれど。
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今でもはっきりと、彼らの眩しい部屋の光、影、匂いや音は覚えている。
by yayoitt | 2011-11-19 01:15 | 看護婦時代
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