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義兄へ贈る 鎮魂歌
昨日、義理の兄が亡くなった。

一番上の姉が、5年前に離婚した人なので、正式には元義兄だ。

姉と彼は、京都の山岳会で知り合った。

彼は、長年働いていた会社を辞め、自分のジムの店を開いた。

それとほぼ同時に、クライミングのインストラクターとして、仕事を始めた。

クライミングは、近場の岩屋までの練習から、北アルプス、国外へも出掛けた。

時には1週間以上、家に帰って来てもすぐにパッキングして翌日に出掛けた。

20数年間、その彼を家で待ち続けた姉。

彼女が、昨夜の電話でこう言った。

 仕事に出掛けて行く度に、もしかしたらこれで最期かも ・・・

 そういう決別を、何年も何年もずっと続けてきた


父親が家にいない状況に慣れた娘2人は、それぞれ結婚して家庭を持った。

長女(私の姪っ子)は、今年5月に結婚し、来年には男の子が生まれる。

次女は、2人の女の子の、若いけれどしっかりした賢母だ。

5月の結婚式で彼は、姉と夫婦として、並んで立った。

次女の結婚式には、怪我をしていて出席できなかったけど。

私が彼に初めて出会ったのは、姉が飛騨の両親に会わせる為に連れて来た日。

中学1年生だった。

ずっと 兄ちゃん と呼び続けて来た。

私が結婚して、京都の彼らの家の近くに住んだ時には、マイケルに英語を習った。

ヨセミテが好きで、あの岩を目指していた。

マイケルと私、そして彼との間には、色々な考え方の違いがあった。

そして、今年の5月に再会するまでの数年間、もう 兄ちゃん とは呼ばなかった。

けれど、結婚式では、その時間が何もなかったように、色々と語った。

私と彼は、顔がよく似ているとのことで 本当の兄妹みたい と言われていた。

披露宴で、人目をはばからずに泣いてばかりいた彼。

 兄ちゃん、よう泣いたなぁ、今日は

やっぱり、私は彼を 兄ちゃん と呼んだ。

12月21日 午後 56歳だった。

行き慣れた、通い慣れた、掴み慣れた岩から落ちて、亡くなった。

京都は金毘羅山のその岩肌は、母親の皺を見るほど、彼はよく知っていた。

いつか、私とマイケルに そこでクライミングを教えてやる と誘ったことがあった。

笑っていて、いつかは、とうとう叶えなかったけど。

大好きな岩に囲まれて、彼らしい最期なのかも知れないなぁ、と思う。

昔、歌っていたのを思い出す。

 いつかある日 山で死んだら 古い山の友よ 伝えてくれ

 母親には 安らかだったと 男らしく死んだと 父親には

 伝えてくれ いとしい妻に 俺が帰らなくても 生きて行けと

 息子達に 俺の踏み跡が 故郷の岩山に 残っていると

 友よ山に 小さなケルンを 積んで墓にしてくれ ピッケル立てて

 俺のケルン 美しいフェースに 朝の陽が輝く 広いテラス

 友に贈る 俺のハンマー ピトンの歌声を 聞かせてくれ


彼の愛したヨセミテを、私もマイケルも愛している。

いつか、戻りたいと願っている。

 兄ちゃん、兄ちゃんは眠ると、信じられないくらいにいびきが酷い

 周りの人は、とても眠ることなんかできない

 でも、もう眠ってしまったのなら、これは仕方がないな

 良い夢を沢山、見ながら、安らかに眠って欲しいよ

 ただし、やっぱり、あんな大きないびきだけは、かかないように ・・・ 

by yayoitt | 2009-12-22 03:09 | 遠くにて思う日本
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